« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »

2020年2月

2020年2月29日 (土)

イベントのお知らせ

文ちゃんと語る会

3月20日の銀座アスターでの「文ちゃんの米寿を祝う会」に参加できなかった方々のために、祝う会を兼ねての会にします。

乾杯のビール、飲み物は文ちゃんがみんなに支えられて、米寿を迎えられた感謝の気持ちを込めてのオゴリです。

 

日時・3月28日(土)11時から14時まで。

場所・織部下北沢店

会費・コーヒー代のみ

| | コメント (0)

ご自由にお持ちください!

Img_5882

 

長さ20センチ、金属の真鍮銅と亜鉛との合金で作られたものだ。なんでこんなもの、どこで購入したのかも忘れてしまっている。
   
丸い輪っかが取り付けられているから、これは紐でぶらさげて、体につけていたものだろう。
 
何に使ったものかを今時の若者は知る由もない。こんなものを使って商売している人は今はいないから。
 
太平洋戦争が始まる前、ぼくが小学生のころは、いろんな物売りがいた。リアカーや、自転車の荷台に木箱をつけて、豆腐を売りにくる豆腐屋さんが、吹き鳴らすラッパなのだ。
 
ぷ〜うっと吹くと、すごい音が出る。その当時の家のガラス窓は、今の頑丈なガラス窓と違って室内にいても、外で吹き鳴らすぷ〜うっという音を聞き取れる。豆腐屋さんが来たなというのがすぐわかるから、お皿を持って外に出て豆腐屋さんに声をかける。
 
朝早く「なっとう、なっとう」と叫びながら、売り歩く納豆売りのおばさんや、少年もいた。わらに包まれた納豆だ。
 
新聞配達のおじさんは、巾の広いひもで重い新聞をかかえて、徒歩でくばっていたのだから大変な重労働だ。新聞を取っていない家なんてなかったから。我が家は朝日、読売、毎日、東京新聞と親父は購読していた。
 
新聞配達人は小気味いい、ピューっと音を出して、ポストに投げ入れる。あの音は今でも脳裏に残っているが、なんのためにピューっと新聞をしごいてポストに投げ入れたのか意味はわからない。かっこいいところを見せたかったのかも。
 
豆腐屋のラッパはおそらく町工場みたいなところで職人が手作りで作っていたのだろうが、よくできている。骨董屋で探しても今では見つけられないだろう。
 
ぼくは手許に寝るときも置いている。それは夜中にからだの具合が悪くなったりした時に吹き鳴らして、となりの部屋で寝ている女房に助けを求めるためだ。おかげさまでいびきはかくようだが、元気なので女房を呼ぶためにつかったことはまだない。
 
ぼくの住んでいる2階建の3LDKのマンションの家主さんは、江戸時代からこの地に住んでいる名主さんで、江戸時代に建てられた赤門は保存されていて、世田谷区の重要文化財に指定されている。見事な彫刻がほどかされていて見るものを圧倒させる。
 
近所の住宅はお金持ちが住んでいる。元総理大臣の竹下登さんの家もある。新築になったわが母校、代沢小学校から淡島通りへ抜ける道は裏通りで車は通るが、人通りは少ない。ぼくはその通りを歩いて、下北沢の駅前のスーパーオオゼキに買い物をかねて、運動のために杖をつきながら、通る人にみんな追い越されながらも、ゆっくり歩いている。
 
たまにだが玄関先にダンボールに入れられた不用品なのだろう、「ご自由にお持ちください」と張り紙がしてあって、いろいろなものが置かれていることがある。
 

Img_5883

 
そのなかから役に立ちそうなものを頂いてきて、机の上に載せている。時計はよく置き忘れることがあるので、腕からはずすとこのガラスの器に置くようにしている。
 
ガレーの作品の350万円もする花瓶を「なんでも鑑定団」に出品したりしたこともあるぼくが、なんという変わりようだと思うだろうが、こんな生活も楽しいものだ。
 
フリーマーケットで大きな貝殻をいくつも500円で買ったり、何百円かで珍しいものを見つけたりで、ぼくの机の上はお宝でいっぱいだ。

| | コメント (0)

2020年2月24日 (月)

みんなに支えられて「米寿」を迎えます!

