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2019年12月23日 (月)

世の中には同じような悩みを持つ人が!

1971年に創刊した『薔薇族』は、隔月刊だった。5号目の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「第4号の高校生特集は、おほめの言葉をいただいた。ばば君のレポートが出色の出来栄えだったからだろう。『週刊現代』『週刊ポスト』が紹介記事を書いてくれた。
 
『子連れ狼』の連載で売れに売れている『漫画アクション』3月9日号が、1ページを使ってぼくのことを紹介してくれたので、たくさんのお電話をいただいた。」
 
マスコミが取り上げてくれることもあってから、女性の読者も増えてきている。7号目には「私は異性を愛せない女」と題して、清水純子さんの投稿を載せているが、当時のレズビアンの女性の気持ちを知ることができる。
 
「ふとしたことで『薔薇族』を手にし、それから毎号愛読している一女性です。
 
男性でさえ最初は戸惑うであろうと思える内容の雑誌でした。ところが女である私は少しも戸惑わなかったのです。なぜなら私が持っているのと同じ悩みが『薔薇族』に満載されていたからです。
 
世の中には同じような悩みを持った人が多くいることかと、私は心強く思ったのです。私は田舎(北陸)から上京してきて、もう5年になります。私は両親からや、兄嫁の「結婚しなさい」の言葉を聞くのが嫌で、田舎から逃げ出してきたのです。普通の男性と平凡に結婚して、子供を育てるなんていうのは私には不可能です。
 
中学2年生のとき、私は人並みに初恋をしました。なんと相手の人は同じクラスの女の子だったのです。(中略)
 
当然のことのように私にも結婚話が起こりました。それがいやで東京に出てきて池袋に住むようになったのは42年11月でした。
 
美容院に勤めた私は、そこの先生と親しくなりました。お酒なんか飲めもしないのに、先生を誘って飲みに行き新宿のホテルに2人で泊まりました。
 
全然、自然ではありませんでした。2時ごろベッドに入って、先生に甘えられたのに、なかなか手が出せなくて、5時ごろやっと結ばれたのですから……。しかも、先生の指図どおりにやらされました。
 
先生(女性)は彼氏と別れたばかりだったので、私を男の代用品として寂しさをまぎらわすために利用したのでしょう。そんなことは何も知らなかった私は、先生によって男役としてめざめさせられたのです。
 
両親と一緒に住んでいた先生は、ついに私のアパートに移ってきて、毎晩愛し合うことを要求してきたのです。それから4年間、まったくの夫婦気取りの生活をしてきました。
 
先生は私にとっては、こわい存在でした。私が男役といっても夜だけで、昼は私を子供のように扱って自由なんてありませんでした。田舎に電話するにも先生に報告しなければならないし、友だちと付き合うことも禁じられました。
 
2人で共同で店を経営していましたが、先生に飼育されているので私は強いことを言えませんでした。とうとう田舎の両親が私たちのことに口出しするようになり、2人の間もだんだん変になり、仲をさかれてしまったのです。私は泣く泣く別れました。
 
今になって思えば、それでよかったのだと思います。先生のそばにいても両親を安心させることはできませんでしたそれに私が好きで一緒になった人ではなかったのですから……。ただ一緒になって自然に情が湧いて愛するようになったということです。」
 
この女性、結論は『薔薇族』の読者と結婚したいという希望だけど、相手が見つかったのかは記憶にない。

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