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2020年8月

2020年8月10日 (月)

ひとりでは生きられなくなってしまった!

10数年も毎月、最後の土曜日に続けてきた「文ちゃんと語る会」ブログで予告なしでやめることになってしまった。

 

やめることを決意したのは、下北沢のカフエ「織部」まで歩いて行けなくなってしまったからだ。

 

2020年8月1日の「文ちゃんと語る会」を持って残念ながらやめざるをえなくなってしまった。

 

我が家では女房が何から何まで面倒みてくれている。食事の支度、食事が終われば飲み薬をきちっと用意してくれる。

 

夜はしびんをベッドの下に置いて、小便をしている。一晩でこんなに小便が出るのかと思うくらい、いっぱいになる。

 

それをトイレで流して、きれいに洗ってまたベッドの下に置いてくれる。家の中のぼくの生活はすべて女房なしでは生きていられない。ありがたいことだ。

 

もうひとり田中さんは、我が家とそう遠くないところに住んでいるので、病院に連れて行ってくれたり、買い物に歩いていけなくなってしまったぼくを車に乗せて、スーパーに連れて行ってくれる。

 

我が家では女房、他人さまでは田中さんのふたりがぼくを支えてくれていて、ぼくの体力では、ふたりなしには生きていられない。

 

最後の「文ちゃんと語る会」も田中さんが車で送ってくれた。当日参加してくれたのは、常連ばかりの5人。

 

スーパー・ピーコックの3階にある「三省堂書店」で色紙を買ってきてもらって、記念にいろいろと書いてもらった。

 

三好君という青年、いつも会に出席するたんびに、ぼくの著書を買い求めてきてサインしてくれと頼まれた。ありがたい読者だ。

 

「伊藤さんの命ひとつでいくらの命が救われた事でしょうか。私自身もそのひとりです。感謝を表す方法もわかりません。

 

また、どこかでお会いできることを。お元気でいてください」

 

篠塚さんという方は、かなり古いぼくが催したキャバレー「白いばら」での出版記念会のアルバムに彼の姿があるから、10年以上も前からのお付き合いだ。

 

桜井さんという人は器用な人で、秋葉原の電気街で耳の悪いぼくのために、補聴器の部品を買い集めて工夫して作ってくれる。会に参加するたびに作って持ってきてくれてその性能もよくなり、テレビをひとりで見るときには使わせてもらっている。

 

「私はもともと『薔薇族』の読者で、初めてお会いしたときには緊張しましたが、優しい人柄に惹かれて毎日通いました。

 

数々の思い出は私の心の中でずっと留めておきます。本当にお疲れ様でした。」

 

いつから始めてたのか忘れてしまっているが、最初は森鴎外の長女の森茉莉さんが毎月のように通って仕事部屋にしていた「邪宗門」の奥の部屋だった。

 

「邪宗門」は駅から遠いので、次は下北沢北口のビルの二階の「占茶」、奥さんは奥の部屋で占いをしていて、ご主人がコーヒーを淹れてくれる。

 

その次はビルの一階の「つゆ艸」。作家の吉本ばななさんがひいきにしている店で、ママの由美さんの笑顔は忘れられない。

次は「織部」だ。ここが一番長くお世話になった。6年にもなるだろうか。

 

奈良県に住む引きこもりの青年が出てきてくれた。手紙をやりとりしているうちに、表に出るようになったという。

 

何百人もの人が参加してくれた。最後に参加してくれた女性との出会いは忘れられない。素晴らしい女性だ。この女性と出会うためにも、脚を鍛えなければ・・・。

 

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2020年8月 8日 (土)

文通欄は大きな心の支え!

『薔薇族』の文通欄が地方に住む読者にとって、唯一の仲間を見つける大事な手段だった。

 

山形県の一番屋さんの投稿を読むと、文通欄を通して知り合った仲間との出会いが大切だったということを思い知らされる。

 

「われわれ地方に住む者にとって、『薔薇族』は大きな心の支えになってくれます。都会と違って集まる場所もなければ、心を開いて酒を酌み交わす場もないわけだから、僕は3年ほど前からときどき買って読んでおります。

 

その間、通信を利用して知り得た友も何人かおりましたけど、いつも長続きせずがっかりさせられました。どうして長続きする交際ができないのだろうか? それは心を開いて素直な気持ちで付き合ってくれる人がいなかったから。また自分もそうしなかったからだと思っています。だけどこんな自分の前にも、ようやく真実の愛が現れました。

 

彼とはじめて逢ったのは、昨年の10月9月、体育の日の前日だったことをよく覚えています。

 

