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2020年6月27日 (土)

ぼくにも「死」が近づいてきている!

2020年5月28日朝日新聞の科学欄に「南アフリカに最古のホモ・エレクトス? 国際チーム(200万年前の頭骨の化石)と題して、「南アフリカで約200万年前のものと見られる原人ホモ・エレクトスの頭骨の化石が見つかったと、南アと米豪伊の国際研究チームが発表した。」

 

ぼくが今、生きている不思議さ。父母がセックスしてこの世に生まれてきた。我が家のご先祖様は、徳川時代の後期までのことしかわからないが、ずっと、ずっと遡っていけば、どこまで続くのだろうか。

 

2020年6月30日の東京新聞夕刊に哲学者の中島義道さんが「コロナが終息しても人は死ぬ」の記事を読んで考えさせられてしまった。

 

「新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の状態が続いている。毎日それに捕らえられた人々は感染し、その中のある人々は重症化し、その中のある人々は死ぬ。世の中は突如奥深くなり、いかにも「死」が間近に迫って見えるように思われる。みな「死」を意識して生きているように思われる。

 

しかし、こういう時こそ「死」そのものは最も隠蔽されるのである。「死すべきように定められた」私たちにとって、「死」とはいかなる数にも関係なく、いかなる死に方も関係はない。原爆の投下によって死のうが、餅を喉に詰まらせて死のうが同じことである。いかなる崇高な死もなく、いかなる惨めな死もない。

 

百二十億円の宇宙において、自分の意思でもないのに生まれさせられ、高々百年のうちに死んでしまい、その後に多分永久に生き返らないという残酷な運命は変わらないのだ。

 

コロナが終息しても人は死ぬのである。そして、なぜ死ななければならないのか、その意味はわからないのである。

 

人が生まれ、そして死ぬということ自体が、他と比較できないほど残酷なのである。」

 

中島義道先生のおっしゃる通りだが、これでは人間は救われない。宗教家は人間死んでも天国へ行けると説く。

 

キリスト教も仏教も、イスラム教も、死を恐れる心の弱い人に安心感を与える役目を果たしている。

 

ぼくは昭和30年代から末の妹・紀子が心臓病の手術のために東京女子医大の心臓病棟に長いこと入院していた。

 

昭和25年に日本で初めて心臓手術をした榊原しげる教授が心臓手術をされた。それからまだ数年しか経っていない。

 

毎日のように妹の六人部屋の病室を仕事の帰りに、スクーターを病院の前の路上にとめて訪ねていた。

 

そのころの病院には受付もないし、ガードマンもいない。出入りは自由だった。夕食をみんな食べ残している。「お兄さん、食べていかない」と言われて、残り物を食べてくることがよくあった。

 

次から次へと手術の日がきて、手術室へ運ばれていく。あんなに元気だったのに、次の日には、もう、別の女性がベッドに座っていた。

 

どれだけの人の死と巡り合ったことか。子供部屋が満員で女性六人部屋に入院してきた5歳の坊や。芳っちゃんはぼくになついてくれたので、芳っちゃんを連れて病院の中を歩き回った。

 

帰るときはエレベーターのところまで送ってくれた。芳っちゃんも手術室に運ばれて2度と帰ってくることはなかった。

 

妹のお陰で人間の死というものを達観してみることができるようになった。中島さんの哲学者として「死」を見る目はあまりにも冷たいかもしれないが、ぼくは共鳴することができる。ぼくにも「死」は近づいて来ているのだが……。

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コメント

死が安らかにい訪れます様にお祈りします。

投稿: | 2020年7月 4日 (土) 10時30分

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