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2020年8月15日 (土)

ネットで『薔薇族』創刊号が読める !

2020年8月6日、広島に原爆が投下され、多くの人が亡くなった。それから75年の時が過ぎている。

 

ぼくはその頃、国民学校から世田谷中学に入学した一年生だった。新型爆弾ということで新聞にも小さくしか扱われなかったから、そんなに威力のあるものとは知らなかった。それから長崎にも投下され、軍部も無条件降伏するのかと思ったら、一億総玉砕とまだまだ戦うつもりだった。

 

ぼくが卒業した国民学校には、地方から集められた兵隊たちが宿泊していた。20代の兵隊はいない。30歳を過ぎた兵隊ばかりだ。

 

門番だけは小銃を持っていたが、兵隊たちは竹槍で相手を殺す練習ばかりを校庭でやらせられていた。中学生の僕らも竹槍で米兵を刺殺す練習ばかりをさせられていた。アメリカ軍が東京湾に上陸してきたらひとたまりもなく殺されてしまっただろう。

 

物資の豊かな国に勝てるわけがない。ああ、もう75年も時が過ぎてしまったのか。父親が株式会社第二書房を創立したのは、敗戦後の昭和23年、ぼくが駒沢大学に入学した時だ。

 

社員はひとりもいない。我が家には女ばかりで男はぼくひとり。学生時代から父の仕事を手伝わされていた。

 

30歳になった頃、ぼくは父に教わったわけではないのに、一応仕事は覚えていた。父が戦前流行作家でもあった人に、15歳の頃、山形の山奥から出てきて17年も作家の面倒を見てきたお手伝いさんが、遺言どおり莫大な遺産をもらうことになってしまった。

 

作家のY氏は女房思い出有名だったが病気で亡くなるまでの看病の手記は泣かされる。

 

第二書房の処女出版はY氏の女房の看病の手記をまとめた『夜や秋や日記』だ。

 

Y氏はなんと、お手伝いさんと女房が生きていた頃から、男女の関係になっていた。出なければ遺産をお手伝いさんに残すわけがない。

 

Y氏が亡くなってから、父が全ての後始末を片付けてしまった。そのお手伝いさんと父が男女の関係になってしまったのだからなんという男だ。

 

お手伝いさんと関係ができてから出版の仕事をぼくに任せて、お手伝いさんのところに通い詰めていた。ぼくに任せきりになってしまったので、ぼくは思うままに出版の仕事をたったひとりで、本を出し続けることができた。

 

ぼくは運が良かったのか、ぼくが考えた出版物がよく売れて利益を出すことができたので、『薔薇族』に繋がることができた。

 

藤田竜さん、間宮浩さんとの出会いもありがたかった。創刊号の藤田竜さんの表紙絵は今見ても傑作だ。これが男のヌード写真なんかだったらマスコミが取り上げるわけがない。

 

日本最初の同性愛の雑誌ということで、一流週刊誌がこぞって取り上げてくれた。創刊号がマスコミの話題になるなんてありえないことだ。

 

その創刊号がネットで見れることに。「サイゾー」の脇谷怜生弥さんの骨折りで8月6日から有料だけど読める。

 

ぼくのブログを読んでくれている人で、創刊号など読んだ人はいないと思う。

 

藤田竜さんの才能を発揮した創刊号、ぜひ読んでもらいたい。毎月、2号、3号と読めるようにしてくれるそうだ。

 

藤田竜さんも天国で喜んでくれているに違いない。

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