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2020年2月

2020年2月17日 (月)

スマホなんてなかった時代の受験生!

今の世の中、スマホの時代、なにを見てるのか、電車の中でもバスの中でもスマホを見ている人ばかり。
 
さすがにわが母校、世田谷学園の学生たちはスマホを見ながら駅への道を歩いているものはいない。
 
夕方、下北沢駅前のスーパーに買い物に行き運動のために歩いているが、紺のつめえりの世田谷学園の学生が駅へと急ぎ足で歩いているのに出会う。頭の良さそうな学生たちばかりだ。おそらく夜、塾に通っているのだろう。
 
スマホはおそろしい。依存症になっている人も多いに違いない。
 
43年前にはスマホなんてものはなかった。高校3年生の寝屋川市に住む生徒の投稿が『薔薇族』1977年の10月号に載っている。
 
「大学受験を目指して、いよいよその仕上げに日夜とりくんでいる。僕は毎晩8時から勉強にとりかかり、平均2時ごろまで頑張っていますが、なんて書くと模範生みたいだが、時に脱線して、『薔薇族』を一生懸命勉強していることに、ハッと気づくことがある。
 
12時ごろになるとおそいかかる睡魔をふりきるため、よく銭湯に出かけますが、この日は雨だったので、脱衣所には僕とほとんど同時に入ってきた大学生の兄さんと二人だけだった。
 
シャツを脱ぎながら浴場をみるとだれもいない。僕の胸は踊った。チャンスだ!
 
今まで『薔薇族』を読んで、同性の素晴らしいことは知っていたが、実際のチャンスがなかなかこなかったからだ。
 
反対側の脱衣箱で、一枚一枚脱ぎ捨て、たくましいからだを見せてゆく彼の裸体が、僕の前の鏡に映っている。
 
もう僕の心臓はドキドキ、早鐘のように打った。なんだか彼も僕を意識しているみたい。ブリーフの中では僕の坊やが太く固くつきあげているので、ブリーフを脱ぐのをためらいながら、僕は彼のそばにある体重計に近寄った。
 
その時、彼の視線はブリーフの表からでも硬直しているのがよくわかる、僕の中央部に釘付けされたように、ジーっと見つめている。
 
僕は思わず声をかけた。「今日は二人きりですね」と。彼はあわてたように視線を僕にうつすと、思い切ったようにブリーフをさっと下へ下げた。瞬間、僕の心臓が止まったかと思うほど、彼のものがすごく太く、腹の方へそりかえっていた。
 
二人はニッコリしあいながら、互いに素晴らしく勃起した坊やをそのままに浴場へ入った。
 
もう二人の心は通じ合っていた。肌を寄せ合いながら、お湯をかけ、湯船につかった。
 
「君も学生?」
 
「ええ来年、大学を目指しています」
 
「僕は大学二年生だよ」
 
二人はスッと伸ばした両足をピッタリと太もものあたりから、じわじわ寄せ合っていた。
 
少し沈黙が続いた。しかし、それは何かが始まろうとする静かなセレモニーだった。
 
透き通った湯の中で、黒々と茂った森の中から二本の巨大ともいえる太くたくましい柱が、早く早くとせかしている。僕が思い切って彼の方へ体をグーっと寄せた。すると反射的に彼の手が僕の太ももの、それもすぐにそばの辺りに伸びてきた。また僕は体をくねらせ彼の手に僕の力が直接触れやすい位置になった。
 
「もう、どうなってもいい」
 
彼は小さな声で耳元でささやいた。
 
「すごく太いね」
 
「ううん、お兄さんには負けるよ」
 
たがいに相手のものを握り合った手は、前後に激しく揺れ、あふれそうになった」
 
これからがクライマックスになるが、このへんでやめておこう。スマホに夢中になっている今時の学生には、これだけの描写力のある文章は書けないだろう。
 
この学生君、大学は入れたに違いない。56歳、その後、どんな人生を送ったのだろうか? 幸せであってほしいものだ。

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2020年2月15日 (土)

自分ひとり老いれば朽ちて!

