少しでも心が晴れれば、それだけで!
東京新聞2020年6月29日の夕刊1面には、「困窮LGBTに住まいを」の見出しで、「生活が困窮した性的少数者にマンションの一室を提供し、自立へと支援している団体「LGBTハウジングファーストを考える会・東京」が個室シェルターを増やすための資金募集をインターネット上で始めた。コロナ禍で貧困状態に陥る人が相次ぎ、ニーズが高tまっているという。」
社会面には「LGBT 黒人と共闘」「」NY反乱51年・差別決別訴えデモ」の見出しで、記事が載っている。
「性的少数者(LGBT)の権利運動を広げた「ストンウォールの反乱」から51年を迎えた28日、舞台となったニューヨーク市マンハッタンなどでデモ行進があった。黒人差別や警察の暴力への抗議活動が全米で続く中、幅広い差別との決別を訴える声が上がっていた。」
『薔薇を散らせはしまい』(『薔薇族』と共に歩んだ22年・1993年9月21日・批評社刊)に藤田竜君が「少しでも心が晴れてくれれば」と題してー伊藤文学の仕事の軌跡ーと、珍しくぼくのことを褒めて書いてくれている。
「ニューヨークのストンウォル・インという男性同性愛社の憩いのバーは、同性愛者のたまり場という岳の理由で、しばしば警察の手入れや嫌がらせを受けていたが、ある夜、ついに堪えきれなくなって客たちが警官に抵抗して暴動となり、アメリカのゲイ人権運動のきっかけとなった。
当時、日本では同性愛関連のニュースが流れることはなかった。無視すべきものだった。
もちろん伊藤文学もその一人だった。だが彼はまさにその時期、同性愛者のための専門誌の創刊を考えていた。
今思えばアメリカとは形が違うけれど時を同じくして同性愛者救済の動きが起こっていたことになる。アメリカでは外に向かって。日本では内に向かってー。
伊藤文学の志が、長い時間を経て、気まぐれな読者にも通じたからである。全てを受け入れる伊藤文学の人柄の温かさが、誌面に滲み出ていたからである。
伊藤文学は自社の客でない人にも親切であった。それらの積み重ねも、煽情しかできない競合誌との差を作っているのだろう。ただのエロ雑誌は到底作れない人なのである。同性愛者しか同性愛者の心をつかまえられないという考えは通用しないのである。この点を伊藤文学という人から僕は教えられた。人間同士の思いやりに何の変わりがあろうか。(中略)
人を救った出版物は数知れずあろう。しかし、世に知られることなく、救われた当人も口にはしないものとして『薔薇族』はあり、これからもそうであろう。『薔薇族』を見る前より少しでも心が晴れれば、それだけでいいではないか。」
日本ではお国が『薔薇族』を評価してくれなかったが、アメリカのサンフランシスコの知事が表彰状を送ってくれた。アメリカは最初にいいし事をしてくれた人を尊重してくれるのだ。
ありがたいことだ。
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コメント
サンフランシスコ知事からの、ご表彰、
おめでとうございます。
アメリカという国は、自由、人権、平等ということにおいては、間違いなく、最先進国ですね。
伊藤さんが、他の誰も成し得なかった、日本での同性愛者の方々の、社会的な解放、人権擁護、当たり前の存在であるという意識改革に、一生をかけられて尽力されてること、
かけがえのない、尊いお仕事を続けられてることを、アメリカという自由と人権の国は、気高い行為として認めたのだと思います。
藤田竜さんの文章は、伊藤さんのお人柄のありのままと、薔薇族の果たした多大な功績を要約されたされたような名文で、感動しました。
我々の心に永久に刻まれる、
素晴らしい名文ですね。
「全てを受け入れる伊藤文学の人柄のあたたかさ」
「伊藤文学は、自社のお客でない人にも親切だった」
「同性愛者しか同性愛者の心をつかまえられないという考えは通用しないのである」
「人間同士のおもいやりに、何ら変わりはないのである」
「薔薇族を見る前より少しでも心が晴れれば、それだけでいいではないか」
ほんとうに、伊藤さんと薔薇族の精神の全てが簡潔に表現されてるように思います。
伊藤文学さんと、藤田竜さんのお二人は、
薔薇族という雑誌を通じて、世の中の無数の悩める同性愛者の方々をお救いするために、天から地上に降りてこられた、最強、最高の黄金コンビでらっしゃると思います。
ミロ(務☆)
(20200721火曜)
投稿: ミロ(務☆) | 2020年7月21日 (火) 02時52分