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2020年3月

2020年3月30日 (月)

あえいでいるか「朝日新聞」

ぼくは朝日新聞の力を借りて、いい仕事を残すことができた。ぼくの末の娘・紀子が、1962年夏の20歳のとき、心臓の僧帽弁の開きが悪くなる僧帽弁閉鎖不全症で、東京女子医大の心臓病棟に入院した。

 

手術日が決まっても先生の都合で延期になることが何回もあり、妹はいらつき、やけくそになっていた。

 

ぼくは考えて朝日新聞の読者の投稿欄「読者のひろば」というところに「妹に激励の手紙を」というタイトルで投稿した。

 

すぐさまぼくの投稿をとりあげてくれた。このコーナーは全国版で、今の時代には考えられない、我が家の住所から、病院の住所、病室の番号まで載っていた。

 

個人情報なんてうるさいことを言わなかったよき時代、病院に守衛もガードマンもいない。出入りも自由だった。

 

妹は401号室、女性ばかりの6人部屋だった。そのころの朝日新聞の力は絶大だった。

 

朝刊に載ったので代沢の我が家まで、妹を激励する人が午前中から何人も来てくれた。翌日からは病室に手紙が続々と寄せられてきたではないか。病室に花束を持ってくる人もいた。

 

妹は手紙を読んで感動し、手術の日まで頑張らねばという気持ちを持つようになってくれた。

 

その後、妹の手術は成功し、あと10年は生きられると医師に言われた。

 

401号室に子供部屋が満員なので、5歳の男の子が入院してきた。芳っちゃんは頭の良い子でひらがなも読めた。生まれつきのファロー4徴症という心臓病だった。

 

401号室の女性たちの話だけでは本にはならない。芳っちゃんとぼくとの心の交流が物語を生んだのだ。毎日のように仕事の帰りにスクーターを病院の前に置いて病室を訪れた。

 

芳っちゃんはぼくが行くと、病室を飛び出してきた。すっかり芳っちゃんと仲良しになっていた。

 

病棟は高台にあるので、新宿の夜景がよく見えた。アサヒビールのあわがでてきてはまた消えていくネオンや、ホテル「本陣」のお城のような建物を、くもるガラスをふきながら、芳っちゃんと眺めた。

 

ぼくは芳っちゃんのことを、いくつも詩に書いた。「ぼくどうして涙がでるの」という最後の言葉を残して、手術の甲斐なく、芳っちゃんは天国に旅立ってしまった。

 

あんなに悲しかったことはない。この悲しみをぼくらだけのものにしてはいけない。本にして全国の人たちにも読んでもらいたい。心臓病で苦しむ人たちのことを少しでも知ってもらいたいと本にして出版することにした。

 

朝日新聞は、紀子の手術後、「紀子さんよかったね」というタイトルで記事にしてくれた。その反響はすさまじかった。

 

あらゆるマスコミが、次々と記事にしてくれ、ついに日活が映画化してくれることになった。

 

本はベストセラーになるほど売れ、映画もヒットした。

 

時代は変わり、いまの朝日新聞は、あえいでいる。2020年3月23日の朝刊は30ページ、その中の1ページ広告がなんと14ページ、夕刊は10ページで、1ページ広告が2ページ。広告だらけで読むところがない。面白い記事もない。

 

あえいでいる姿が紙面からただよってくる。お世話になった朝日新聞。ぼくも購読することにした。がんばってもらいたいものだ。

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2020年3月28日 (土)

男性の性被害に理解をとは?

