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2020年6月13日 (土)

『兵隊画集』と笹岡作治の接点は?

1971年の7月に日本初の同性愛誌『薔薇族』が創刊されるや週間ポストがまず取り上げ週刊朝日、平凡パンチそれに東京スポーツが1ページを使って特集し、週刊文春が「ホモでない男が創刊したホモの雑誌」というタイトルでぼくのことを紹介してくれた。

 

ポルノ雑誌でこんなにマスコミが取り上げてくれたことは例がない。それは藤田竜さんの表紙絵が良かったからだと思っている。それと上質紙を使い、レイアウトも格調高かった。

 

全国の書店に並べられたことも良かったが地方に眠っていた有能な読者が購入し、号を重ねるごとに、小説、エッセイ、男絵と作品が寄せられるようになってきた。

 

読者の投稿頁をもうけるようになってからは続々と自らの悩みや、体験談が寄せられてきた。

 

早稲田大学の国文科出身のNHKアナウンサー楯四郎さん、短編小説が掲載されるや次々と小説を書き、その才能が開花して優れた名作を書き残してくれた。

 

楯さんだけではない、多くの才能のある人々が小説を投稿してくれて、それらの作品は文芸雑誌に劣らない名作ばかりだった。

 

忘れてはいけない人は、福岡から送られてきた人で、住所も名前も書かれていない。福岡の郵便局の消印があるから、福岡に住んでいる方だろう。

 

最初に送られてきたのは、昭和48年に初めて載った「ああ、M検物語」だ。笹岡作治のペンネームは、ぼくが名付けたものだ。野暮ったいペンネームのほうが、作品に合うと思ったからだ。

 

昭和49年には「地獄の顔」「若者狩り」「続・若者狩り」と、次々送られてきた。

 

「百姓哀歌」(昭和50年)「新若者狩り」「若者狩り・亀吉の場合」(昭和51年)「海軍内務班・わが戦争体験」「調教の館・一渾亭」(昭和54年)と、昭和51年に杜絶するまで、傑作小説の数々を残してくれた。

 

ゲイの人って読者に作品が褒められると、これは誰しもだが、益々の力作を書こうと意欲が増すが、読者の中にはSMの小説を好まない人もいる。よせば良かったのに何人かの読者からの悪評を載せてしまった。

 

ゲイの人って被害妄想が強く、けなされることには弱い。笹岡さん「読者に叱られた」の一文を残して、ぷっつりと作品を送ってこなくなってしまった。残念なことだ。

 

その頃、「番町書房」(主婦と生活社の子会社、今はない)から、富田晃弘さんが『兵隊画集』という豪華な画集を出版された。(昭和47年刊)

 

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ぼくの母校、世田谷学園の先輩、直木賞作家の伊藤桂一さんが序文を書いている。

 

『兵隊画集』は、第二次世界大戦の日本軍、第12師団、歩兵第24聯隊で従軍した作者が、その経験をもとに描いた画と詩、文をまとめた作品だ。

 

入隊から満洲、台湾と、戦地の軍隊生活が、兵隊たちの装備、柱に貼られた標語、生活用具など、細部に至るまで驚くほど細密に活写された画と、それに添えられた哀切な詩が、読者の心に鮮烈な印象を残す、傑作中の傑作だ。その魅力は年月を経ても全く減ずることはない。

 

絵の中に描かれた一様にずんぐりむっくりした体型の兵隊たちは、著者の好みの男たちなのだろう。

 

兵隊たちが素っ裸で並び、徴兵検査を受ける場面など、裸を描いた兵隊たちの姿が多い。作者がゲイだったからだ。

 

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『兵隊画集』を藤田竜さんが大きく紹介したら、書店で飛ぶように売れ始めたそうだ。読者の興味をひいたことは間違いない。(続く)

 

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