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2020年4月 4日 (土)

同性愛者の父をもって生まれたなら!

ぼくが初めてテレビに出演したとき、司会をしてくれた人だ。最初のモーニングショウで、嫁同士で何人かおしゃべりし、次の日には姑同士がおしゃべりし、嫁と姑のいたばさみになっている男性を募集するテロップが流れた。

 

まさにぼくは嫁と姑のいたばさみの男性なので電話を何度もかけたが通じない。もうやめようとあきらめかけていたが、もう一度と思ってかけたらつながった。

 

出演することになった。今の世の中、嫁と朱止めと一緒に住んでいる人はいないようだ。その司会をしていた人が先日なくなった。ある新聞に2回にわたって、女性記者がインタビューしているが、あのときの司会者は結婚していて、子供さんもいる、それに奥さんはある方面で本もたくさん出され、テレビにも出演している有名な方だ。

 

だが彼はゲイだ。それは間違いないが、それを隠し通していたのか、奥さんが知っていたのか、どちらかだろう。そのインタビューは二人の仲睦まじさが描かれている。まさに理想の夫婦だ。奥さんが教養があって、仲良く暮らしていたから、記事に書かれているような感動的な夫婦になっていたのだろう。

 

1997年7月号の『薔薇族』の「編集室から」に衝撃の書というべき本の紹介が載っていた。内藤ルネさんの師匠というべき中原淳一さんの息子さんの告発の書だ。

 

中央公論社刊の「父、中原淳一」がそれだ。

 

淳一さんが亡くなられて週刊誌が取材しにくる。あの『フォーカス』の取材は、その目的が淳一さんが同性愛者であったかどうかを確認するためのものだった。彼らは予備取材を充分に済ませてきていて、遺族の口から直接言質が取れたなら、直ちに記事にするという態度がありありだったという。

 

息子さんは「絶対に父は同性愛者ではない」とフォーカスの記者に言明した。

息子さんはこうも書いている。

 

「生まれついての少数派に属する者で、自己を悩み疑い、葛藤しない者がはたしているだろうか。彼らはそれを隠していれば罪であり、明らかにすれば、それもまた罪となるのである。

 

彼らが自らを悩み疑うことをやめたときとは、自らが、あるいは社会によってか、いずれにせよ、彼らが少数者でなくなったということである」

 

息子さんはある時期に、お父さんである淳一さんが同性愛者であるということを知ったに違いない。またそれを否定する気持ちとの葛藤が長く続いたのだろう。でも、秀れた芸術家としての父を尊敬し、愛してもいたのだ。

 

告別式の時、息子さんはこう述べている。

 

「父はこの世を去りました。けれどその父の血はいままさに、なおぼくたち遺族の身体の中を流れています。ぼくたちは、その父の血が流れる身体と精神において、父を継承してゆきます。」

 

その挨拶の真意をこう説明もしている。

 

「父が亡くなった今、ぼくの身体の中を流れる血以外、生きた父のものは、もはや何も残されていない。

 

もし人がそれを奪おうとするのなら、このぼくを殺すしかない。しかし、もし人がぼくを殺すならば、その血も失われ亡びる。もはや誰にも生きた父のものを奪うことはできない。」

 

病気で倒れた淳一さんをシャンソン歌手の高英男さんが10何年間もひとり世話をし最後までみとられた。この間、家族は数回しか会えなかった。同性愛者の息子として生まれたその時代の悩みや、苦しみはどれほどのものだったのか。

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コメント

 偏見との戦いで、遺族の差別的扱いや作品の評価が悪化するので、否定せざるをえない。あの小説家も遺された家族が手紙の著作権を主張して、小説家との肉体関係を題材にした小説の出版を法的手続きをとって止めさせた。しかし、それをやっていたのではいつまでも差別と偏見は無くなりません。
 ゲイが明らかに成った国会議員も自らゲイであることを否定したので、差別と偏見は今後も続きます。あの有名歌手は週刊新潮の記事で今更ながらカミングアウトした。プロダクションの社長が死亡して二代目に成ったから出来たことです。

投稿: 偏見との戦いですね | 2020年4月 5日 (日) 03時52分

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