2020年3月19日の東京新聞夕刊に恐るべき見出しの記事が載っていた。

 

「中学時代に被害の20代「心殺された」」

「男性の性被害に理解を」「男は報われない」「笑われて話せず」

 

女性が男性に襲われて被害を受けたという話はよく新聞紙上に見受けられるが、男性が男性に被害を受けるという記事は、今まで載ったことはない。

 

「恐怖心や恥ずかしさ、さらに捜査や裁判への精神的な負担などから泣き寝入りすることが多いと言われる性被害。「男性も被害に遭っていると言い出しにくい」。新潟市で若者支援に取り組む支援者(38)から寄せられた。取材を進めると、男4人から性的暴行を受けた男性が思い口を開いてくれた。

 

「誰にも相談できず、ずっとひとりで抱えてきた」

 

6年前の冬、部活の先輩だった男4人から性的暴行を受けた20代男性は、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

「信じてもらえるのか、軽蔑されるのではないかと打ち明けられなかった。そもそも誰に相談するべきかわからなかった」

 

一度だけ、自分が被害を受けたことは伏せて友人にそれとなく話したことがある。「男が襲われるわけないじゃん」。一笑にふされた。「そうだよな、あるわけないよな」と応じ、話すこともやめた。「こんなことに巻き込まれるのは自分だけなんだ。自分がおかしいんだ、と無理に自分を納得させた」と振り返る。

 

被害を受けた中学生当時、小柄だった男性は、男女問わず友人が多かった。ただ学校内の上下関係はきびしく「先輩に気軽に話しかけられる雰囲気はなかった」。

 

被害にあったのは年の瀬が迫った休日の夕方。友人と待ち合わせをしていた新潟市内の公園。ベンチに座って携帯用ゲーム機で遊んでいると、先輩のひとりが近づいてきた。挨拶をしようと立ち上がった瞬間、背後から腕で首を絞められ、頭にポリ袋をかぶせられた。

 

複数の男が馬乗りになり、顔、腹を殴られた。首にカッターナイフを当てられ「黙れ!」とどうかつされた。助け求めても、真冬の公園に人影はなかった。

 

服は破かれ、性行為を強要された。「唇を切ってにじんだ血の味は忘れられない」。解放されて起き上がると、友人がぐったりと横たわっていた。友人も被害に遭っていた。

 

翌日から「もう一回やらせろ」「いやなら金を持ってこい」と要求されるように。断ると「写真をばらまく」とおどされた。加害者が卒業するまで、3ヶ月続き、より過激になっていった。

 

男性は被害にあってから一度も女性と交際できていない。「間違いなく被害者だけど、俺にも落ち度があったのではないかと考えたこともあった。男としての自信がない」と言葉をつまらせ、こう続けた。

「体を傷つけられた。心は殺された」」

 

これが本当ならひどい話だ。『薔薇族』の誌上にも、運動部の部活で芸の先輩から迫られる話はよくあった。しかし、ゲイの人は、この話にあるような暴行したりするようなことはしない。

 

ゲイの先輩は後輩を愛していたからの行為だ。

 

「男性は被害に遭ってから一度も女性と交際できていない」とあるが、暴行されたからゲイになってしまうことはない。もともとゲイだったから、女性と交際できないのは当然のことだ。ゲイの人はやさしい人が多いから、こんな暴行をすることはありえない。

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2020年3月16日 (月)

神の心と、悪魔の心を持って!

これは『薔薇族』が売れに売れていた時代の話。1991年12月号No.227。
 
「編集室から」にぼくはこんなことを書いている。読者からの手紙の紹介だ。
 
「この欄を真剣に読んでくれている読者は『薔薇族』の優等生だから、関係ないかもしれないが、大事なことなのでじっくり読んでください。『薔薇族』ではハッテン場の情報を流し、一方ではそんなところに行くなと言うのは、大いなる矛盾ですが、この雑誌は神の心と、悪魔の心と両方持っていなければどうにもならないのです。
 
ぼくが学んだ駒沢大学のとなりの駒沢公園での話です。こんなショックな手紙をもらったので紹介します。
 
「ひとりの男を数人の男たちが取り囲み、腹めがけて思いっきり足蹴りしていた。あまりの苦痛に声も出ない被害者。
 
これは夜中の駒沢公園での出来事。うわさには聞いていた。集団暴行しているのは、一見、普通の学生。どこにでもいる高校生、大学生たちだ。むしろ、ホモ受けする学生タイプだろう。
 
連中の手口は夜のグランドの観客席で、二、三人でたむろしている。そしてひとりずつバラバラに歩き出す。そのひとりを、ひとりのホモがついていくと、暗いところでいきなり前を歩いていたやつが後ろを向き、ついてきた奴の腹めがけて、取り囲んでなぐる、けるの暴行。
 
