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2020年9月

2020年9月12日 (土)

うなぎ好きの茂吉が愛したうなぎ「花菱」!

2020年8月14日は、一緒に住んでいる次男夫婦のひとり息子、文一の19歳の誕生日だった。息子の嫁の智恵が誕生祝いに女房の久美子と5人で道玄坂の途中にある「うなぎ花菱」へタクシーへ行ってくれた。

 

「うなぎ花菱」は、歌人、斎藤茂吉(今時の若者は知らないかもしれないが、昭和の柿本人麻呂と言われた人で、教科書にも最初の歌集「赤光」から「死にたもう母」など作品が紹介されていた。

 

  のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

 

  死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる

 

斎藤茂吉は無類のうなぎ好きだった。戦後、山形の疎開先から世田谷の代田八幡宮のそばに開業した、長男の茂太さんが院長の神経科の自宅兼診療所に戻ってこられた。

 

まだ環七などという広い道路のない時代に3年ほど住んでいたが、代田川の桜並木を通って斎藤書店(第一書房時代の父との同僚がいち早く出版社を創立していて、父はその仕事を手伝っていた)が、その途中にあって、茂吉のエッセイ集を手がけていた。ぼくは中学2年生の頃、わが家に訪ねていた茂吉に出会っている。

 

その頃、道玄坂の「うなぎ花菱」に通っていたのだろうか。「うなぎ花菱」のチラシには、「文豪がこよなく愛した渋谷道玄坂 うなぎ花菱」とあり、

 

  あたたかき鰻を食ひてかへりくる

 

  道玄坂に月おし照れり

 

お店の壁に茂吉の短冊が飾られている。ぼくは茂吉と出会った時の印刷物などをお店に残してきた。

 

最近になって「花菱」の女将 阿部真奈美さんからの手紙が届いた。美しい文字だ。

 

「先日はご来店いただきありがとうございます。お孫様のお誕生日のお祝いに花菱を選んでくださり感謝しております。また丁寧なお手紙をいただき大変恐縮しております。早くお返事をせねばと思いながら、日にちが経ってしまい申し訳ございません。

 

私は花菱3代目の嫁でございます。当日はお会いできず主人から文学先生のお話をお聞きお会いしたかったと残念に思っておりました。

 

茂吉先生は我々花菱にとっても恩人のような方で、茂吉の愛した鰻を食べてみたいとおっしゃるお客様が遠方からもこられます。

 

お孫さんの斎藤由香さん、茂一さんもいらしてくださいます。2年ほど前に主人と二人で山形の斎藤茂吉記念館や、生家、お墓を訪ね、主人と二人感激して帰ってまいりました。

 

このようなお知り合いになれたことをありがたいと思っております。歌集(中西進さん序文のぼくの豆歌集「渦」)もありがとうございます。

 

私の友人が先生のファンでブログに花菱のことが書いてあったと送ってくれました。また、是非お立寄り下さい。お会いできると嬉しいです。

 

花菱 女将 阿部真奈美」

 

 

タクシーでないと行けないけど、電話しておいて息子の嫁に連れて行ってもらいたいと思っている。

 

★渋谷区道玄坂2-16-7 花菱ビル1F 「うなぎ花菱」 予約・TEL 0120-262-203 月〜土(日・祝定休)

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2020年9月 7日 (月)

神経科の医師の診察を待つ若者たち!

ぼくは20年ぐらい前から前立腺肥大症で、夜、何回もトレイに起きる状態が続いている。もちろん泌尿器科の診療所に通い、薬を飲み続けてきたが快復しない。手術をしなければ駄目なのかも。

 

入院生活をしてベッドの生活を続けたら、今度は足腰が弱って歩けなってしまうだろう。

 

ここ数年、テレビで見る番組は時代劇だ。「鬼平犯科帳」「剣客商売」など、ありとあらゆる番組を見ている。その間に入るCMは年寄り向けの薬のCMばかりだ。

 

「ノコギリヤシ」最初は安い。次から高価になる。このてのCMはみんな同じだ。よほど長く続けなければ効果はないのだろう。

 

そこで医師に睡眠薬を出してもらうが、これがまた曲者だ。しばらくは効果があって眠れるが、続けて飲んでいると、効かなくなってしまう。

 

最近、女性の医師に、効かなくなってしまったからもう少し強い睡眠薬をと言ったら、ムッとした表情で、「それなら神経科の医師に出してもらいなさい」と言われてしまって、下北沢の北口にある神経科の医院を教えてもらった。

