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2020年7月25日 (土)

人も、物も不思議な出逢いがあって!

『薔薇族』100号、創刊10周年記念特別号1981年5月号、「若葉の風」と題して、親友の国学院大学教授であり、歌人の阿部正路君が「伊藤文学君のこと」と題して、一文を寄せてくれている。

 

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学生時代に知り合って、大学歌人会を興しぼくが企画を立てると、理知的な阿部君が実現させてくれ大成功を収めた。

 

「まさに、若葉の風だった。彼はとても新鮮で、そして、いつも不意に現れる。

 

伊藤文学。彼はいつの間にか、僕の青春の、ほとんど全てだった。伊藤文学。彼は僕の青春の友出会ったばかりではなく、今では一層確かに、僕の壮年の友であり、生涯の友にあり続けるに違いない。」

 

阿部正路君、親友という名にふさわしい間柄が生涯続いた。

 

NHKのアナウンサーであり、早稲田大学国文科出身の楯四郎さんとの出会いも、不思議な出会いだった。

 

「『薔薇族』は歴史を持った=そして『薔薇族』にまつわるささやかな自分史」と題して記念号に一文を寄せてくれた。

 

「夏の終わりが近づいてくると、いつも、物憂い。遊びすぎた時間が遠のいていくからである。

 

上野の国鉄から京成に通じる地下道は、物憂さがよく似合う道だった。くすんだ灰色の道である。その夜……というのは10年前のある夜、灰色の中にポツンと黄色い一点が浮き、それがたちまち私の目の中いっぱいに広がった。これが私と『薔薇族』との出逢いである。」

 

地下道の片隅には、10人も入ればいっぱいになる酒場、もちろん仲間のちっぽけな店が数件並んでいた。

 

店の並びにそこだけは扉がなく、いくらか地下道に張り出した木の台いっぱいにポルノ雑誌を裸電球を赤々と照らしている本屋があった。

 

人間との出逢いも不思議な因縁があるが物とも同じようなことがある。このエロ本屋にぼくは取り次ぎを遠さにず直接置かせてもらうことにした。

 

表通りに車を置いて、息子を乗せた乳母車に乗せて、地下道のエロ本屋に運んだのだ。

 

楯四郎さんが目に留めてくれたのは、偶然の出逢いだ。楯四郎さんの小説をたくさんの投稿原稿を見つけ出してくれたのは、亡き先妻の舞踊家、ミカの松沢中学の教え子だった。

 

学研に勤めていたのをやめて、『薔薇族』の編集を手伝ってくれていたが、ノンケなので藤田竜君とは合わない。まもなくやめさせられてしまった。彼には感謝のしようがない。

 

それから楯さんは名作を書き続けてくれた。『浅草怨念歌』がアメリカで翻訳されて本になった。余命幾ばくもない病床で本を手に取って楯さんは亡くなった。

 

人間って不思議な縁のつながりである。

 

藤田竜さん、間宮浩さんとの出逢い。

 

「明るいところへ出ようと歩いてきました。『薔薇10年の編集裏話』と題して、『薔薇族』100冊をずらりと並べて、その前に竜さんとぼくが並んで座り、対談をしている。「『クルージング』という映画を見て、女の子たちは「気持ちが悪いわね」と言いながら女の子が半数以上もあの映画を見るという時代になってしまった。

 

「世の中の流れは性の解放に向かって流れている。それを20人、30人の桜田門の人でこれを防ぎきれない。

 

ビニール本を見てもわかるんで、洪水のように出ているわけで、その流れはせき止められないですね。」

 

10年間、世の中変わった。これからどんな世の中になっていくのかな。

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コメント

薔薇族創刊100号は、リアルタイムでも見てませんが、後に、学生時代に、取り寄せていただいて拝見した記憶があります。
今は、残念なことに、もう手元にありませんが。

阿部正路先生のご寄稿文は、永遠の緑の輝きのように清廉な文章で、伊藤文学さんという存在を見事に表現されてるように感じます。

楯四郎さんと薔薇族とのご縁等をはじめとして、
伊藤さんと藤田竜さんを中心として、お二人に協力された無数のかけがえのない人々、これらの全ての方々の情熱、ご努力が、
薔薇族という、他に変えられない、極めて存在意義が高い雑誌を生んだのだと、
改めて感じました。

ミロ(務☆)

20200727月曜

投稿: ミロ(務☆) | 2020年7月27日 (月) 05時52分

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