あとはもう見ていられないほどひどい。この世の地獄の光景だ。そして一斉にその場から消え去るホモたち。これが彼らをのさばらせる原因なのだろう。
 
ひとりで来ている大人しそうな子をねらう連中のあくどさ。
 
後ろ髪を引かれながら自分も逃げた。泣きながら逃げた。泥棒でも人殺しでもないのになぜ逃げると思いながら…。
 
なぜ、大声で「助けて!」と、叫ばなかったのかと。犯罪者は彼らなのに。
 
連中よりも、もっと筋骨隆々のホモもたくさんいた。タンクトップを着て、真っ黒に日焼けした体はセックスのためだけのものなのか。
 
真っ先にその場から逃げていく姿は悲しかった。自分もこんな弱々しい体じゃなかったらって、くやしかったよ。筋肉をつけるのもいいけど、少しは被害者を見殺しにしたことを恥じてほしい。連中だって集団だから、誰も抵抗しないからやるのだ。
 
逃げて数十分後、どうしてもこのまま見過ごせなくて、集団暴行の現場に戻った。もしかしたら今度は自分が犠牲者になるのかもしれないとわかっていて、でも、がまんできなかった。
 
救急車を呼ばなかればいけないかもしれない。はやる気持ちで現場についた。さっきの惨状はうそのように静まり返っていた。
 
被害者はいなかった。帰りかけると、ものすごい光が目に飛び込んできた。警察官や私服の刑事たちだ。
 
「もっと早く言わなきゃ」と、大声で叫んでいた。誰かが110番したのかはわからない。病院にかけこめば当然、原因を聞かれ、警察に通報されるだろう。
 
警官らは現場をいとも簡単に調べた。まるでこいつらのために時間を使えるかという感じで。
 
あの学生の姿も、暴力魔たちの姿もなかった。いるのは数人できて、ゲラゲラ笑っているホモたちだった。そしてひとりでひている人は自分を入れて何人かだ次の犠牲者は、またこの中のひとりかもしれない。
 
これは作り話ではなく事実なのだ。」
 
このようなことは、他のハッテン場でもあった。今はもうこんなことはないだろう。

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2020年3月14日 (土)

70代横綱・日馬富士さんって立派な人だ!

第70代横綱、日馬富士さんのことなど、次から次へといろんな事件が起こるので覚えている人は少ないだろう。
 
東京の新聞やテレビでは全く報道されていないが、女房の古里、新潟県弥彦村の隣の街、三條市(昔から刃物造りで有名な街、ノーベル賞授賞式の宴会で使われるナイフやフォークは三條の工場で作られている)の新聞「三條新聞」には、日馬富士さんのことが何度も一面をさいて報道されている。
 
日馬富士さんの古里、モンゴルと新潟県三條市、弥彦村との交流は長く、弥彦村の小学生10人ほどが村長や校長に連れられて、毎年モンゴルを訪れ、またモンゴルの子供たちも弥彦村を訪れている。
 
2020年2月16日の三條新聞には、「日本とモンゴル架け橋の学校へ」と題して一面を使い大きな記事になっている。
 
「故郷モンゴルで日本式教育を取り入れた学校づくりに取り組む大70代横綱日馬富士公平さん(35)が、14、15の一泊二日で新潟県を訪問。
 
15日は午前11時から弥彦神社で交流会が開かれ、後援会関係者、ファンなど約70人が集まる中、日馬富士さんは『これから全身全霊で、まっすぐ前向きにがんばっていくので応援をお願いします』と、日本とモンゴルの架け橋となる学校づくりへの協力を呼びかけた」とある。
 
すでに日馬富士さんは現役時代から、モンゴルに日本式教育を取り入れた学校づくりに取組み、平成30年に首都、ウランバートルに小中校一貫校「新モンゴル日馬富士学園」を創立し、理事長に就任している。
 