昭和52年(1977年)10月号(今から43年も前)の「明日への発言」というコーナーに「マスコミよ、傷をつつくな!
=差別と偏見を考える」と題して、神奈川県の西村茂雄さんの投稿が載っている。あくまでも43年前の読者の投稿だということを頭に入れてから読んでほしい。
 
「ホモという性を汚い言葉ながらずばり表現すれば、相手が男でなければチンポが勃たないとしか言いようがない。それを正常なあなた方に理解してもらおうとも思わないし、理解してもらえるはずもない。
 
確かに女性を愛する男が正常であり、男しか愛せない男の私たちが、異常であることを私たち自身がいちばん痛く知っているのです。そしてホモというのはどこか狂ってしまっている精神病の一種としてもおかしくはないでしょう。しかし、他の精神病と違う点は、当の私たちがその狂っていることをはっきり知っていることです。俺は狂っていない。私は狂っていないと信じながら病院に送られる患者とは違うのです。自分が狂っていることを知っているからこそ苦しいのです。
 
自然の営みというものは植物であれ、動物であれ、生きているものすべて子孫を残すことに始まり、終わっています。それが性であり、その性が狂っていることを知りながら、社会で生活する私たちの苦しさをあなたたちは理解できないでしょう。
 
あなたたちは「ホモ野郎」「オンナオトコ」「中性」などという言葉と態度をまともに浴びせてきます。
 
精神病の患者に向かって、あなたたちは「テンカン野郎」「キチガイ」とまともに言いますか? ホモが精神病の一種と決めてそれに甘える気はありません。しかし、私たちは好きでホモに生まれついたわけではありません。中学から高校、友だちが異性の話に興じている中で、それを話を合わせながら、自分が異質であることを知った時、私たちは自分の性(さが)を悟るのです。(中略)
 
主婦むけのワイドショーや、三面記事的番組で事件や出来事の核心を忘れ、興味本位だけで構成した挙句、「おお気持ち悪い」とまでいう権利があなたたちにはあるのだろうか。
 
有名人の離婚に関して「夫はホモだった」という女がいる。それは夫婦間の問題であって、「夫は短小だった」「早漏で満足できなかった」という女がいるだろうか。
 
それを微に入り細に渡り報道するマスコミがいるだろうか。それがホモであるから記事になると言われるだろうが、わざわざ他人の足をすくい、ひとりの個人の人生を壊す権利があなたたちにあるのだろうか。(中略)
 
私たちはホモの解放運動など決して望みません。伊藤文学氏の言葉に「ホモも胸を張って明るい太陽の下に出よう」と言われていますが、それは決して出来ないことです。
 
私たちが自然の道理からはずれている以上、これからどのような時代が来ても太陽の下には飛び出せないでしょう。それを知っているからこそ私たちはある部分で、息をひそめて生きているのです。それを興味本位のさらしものとしてひきずりだし、傷をつつくようなことをしないでほしい。
 
私たち自身で自分たちが他人とは違っていることを知っているのだから、偏見からくる差別をも仕方なく受け入れながら心の中で闘い続けるでしょう。
 
偏見と差別など実際には悲しいながら慣れてしまっている面があり、本当に苦しくて辛いのは、友人たちが結婚をし、子供と奥さんに囲まれている姿を見るとき、ただ生まれてきて自分ひとり老いれば朽ちて、それだけの生命であることを感じることなのです。」
 
43年前の読者は、こんな思いの人が多かったのだ。

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2020年2月10日 (月)

貝殻は建築家、生存を懸けて!

ぼくは東京新聞だけをずっと購読している。理由は購読料が一番安いということだが、安くたって記事は他紙にないような独特なものが多いからだ。
 
2020年1月21日の朝刊に「貝は建築家=生存懸け、多様な形」と見出しがある。

 

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文・吉田薫、写真・安江実、紙面構成・安藤秀樹。
 
以前から貝について知りたかったことがくわしく書かれているので、引用させていただく。
 
ぼくが貝がらに興味をもつようになったのは、今は亡き澁澤龍彦さんの鎌倉の自宅を撮影した篠山紀信さんの写真集を見たときのことだ。
 
書棚には多くの本が並べられていて、その棚の空間にいくつもの大きな貝がらが置かれていた。なぜかその貝がらが、ぼくの脳裏から離れることはなかった。しかし、大きな貝がらってどこで売られているのか、ネットで調べることができないぼくには探しようがない。
 
