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2020年6月 8日 (月)

自殺した友よ いま一緒に乾盃しよう!

1989年(今から31年前)平成元年の『薔薇族』が、創刊200号18周年の記念特大号だった。416頁という厚さで、その半分ぐらいは広告頁、そのうちの9割以上がレギュラーとして、ずっと広告を出してくれているということは、効果があるということ。『薔薇族』の内容が充実して売れ行きがいいからで、共存共栄の姿になっている。

 

ここまでくると『薔薇族』は、もう個人のものでなく、みんなものだという責任の重さを痛感していますと、ぼくは「編集室から」に書いている。

 

美輪明宏さんが、その頃、体調がよくなったのに「自殺した友よ いま一緒に乾盃しよう」と題して、長文のお祝いの言葉をよせてくれている。

 

長いお祝いの言葉なので、とっても全文は紹介できないが、美輪さんは芸能人で最初にゲイだということを告白した方で、そのときのことが書かれている。

 

「昭和32年(1957年:今から63年前)にマスコミの脚光を浴びた私は、長年温めてきた言葉をインタビューで答えた。「私は男性が好きです」と。いまだに忘れもしない『週刊アサヒ芸能』であった、すると、その記者は親切にも言った、「駄目ですよ、そんなこと言っちゃ。世間から葬られますよ。芸能界の人々は皆さん隠してるんだから、あなたもそうしなくちゃ」

 

しかし私は答えた、「いいんです、それで。ほんとうのことですから、書いてください。そんなことで私の歌は駄目になりませんから」

 

「ほんとうにいいんですね」

 

「はい」

 

「では……」

 

というわけで彼は書いた。「愛する男の数は、学生だけでも六大学のリーグ戦ができるほどいる」と。

 

それから、世間と私との戦いが始まったのである。長い戦いであった。」(後略)

 

63年前というと、ゲイの人たちが自らを異常者、変態だと思っていた時代で、「私は男性が好きです」なんて、マスコミにカミングアウトするなんて、かなりの勇気があったこと、ご自身の歌に対して自信を持っていたからだろう。

 

数年前にNHKの紅白歌合戦に美輪さんが「ヨイトマケの歌」を歌って、大きな話題になったことがあった。

 

『週刊・アサヒ芸能』が、ぼくのところにメールでコメント要請があったのを、息子が知らせてくれたのは1週間後だった。

 

このときほど情けない思いをしたことはない。それから数年も経っているのに、いまだにネットでメールなんて使えない。

 

ブログは原稿用紙4枚に書いて郵送すると、S君が土曜と月曜に更新してくれている。ありがたいことだ。頭が悪くて覚えようとしないのは、今に始まったことではない。

 

ぼくにはいいところもあるのだから、あと何年生きられるかはわからないが、みんなに支えられてこのまま生きるしかない。

 

この号には『薔薇族』を創刊以来ずっと読んでくれている読者と対談している。57歳の方のようだが、どんな方だったのかは覚えていない。地方の方のようだ。

 

「ーー創刊号を見たときのこと、何か記憶に残っていることありますか?

 

●すごく胸がときめいたということ。それと、ああ、世の中には私と同じ趣味、性向の人がずいぶん多いんだということ。こういう雑誌が出るぐらいだから、東京に行けば本当に多いんだろうなという気持ち。目には見えない仲間がいっぱいいるといった連帯感のようなものを感じました」

 

「趣味」だという、そんな時代だったのだ。

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