日馬富士学園では、日本に感謝する気持ち、ものを大切にする心を育てるとともに、日本とモンゴルの架け橋になってもらおうと、三条市などで廃校になった学校で使っていた机や椅子などの学校用品を集めてもらい、自費でモンゴルに送っている。
 
今年9月の新学期には、児童生徒数は1千800人になり、あと500の机、椅子が必要となるので、日馬富士さんの後援会に協力を呼びかけている。
 
日馬富士さんは、後援者の集まりの会で、こんなことを話した。
 
「児童生徒数1千百78人という現在の学校の様子については、5年前には相撲道で学んだ礼儀、道徳をモンゴルの子供達に教えたちという夢を持ち、おかげさまで2年前に日馬富士学園をオープンできた。
 
最初、子供たちは『おはようございます』というあいさつになかなかなれなかったが、今はきちっとあいさつするようになった。
 
子供たちに何を学んだか、何が変わったかと聞いたら、すぐに礼をする癖がついたという。
 
制服を着ているから行儀を良くしないといけない。ゴミが落ちていたら拾って捨てるということを、誰にも言われなくてもできるようになった。
 
勉強というより人間性。正しいことを自分で判断できるようになって、自分が変わったような気がすると子供たちは言っている」と、日馬富士さんは後援者の前で報告した。
 
私利私欲ことしか考えない、日本の議員さんに聴かせたい話ではないか。かつての日本人はみんなこんな気持ちを持っていたのに、日馬富士さんの話を聞いて恥ずかしい気持ちになってくる。
 
日馬富士さんは、30人ぐらいモンゴルの子供たちが日本の大学に入りたいという。その前に新潟に来て、日本の素晴らしさを見せたら本当に頑張るのではと。日馬富士さんって立派な人だ。日本の今は暗い。ぱっと明るくしたいものだ。

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2020年3月 9日 (月)

仲間が仲間を脅すとは嘆かわしい!

何人もの警察官の人たちと、年賀状だけのお付き合いだったけれど、この方がたみんな読者がプロの人に脅されたのを助けてくれた人たちだ。警察官の人たち、みんな親切に話を聞いて事件解決に協力してくれた。
 
今頃になって感謝しても仕方ないが、今年もおひとりだけ年賀状をくれた警察官がいた。この方ぼくが催すパーティにも出席してくれた方なので、3月20日の「文ちゃんの米寿を祝う会」のお知らせを送ったら、「是非お会いしたかったのですが、残念です。身体を大切にしてください。仕事の都合で欠席させていただきます。電話します。」と書いてあった。
 
この方とどんなことで知り合ったのかも忘れているし、お顔も覚えていないが、やさしい警察官だ。もう定年も近いのだろう。長い時間が経っているから。
 
532頁もある『薔薇族』1994年8月号No.259の背表紙には「文通欄・驚異空前・最多登場・900人」と大書されている。
 

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900人といえば、発行部数からもてもかなりの読者の人たちが文通欄に投稿していることになる。広告もたくさん載っているし、この年の一年前、女房の古里の新潟県弥彦村に「ロマンの泉美術館」をオープンさせたりして、調子に乗っていたのが、世の中、そう甘くはない。何が起こるかわからない。
 
ネットなるものが登場し、普及してきて10年後には廃刊に追い込まれてしまったのだから。
 
表紙は内藤ルネさんで、裏表紙にはルネさんのコレクションの中から選び出した「明治28年出版の石版による子供絵本の表紙」とあり「木馬に乗った軍服の少年が今にも飛び出してくるような躍動感が溢れていて、見ているだけで、力が湧いてきそう。列強の国々に追いつこうとする当時の日本の気迫が感じられる」と。

 

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明治28年というと、日清戦争の頃で、この時代から日本は戦争、戦争の時代が続いたので同性愛などは、まったく表に出なくなってしまった。
 
この号の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。白内障の手術のおかげでこんな小さな文字が、老眼鏡なしで読めるのだからありがたいことだ。
 
「7月号の『迫真ドキュメント・恐喝者!』読んでくれたでしょうか。
 
恐らく戦線はこのようなことはなかったと想像しますが、戦後の日本ではわれわれの仲間たちが、どれだけお金を恐喝されてとられ、その挙句に家庭が崩壊し、職場をやめざるをえなくなるなど、ひどい目にあってきたかは、考えるだけでもぞっとするものがあります。
 