僕が駅まで出迎えに出ると、改札口で彼はペコンとお辞儀をしました。逢うまでは彼という人間を自分勝手に想像していましたが、実に爽やかな感じを受けました。

 

その晩はいろんな話をして、翌日の昼過ぎに帰って行きました。今度また、今までみたいに1日の巡り逢いで終わるのかなと思ってみたりして。

 

ところが案に相違してそれからというのの、10日に1度の割合で逢い、愛し合い、また語り合いました。

 

汽車で3時間の距離もなんのその、それだけ好きだということなのかも。歌の文句じゃないけれど、逢っている時はなんともないが、別れた後の気持ちがとても辛いものでした。

 

2人でどこかへ旅行しようということになり僕の発案で八丈島へ正月休みを利用して行ってきました。

 

雪国育ちの僕にとって、八丈島はまるで外国のようなものでした。2泊3日と短い旅でしたけど、とても思い出深い、忘れることのできない旅行となりました。

 

ホテルの人たちに「兄弟ですか」と言われた時は、言葉に言い表せない嬉しさを感じました。

 

楽しい時の時間の早いこと、まるで走馬灯のようなもので、時よ、このまま止まってくれと叫びたい心境でした。今も写真を見ては思い出しています。

 

彼と知り合って早4ヶ月、何もしてあげられない僕だけど、優しさと誠実な心でいつまでも付き合おうと心に決めています。

 

最後に伊藤文学様、いつまでも僕たち地方に住む者に対して、希望と勇気を与えくださることをお願いします。」

 

今、このブログの原稿を書いているのは、2020年7月20日の午前4時、11時ごろ床に入ったのだけど何度も目が覚めて、眠れないので起き出して机に向かってペンを走らせている。

 

睡眠薬を飲むのはやめようと思って、飲まずにいたのだが、あまりにも寝付きが悪く、夜中に何度も目が覚めるので、医師にお願いして睡眠薬を処方してもらった。

 

その前にテレビのCMや、新聞広告で見て「ぐっすりずむ」という薬を買い求めても飲み始めたのだが、この薬は飲み続けないと効き目があらわれない。

 

医師に処方してもらった睡眠薬、効き目抜群でびっくり。ところが3日目には効かなくなって元に戻ってしまった。家にばかりいて歩かなかったのがいけなかったのか、体を疲れさせないと眠れない。

 

今日から外に出て歩き出した。

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2020年8月 3日 (月)

少年愛者の悩みは尽きることはない!

「初めまして。毎月楽しく読ませていただいております。自分は札幌に住む蝦夷っ子なのです。少年が好きなのですが、今のところ一人寂しい毎日を送っています。

 

世の中は大変厳しいもので、少年を愛していることを隠していないと「変態」などというあだ名を頂戴したりして、暮らしにくくなってしまうのです。

 

でも、最近は伊藤さんに影響されたのか、ちょっぴり堂々としてきました。しかし、少年を愛すということは、自分の心のブレーキが必要なのですね。

 

街で出会った少年に声を欠けても、変な人だなどと思われたくない自分の見栄もあるし、色々と心を悩ましているのです。

 

体験談によく電車とか、バスの中で色々といたずらして、どうのこうのと書いているのを読むと、自分も一度やってみようかなどと思ったりしても(今のところは思っているだけなのです)結局は想像だけで終わってしまうのです。

 

自分に勇気がないのかもしれませんが、少年を愛してしまった自分にはどうしてもできそうにないのです。前に伊藤さんが書いたことを思い出してくるし(だいぶ前に少年愛について書いていたと思います。)

 

なんだかとっても苦しいのです。今のところ銭湯で見かける少年の背中を洗ってやるくらいのことしかできませんし、毎日、同じ少年にも会えないので、結局は話がぜんぜん進まないのです。

 

最近は札幌には自分の友達とか弟になってくれるような少年はいないのではないかと思いはじめてきました。

 

文通欄に出してもらったこともありますが、手紙がきたのは中年紳士、高校生ぐらいなのです。高校生はもう大人です。少年の持つ心はないのです(中にはいるかもしれませんが)。自分も大人なのにこんなこと言うのは変かもしれませんが、自分の都合だけの中年紳士や、大人の世界に憧れているような人は嫌なのです。

 

人間はもっと自分の心に純な生き方をしなければいけないと思います。自分は少年が好きです。だけど大人の世界の暗いジメジメしたものを押し付ける気もないし、大人の愛で少年を捕らえたくありません。

 

かっこいいようですが、自分は少年と友達になりたいのです。一緒にふざけたり、遊んだりしたいのです。でも、なんとなく寂しい気もします。自分の友達によく言われるのです。いつまで経っても子供みたいだと。自分はそれで良いと思っています。