昨年のことだったか、井の頭線の下北沢の次の駅、池之上の商店街で、フリーマーケットが開かれるというので行ってみた。
 
下北沢でもフリーマーケットは開かれるが出店する人が若い人がほとんどなので、ぼくが欲しいと思うようなものはあまり見当たらない。
 
池之上のフリーマーケットは、出店する人の中には年配の人が多い午後3時すぎだったろうか。その日はくもり空で、いつ雨が降ってきてもおかしくないような空模様だった。
 
ぽつぽつ雨が降り出してきたので、衣類を売っている人たちは片付けはじめていた。そんなときに台の上に、いくつもの大きな貝がらを並べている年配のおじさんがいたではないか。
 
「これいくらですか?」と聞いてみた。
 
「いくらでもいいよ。全部で500円にするよ」と、おじさんがいう。
 
「全部買いますよ」と言ったらビニール袋に入れてくれた。うれしかった。やっと大きな貝がらを5個も手にすることができて、永年の望みがかなえられたではないか。
 
東京新聞の見出しには、こんなことが書かれている。
 
「貝は自然界の建築家だ。自分で材料を作り出し、それを使って、ぐるぐる巻きだったり、細長く伸びたり、部屋がたくさんあったり、個性豊かな自分だけの「すみか」を構築する。そんな不思議な特別展示が、東京大学総合研究博物館小石川分館(文京区白山)で開かれている。
 
「貝の建築学」3月15日まで。文京区白山3−7−1の東京大学総合研究博物館小石川分館。10〜16時30分(入館は16時まで)。月曜から水曜までは休館。祝日は開館。入場無料。問い合わせは、ハローダイヤル 03(5777)8600へ」
 
貝って10万種あるといわれ、実に多様なんだそうだ。
 
貝がらのいちばんの役割は、敵から身を守ることにある。軟体動物である貝は、そのまま襲われたらひとたまりもない。
 
「切断面を拡大して観察すると、無数の結晶が規則正しく配列されている。建築に例えると、レンガやブロックに相当する部材を体内で生産し、多層に組み合わせて、こわれにくい構造をつくりあげているのです。」
 
佐々木准教授は語っている。
 
観覧者は、貝のコレクターだけでなく、建築やデザイン分野の人も目立つとあるが、ゲイの人も多いのではないか。
 
澁澤さんがどんな思いで、貝がらを集めたのか知るよしもないが、恐らく貝がらにロマンを感じたのでは。

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2020年2月 8日 (土)

少年の裸像は美しいのに!

株式会社サイゾーの協力で、『薔薇族』を支えてきてくれた多くの人たちのことをゲイの歴史に残しておきたいと「『薔薇族』の人びと」と題して読めるようにしてくれている。
 
「山川純一」「間宮浩」「藤田竜」「三島剛」「笹岡作治」「大阪のオッチャン」「楯四郎」「波賀九郎」「大川辰次」「裸夢丸」「稲垣征次」と書き続けているが、ぼくは自分でスマホで読めないのは残念だ。好評なようだ。
 
まだまだ『薔薇族』を支えてくれた有能な人たちは多くいるので紹介していきたいが、すでにぼくよりも若い人たちなのにこの世にいないとは。
 
これから紹介しようとしている稲垣征次くんもガンにおかされて苦しんでいる。それにわずかな年金で弟さんと暮らしているが生活はぎりぎりのようだ。
 
ときどき電話をかけて様子を聞いてはいるが、少しずつ弱ってきているようなのに、毎日少年の絵を描き続けている。
 
稲垣征次くんをやめさせろという人もいたが、ぼくはかばい続けて、廃刊になるまで仕事をしてもらった。
 
稲垣くんが『薔薇族』に登場するようになったのは、そんなに初期の頃からではない。1983年5月号No.124からだ。「金色の少年」と題する3点の作品がグラビアページを飾ったのが最初だ。それからの稲垣くんの作品は鉛筆画で、一枚の絵を描きあげるのに、どれだけの時間をかけているのだろう。しなやかで不思議な魅力を持つ、独特の作品と言えよう。

 

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稲垣征次のペンネームは、稲垣足穂さん(1900年生まれ、1977年没)の著書『少年愛の美学』を読んで熱中したことがあったのがきっかけで名付けたものだ。
 
『薔薇族』をめくってみると、稲垣くんのイラストは多く使われている。稲垣くんはイラストだけでなく、文章もうまい。
 
1988年4月号が最初で「三月・白梅」から始まり、エッセイとイラストで見開きになっていて、24話も続いている。イラストも文章もすばらしい。
 
これを一冊の本に残しておきたいと思っていたが果たせずにいるのは残念だ。
 
稲垣くんの少年の絵には、ほとんどかわいいオチンチンが描かれている。単なるワイセツな絵ではなく、秀れた芸術作品なのに、少年のヌードというだけで、画廊で展示するのにも警察を意識するのか、オチンチンを黒い紙で隠している。
 