株式会社サイゾーのお世話になって、ネットで見られる「薔薇族の人々」と題して、一編が400字詰原稿用紙4枚(1週間分)それを4編書いて、1ヶ月分、『薔薇族』を支えてくれた方々を紹介している。
 
原稿用紙に書き、写真をつけて編集者の方に郵送しているのだが、スマホは2、3年前に購入し持っているが、勉強嫌いのぼくには、ブログとツイッターは、やっと読むことができるようになったが、電話もかけられないし、写真も撮れない。ましてやメールなんてものを送ることも。
 
下北沢の商店街には、スマホを売る店が何件もあるが、最近開店した店で、使い方を教えますと書いた店がある。他社のものでもとあるので参加してみようと思いながら、その店の前を通るが、もうすでに何ヶ月か経っている。
 
思い出せば1971年4月ごろ、その頃はエロ本から秋山正美さんの『ひとりぼっちの性生活』から始まって、方向転換してゲイの本ばかり出す出版社になっていた。
 
父が女に夢中になって、仕事をぼくにまかせっきりになってしまったことが幸い?して次から次へとゲイの人向けの単行本を出し続けていた。
 
書店で買いにくいので、はるばると下北沢のわが家まで遠方から購入にこられるお客さんが多かった。それらの人たちから悩み事を聞き、雑誌を出すことを思い立った。
 
ゲイ向けの単行本の後書きに雑誌を出したいと書いたら、すぐに手紙が送られて来た。『風俗奇譚』にゲイ向けの小説を書いていた間宮浩さんだ。
 
その手紙は今も大切に保存している。間宮浩さんと一緒に『風俗奇譚』にエッセイなどを書いていた仲間の藤田竜さん。すぐに電話をかけて新宿でふたりに出会い、4月に出会って、7月に創刊号を出してしまったのだから、ぼくの決断力はすごい。
 
ふたりに出会わなかったら、雑誌作りの経験のないぼくひとりでは創刊できなかったろう。
 
ありがたいことにぼくは運が強く、多くの男絵師、小説家、多くの有能な読者に支えられて、382号までの30数年間、ゲイの歴史に残るような雑誌を出し続けることができた。『薔薇族』を支え続けてくれた人たちのことをネットに残しておきたいと書き続けているが、ぼくよりも若い人だったのに、みんな他界してしまっている。
 
伊藤さんはノンケだから、男と寝たことがないから、本当のことはわからないと言い続けた藤田竜さん。
 
間宮浩さん、怒った顔など見たことがない温厚ないつもスーツを着ていた方で、やさしい方だった。
 
胸に真っ赤な薔薇のいれずみをしていた三島剛さん。初めて会った日に、画集を出すことを快諾してくれた。
 
幻のSM作家、笹岡作治さん。日本のホモポルノ写真の草分けの大阪のオッチャン。
 
NHKのアナウンサーだった楯四郎さん。男写真の第一人者、波賀九郎さん。縛りの美学を貫き通した大川辰次さん。稚拙さとワイセツ感がよかった裸夢丸さん。
 
まだまだ、多くの人たち、また読者、書店に支えられて、ぼくだけ生き残って88歳。3月19日で「米寿」を迎えます。それと女房久美子と「令和」の名付親・中西進さんの仲人で結婚して50年。
 
3月20日(春分の日)のひる12時から「ふだん着の街、気さくな街」三軒茶屋の田園都市線「三軒茶屋駅」南口A出口前「銀座アスター」で、「文ちゃんの米寿を祝う会」を開きます。お酒も飲み放題、料理も最高。
 
本来なら会費1万円いただかないと開ないのですが、読者のおひとりが寄付をしてくれたので若い人にも来てもらいたいと、会費・3千円にします。くわしくはまたブログやツイッターに書きますが、3月20日を今から予定しておいてください。

| | コメント (0)

2020年2月22日 (土)

今度は勇気を出して「祭」へ!

