49年前に書いたぼくの記事!
『薔薇族』創刊2号目、11月号に「かくれていないで表に出よう!」と、2ページを使ってぼくが書いている。
「「かくれていないで表に出よう」と、プラカードをかかげて、ニューヨークのセントラルパークを5千人のホモたちがうずめつくしたとTBSのニュース解説の古谷綱武さんのレポートがテレビで報道されました。
アメリカではホモは法律によって公職につけないとされているそうです。ですからその偏見に抵抗して、人権運動、人間の権利の問題としてホモ・パワーが大きな力となって巻き起こっているのだろう。
日本では、はたしてどうなのか。キリスト教の国ではない日本ではホモを規制する何らかの法律もありません。ただ、それは法律がないというだけであって、自らを規制し、自らをしばりつけているものは、ホモ自身ではないかということです。
だれにも言わない。かくれている。だから偏見にあうことはない。親にも、先生にも、兄弟にも、友人にもかくしている。だからなにごともない。これがもし人に知れたらどうなるのだろう。
『薔薇族』を創刊して、仲間たちがこれを手に入れるのにどんなに苦労していることか。創刊を知らせるチラシをダイレクトしたら、もちろん封書で出したのだけど、もし見られたら大変だから送らないでくれという人が何人もいました。(創刊号を出す前に、単行本を出していたのでその読者に)
西宮市に住むYさんからこんな手紙が。
「週刊朝日を読んで、この雑誌の発刊を知ってあんとかして手に入れたいと方々の書店を探しましたが見つかりません。雑誌の名前をあげて店員に聞くこともできず、第二書房の所在地を訊こうとしましたが、それもできません。
そんなある日、ふと立ち寄った書店のレジの傍に、この雑誌を見つけたときの喜びは、全く何と表現したらいいのかわかりません。他の必要もない雑誌と一緒にさりげなく買ってきて、貪るように読みました。
「病気でないこと」「仲間がたくさんいること」を知り勇気を得ました。
私にはまだ自分がそうであると、世間に公表することはできません。自分の家族、友人たち、勤務先の人たちなど、私とつながりのある人たちはだれも知らないのです。知らないからこそ、みんなうまくいっているのです。私はかつて自分の本来のものをだれにも告白したことはありません。」
そうYさんは手紙に書いています。そしてあの小さな書店では次号を買わない。それは店の人が私を知るからだと言っています。だから10月のはじめに新幹線に乗って東京に出て雑誌を手に入れると書いています。
世間の人がこの手紙を読んだら笑うかもしれないけれど、これが日本の現在のホモたちの多くの姿なのです。
先日、第二書房まで77歳になる老人が杖をつきながら『薔薇族』を買いにきました。ぼくはその老人と立ち話をしました。6人もいる子供たちはみんな独立して世帯を持っているそうですが、一度も若いたくましい男に恋こがれながら抱き合うこともなく過ぎ去ってしまったという老人。それでも今でも若いたくましい男に恋こがれていると言う。
『薔薇族』を大事そうにかかえこんで、帰っていく後ろ姿を見送りながら、全国のホモたちに想いを馳せずにはいられません。
大多数のホモたちが、やはり老人と同じようになって年をとっていくのではないか、そんな悲しい気持ちにさせられてしまうのです。」
こんかことを書いたのは、昭和46年(1971年)今から49年前のことだ。一緒に『薔薇族』を立ち上げた、藤田竜さん、間宮浩さんもいない。ぼくだけが生きて仲間たちの姿を見届けたい。
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