オリンピックが近いだけに少年のヌードはネットにも載せられない。少年は美しい。それぞれの作品を見てから、芸術作品か、ワイセツ画かを判断すべきだろう。
 
警視庁の玄関を入ったところに朝倉文夫さん作の男性の裸像が置かれている。立派な芸術作品だ。どなたが置かれたのかはわからないが、別に恥ずべきことではないのに、撮影は禁止されているようだ。
 
東大の大学院教授を昨年3月でやめられた木下直之さんの新潮社刊『股間若衆』と、『せいきの大問題=新股間若衆』にも、警視庁ロビーの朝倉文夫さんの男性裸像は載っていない。撮影を断られたようだ。
 
昨年のNHK「LOVE 1948〜2018」を木下直之さんが見てくれて「素晴らしい出来でした。文学さんの果たした役割の大きさをあらためて教えられました」とはがきに書いてくれた。
 
静岡県立美術館の館長もされているので「いつかLGBTの展覧会をやってみたい」とも書かれているので、稲垣くんの作品をふくめ、多くの男絵師たちの作品を堂々と見れるよういなる日を願っている。

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2020年2月 3日 (月)

みんなに支えられて、ぼくは幸せ!

いよいよ3月19日で88歳の米寿を迎え、「令和」の年号の名付け親・中西進さんの仲人で結婚した新潟県弥彦村が古里の久美子と結婚して50年の金婚式も迎える。
 
『薔薇族』の創刊以来のスタッフ、多くの支えてくれた人たちもこの世にいない。ひとり生き残っている寂しさもあるが、ぼくは生涯、青春だと思っているから、年齢のことは考えない。派手なシャツや、ジャンバーを着て、下北沢の街を歩いている。
 
景気のいいときは高価なものを購入したが今は月にすれば8万円ぐらいの年金生活だ。こづかいだけなら酒もタバコにも縁がないぼくだから十分だが、女房と息子夫婦と高校3年生の孫との5人生活。買い物に出たがらない女房にかわって、ぼくが運動を兼ねて下北沢の駅のそばのスーパーオオゼキまで、30分ほど歩いて夕食の材料を買いに行く。息子の嫁が夕食の準備をしてくれる日もあるが、徹夜までして働いてくれているので、なるべくぼくが買ってくるようにしている。
 
孫が大学に入れば学費もかかるだろうから、その準備もしているのかもしれないから……。
 
わが家の周りはお金持ちの家が多い住宅地だ。竹下登元総理の家もある。何軒かの家の前に段ボールが置かれ、その中に不要になったものが入っていて、「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた貼り紙がしてある。
 
あまり人通りのない通りだ。ぼくは毎日、買い物と運動を兼ねて歩いているので、その段ボールを見かけることがある。
 
結構掘り出し物があって、いただいて来たものを机の上や、テーブルの上に置いて使っている。
 
最近知り合ったHさんは音楽通だし、家柄がすごい。おいじいさんは陸軍大将、母方のおじいさんは海軍中将、お父さんは陸軍士官学校で首席で卒業し、太平洋戦争でも活躍され、戦犯になり巣鴨刑務所に8年も服役されたそうだ。
 
HさんからはヘッドホーンとCDデッキを贈られ、88歳にして音楽にめざめ、2度目の人生が変わってしまった。
 
Hさんから贈られたものに、戦前中国から持ち帰った大理石だろうか。石のかたまりを彫刻して何匹もの動物たちが彫られ、二つの大きな穴がいているので、そこにいつもぼくが使っているボールペンの赤と黒を入れ、机の上に置いている。驚くべきは何匹もの動物たちが、のりでくっつけたものでなく、一つの石をけずって動物の形にしたもので全部つながっているものだ。
 

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なんという見事な職人のわざだ。昔、べっこうで作られた根付を集めたこともあったが、かたい石を彫りきざんで作り上げた職人のわざは、溜息がでるほどの見事さだ。
 
陸軍大将のおじいさんが、中国で戦前に購入したそうだ。中国の古い時代に作られたものか、80年くらい前に作られたものかはわからないが、これを目の前に置きながら原稿を書いている。
 