43年も前の『薔薇族』には「少年の部屋」というコーナーはまだなかったが、「チビバラつっぱる!」というページを作っていた。それは投稿してくる読者の手紙の中に、高校生からのものが増えて来たので高校生からの投稿を集めてのコーナーが「PART・Ⅲ」とあるから、Ⅰ・Ⅱも話題になったのだろう。「週間プレイボーイでもなんと大話題」と、見出しの頭につけている。どんな記事だったのかは記憶にない。「学校がつまらない」というタイトル。
 
「おれはもすうぐ16歳になる高校1年生だ。いま、おれは学校がつまらない。それには4つの理由がある。
 
1つめは中学の時のホモだちと別れたこと。おれとそのホモだちとのHとは部が同じだった。だから学校の帰りにH
の家によって、バッチリやっていたのだ。(バッチリって中学生でどんなことをしていたのか)
 
Hは今は静岡の学校に行っているので、最近は会っていないが、そのうちには会うつもりだ。
 
2つめ。おれの高校に対する期待の中にはカッコいい先輩とホモだちになるというものがあった。ところがカッコいい先輩がいないのだ。これはおれにとって高校生活を楽しくないものにさせた第一の原因だ。
 
3つめ。ちょっぴり期待していた同級生にもカッコいいのがいないこと。おれたちの学校は7クラスもあって、313人いて、そのうち男子は170人ぐらいいるが、どれもこれもダメなのだ。(おれにはナルシズムの気があるらしく、おれよりもカッコいいと、おれが認めたやつ以外は、ホモだちにしたくない)これが第2の原因だ。
 
4つめ。これはまずないだろうと思っていたのが、ぴったりと当たった。これとはカッコいい先生んのことである。でも少しは期待していたのに残念だ。でも来年になったら、また新しい先生もくるし、それを楽しみに待っていることにします。
 
まあ、高校生活はつまらないものだと思いたくないから、部に入ってそれで気をまぎらわすことにしている。ああ、カッコいい兄貴がほしいな。
 
最後にひとこと。夏休みになったら「伊藤文学の談話室・祭」に行くつもりです。じつは5月1日の日に、「祭」の店の前まで行ったのですが、入ることができませんでした。こんどは勇気を出して必ず行くつもりです。」
 
山梨県・ガッチャマン君からの投稿だ。
 
この時代の高校生、今時の高校生よりマセていたのかな。「祭」のビルの前まで来たものの、階段を2階まで上がれずに、帰ってしまった人は、高校生だけでなく大人でも扉を開けられず多かったようだ。
 
この高校生の投稿が載ったのは、No.56、1977年の9月号。高校ページもまだ18ページぐらい。「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「広告ページの「男町ガイド」毎号広告が増え続けています。名古屋のスナック「ミセン」のマスターからの手紙。
 
2月にオープンして私も夢中でお店を今まで続けて来ました。おかげさまでまあまあ、なんとか順調に伸びて来ています。
 
広告を見て初めてきてくださった方には、私も精一杯接待し、気持ちをリラックスしてもらうように努力しております。
 
広告の効果の偉大さをあらためて知り、深く感謝している次第です。
 
とにかく広告が効くようになったのは、6年間、『薔薇族』を出し続けて来たことへの読者の信頼感のあらわれだと思うのです。」
 
刷部数も増えてきたことも原因だろうが、ありがたいことだ。

| | コメント (0)

2020年2月17日 (月)

スマホなんてなかった時代の受験生!

今の世の中、スマホの時代、なにを見てるのか、電車の中でもバスの中でもスマホを見ている人ばかり。
 
さすがにわが母校、世田谷学園の学生たちはスマホを見ながら駅への道を歩いているものはいない。
 
夕方、下北沢駅前のスーパーに買い物に行き運動のために歩いているが、紺のつめえりの世田谷学園の学生が駅へと急ぎ足で歩いているのに出会う。頭の良さそうな学生たちばかりだ。おそらく夜、塾に通っているのだろう。
 
スマホはおそろしい。依存症になっている人も多いに違いない。
 
43年前にはスマホなんてものはなかった。高校3年生の寝屋川市に住む生徒の投稿が『薔薇族』1977年の10月号に載っている。
 
「大学受験を目指して、いよいよその仕上げに日夜とりくんでいる。僕は毎晩8時から勉強にとりかかり、平均2時ごろまで頑張っていますが、なんて書くと模範生みたいだが、時に脱線して、『薔薇族』を一生懸命勉強していることに、ハッと気づくことがある。
 
12時ごろになるとおそいかかる睡魔をふりきるため、よく銭湯に出かけますが、この日は雨だったので、脱衣所には僕とほとんど同時に入ってきた大学生の兄さんと二人だけだった。
 
シャツを脱ぎながら浴場をみるとだれもいない。僕の胸は踊った。チャンスだ!
 
