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2020年1月 6日 (月)

ネットで『薔薇族』創刊号から読めるように!

昭和49年(1974年)という年は、東京都物価は、前年比20%を越す狂乱物価、1973年の地価上昇は過去最高32・4%。空前のゼネストで2日間マヒという時代だった。
 
『薔薇族』第15号(昭和49年1月刊)の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「また新しい年を迎えます。今年は日本にとっても、『薔薇族』にとっても大変な年になりそうです。インフレと物資の不足、物価の急騰で雑誌を続けることの難しさを痛切に感じます。
 
第二書房は創立25年、戦後のなんにもない時代に、会社を創立し、一向に大きくならないけれど、誰にも迷惑をかけずに今日まで続けてきました。
 
浮き沈みの激しい出版界にあって、なんとか続けてこられたのは、社員を使わなかったからです。出版の仕事は大きくやるか、ひとりでやるかです。今のような出版物だとなおさらです。何人か社員がいたら『薔薇族』は出せなかったでしょう。
 
現在は家族みんなが力を合わせて、手伝ってくれています。社員といえるのは藤田竜さんだけ。ぼくは企画・編集・営業から本運びまでの一切、父は経理と荷造り、母は郵便局へ行ったり、女房は文通欄を子供を見ながらやってくれ、姉もこのごろ手伝いに。
 
家族ぐるみの雑誌作りというわけ。だから読者の秘密は外部にもれることはないし、その点は安心し、信頼しきっていただけると思います。ちょっと大変だけど当分はこの態勢で頑張ろうとはりきっています。そのほうが読者のためにもなることだから……。だから日曜も夜もないけれど、朝9時前の電話と、夜中の電話だけはかんべんしてください。
 
皆さんにも喜んでもらいたいのですが、ぼくが育った木造二階建ての家がボロボロになってしまい、返本の重みで床が抜けてしまい、どうにもならなかったのですが、いよいよ一月の末には三階建ての鉄筋で小さな建物ですが完成します。
 
それが世田谷学園の同じクラスの友人、蟹江尚司君の設計、施工は秀建設の加藤五十吉君、電気工事も同じクラスのバレー部のキャプテン、鐘広電気の久保田真昭君と、友人たちが力を合わせて建ててくれています。
 
三階の大広間も読者が集まれる部屋にしたいと思います。美輪明宏さんが豪華な門灯を贈ってくれました。ゲイの世界を少しでも明るくしたいという願いをこめてのものです。門灯の明るい光が、きっと読者のひとり、ひとりの胸の中にさしこむ日が、きっと近い将来にやってくるに違いありません。
 
家族だけでなく、この雑誌を続けていくための大きな力になっている、藤田竜君の偉大な才能にも拍手をおくってください。また絵、小説などを贈ってくれている皆さんにも感謝の気持ちと、お礼をのべさせていただきます。」
 
文通欄への投稿数も、北は北海道から、南は沖縄までの読者から、295人にも増えている。それらに寄せられる手紙も、月に3千通を越しているが、それをひとりでひきうけていた女房に感謝。
 
こんなに多くの人が利用している通信欄は日本の雑誌の歴史にもなかったことだろう。
 
先日も電話で、40歳を過ぎた地方の妻も子もいる読者が、生まれて初めて文通欄を通して仲間ができてセックスしました。こんなにすごい刺激は初めてでした。と、声をはずませて聞かせてくれました。
 
写真も波賀九郎さんが登場し。小説も笹岡作治さん、楯四郎さんも力作を寄せてくれた。ページ数も122ページと増え、内容も充実してきていた。
 
針金とじの時代の『薔薇族』をネットで若い人たちに読んでもらえるようにしたいものだ。

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コメント

実録昭和史の資料として、後世に残ると思います。

投稿: 実録昭和史の資料ですね | 2020年1月15日 (水) 05時55分

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