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2019年12月

2019年12月14日 (土)

白いハンカチを手に持って待っていて!

「スマホ」なんて便利なものがある時代、未成年者だって見知らぬ人と出会うことができる。そんなことがまったくできなかった時代の中学生、高校生は、どんなことを考えていたのだろうか。
 
昭和47年(1972年。創刊して2年目)の『薔薇族』4号・3月号に「性別にかぎらず深く愛し合える社会を」と題して書いている。文通欄も200通を越えているのだから順調に売り上げものびていたようだ。
 
「高校3年生の読者から編集部にこんな手紙が寄せられた。『文通欄にこんな手紙をのせてもらえるでしょうか? ぼくの住所を書いて手紙が回送されてきたとき、父母になんといったらいいのか。父にでも手紙を読まれたら大変です。だけどホモだちができないと気が狂いそうです。どうかこの投稿を文通欄にのせてぼくを助けてください。このままだと大学受験も落ちそうです。』」
 
そう書かれてあって、次のようなことが記されていた。
 
「18歳、高校3年生、ぼくは都立高校に通っている少年。大学受験を目の前にして、こんなことをするのも気が咎めましたが、思いきって手紙を出します。ぼくはホモだけでなく、少々サディスティックなところがあります。
 
年上のできれば25歳までの大学生の人をいじめてみたいのです。ぼくは家のものと一緒に住んでいるために、住所を知らせることができません。家のものになんと言われるかが心配です。そこで学校の帰り道に待っていて欲しいのです。
 
西武池袋線の××駅の改札口に、毎土曜日の3時〜4時までの間、白いハンカチを手に持って待っていてください。学生服を着たぼくが声をかけます。まだ見ぬ青年マゾの人に。
 
東京都練馬区の一高校生より」
 
昨年の秋のことだったろうか。やはり都立高校を卒業して、予備校に通っている少年が訪ねてきたことがある。その少年は高校3年に在学中、いつも勉強に行く日比谷公園のなかにある図書館に行っての帰り、公園の中を疲れた頭をいやすべく散歩していた。
 
ベンチの一つに腰をかけ、何気なく向こうを見ると、前のベンチにひとりの外人の紳士が座っていた。見るからに品のいい外人だった。
 
少年はなんとなく、その外人と目が合うとにこりとした。外人もにこりとした。自分の英会話がどのくらい通じるか、話をしてみたいと思った。同じベンチにふたりで座った。少年はいろいろと話しかけてみた。
 
それからしばらくして少年はトイレに連れ込まれ、ジッパーをおろされて……。
 
「ぼくにも同じことをしてくれ」と、外人は要求したが、初めてのショックで、口もきけないぐらいであったが、天にも昇るような快感に、少年はおののいていた。
 
それから勉強が手につかなくなってしまった。それまでオナニーもやったこともなかったのに、その外人を頭に描いて自らを慰めていた。
 
『薔薇族』を読んだその少年は、ぼくを訪ねて我が家にやってきた。そうした外人との話をあり合わせの食事を一緒に食べながら話してくれて、そのあとで少年は切り出した。「その外人に似た中年の紳士を紹介して欲しい」ということだった。
 
この少年もそれ以来、勉強に身が入らずに受験に失敗して予備校通いをして受験勉強中である。もし、まただれか中年の人を知り快楽に溺れるようになれば、また入試もおぼつかないことはあきらかだ。」
 
白いハンカチを持つ大学生、ぼくは『薔薇族』に載せたのか、おぼえていない。

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2019年12月 9日 (月)

サイン入りの内藤ルネさんの人形が!

月刊サイゾーを見ると、笹公人(1975年生まれ。「未来短歌会」選者。17歳の頃、作歌を始める。代表作に『念力家族』(朝日文庫)、『念力図鑑』(幻冬者)など」と略歴が書かれている。
 
短歌の世界から60年以上も離れてしまっているので、あまり興味をもたないが、駒大時代に森本治吉教授に出会って、短歌を作り出したことだけが、大学時代に学んだ唯一のよかったことだ。
 
月刊サイゾーの10月号(2019年)が手元にあったので、短歌のページを開いてみると、笹公人さんの「笑う全裸監督」と題して6首の作品が載っていて、1ページを使い、怖い顔をした迫力のある女性の写真にもう一首載っている。
 
