花田紀凱さん、ボケてきたか心配だ!
『月刊・Hanada』の編集長・花田紀凱さんとの出会いは古い。花田さんが週刊文春の記者だったころからだ。
1971年に『薔薇族』を創刊した時に取材に来てくれたのが最初だから、半世紀の歳月が流れている。
それからぼくは本を出すたんびに出版を祝う会をホテルで開いたが、いつもかかさず参加してくれた。
彩流社から出版した『やらないか』の出版を祝う会は、銀座に一軒だけ残っていた、キャバレー「白いばら」を借り切って、盛大に催したが、参加してスピーチをしてくれた。
いつまでも残しておきたいキャバレー「白いばら」は、建物が老朽化してきたというので、長い歴史に幕を閉じてしまった。ぼくらの年代には、忘れられない華やかなキャバレー「白いばら」。生バンドの演奏、訓練されたダンサーたちのショウと、楽しかった。
新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめ人を多く集める集会はやめたほうがいいと、周りの者に言われたが、ぼくは2020年3月20日に、「ふだん着の街・気さくな街・三茶でひらく・文ちゃんの米寿を祝う会」を開くことにしてしまった。
チラシを息子の嫁に印刷してもらい、出欠を書くはがきを入れて、100人近い友人たちに発送した。なんと一番早く出席のはがきを送ってくれたのは、花田紀凱さんだった。
『リベラルタイム』に、花田さんは「盛大に行われた米寿を祝う会」と題して記事を書いてくれている。
「緊急事態宣言が出る前のことだが、三軒茶屋の東天紅で伊藤文学さんの傘寿を祝う会。
正論大賞パーティ、和田誠さんを偲ぶ会等、次々に中止になっているさなかだったが、開催されるというので出かけた。
案内をもらった時、出席の返事を出すと、伊藤さんからすぐにハガキが届いた。
(打てばひびくというけれど、こんなに早く出席のハガキが送られてくるとは。花田さんが一番先。うれしいな。スピーチの最初は花田さん、よろしく)
「ぼくは雑誌編集者としてたくさんの人に会ってきました。だけど伊藤さんくらい純粋な人は会ったことがない。この齢になっても、少年時代、青年時代の純粋さを失っていない稀有の人です。『薔薇族』という、当時は世間から後ろ指さされるような雑誌をこれだけ長く続けてきたのも(現在はネットのみ)伊藤さんの彼らを思う純粋な気持ちからでしょう」
ちょっと遅れたため一番最初とはいかなかったが、ぼくはこんな話から始めた。(中略)
会はオペラ歌手の北村哲朗んの朗々たる歌があり、LYLAさんとそのお弟子さんたちによるベリーダンスがあり、楽しい三時間であった。
「好きなことをして、この齢まで生きてこられた。そして今日、50人もの人が集まってくれました。ぼくは幸せ者です」
伊藤さんらしい謙虚なお礼の挨拶であった」
ほめられてうれしかったが、「傘寿」は80歳のお祝い、それと会場は「銀座アスター」を「東天紅」に。
花田さん、78歳。ぼくの女房と同じ齢だ。
ぼくの「傘寿」のお祝いの会は、銀座の「まじかな」で開き、花田さんもきてくれたではないか。ぼくのことを10歳も若いと思っての思い違いならいいのだが。「銀座アスター」より「東天紅」のほうが「格」が上の中華料理のお店ならそれもいいけれど?
10歳ちがいの花田さんとぼく
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