今まで『薔薇族』を読んで、同性の素晴らしいことは知っていたが、実際のチャンスがなかなかこなかったからだ。
 
反対側の脱衣箱で、一枚一枚脱ぎ捨て、たくましいからだを見せてゆく彼の裸体が、僕の前の鏡に映っている。
 
もう僕の心臓はドキドキ、早鐘のように打った。なんだか彼も僕を意識しているみたい。ブリーフの中では僕の坊やが太く固くつきあげているので、ブリーフを脱ぐのをためらいながら、僕は彼のそばにある体重計に近寄った。
 
その時、彼の視線はブリーフの表からでも硬直しているのがよくわかる、僕の中央部に釘付けされたように、ジーっと見つめている。
 
僕は思わず声をかけた。「今日は二人きりですね」と。彼はあわてたように視線を僕にうつすと、思い切ったようにブリーフをさっと下へ下げた。瞬間、僕の心臓が止まったかと思うほど、彼のものがすごく太く、腹の方へそりかえっていた。
 
二人はニッコリしあいながら、互いに素晴らしく勃起した坊やをそのままに浴場へ入った。
 
もう二人の心は通じ合っていた。肌を寄せ合いながら、お湯をかけ、湯船につかった。
 
「君も学生?」
 
「ええ来年、大学を目指しています」
 
「僕は大学二年生だよ」
 
二人はスッと伸ばした両足をピッタリと太もものあたりから、じわじわ寄せ合っていた。
 
少し沈黙が続いた。しかし、それは何かが始まろうとする静かなセレモニーだった。
 
透き通った湯の中で、黒々と茂った森の中から二本の巨大ともいえる太くたくましい柱が、早く早くとせかしている。僕が思い切って彼の方へ体をグーっと寄せた。すると反射的に彼の手が僕の太ももの、それもすぐにそばの辺りに伸びてきた。また僕は体をくねらせ彼の手に僕の力が直接触れやすい位置になった。
 
「もう、どうなってもいい」
 
彼は小さな声で耳元でささやいた。
 
「すごく太いね」
 
「ううん、お兄さんには負けるよ」
 
たがいに相手のものを握り合った手は、前後に激しく揺れ、あふれそうになった」
 
これからがクライマックスになるが、このへんでやめておこう。スマホに夢中になっている今時の学生には、これだけの描写力のある文章は書けないだろう。
 
この学生君、大学は入れたに違いない。56歳、その後、どんな人生を送ったのだろうか? 幸せであってほしいものだ。

| | コメント (0)

2020年2月15日 (土)

自分ひとり老いれば朽ちて!

昭和52年(1977年)10月号(今から43年も前)の「明日への発言」というコーナーに「マスコミよ、傷をつつくな!
=差別と偏見を考える」と題して、神奈川県の西村茂雄さんの投稿が載っている。あくまでも43年前の読者の投稿だということを頭に入れてから読んでほしい。
 
「ホモという性を汚い言葉ながらずばり表現すれば、相手が男でなければチンポが勃たないとしか言いようがない。それを正常なあなた方に理解してもらおうとも思わないし、理解してもらえるはずもない。
 
確かに女性を愛する男が正常であり、男しか愛せない男の私たちが、異常であることを私たち自身がいちばん痛く知っているのです。そしてホモというのはどこか狂ってしまっている精神病の一種としてもおかしくはないでしょう。しかし、他の精神病と違う点は、当の私たちがその狂っていることをはっきり知っていることです。俺は狂っていない。私は狂っていないと信じながら病院に送られる患者とは違うのです。自分が狂っていることを知っているからこそ苦しいのです。
 
自然の営みというものは植物であれ、動物であれ、生きているものすべて子孫を残すことに始まり、終わっています。それが性であり、その性が狂っていることを知りながら、社会で生活する私たちの苦しさをあなたたちは理解できないでしょう。
 