  戦後日本を震撼させし川俣と村西監督の白きブリーフ
 
  昭和時代の終わりを思えばぬばたまの黒木香のワキ毛まぶしく
 
  数万の借金で悩む小ささを全裸監督に笑われた夏
 
今のぼくには、これらの作品がいいのか、悪いのか判断できないが、最近は短歌というより短詩と呼ぶべき作品が多くなってきている。
 
スポーツでもなんでもルールというものがあり、短歌も57577で作るべきで、文語体のほうが格調がある。
 
短歌は『万葉集』の時代で完成してしまっているので、ぼくは『万葉集』に帰れと言いたいが、いまさら短歌を作っている今の人たちにとやかく言うことはない。
 
2019年の11月18日から20日まで、運転してくれる親切な人がいたので、しばらくぶりに女房の古里、弥彦村にある別荘に荷物を片付けに行ってきた。
 
段ボールになにもかも詰め込んで、トラック数台で運び込んでしまったのだから、ひとつ、ひとつ段ボールを開いて、いるものか、いらないものかを見極めなければならない。
 
3階建の家の中にあったものを運び出したので、父母のものまであり、気が遠くなるぐらい積み込まれていた。
 
運転をやめてしまったので、車を運転してくれた人がいて連れて行ってくれたからいいものの新幹線で行ったら、コンビニまで歩いたら1時間ぐらいかかってしまうから食事に困ってしまう。
 
段ボールの中からお宝を探したが、今回は内藤ルネさん作のビリケン人形を見つけ出した。サイン入りで箱にかわいい人形が入っていた。これは欲しい人が多くいるだろう。
 
それから駒大時代に作った短歌の作品が書かれている茶色く色褪せている原稿を見つけ出した。まったく忘れているが、今時の短歌のようなものが書かれていたのでびっくり。自分で言うのもおかしいが、名作ではないか?
 
  突きはなされ空を泳ぎ、花の蕾は不覚にも静液をもらしました
   
  人間は摩擦によって火を作り、子を作り、そして燃えあがった
 
  落葉がくるくる坂をとばさてゆく立ち止まってふりむきたげだ
 
  花火が星空を切りふたりの重みにベンチがうめいている

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2019年12月 7日 (土)

お地蔵さんにお花と果物が!

女房の古里、新潟県、弥彦村(人口8千人)には、東京の明治神宮に匹敵するぐらいの立派な弥彦神社がある。
 
11月は全国から菊づくりの名人が丹精込めて育てあげた菊がずらりと並べられた「菊まつり」が開かれていて、多くの観光客が訪れる。
 
ぼくが経営していた、平成5年にオープンさせた「ロマンの泉美術館」は、10数年前に閉館し、今は廃墟と化しているが、もうひとつ閉館して寂しい思いをしているレストラン「森」がある。
 
カナダから丸太を運び込んできて、カナダの大工さん数人が弥彦に数ヶ月も滞在し、作り上げたログハウスだ。
 
そこで料理をつくっていた人はゲイの人で、東京にいたときはデザイナーでセンスの良い人だった。奥さんらしき人とふたりでお客を迎えていた。
 
弥彦神社の裏手にあり、大きな杉木立に囲まれた狭い道を通っていくような辺鄙なところに建てられたレストランだ。
 
「ロマンの泉美術館」は、新潟のテレビ局や新潟日報、三條新聞などが紹介してくれたから、辺鄙なところにあっても多くの人が訪れてくれた。NHKにテレビで紹介してくれたときなどは、1日に500人を越すお客さんで、レストランで食事をするのには何時間も待たされたほどだった。
 
個人経営のレストラン「森」は各所に看板を出してはいたが、口コミで知られるより方法はなかったので、お客さん集めには苦労していたようだ。
 
ぼくは弥彦に行くたんびにレストラン「森」に立ち寄り、食事をし、本を出版した折にはここで出版を祝う会を開いたりもした。
 
しかし、いつの間にか店を閉じていた。紅葉に包まれて、中からマスターが奏でるピアノの音が聞こえてくるようだが、店に入る階段は紅葉した落葉が自然のわびしい芸術作品を作り出していた。
 
弥彦伊藤館の玄関脇には、東京から運んだお地蔵さん、田んぼの神様かもしれない。弥彦に行くたんびに見るが、女房の兄の嫁さん、長い間、畠仕事をしてきたので、腰が曲がってしまっている。それでも畠仕事を続けていて、車で行くと帰りに大根、たまねぎなどを持たせてくれる。
 
ノブさんという名だが、ありがたいことにお地蔵さんにお花と果物がいつもそなえられている。下北沢の和物の骨董店で買い求めたもので、どこの地方にあったものかわからないがお地蔵さんも落ち着いて喜んでいるに違いない。
 
いつのことだったか、兄の家で食事をごちそうになったとき、食事後、茶碗にいくつものご飯粒をつけたままにしていたら、ノブさんに「農家の人は大変な苦労をして、お米を作っているのだから、ひとつぶでも残しちゃだめよ」と、叱られてしまった。
 
それからぼくは、ごはんを食べ終わると、お茶を少し注いで、ひとつぶ残らず食べるようにしている。
 
戦争中、戦後の食糧難の時代を経験しているから、レストランで食事をしても残すようなことはしない。ごはんが多すぎると思うと「半分ぐらいにして」とボーイさんに頼むようにしている。
 