 

歩いてはとっても行けないので、車を持っている友人の田中さんに頼んで乗せていってもらった。夜、7時半と言うので行ったらビルの3階にある診療所、エレベーターで登ったら、なんと長い廊下に両側に椅子が置いてあって、20人以上の若い男女が診察の順番を待っているではないか。年寄りなんて一人もいない。みんなスマホを見ている。

 

神経科の医師って、患者から話を聞いて診察するので時間がかかる。窓口の女性に「どのくらい時間がかかりますか?」と聞いたら「2時間半ぐらいです」と言うので、これでは車で待っている田中さんに申し訳ないので「またきます」と、諦めて帰ってきてしまった。

 

若い男女が神経を患っている。一人ひとり話を聞くわけにはいかないが、今の時代を象徴しているのでは。

 

多くの若者たちがコロナウイルスの影響もあって、職を失ったりと悩み事が多いのだろう。

 

ずらっと並んで診察の順番を待っている若者たちを見て、少しぐらい眠れないからと言っている年寄りは我慢しなければと考えてしまった。

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2020年9月 5日 (土)

長いことぼくを支援してくれてありがとう!

『薔薇族』の誌上で「伊藤文学のひとりごと」と題して書き出したのは、1975年の1月号(No.24)からだ。

 

タイトルは「結婚のこと」。その時代、読者にとって、どうしても通らなければならない関所のようなもので、異性と結婚しないわけに行かなかった。

 

親・兄弟から結婚しろとうるさく言われてしまう。職場でも教師や銀行員など、結婚しないと周囲の信頼をなくしてしまうことに。

 

小学校の教師をしている読者からの相談でわが家に訪ねてきた。同僚の女性から愛されてしまって、親同士が積極的で出会い、式場の日取りまで決められてしまった。

 

相談に訪ねてきた教師は、女性とのセックスなどしたことはない。女性のアソコを見たこともない。これでは結婚して夫婦生活を続けられるわけがない。

 

次の号には「トイレの落書き」のタイトルで書いている。トイレが発展場なのは、日本だけでなく、よその国でも仲間たちは集まってくる。個室に入って鍵をかけてしまえば、二人だけの世界になってしまうからだ。

 

次の号には「秘密のこと」と題して書いている。

 

「東京には最近、ラブホテルが次々と開業しています。そうなるとどうしても数多くの人と交渉を持つようなことになりがちだし、その中に病気の人がひとりでもいると、次々と感染することは間違いありません。うつされた人が、奥さんのいる人だとすると、その奥さんにまでうつっていくでしょう。

 

1975年12月号には「中学、高校生の諸君へ!」と題して、ぼくはこんなことを書いている。

 

「東南アジアに旅行した一読者から、マレーシアの新聞『南洋商報』の切り抜きを送ってくれました。

 

「鶏姦少年罪名成立 報告漕監3年 加両下鞭笞」の見出しの文字が、まず目に飛び込んできました。

 

「鶏姦」忘れていたような言葉ですが、今の若い人には、鶏のあのときの状態など見たことがないから想像できないでしょう。

わが家では戦時中、何羽もの白色レグホンをおふくろが飼っていて、おんどりも一羽いたので、朝早くときを告げていたし、めんどりの上にのかっている光景を見たことがありました。「鞭笞」今どき鞭で打つ刑罰があるなんて想像もできないことでした。

記事の内容は21歳の青年が、2人の15歳の少年を道で待ち伏せしていて、空き地に連れ込み、お尻に入れ、それが母親に訴えられて捕らえられ、見出しのような刑に処されたということです。

 

日本はまさに薔薇族天国です。薔薇族を規制する何ものもないのですから。

ゲイバアもあるし、ゲイホテルも各地にできたし、日本の薔薇族はまだまだ幸せだとおもう。韓国の薔薇族たち、中国の薔薇族たちはいったいどんな立場に置かれているのでしょうか。きっとひっそりと生きているに違いないのです。」

 

『薔薇族』が発行されていた382号まで「伊藤文学のひとりごと」は書き続けた。廃刊後はネットで書き続けている。最初は息子の女房が、その後何人かがネットを触れないぼくを助けて土曜と月曜に更新してくれている。

 

原稿は送り返してくれるので、大きな段ボール箱にも入りきらないほどだ。何千枚も書いただろうか。

 

生命ある限り書き続けたいと思ってきた。

 

あと何年生きられるかわからないが、書くことが生きがいなので書き続けます。

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