あなたたちは「ホモ野郎」「オンナオトコ」「中性」などという言葉と態度をまともに浴びせてきます。
 
精神病の患者に向かって、あなたたちは「テンカン野郎」「キチガイ」とまともに言いますか? ホモが精神病の一種と決めてそれに甘える気はありません。しかし、私たちは好きでホモに生まれついたわけではありません。中学から高校、友だちが異性の話に興じている中で、それを話を合わせながら、自分が異質であることを知った時、私たちは自分の性(さが)を悟るのです。(中略)
 
主婦むけのワイドショーや、三面記事的番組で事件や出来事の核心を忘れ、興味本位だけで構成した挙句、「おお気持ち悪い」とまでいう権利があなたたちにはあるのだろうか。
 
有名人の離婚に関して「夫はホモだった」という女がいる。それは夫婦間の問題であって、「夫は短小だった」「早漏で満足できなかった」という女がいるだろうか。
 
それを微に入り細に渡り報道するマスコミがいるだろうか。それがホモであるから記事になると言われるだろうが、わざわざ他人の足をすくい、ひとりの個人の人生を壊す権利があなたたちにあるのだろうか。(中略)
 
私たちはホモの解放運動など決して望みません。伊藤文学氏の言葉に「ホモも胸を張って明るい太陽の下に出よう」と言われていますが、それは決して出来ないことです。
 
私たちが自然の道理からはずれている以上、これからどのような時代が来ても太陽の下には飛び出せないでしょう。それを知っているからこそ私たちはある部分で、息をひそめて生きているのです。それを興味本位のさらしものとしてひきずりだし、傷をつつくようなことをしないでほしい。
 
私たち自身で自分たちが他人とは違っていることを知っているのだから、偏見からくる差別をも仕方なく受け入れながら心の中で闘い続けるでしょう。
 
偏見と差別など実際には悲しいながら慣れてしまっている面があり、本当に苦しくて辛いのは、友人たちが結婚をし、子供と奥さんに囲まれている姿を見るとき、ただ生まれてきて自分ひとり老いれば朽ちて、それだけの生命であることを感じることなのです。」
 
43年前の読者は、こんな思いの人が多かったのだ。

| | コメント (0)

2020年2月10日 (月)

貝殻は建築家、生存を懸けて!

ぼくは東京新聞だけをずっと購読している。理由は購読料が一番安いということだが、安くたって記事は他紙にないような独特なものが多いからだ。
 
2020年1月21日の朝刊に「貝は建築家=生存懸け、多様な形」と見出しがある。

 

0_20200125102201


 
文・吉田薫、写真・安江実、紙面構成・安藤秀樹。
 
以前から貝について知りたかったことがくわしく書かれているので、引用させていただく。
 
ぼくが貝がらに興味をもつようになったのは、今は亡き澁澤龍彦さんの鎌倉の自宅を撮影した篠山紀信さんの写真集を見たときのことだ。
 
書棚には多くの本が並べられていて、その棚の空間にいくつもの大きな貝がらが置かれていた。なぜかその貝がらが、ぼくの脳裏から離れることはなかった。しかし、大きな貝がらってどこで売られているのか、ネットで調べることができないぼくには探しようがない。
 
昨年のことだったか、井の頭線の下北沢の次の駅、池之上の商店街で、フリーマーケットが開かれるというので行ってみた。
 
下北沢でもフリーマーケットは開かれるが出店する人が若い人がほとんどなので、ぼくが欲しいと思うようなものはあまり見当たらない。
 
池之上のフリーマーケットは、出店する人の中には年配の人が多い午後3時すぎだったろうか。その日はくもり空で、いつ雨が降ってきてもおかしくないような空模様だった。
 
ぽつぽつ雨が降り出してきたので、衣類を売っている人たちは片付けはじめていた。そんなときに台の上に、いくつもの大きな貝がらを並べている年配のおじさんがいたではないか。
 
「これいくらですか?」と聞いてみた。
 
「いくらでもいいよ。全部で500円にするよ」と、おじさんがいう。
 
「全部買いますよ」と言ったらビニール袋に入れてくれた。うれしかった。やっと大きな貝がらを5個も手にすることができて、永年の望みがかなえられたではないか。
 
東京新聞の見出しには、こんなことが書かれている。
 
「貝は自然界の建築家だ。自分で材料を作り出し、それを使って、ぐるぐる巻きだったり、細長く伸びたり、部屋がたくさんあったり、個性豊かな自分だけの「すみか」を構築する。そんな不思議な特別展示が、東京大学総合研究博物館小石川分館(文京区白山)で開かれている。
 
