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2020年4月13日 (月)

東京の堅気の家へ奉公口を探すからと

昭和5年6月10日発行の中央公論者刊『娼妓解放哀話』から、ぼくは何編もブログに紹介させてもらった。

 

救世軍の大尉(軍隊組織でキリスト教を布教させる英国・ロンドンに本営を置く)だった祖父、伊藤冨士雄(大正12年に53歳で病死)から聞いた話を作家の沖野さんが本にしたものだ。

 

「沖野さんが祖父から話を聞いているところへ、日比谷署から電話がかかってきた。

 

受話器をカチリとかけた伊藤君は、帽子を手にとって「君、参考のために一緒に行ってみよう」

 

「なんです?」

 

「東京駅に誘拐されたらしい、3人の田舎娘が泣いていたのを連れてきてあるから、救世軍の方で引き取ってくれないかと言うのだ」

 

「誘拐した男はつかまったのでしょうか」

 

「ねえ、行ってみなければわからないが」

 

それから4週間後に伊藤君に会って、3人の田舎娘の話を聞くと、伊藤君はこんなことを言った。

 

「3人の娘は奈良県の月ヶ瀬梅林付近の生まれで、都会へ出たい、出たいと思っているところへ、4年前にその村から東京へ出て、洲崎の梅川楼で娼妓を勤めているうちに、関節炎で片足の自由を失ったため、廃業して、そこで働いている妓夫の妻になった女が、千住三の輪の新開地に銘酒屋が、5、6軒できたので、郷里から若い娘をうまくだまして連れてきて、ひともうけしようと企んだのだね。

 

そこで関節炎夫婦は奈良県へ行って、嘘八百を並べ立て、東京の堅気の家へ奉公口を世話するからと、親たちをだまして、旅費まで出させて連れてきたんだが、東京へ着いたその晩から14歳と15歳の3人の小娘に淫売をさせたんだよ。

 

たった40銭ずつでさ。かわいそうな娘たちは、あまりの意外さに驚いて、すぐさまその銘酒屋を飛び出そうとしたが、さて道はさっぱりわからず、ふところに一厘のお金もないので、かわいそうに3人は、15日間、そこでひどい目に遭わされたのさ。

 

そのうちにとうとうひとりの娘が、そこを逃げ出して、東京駅までたどりついたが、一文無しでどうすることもできず、大声をあげて泣き出したんだ。

 

それで駅内の巡査が取り調べた結果、まだ二人が三の輪の銘酒屋にいるということが知れ、早速その関節炎夫婦を呼び出し、厳重に取り調べたすえ、娘たちを日比谷警察署へ連れてきて、ぼくのほうへ引き渡してくれたんだ。

 

ぼくは早速病院へ連れて行って診察を受けさせると、もう強度の疾患を受けていた。そこで治療を受けさせて、郷里へ送り返してやったが、関節炎夫婦は誘拐罪で、2年と1年の懲役に処せられましたよ」

 

「そうですか。上京したときすぐつかまればよかったのに」

 

東京監獄から年齢20歳ぐらいの夫人を拘留してあるのだが、だれひとりよるべもない憐れな身だから、救世軍の婦人ホームで引き取ってくれないかとの典獄からの手紙があったので、出監日の時をたしかめて、監獄の裏門へ行って待ち受けていると、ほどよく定刻に婦人は看守に見送られて出てきた。伊藤君は典獄の手紙を見せて、とにかくひとまず本営まで行って相談しようと言った。

 

女は非常によろこんで、伊藤君について少し歩いたと思うと「まあ」と言って立ち止まった。見れば横合いから筋骨たくましい土方風の男が出てきて、「おい迎えにきたよ」と元気な声で言った。

 

「じつはお恥ずかしい話ですが、これは私の夫でございます。」と。

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