ぼくが骨董好きになった最初のきっかけは江戸末期のおそばのつゆを入れるそばちょこを買い求めてからだ。内藤ルネさんのマンションを訪ねた折に、お茶をいれてくれた陶器がそばちょこだ。淡い青色がなんとも言えないぐらいいい。
 
何10個と集めたが、みんな売ってしまって今はない。それが段ボールの中からふたつ見つけ出した。そんな高価なものではないが、しばらくぶりに恋人に出逢ったようなうれしい気分になってしまった。

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2019年12月 4日 (水)

「年忘れ文ちゃんと語る会」開催のお知らせ

「年忘れ文ちゃんと語る会」12月28日(土)に開催いたします。
 
日時・12月28日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ
 
女性の方も安心してご参加を!
 
特に悩みごとのある方は、会の終了後、文ちゃんが気楽に話を聞きます。
 
これもコーヒ代だけ。
 
白内障の手術は、年明けになるようなので、会を開くことにしましたので、ぜひ、ご参加を!
 

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2019年12月 2日 (月)

刑務所の中での男同士の欲望は!

ぼくのブログの中で、現在一番多くの人の読まれているのは、刑務所の看守の読者が投稿してくれた「刑務所の中での男の世界」だ。
 
創刊して4年目の『薔薇族』1月号・No15藤田竜君が力をそそいでいた時代。「人生薔薇模様」の読者の投稿欄に「K刑務所での灰色の快楽」と題する(東京・いざわ・さわ男)さんの体験記が載っていて、貴重なものだ。
 
「この体験は私自身の何年か前の体験記です。人間として本能ぎりぎりの禁欲生活は当然、同性にしか求められない欲望は異様でもあり、残酷でもあります。その反面に理想の若者と所内で知り合い、肉体関係をした思い出が、今でも鮮烈に記憶の中に刻み込まれています。
 
所内でのホモ関係は信じられないほどジェラシーが強く、時代によっては三角関係、四角関係になって殺傷事件をひきおこすこともまれではない。
 
かわいいタイプの若い受刑者が新入りとして入ってくると、欲望に飢えた古い連中は、その新入りをマークする。運良く部屋が同じだったら、その喜びようは大変である。
 
もし、その相手が浮気でもしようものなら殺傷事件にまで発展しかねない。それを看守に発見されようものなら、独房に入れられて、相手の受刑者と出所するまで別れ別れにさせられてしまう。所内のホモ行為はタブーであり、きびしい掟でふたりはひきさかれてしまう。
 
刑期は人によって違うが、短い人は10ヶ月から一年半くらい。長い人は5年から10年くらいの人もかなりいる。そのほとんどが再犯者である。
 
中には少年刑務所からきた初犯者もいる。20代の受刑者が大半で、チンピラ、ヤクザ風のものも少なくない。
 
これらは血気盛んで相手とトラブルを起こしては独房行きである。やくざのおにいさんたちは、全身、上半身、下半身と色どりもあざやかな、バラ、ボタン、桜、竜、蛇、観音像といれずみを入れており、風呂に入った時は壮観で、そのからだはたくましく、湯からあがった身体にはられたいれずみは鮮明に浮かび出て、その美しさは目も眩むようである。
 
風呂は1週間に2回くらいで、1回に15人くらいは入れるほどの広さの浴場で、坊主頭の男性たちが一斉に湯船にはいるさまは異様でもある。
 
若い健康そのものの逞しい身体を、お互いに見せ合っているものもいる。中にはペニスを隠さず堂々と入っていて、目の前に大きなものをもってこられると身震いする。
 
仲間のひとりが相手の身体を触ったり、ペニスにも触ったりして、身体を洗いあっている姿を見ていると、受刑者であることを忘れてしまうほどの明るい気持ちにさせられる。
 
朝夕と舎房から工場へ、工場から舎房に行く途中に「検身場」がある。「カンカン踊り」と言われるもので、裸になって両手を上に上げて、「何号、何号」と叫びながら看守に全身を調べられる。この姿は肉親には見せられないつらい光景である。
 
所内でもっとも楽しい行事のひとつに、日曜日に行われる映画会がある。刺激のない作品がえらばれて上映される。この映画会の会場は受刑者たちの顔見せでもあり、所内唯一のデート場でもある。愛し愛されるふたりにとっては絶好なデートのチャンスであり、大胆なことはできないが、結構スリリングな愛撫がひそかにくりひろげられる。
 
出所してからもう何年か過ぎた今でも、若い受刑者の姿が、私の目に現れてくるような気持ちにさせられてしまう」
 
露骨なことは書かれていないが、貴重な体験記で、そこには残酷な愛があったのだろう。

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