「貝の建築学」3月15日まで。文京区白山3−7−1の東京大学総合研究博物館小石川分館。10〜16時30分(入館は16時まで)。月曜から水曜までは休館。祝日は開館。入場無料。問い合わせは、ハローダイヤル 03(5777)8600へ」
 
貝って10万種あるといわれ、実に多様なんだそうだ。
 
貝がらのいちばんの役割は、敵から身を守ることにある。軟体動物である貝は、そのまま襲われたらひとたまりもない。
 
「切断面を拡大して観察すると、無数の結晶が規則正しく配列されている。建築に例えると、レンガやブロックに相当する部材を体内で生産し、多層に組み合わせて、こわれにくい構造をつくりあげているのです。」
 
佐々木准教授は語っている。
 
観覧者は、貝のコレクターだけでなく、建築やデザイン分野の人も目立つとあるが、ゲイの人も多いのではないか。
 
澁澤さんがどんな思いで、貝がらを集めたのか知るよしもないが、恐らく貝がらにロマンを感じたのでは。

| | コメント (0)

2020年2月 8日 (土)

少年の裸像は美しいのに!

株式会社サイゾーの協力で、『薔薇族』を支えてきてくれた多くの人たちのことをゲイの歴史に残しておきたいと「『薔薇族』の人びと」と題して読めるようにしてくれている。
 
「山川純一」「間宮浩」「藤田竜」「三島剛」「笹岡作治」「大阪のオッチャン」「楯四郎」「波賀九郎」「大川辰次」「裸夢丸」「稲垣征次」と書き続けているが、ぼくは自分でスマホで読めないのは残念だ。好評なようだ。
 
まだまだ『薔薇族』を支えてくれた有能な人たちは多くいるので紹介していきたいが、すでにぼくよりも若い人たちなのにこの世にいないとは。
 
これから紹介しようとしている稲垣征次くんもガンにおかされて苦しんでいる。それにわずかな年金で弟さんと暮らしているが生活はぎりぎりのようだ。
 
ときどき電話をかけて様子を聞いてはいるが、少しずつ弱ってきているようなのに、毎日少年の絵を描き続けている。
 
稲垣征次くんをやめさせろという人もいたが、ぼくはかばい続けて、廃刊になるまで仕事をしてもらった。
 
稲垣くんが『薔薇族』に登場するようになったのは、そんなに初期の頃からではない。1983年5月号No.124からだ。「金色の少年」と題する3点の作品がグラビアページを飾ったのが最初だ。それからの稲垣くんの作品は鉛筆画で、一枚の絵を描きあげるのに、どれだけの時間をかけているのだろう。しなやかで不思議な魅力を持つ、独特の作品と言えよう。

 

Img_5872


 
稲垣征次のペンネームは、稲垣足穂さん(1900年生まれ、1977年没)の著書『少年愛の美学』を読んで熱中したことがあったのがきっかけで名付けたものだ。
 
『薔薇族』をめくってみると、稲垣くんのイラストは多く使われている。稲垣くんはイラストだけでなく、文章もうまい。
 
1988年4月号が最初で「三月・白梅」から始まり、エッセイとイラストで見開きになっていて、24話も続いている。イラストも文章もすばらしい。
 
これを一冊の本に残しておきたいと思っていたが果たせずにいるのは残念だ。
 
稲垣くんの少年の絵には、ほとんどかわいいオチンチンが描かれている。単なるワイセツな絵ではなく、秀れた芸術作品なのに、少年のヌードというだけで、画廊で展示するのにも警察を意識するのか、オチンチンを黒い紙で隠している。
 
オリンピックが近いだけに少年のヌードはネットにも載せられない。少年は美しい。それぞれの作品を見てから、芸術作品か、ワイセツ画かを判断すべきだろう。
 
警視庁の玄関を入ったところに朝倉文夫さん作の男性の裸像が置かれている。立派な芸術作品だ。どなたが置かれたのかはわからないが、別に恥ずべきことではないのに、撮影は禁止されているようだ。
 
東大の大学院教授を昨年3月でやめられた木下直之さんの新潮社刊『股間若衆』と、『せいきの大問題=新股間若衆』にも、警視庁ロビーの朝倉文夫さんの男性裸像は載っていない。撮影を断られたようだ。
 