それも相手の脅す側の人間も、同じ仲間だから嘆かわしいと言わざるを得ません。僕がこの雑誌を昭和46年に創刊してからも、かなりの数の人から相談を受けました。
 
カミングアウトして、誰もが自分の性癖を公表していれば、脅しの対象になどなりませんが、隠している以上、このようなことは当分の間、続くでしょう。
 
俵兵蔵さん(このドキュメントを書いた人)のような有名人で顔も知られているのにと、心配はしていたのですが、やはり脅されていたようです。
 
内心はビクビクだったでしょうが、よくも冷静に相手を見て判断し、追い返したものだと感心しました。やはり、こういうときは冷静に相手を見ることです。そうすれば相手だってこわいのだから、解決する道は開けるでしょう」
 
ネットの時代になって、仲間が仲間を脅すなどということはなくなったのだろうか?
 
脅しにあうようなことがあったら、今でも警察に助けを求めるべきだろう。

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2020年3月 7日 (土)

「性的虐待」嫌な言葉をなくしたい!

「文ちゃんと語る会」を毎月開いている「器とコーヒーの店・織部下北沢店」には、会長の考えで店の風格を持たせるためか、朝日新聞と日本経済新聞をオープン以来置いている。
 
本当は毎日立ち寄って新聞を読みたいところだが、2、3日おきぐらいには、コーヒーをのみ、新聞を読むのが楽しみだ。
 
2020年2月19日の朝日新聞に驚くべき記事が載っていた。ニューヨーク在住の藤原学思記者が書いた記事だ。
 
ぼくが一番心配している少年愛者の恐るべき記事なので、書き写して持ち帰った。
 
当然のことで少年の好きな人は、少年に近づける仕事についている。何度も書いていることだが、趣味で少年を好きになった人はいない。もって生まれたものなのだ。
 
「ボーイズスカウト米連盟破産申請」という見出しの小さな記事で、「110年の歴史を誇る全米最大の青少年組織「ボーイスカウトアメリカ連盟」(BSA)が18日、連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を東部デラウェア州の裁判所に申請した。
 
青少年への性的虐待で数百件の訴訟を抱えており、今後も活動を続けながら、裁判所のもとで性的虐待の被害者に公平な支援や、補償を行うためとしている。
 
BSAは現在5〜21歳の青少年220万人と、ボランティア80万人で構成され、大統領経験者ら著名人も多く輩出。
 
これまで1億人以上が参加したが、2010年以降、その活動を通じた過去の性的虐待が広く取り沙汰されるようになった。
 
19年4月には委託を受けた外部の弁護士がBSA内の資料を精査した結果を公表。
 
1944年から2016年にかけ、加害者は7819人、被害者は1万2254人に上ったという。
 
米メディアによると、ニューヨークなど一部の州が性的虐待に関する提訴期限を一時的に撤廃したことなどから、BSAを相手取った訴訟が相次いだが、今回の破産申請で全ての手続きが止まることになる。
 
BSAはキャンプ場などに幅広い資産の売却によって、10億ドル(約1100億円)以上になるとみられる補償費用を捻出する見通しで、被害者は今後定められた期限内に破産裁判所に補償を申し出ることになるという。
 
青少年への性的虐待をめぐっては、ローマカトリック教会で長期間放置されたことが社会問題になり、米国の複数の管区が破産申請したほか、米体操連盟も所属医師による性的虐待を受けた選手に補償するため破産申請を受けている」
 
全文を引用してしまったが、朝日新聞はすごい新聞だ。このような記事を載せてもらったことはありがたいことだ。
 
アメリカは国が大きいこともあるが、少年愛者の加害者の数も、被害者の数の多さにも驚かされる。
 
日本にもボーイスカウトはある。ネットで調べられないから、その活動状況や、参加している指導者や、少年たちの数はわからない。
 
お祭のときなど交通整理をしたりしている制服姿の少年たちを見かけることはある。
 
アメリカは些細なことでも弁護士を使って相手を訴えることが多いと聞いたことがあるが、日本では被害者の少年たちも親や、先生に言わない子が多い。
 
ボーイスカウトの指導者が訴えられたという話は聞いたことはない。日本の弁護士さんは人数が多すぎるのか、訴えを起こす人が少ないのか、最近はひとりで事務所を持つ人が少なくなっている。
 
何度も言うようだが、「性的虐待」などという言葉はなくしたいものだ。

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2020年3月 2日 (月)

「白内障」の15分の手術中に見たもの!

