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2020年4月11日 (土)

ころんでもけがをしないは、うそだった!

昨年のことだが、世田谷学園(母校)の柔道部が創部百周年の立派な記念の本を出した。柔道部の同窓会の会長さんにたまたま出会って、エッセイを書いてくれと頼まれてしまった。

 

戦時中のことだ。中学1年生の時、講堂館の7段か8段の花桐先生にわずかばかりだが柔道の受け身を習ったことがあった。そのおかげで歳をとってから3回転んだことがあったが、花桐先生に受け身を教えてもらったおかげでけがひとつしなかったという話を書いたことがある。

 

それは嘘っぱちで、ただ運が良くてけがをしなかっただけのことだ。88歳の米寿を祝う会を三軒茶屋の銀座アスターで開き、この新型コロナウイルス騒ぎの中で、50人ものひとたちが参加してくれてよろこんでいた束の間、長いこと前立腺肥大で、夜トイレに4、5回起きることが数年続いている。もうなれっこになっていて、トイレも近いし、それほど気にはしないのだが、少しでも睡眠時間を長くしようと思って睡眠薬をかかりつけの医師から処方してもらっているのだが、少しの間は効果があるが、しばらくすると切れてしまう。

 

何日か前に強い睡眠薬を出してもらった。それを飲んだら効果がありすぎて、翌日、ぼうっとしてふらふら状態に。3度も転んでしまった。

 

1度目は下北沢の駅前のスーパーに買い物に行って、帰りに座れるところが店の前にあるので、座ろうとしたら、ふらふらとよろけて倒れてしまった。起き上がることができない。幸い人が多いところだから、親切な若者が手を引っ張って立ち上がらせてくれた。日本はまだまだ親切な人がいる。ありがたかった。中国では人が倒れていても誰も知らんふりしていると新聞で読んだことがあるから。

 

その日は我が家で2度も転んでしまったが、今度大学に入学する男の子の孫が助けてくれて、けがもなかった。

 

頭を打ったらしくて、左の頭を指で触ると、はれてもいるようで指で押すと痛い。どこで転んで、どんなふうに頭を打ったのか、まったく記憶がない。

 

88歳まで生きて来て健康でいられるので、みんなに羨ましがられるが、耳は聞こえなくなるし、足腰も弱って杖をついてやっと歩いている始末だ。でも生きていることはたしかだ。周りを見渡せば、みんなあの世に旅立ってしまっているのだから。

 

ぼくの女房の古里、新潟県の弥彦村(人口8千人)に、平成5年に「ロマンの泉美術館」をオープンさせた。

 

フランス、イギリスの家具や、照明器具を使い、ぼくの美意識、感性を集大成させた美術館だ。長くは続けられなかったが、多くの人たちを楽しませることはできた。美術館に何度も来てくれた新潟県知事の平山征夫さんが、米寿を迎えたぼくにお祝いの手紙を送ってくれた。

 

「一生懸命生きて来たご褒美だと思います。『薔薇族』という道の真ん中を歩けなかった人たちに優しい目を向けられて来たご褒美でしょう。年月は残酷ですから、誰にも死をもたらしますが、伊藤さんについてはずっと先にしてもらって、もう少し人生をエンジョイしてください。それだけの価値のある人生を送ってこられた人に対する神の配慮をと願っています。」

 

今は平山征夫さん、引退されているがありがたい言葉なので、祝う会の冒頭に息子の嫁の知恵さんが司会の役をやっていて読み上げてくれた。

 

ついに今日我が家の前で転んでしまい立ち上がれなくなっていたのを通りがかった若者が助けてくれた。初めてひたいに傷を負ったが、軽くて済んだ。脇腹も押すと痛い。気をつけて歩かなくては。

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コメント

どうかお気をつけて、ご自愛なさってください。
中々お会いに行けず申し訳ありませんが、伊藤さんのご健康を願っています。

茨城の山口より

投稿: 山口友彦 | 2020年4月16日 (木) 10時13分

はじめてコメントを差し上げます。
蕎麦数彦と申します。

私は伊藤文學先生のお仕事に大きな影響を受け、心から敬仰しております。

私がはじめて手にしたゲイ雑誌が、薔薇族です。忘れもしません、30周年記念号でした。
隅から隅まで、目を皿にして夢中で読み込みました。
美しい文章があり、文化があり、歴史がありました。
はじめて読んだゲイ雑誌が薔薇族だったことは、私にとって、とても幸運なことでした。

そこに復刻掲載されていたのが、笹岡作治先生の『調教の館〝一渾亭〟』です。
笹岡作治先生の小説から受けた衝撃は、そのまま私の深層に定着して、いまだに私のなかにマグマのような熱をもったまま残り続けています。
笹岡作治の作品は、どれも僕にとっての聖書になりました。

伊藤文學先生は、ご著書の中で、笹岡作治と、『兵隊画集』の富田晃弘が同一人物ではないかと書かれています。
私はこのふたりの謎の多い作家の作品を、熱狂的に愛しつづけてきました。

私は先日、富田晃弘の未発表の歌集を手に入れました。
短歌が38首、すべて手書きで書かれた原稿を真っ白な厚紙に紐で綴じただけの、完全な私家版です。
親しい関係にあった人物に送られたものだろうと想像しています。
『玄い音樂』と題されていました。
そこに収められた短歌では、「わかもの」への憧憬、というよりも性愛が、驚くほどストレートに表現されていました。


 滴みな牝シャム猫の眼を飼いてわかものに栖むプールの真昼

 まさぐれば闇ほころびし二流館(せいぶげき)銀蛇の指輪わかもの頑(かた)く

 陸橋は朱に恥じ刷毛は塗装夫の腰ゆすらして皎(しろ)き暁

 夜をこめて架かりし陸橋(はし)に熱きビスうちつらぬきて工夫遂情


私は、この手書きの歌集を読みながら、ふるえるような感激と同時に、先生の富田晃弘と笹岡作治は同一人物ではないかというお言葉への確信をはっきりと深くしました。

そして、どうしても、先生のお手元にある笹岡作治の原稿をこの目で見たい、そして、富田晃弘と笹岡作治が同一人物であることをこの目で確かめたいと考えるようになりました。

メールがどうしてもエラーで帰ってきてしまうため、ブログのコメント欄で突然このようなお願いをする失礼をどうかお許しください。
どうか私に、笹岡作治先生の原稿の筆跡を確かめる機会をいただけないでしょうか。
もちろん、このコロナ禍が終息したときでいいのです。
どうぞ、切ない一読者の願いを叶えていただけるよう、心からお願い申し上げます。

お怪我には十分気をつけて、ご自愛ください。伊藤文學先生のご健康をお祈りしつつ、よいお返事がいただけるのをお待ちしています。

投稿: 蕎麦数彦 | 2020年4月11日 (土) 03時00分

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