昨年のNHK「LOVE 1948〜2018」を木下直之さんが見てくれて「素晴らしい出来でした。文学さんの果たした役割の大きさをあらためて教えられました」とはがきに書いてくれた。
 
静岡県立美術館の館長もされているので「いつかLGBTの展覧会をやってみたい」とも書かれているので、稲垣くんの作品をふくめ、多くの男絵師たちの作品を堂々と見れるよういなる日を願っている。

| | コメント (0)

2020年2月 1日 (土)

49年前に書いたぼくの記事!

『薔薇族』創刊2号目、11月号に「かくれていないで表に出よう!」と、2ページを使ってぼくが書いている。
 
「「かくれていないで表に出よう」と、プラカードをかかげて、ニューヨークのセントラルパークを5千人のホモたちがうずめつくしたとTBSのニュース解説の古谷綱武さんのレポートがテレビで報道されました。
 
アメリカではホモは法律によって公職につけないとされているそうです。ですからその偏見に抵抗して、人権運動、人間の権利の問題としてホモ・パワーが大きな力となって巻き起こっているのだろう。
 
日本では、はたしてどうなのか。キリスト教の国ではない日本ではホモを規制する何らかの法律もありません。ただ、それは法律がないというだけであって、自らを規制し、自らをしばりつけているものは、ホモ自身ではないかということです。
 
だれにも言わない。かくれている。だから偏見にあうことはない。親にも、先生にも、兄弟にも、友人にもかくしている。だからなにごともない。これがもし人に知れたらどうなるのだろう。
 
『薔薇族』を創刊して、仲間たちがこれを手に入れるのにどんなに苦労していることか。創刊を知らせるチラシをダイレクトしたら、もちろん封書で出したのだけど、もし見られたら大変だから送らないでくれという人が何人もいました。(創刊号を出す前に、単行本を出していたのでその読者に)
 
西宮市に住むYさんからこんな手紙が。
 
「週刊朝日を読んで、この雑誌の発刊を知ってあんとかして手に入れたいと方々の書店を探しましたが見つかりません。雑誌の名前をあげて店員に聞くこともできず、第二書房の所在地を訊こうとしましたが、それもできません。
 
そんなある日、ふと立ち寄った書店のレジの傍に、この雑誌を見つけたときの喜びは、全く何と表現したらいいのかわかりません。他の必要もない雑誌と一緒にさりげなく買ってきて、貪るように読みました。
 
「病気でないこと」「仲間がたくさんいること」を知り勇気を得ました。
 
私にはまだ自分がそうであると、世間に公表することはできません。自分の家族、友人たち、勤務先の人たちなど、私とつながりのある人たちはだれも知らないのです。知らないからこそ、みんなうまくいっているのです。私はかつて自分の本来のものをだれにも告白したことはありません。」
 
そうYさんは手紙に書いています。そしてあの小さな書店では次号を買わない。それは店の人が私を知るからだと言っています。だから10月のはじめに新幹線に乗って東京に出て雑誌を手に入れると書いています。
 
世間の人がこの手紙を読んだら笑うかもしれないけれど、これが日本の現在のホモたちの多くの姿なのです。
 
先日、第二書房まで77歳になる老人が杖をつきながら『薔薇族』を買いにきました。ぼくはその老人と立ち話をしました。6人もいる子供たちはみんな独立して世帯を持っているそうですが、一度も若いたくましい男に恋こがれながら抱き合うこともなく過ぎ去ってしまったという老人。それでも今でも若いたくましい男に恋こがれていると言う。
 
『薔薇族』を大事そうにかかえこんで、帰っていく後ろ姿を見送りながら、全国のホモたちに想いを馳せずにはいられません。
 
大多数のホモたちが、やはり老人と同じようになって年をとっていくのではないか、そんな悲しい気持ちにさせられてしまうのです。」
 
こんかことを書いたのは、昭和46年(1971年)今から49年前のことだ。一緒に『薔薇族』を立ち上げた、藤田竜さん、間宮浩さんもいない。ぼくだけが生きて仲間たちの姿を見届けたい。

| | コメント (0)

« 2020年1月 | トップページ | 2020年3月 »