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2020年5月23日 (土)

三軒茶屋はぼくの憩いの街だ!

昭和26年3月25日刊(1951年)の『現代詩鑑賞』大正期だけが書棚に残っていた。69年も前の本だから、悪い紙なので日に焼けて茶色く変色している。

 

ぼくがまだ駒沢大学に在学中の頃で、父親が企画したものだ。編集者に笹澤美明さんの名前がある。確か笹澤さんは、わが家からも歩いて20分ぐらいの池の上あたりに住んでいた。

 

当時の詩人たちは、みんな貧乏暮らしだった。親父がいくらぐらい印税を払っていたのかはわからないが、親父のことだから僅かの印税だろう。

 

ぼくはこの頃から親父の使い走りをsいていたので、ほとんどの詩人たちの家に、ゲラ刷りを持って行ったりしているので会っていた。

 

今はすべての人がこの世にいない。笹澤美明さんの息子さんは、後に流行作家になった笹澤佐保さん(1930・11・15〜2002・10・21)『木枯紋次郎』が代表作で、380冊もの本を出している。

 

お父さんは貧乏詩人で苦労をして息子さんを育てたのだろう。ぼくの妹から聞いた話だけど、笹澤美明さん、よく親父のところにお金を借りにきたそうだ。ケチな親父はお金を貸すわけがない。ぼくの母親が追いかけて行って、僅かばかりのお金や、お米などをあげていたそうだ。

 

朝9時からの「時代劇専門チャンネル」で笹澤佐保原作の「木枯紋次郎」が、しばらく放映されていた。主演は中村敦夫さん。左のほほに刀きずがあり、いつも長いようじをくわえている。なんでようじをくわえているのという質問には、たんなるくせだといつも答えている。

 

 

今、思い出せないが、名監督が演出、もしくは監修していての映像が美しい。ワンカットずつが絵になっていて見事だ。

 

いつまで続くことやら。新型コロナウイルスの感染騒ぎで、テレビも新聞も新型コロナウイルスの報道ばかり。新聞など読むところがないから、見出しだけしか見ていない。

 

そんなうっとうしい時代、年寄りは外に出るなと言う。狭い部屋にとじこもってばかりはいられない。

 

午前中は時代劇専門チャンネルのご厄介になって「木枯紋次郎」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」と見続けている。

 

今や江戸時代の長屋に住んでいるような気分になっていて、義理と人情に厚い長屋のおかみさんとも親しくなっていて世間話に夢中だ。

 

午後からはブログを2時間ぐらいかかって書き上げると、ポストに投函しに出かけ、バスはタダで乗れるので、三軒茶屋に出かける。

 

駒大に通っていた時代は、バスなんか走っていなかったから、砂利道を歩き、途中に両側に畠があって、その真ん中の細い道を通り抜けて、三軒茶屋の商店街に入ると僅かばかり。コンクリートで舗装されていた。

 

 

 ひとつ顔を思い描きて歩みゆく舗道に軟き部分を感ず

 

 

という短歌の作品を残したことがあったが、その頃は今のようなコンクリートで固められた舗道ではなかったので、ところどころ軟らかいところがあった。

 

小学校で1年下の阿部弥寿子さん、美しいセーラー服の高校生で、同じ道を通り、駒沢にあり駒大と同じ曹洞宗経営の駒沢学園に通っていた。たまに出会うと胸をわくわくさせて、あとをつけたものだ。

 

この三軒茶屋の商店街、ぼくが駒大に通っていた時代から残っている店が何軒かある。花屋さんもそうだし、楽器店のガラス越しに色の白い美しい奥さんの姿を見かけるのが楽しみだった。陶器屋さんもその当時と同じで、きちんと並べられていない。ごちゃごちゃに並んでいる。4年も通った三軒茶屋は忘れられない街だ。

 

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コメント

私は、男ではありませんが女ではありません。

投稿: | 2020年5月23日 (土) 14時30分

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