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2020年6月 1日 (月)

『薔薇族』はぼくを救ってくれた!

1991年『薔薇族』9月号は、創刊20周年の記念号だ。

 

「伊藤文学のひとりごと」は、連載197で「救世主は、君たちなのだ!」というタイトルで書いている。

 

「現在の『薔薇族』は、400頁を超えていますが、半分は広告頁で、なんと250軒近いお店の広告がずらっと並んでいます。

 

最初の50号までは広告を一切入れませんでしたが、徐々に増え始めてきたお店からの要望が強くなってきて、昭和51年の4月号から広告を入れることになりました。

 

16軒のお店がその号に載っています。そのうちの9軒は姿を消していますが、横浜の「童安寺」「横浜クラブ」新宿のポルノショップの「パラダイス北欧」「カバリエ」上野の「アテネ」「黒猫館」は、それ以来ずっと広告を載せてくれています。

 

広告だけを見てみると、時代の流れをはっきりと感じます。ほとんどのポルノショップも、一度は取締り当局の摘発を受けていますが、どのお店も頑張って、今日の隆盛をみることができたのです。

 

あんなに大盛況だった新宿の「祭」も、渋谷の「祭」もなくなってしまって、なにか寂しさを感じますが、これも時代の流れでしょうか。

 

大晦日の夜、従業員にお年玉をあげるべく、車を走らせて新宿の「祭」へ行くと、たくさんのお客がつめかけていて、それはそれは賑やかでした。それこそ、いろんな人に出会って、ぼくにとっては勉強になったし、「祭」は忘れることはできません。

 

『薔薇族』の発祥の地は、現在のわが家のすぐそばで、芝信用金庫代沢支店のまん前にある、「ハビテーション淀川」(5階建でエレベーターがない)というマンションの2DKの2階にある部屋からです。

 

最初は南向きの5階にある部屋に住んでいたのですが、女房のお腹が大きくなってきて上り下りが大変でした。そんなときにたまたま梅ヶ丘通りに面した、2階の部屋があいたので、そこに降りてきたというわけです。

 

社員なんてまっtかういなくて、藤田竜君と二人だけで始めたのですが、少ししてから学研の社員だった有能な若者が手伝ってくれていました。

 

今から考えると要領が悪かったのか、隔月刊なのに、徹夜、徹夜の連続でした。文通欄もいろんな紙に書いてくるのを、原稿用紙に1週間もかけて書き写していたのだから夢のようです。

 

今では手が増えて、ぼくがなんにもしなくても、きちっと決められた日には出来上がっているのだから、スタッフの諸君には感謝のしようがありません。

 

商売熱心な250軒に及ぶスポンサー各位のご協力と、三晃印刷、越後堂製本などのお陰と、優秀なスタッフの努力によって、無事に創刊20周年を迎えることができました。

 

一冊の雑誌だけでなりたっている会社というのは、出版界ひろしといえども、そうざらにはないでしょう。

 

それに忘れはならないのは、すばらしい読者が協力してくれたから、今日の『薔薇族』が隆盛のままに20周年を迎えることができたのです。

 

次から次へと新しい雑誌が生まれ、いつの間にか静かに消えていく中で、20年の歴史を持つことができたということは、編集長としてこんなにうれしいことはありません。

 

『薔薇族』はぼくにとっても「救世主」だったのです。『薔薇族』で立ち上がることができて、ぼく自身が救われたのですから。」

 

廃刊になって16年。今でもぼくは多くの人に支えられて生きている。ありがたいことだ。

 

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