人間落ち目になると、人は寄り付かなくなるとよく言われる。父の友人で出版社を創業したが、本が売れなくなって倒産し、そのなれの果てを子供の頃から見てきた。
 
ぼくは感謝の気持ちでいっぱいだが、『薔薇族』の古い読者や、若い人たちもみんなよくしてくれ支えてくれている。
 
その感謝の気持ちをこめて、3月20日(春分の日で祝日)ひるの12時から午後2時ごろまで、三軒茶屋の駅前「中国名菜・銀座アスター」で、ふだん着の街・気さくな街 三茶で開く「文ちゃんの米寿を祝う会」を催します。
 
会費は3千円(料理・飲み放題)くわしくは追ってブログに書きますが、今から予定していてください。その頃には目も手術が終わってよくなっていますから。

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2020年2月 1日 (土)

49年前に書いたぼくの記事!

『薔薇族』創刊2号目、11月号に「かくれていないで表に出よう!」と、2ページを使ってぼくが書いている。
 
「「かくれていないで表に出よう」と、プラカードをかかげて、ニューヨークのセントラルパークを5千人のホモたちがうずめつくしたとTBSのニュース解説の古谷綱武さんのレポートがテレビで報道されました。
 
アメリカではホモは法律によって公職につけないとされているそうです。ですからその偏見に抵抗して、人権運動、人間の権利の問題としてホモ・パワーが大きな力となって巻き起こっているのだろう。
 
日本では、はたしてどうなのか。キリスト教の国ではない日本ではホモを規制する何らかの法律もありません。ただ、それは法律がないというだけであって、自らを規制し、自らをしばりつけているものは、ホモ自身ではないかということです。
 
だれにも言わない。かくれている。だから偏見にあうことはない。親にも、先生にも、兄弟にも、友人にもかくしている。だからなにごともない。これがもし人に知れたらどうなるのだろう。
 
『薔薇族』を創刊して、仲間たちがこれを手に入れるのにどんなに苦労していることか。創刊を知らせるチラシをダイレクトしたら、もちろん封書で出したのだけど、もし見られたら大変だから送らないでくれという人が何人もいました。(創刊号を出す前に、単行本を出していたのでその読者に)
 
西宮市に住むYさんからこんな手紙が。
 
「週刊朝日を読んで、この雑誌の発刊を知ってあんとかして手に入れたいと方々の書店を探しましたが見つかりません。雑誌の名前をあげて店員に聞くこともできず、第二書房の所在地を訊こうとしましたが、それもできません。
 
そんなある日、ふと立ち寄った書店のレジの傍に、この雑誌を見つけたときの喜びは、全く何と表現したらいいのかわかりません。他の必要もない雑誌と一緒にさりげなく買ってきて、貪るように読みました。
 
「病気でないこと」「仲間がたくさんいること」を知り勇気を得ました。
 
私にはまだ自分がそうであると、世間に公表することはできません。自分の家族、友人たち、勤務先の人たちなど、私とつながりのある人たちはだれも知らないのです。知らないからこそ、みんなうまくいっているのです。私はかつて自分の本来のものをだれにも告白したことはありません。」
 
そうYさんは手紙に書いています。そしてあの小さな書店では次号を買わない。それは店の人が私を知るからだと言っています。だから10月のはじめに新幹線に乗って東京に出て雑誌を手に入れると書いています。
 
世間の人がこの手紙を読んだら笑うかもしれないけれど、これが日本の現在のホモたちの多くの姿なのです。
 
先日、第二書房まで77歳になる老人が杖をつきながら『薔薇族』を買いにきました。ぼくはその老人と立ち話をしました。6人もいる子供たちはみんな独立して世帯を持っているそうですが、一度も若いたくましい男に恋こがれながら抱き合うこともなく過ぎ去ってしまったという老人。それでも今でも若いたくましい男に恋こがれていると言う。
 
『薔薇族』を大事そうにかかえこんで、帰っていく後ろ姿を見送りながら、全国のホモたちに想いを馳せずにはいられません。
 
大多数のホモたちが、やはり老人と同じようになって年をとっていくのではないか、そんな悲しい気持ちにさせられてしまうのです。」
 
こんかことを書いたのは、昭和46年(1971年)今から49年前のことだ。一緒に『薔薇族』を立ち上げた、藤田竜さん、間宮浩さんもいない。ぼくだけが生きて仲間たちの姿を見届けたい。

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