 

少年の妃の心を、いつまでも大切に生き来ていくことが、自分にとっては一番なのかもしれません。

 

この手紙を書いているうちに、自分の少年に対する結果が出たみたいで、何かホッとしました。これからは気長に、友達になってくれるような少年の出現を待ちつつ、ペンを置きます(札幌・蝦夷子・24歳)

 

24歳の札幌の青年、何を職業にしている人かわからないが、気長に待つとは言っているものの、このままでは理想の少年と出会うことはないだろう。

 

少年の好きな読者の人たち、少年と出会えるチャンスがあることをやっている。スポーツの好きな人なら少年野球のコーチをしたり、サッカーをやったり、少年の合唱団で教えたり。これは誰もができるわけではない。才能がなければできない。

 

未成年者に手を出すことは犯罪だということは承知で少年に近づこうとする。辛い話だが、少年が好きなように生まれついてしまったのだからどうしようもない。世の中変わっても少年愛者の悩みはつきない。

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2020年8月 1日 (土)

みんなに支えられて生きている!

最近、足腰が弱ってきて、以前のように下北沢駅前のスーパーオオゼキに買い物に行けなくなってしまった。歩かないから身体が疲れないのか、夜、寝られなくなっている。

 

そこそこ運動はしているのだが、やはり歩くことが一番の健康法だ。それができないので体重が73キロにもなってしまった。食べることが一番の楽しみになっていたのがいけなかった。今、ダイエットを始めている。

 

トマト、キューリ、レタスと野菜を主に食べ、ご飯はわずかに食べるだけ。いつまで続くことか。

 

88歳の米寿のお祝いを3月20日、三軒茶屋の「銀座アスター」でコロナ騒ぎが寸前ときで、盛大に何事もなく終えることができた。

 

人間どんな死に方をするのかはわからないから生きていられる。しかし、死が近づいてきていることは間違いない。

 

週刊現代の広告を見て、女房にコンビニで買ってきてもらった。「大特集・人に迷惑をかけないで、この世から消えていくために」

 

サラリーマンを定年退職した人たちをターゲットにした企画だろう。ぼくには当てはならない。

 

三平さんの奥さんの海老名香葉子さん(86歳)は「情をかけ合う付き合いが何より大切です」と語る。

 

「人は助けたり、助けられたりする中でしか生きていけません。死ぬ時だって、絶対に誰かの世話になって死んでいくんだから、互いに情をかけ合うことが欠かせないのです」

 

共感できたの香葉子さんの言葉だけだった。

 

ありがたいことに後妻の久美子がよくぼくの面倒を見てくれている。血のつながりがない先妻の舞踊家、ミカの息子をわが子のように可愛がり、家庭教師をつけて勉強させ、念願の京都大学の理学部に入学させた。卒業後、バブルの時代だったので、引く手数多でソニーに入社することができた。

 

その息子の子供(孫)は、お婆さん子で中学に入るまで、お風呂にいっしょに入っていた。久美子に感謝していることは、ぼくの父親や母親を亡くなるまで面倒を見てくれたことだ。母親など長生きしたので、車椅子を押して連れて歩いてくれた。

 

幸いなことはぼくの仕事が順調なときに、二人とも亡くなったことだ。京王プラザホテルでの出版を祝う会に、二人も来てくれて、親友の江田和雄君、阿部正路君(二人ともこの世にいない)に話しかけられてニコニコしている写真が残っている。

 

ヨタヨタの老人になってしまっているぼくを面倒見てくれているのは、女房の久美子だ。夜、何度も起きるのでベッドの下に尿瓶をおいて小便をしている。それが一晩でいっぱいになるのをトイレで流してきれいに洗ってくれる。

 

食事も食卓を前に座っていれば、トマト、キューリ、レタスを用意してくれる。食べ終わると、薬をきちんと用意してティッシュの上に並べてくれる。

 

とにかく世話が焼ける老人になってしまった。今や女房の久美子なしでは生きていけない。

 

いっしょに住んでいる次男夫婦もよく面倒を見てくれる。しばらくぶりに「小笹寿司」に選挙の日、投票を終えてから立ち寄った。マスターはよくぼくの好みを覚えてくれていて、次から次へと握ってくれた。

 

料金もサービスしてくれたようだ。

 

歩いても5、6分のところなのにタクシーを呼んできてくれた。

 

みんなに助けられて何とか生きている。ブログだけは書き続けて、一人でも多くの人に同性愛者のことを理解してもらいたいものだ。

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