友人の石塚冨士雄君の紹介で、2019年10月18日、渋谷区恵比寿南1-3-6 CIビル2F 電話(3793)8940
「角谷眼科医院」で診察を受けた。白内障が悪化しているので、手術をした方がいいと言われてしまった。
 
お母さんと娘さんが交代で診察していて、看護師さんも女性ばかり。待合室の調度品も女性らしい繊細さで、壁にかけられた油絵も、お花と果物。熱帯魚も目を楽しませてくれる。
 
長い間、手書きで300枚を越す年賀状を書き続けてきたのに、さすがに目が弱って疲れやすく書く気力がない。
 
令和2年は3月19日が誕生日で、「米寿」の年でもあり、令和の年号の名付親の中西進さんご夫妻の仲人で、久美子と結婚して50年にもなる。
 
すばらしい年賀状を作ろうと考えていたのに出せなかったので、伊藤文学はあの世に旅だったのかと思われたに違いない。
 
角谷眼科の紹介で港区北青山3-6-16表参道サンケイビル3F「表参道内科眼科」を訪れた。
 
「白内障日帰り手術のご案内」には、こう書かれている。
 
「人の目はカメラと同じような構造をしています。そのうちのレンズに相当する水晶体が濁るものを白内障といいます。
 
原因は加齢性白内障が最も多く、糖尿病など身体の病気に併発するもの、外傷性のもの薬剤性のものなど、さまざまの種類があります。」
 
ぼくの場合は加齢性白内障で、視力が低下してきたということだ。「表参道内科眼科」の利点は、内科の診察も行っているということだ。血液検査、心電図もとり、レントゲンで胸部の撮影もしてくれたが、まったく異常はなかった。
 
この病院は日帰り手術で、最新の超音波装置を用いて、約3ミリの小さな切開創から手術を行うので、以前の方法と比べて出血が少なく、術後の視力回復が早い。社会復帰が早期にできるといった利点がある。
 
手術をする医師は東邦病院の名誉教授で、ベテランの方だ。ぼくはまったく手術の不安はなく、医師を信頼して15分ほどで終わるという手術日を待つだけだ。
 
2月5日、左の目を先に手術し、一週間後の2月12日、右の目を手術するようだ。
 
渋谷までバスで行き、タクシーで表参道へ。わずか10分ほどのところだ。通りの向こうに長いこと週刊新潮の表紙絵を描いた谷内六郎さんのかわいい絵をタイルを使って壁に貼り付けた書店が見える。
 
書店が閉店してしまったのか、手術で行った時にはなんと写真の広告に変わっていた。いつまでも残しておきたかったのに。
 
手術着に着替えて帽子をかぶり手術台に。厚手の布を顔にかぶせられて、手術をする片方だけの目の部分が開いているようだ。
 
麻酔を目だけにかけているから痛みはない。医師が手術をしている15分に見たもの。大方の人は「万華鏡を見ているみたい」と言うそうだ。
 
ぼくはそうは思わなかった。万華鏡はいくつかの形の繰り返しで、それとは違う。最初はピンク色の映像で、ひとつの形にはなっていない。次から次へと形も変わり、色彩も変わっていく。抽象的な現代絵画を動画にしたようで、芸術的な世界だ。
 
こんな映像は2度と見られまい。動画にして残すことはできないのだろうか。終わる頃にはさまざまな色彩が出てきて。華麗な世界がくりひろげられていた。
 
術後、こんなによく見えるようになるとは驚きだ。よき医師に出会えてぼくは幸せ者だ。

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