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2020年5月 9日 (土)

人との出会い、雑誌との出会い、因縁のような!

『薔薇族』の古い老け専の一読者から電話がかかってきた。「『サムソン』がとうとう廃刊になりましたよ」って。

 

藤田竜さんとともに『薔薇族』の廃刊後、『サムソン』の編集部に移って、表紙絵を描き、編集長として活躍してきた三上風太君、よくぞ頑張ってきたものだ。

 

雑誌って部数が3千部ぐらいに落ちても、少人数でやれば出し続けることはできる。『サムソン』は年配者が読む雑誌で、ネットをつかえないような人が読んでいたから、続けられたのだろう。三上君が出すようになってからの『サムソン』って見たことがないので、どんな雑誌だったのだろうか。

 

『薔薇族』以外の後から出てきたゲイ雑誌すべてが静かに消えてしまった。『薔薇族』は創刊した時も、多くの週刊誌が記事にしてくれたし、廃刊になったときは朝日新聞が「『薔薇族』廃刊」の報を伝えるや、その日の夜はあらゆるマスコミが押しかけてきて大変な騒ぎになってしまった。その違いはなんなのだろうか。それは日本で最初のゲイ雑誌だったからだ。

 

1985年No.147・4月号の「伊藤文学のひとりごと」の2ページのコーナーに、「『薔薇族』との初めての出会い」と題して書いている。前にもブログにも書いたかもしれないけれど、忘れられない話なので紹介しよう。

 

「鹿児島県の一青年からの手紙です。この青年は5年ほど前、高校2年生のとき、学校への通学の途中、駅まで線路伝いの道を通っていたのです。ある日のこと。いつものように線路伝いに歩いていると、線路と道路の間の柵の中に、一冊の本が落ちているのに気がついたのです。

 

おそらく電車の窓から落としたのでしょうか。表紙の方が上に向いて落ちていたというのも不思議といえば不思議です。裏表紙が上になっていれば出会いはなかったのだから・・・。

 

木村べんさんのイラストの表紙で、スキーをしている青年の表紙絵だったそうです。そのときなんとかして手を柵の中に入れて取ろうとしたけれど、金網にさえぎられて本を取り出すことができなかったのです。

 

その夜、ペンチをもって本を拾いにいったというのだから大変な執念です。とうとう柵の一部をペンチで切り取って本を拾い出したのです。

 

青年はこう書いています。

 

「今から考えれば、ずいぶんなことをしたように思うのですが、そのとき手に入れておかなければ『薔薇族』という雑誌を手にするのは、もっとあとのことになっていたと思います。

 

『薔薇族』というホモ雑誌があることは、それ以前から知っていましたから、本屋を探したりしたこともあったのです。でも一度も本屋の店頭でお目にかかったことがなかったのですから。もう執念でした。でも不思議なもので、そのことがあってから、それまでいくら探しても見つからなかった『薔薇族』を売っている店も、すぐに見つかったのです。

 

それ以来(と言っても受験のために買えなかった時期もありましたが)毎月購読しています。」

 

この青年が初めて金網の柵の中から拾い出して、『薔薇族』を家に持ち帰り、読んでいる姿が浮かんでくるようです。

 

ひとり、ひとりの読者の『薔薇族』との最初の出会い。もし雨でも降ってボロボロになってしまえば、この鹿児島の青年は『薔薇族』との出会いはなかったでしょう。

 

因縁みたいなものを考えざるを得ないのです。こんな思いをして、この雑誌を買ってくれた読者のひとりひとりが幸せになってほしい。ぼくはそう願っているのです。」

 

コメントをぜひ書いてください。正直なところを書いていて励みになるので。

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