うなぎ好きの茂吉が愛したうなぎ「花菱」!
2020年8月14日は、一緒に住んでいる次男夫婦のひとり息子、文一の19歳の誕生日だった。息子の嫁の智恵が誕生祝いに女房の久美子と5人で道玄坂の途中にある「うなぎ花菱」へタクシーへ行ってくれた。
「うなぎ花菱」は、歌人、斎藤茂吉(今時の若者は知らないかもしれないが、昭和の柿本人麻呂と言われた人で、教科書にも最初の歌集「赤光」から「死にたもう母」など作品が紹介されていた。
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる
斎藤茂吉は無類のうなぎ好きだった。戦後、山形の疎開先から世田谷の代田八幡宮のそばに開業した、長男の茂太さんが院長の神経科の自宅兼診療所に戻ってこられた。
まだ環七などという広い道路のない時代に3年ほど住んでいたが、代田川の桜並木を通って斎藤書店(第一書房時代の父との同僚がいち早く出版社を創立していて、父はその仕事を手伝っていた)が、その途中にあって、茂吉のエッセイ集を手がけていた。ぼくは中学2年生の頃、わが家に訪ねていた茂吉に出会っている。
その頃、道玄坂の「うなぎ花菱」に通っていたのだろうか。「うなぎ花菱」のチラシには、「文豪がこよなく愛した渋谷道玄坂 うなぎ花菱」とあり、
あたたかき鰻を食ひてかへりくる
道玄坂に月おし照れり
お店の壁に茂吉の短冊が飾られている。ぼくは茂吉と出会った時の印刷物などをお店に残してきた。
最近になって「花菱」の女将 阿部真奈美さんからの手紙が届いた。美しい文字だ。
「先日はご来店いただきありがとうございます。お孫様のお誕生日のお祝いに花菱を選んでくださり感謝しております。また丁寧なお手紙をいただき大変恐縮しております。早くお返事をせねばと思いながら、日にちが経ってしまい申し訳ございません。
私は花菱3代目の嫁でございます。当日はお会いできず主人から文学先生のお話をお聞きお会いしたかったと残念に思っておりました。
茂吉先生は我々花菱にとっても恩人のような方で、茂吉の愛した鰻を食べてみたいとおっしゃるお客様が遠方からもこられます。
お孫さんの斎藤由香さん、茂一さんもいらしてくださいます。2年ほど前に主人と二人で山形の斎藤茂吉記念館や、生家、お墓を訪ね、主人と二人感激して帰ってまいりました。
このようなお知り合いになれたことをありがたいと思っております。歌集(中西進さん序文のぼくの豆歌集「渦」)もありがとうございます。
私の友人が先生のファンでブログに花菱のことが書いてあったと送ってくれました。また、是非お立寄り下さい。お会いできると嬉しいです。
花菱 女将 阿部真奈美」
タクシーでないと行けないけど、電話しておいて息子の嫁に連れて行ってもらいたいと思っている。
★渋谷区道玄坂2-16-7 花菱ビル1F 「うなぎ花菱」 予約・TEL 0120-262-203 月〜土(日・祝定休)
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