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2020年5月 2日 (土)

秋山祐徳太子さんのヌードモデル写真!

2020年の4月3日、秋山祐徳太子さんが、85歳で他界された。だがこの人の名を知っている方は少ないだろう。

『薔薇族』の創刊号のグラビアページを飾ってくれたのは、秋山さんだった。創刊されたのは1971年の7月号、49年も前のことだ。

 

その頃、男性ヌードの写真を撮影するのは難しかった。創刊号がぼくの手元になく、サイゾーの編集部に渡っていて、今、ネットで見れるように準備中だ。5月にはネットで見れるようになるようなので、期待してお待ちください。

 

内藤ルネさんと藤田竜さんは何十年も一緒に住み、ふたりでさまざまなグッズを製作してきたが、竜さんは陰の存在で、ルネの名前だけで製作され、街に氾濫していた。

 

それが『薔薇族』創刊で、竜さんの雑誌作りの才能が目を開いたと言っていいだろう。単行本しか出版してこなかったぼくは、雑誌作りは初めての経験なので、竜さんが編集長で、ぼくは陰の存在だった。

 

針金とじの時代、隔月刊で何年も続き、竜さんは願望だった表紙絵を書き続け、企画からデザイン、イラスト、写真と多彩な才能を思う存分に発揮してくれた。

 

同じ屋根の下に住んでいたルネさんをぼくに紹介するわけがない。ルネさんを紹介してくれたのはずっと後のことだ。

 

『薔薇族』の創刊号、サイゾーの編集部が探したようだが、どうしても見つからず、ぼくの手元にあった創刊号を使うことになってしまった。

 

秋山さんがモデルになった写真をお見せできず残念だが仕方がない。

 

2020年4月10日の東京新聞朝刊の「大波小波」というコーナーに高輪さんが秋山さんのことを書いている。「前衛とは泡沫である」と題して。

 

「芸術の歴史に跡を留めずとも、実はどの時代にも前衛は存在していた。人に知られなかっただけだ。小生には先のご宣託は、評論家の産物に思えてならない。

 

秋山祐徳太子が今月3日に没した。享年85。「ブリキのジャコメッティ」という綽名のごとく、ブリキを素材に独自の美術作品を作る人だった。この人は「前衛」という言葉を嫌い、「泡沫」と言った。どの時代にも自分を含め、泡沫のように現れては消えていく、無名の芸術家はいるものだと言うのが自説。著書『泡沫桀人列伝』の中で、同時代の奇人、変人、美術家について書き、自費で浅草の劇場を借り切ると、全員集合大会を開催した。

 

秋山は独自の「芸術」行為でも有名だった。キャラメル箱の絵柄にあるランナーそっくりの格好をして各地に出没したり、京都大学のバリケードに潜入して、露台に全裸で立ったりした。極め付けは「保革の谷間に咲く白百合」と称し、70年代に2度にわたり、東京都知事選に立候補したことだ。文字通り、泡沫候補である。だが彼の名前は、戦後美術史に記憶されるべきである。」

 

創刊号のグラビアを飾った秋山祐徳太子さんの全裸ヌード写真、撮影したカメラマンが女好きの人であったために、千葉の海岸で若いモデルと一緒に撮った写真、残念ながら、局部を花で隠してしまうということをしてしまったがために、ゲイの読者には受け入れられなかった。

 

局部のふくらみを表現しなければ、読者に受け入れられないというう致命的なミスを犯してしまった。これはぼくもそのことをカメラマンに指示しなかったのがいけなかった。ぼくもそのへんを理解していなかったからだ。

 

『薔薇族』創刊号の秋山さんのヌード写真、戦後美術史に燦然と輝き、残るであろうことは間違いない。

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