« 2020年9月 | トップページ

2020年10月

2020年10月19日 (月)

『薔薇族』創刊50年、女房との結婚も50年!

ぼくが最初に本にした昭和53年(1978年)『心が破けてしまいそう・親兄弟にも言えない この苦しみはなんだ』(光風社書店刊)

 

この時代は男好きであっても、女性と結婚しないわけにはいかなかった。結婚問題が多く載っている。その中の京都市のYさんの投稿を紹介しよう。

 

「私はホモです。でも妻や子供を愛しています。どんなに好きな人がいても家庭を捨ててまで好きな人に走るなどということは、とてもできません。そうかといって男の恋人とただ享楽的に、その場さえよければというのでは決してないのです。恋人のために少しでも家庭を犠牲にすることが私にはできないのです。

 

ホモも昔に比べてだいぶ世間に認められるようになってきたとはいえ、今現在、「私はホモです」と、世間に向かって言える人がいるでしょうか。解放運動とかなんとか言っても今の日本では、とても大変なことです。

 

私は幸か不幸か、男も女も知らないうちに(心の中では男性に興味はありましたが)、学校を卒業してすぐに結婚しました。長男がもう高校3年生で、一緒に酒を飲むのが今の私の大きな楽しみの一つです。

 

バアや、クラブにも連れて行きます。(ゲイバアではありません)Y談もします。

 

妻は田舎出の温厚な女性で、精神的にも物質的にも私に満足しているようです。妻はセックスに淡白なので、このごろでは月に数えるほどしか交渉はありませんが、そんなものかと思っているようです。そういう意味では私はとても恵まれているのです。

 

このごろ、貴誌でも結婚問題の不安について取り上げています。ごもっともとは思いますが、結婚しようという気持ちがあれば、躊躇わずするべきと思います。

 

普通の夫婦でも結婚生活はお互いに努力をしていかなければなりません。ましてホモの人が結婚するとすれば、その努力は人の2倍も3倍も必要です。結婚しようという気持ちがあれば努力すべきですし、しなければいけません。

 

結婚生活にとって「性」の問題は大切なことですが、でもセックス だけが全てではないと思います。

 

結婚は「惚れた、はれた」ではなく、時がたてば夫婦の愛情というものが生まれてくるはずです。普通の人間であれば、人を愛することができる人間であれば、夫婦の愛、親子の愛が必ずできてくると思います。たまたま私がうまくいったから、こんなえらそうなことを言えるのかもしれませんが、でも私は私なりに努力してきたつもりです。

 

中には女性なんか見るのも気持ちが悪いという方もいるかもしれません。そのような方はやはり結婚は諦めなければ、しかたがないかもしれません。男性の都合や世間体だけのために女性を犠牲にすることは罪悪です。

 

なんだか偉そうなことを書きました。貴誌の益々のご発展をお祈りします。」

 

投稿してくるような読者は、真面目でしっかりした考え方を持っている人ばかりだ。なんだかぼくが叱られているようなものかもしれない。

 

ぼくの親父は女性に関しては、とんでもない男でどれだけ母親を泣かしたことか。

 

ぼくも『裸の女房』(彩流社刊)に、先妻の女房との出会いから、33歳で事故死するまでの15年間を書いたが、出会ってからの2、3年と亡くなる前の2、3年は、いい亭主だったが、とんでもない男だった。

 

今の女房と結婚して早くも50年。先妻が残した息子を立派に育て上げ、両親の面倒を見てくれたのだから感謝するしかない。

 

素晴らしい読者をもって、ぼくは幸せだった。

| | コメント (0)

2020年10月17日 (土)

心が破けてしまいそう!

ぼくは88歳になるまでに著書は12〜3冊出している。一番最初の本は昭和53年(1978)光風社書店刊で、内藤ルネさんがカバーの絵を描いてくれている。

 

この時代は同性愛はマスコミの間でもタブーだったので、単行本として同性愛に取り組んだものとしては、最初だったかもしれない。

 

『薔薇族』の創刊が1971年だから、それから7、8年後のことだろう。ぼくの女房の兄が新潟から上京してきて、本の取次店の大手の東販に入社し、それから出版社に勤め、製本会社「越後堂製本」を創立していた。東販の仕入れの担当者から紹介されて、父が創立した「第二書房」の製本をお願いしていた。

 

光風社書店も「越後堂製本」のお得意さんだった。まだこの時代は本はよく売れていたから、ぼくの最初の著書『心が破けてしまいそう=親・兄妹にも言えない、この苦しみはなんだ』は、今では考えられない1万2千部印刷したと記憶しているが、印税などもらった記憶はない。

 

ぼくの本が売れなかったのが原因ではないが、まもなく倒産してしまった。その頃、同性愛を扱った本などなかった時代なのでそこそこ売れたのだろう。

 

嬉しかったのは女性からの感想文を書いた手紙が多かった。ぼくの本が出る数年前に冨田英三さん、神戸新聞の記者だったが、上京して阿佐ヶ谷に奥さんと二人で住んでいた。

 

冨田さんは文芸春秋社から発行されていた『漫画読本』によく執筆していて、絵も描くし、エッセイもよく書かれていた。

 

若い頃、アメリカに渡って、ニューヨークの芸術家が多く住んでいた、ソーホーに住み、帰国してから「ビザールの会」を立ち上げ、若者を集めて様々なパーティを開いていた。

 

その頃、先妻の舞踊家・ミカと入会し、ご夫妻によくしてもらった。ミカは独立して「ビザール・バレエ・グループ」を立ち上げ、冨田さんにはどれだけお世話になったかはわからない。

 

冨田さんの奥さんは、ご主人がゲイであることを隠していたが、『ゲイ』という本を出版したので、隠せなくなってしまった。

 

この本は少し時代に早すぎたのか、この本が売れなかったのが原因ではないが倒産してしまった。

 

煙草好きで、いつも口に煙草をくわえていたので奥さんが前かけをさせていた。肺ガンで亡くなってしまったので、奥さんがぼくに『ゲイ』を読んでの感想文を書いた手紙やオカマちゃんたちの写真をいただいた。

 

パーティ好きの冨田さんの影響で、ぼくはどれだけパーティを開いたかわからない。

 

『心が破けてしまいそう』を出版した頃は推薦文などを書いてもらうことができなかった。そんなことをしたらゲイじゃないかと思われてしまうからだ。

 

書名は秋田県に住む17歳の高校生から送られてきた手紙から名付けた。

 

「伊藤文学さん、どうにかしてください。むずかしいのはわかるけど、このままでは、からだが、そして心が破けてしまいます」からだ。

 

この時代、地方に住むゲイの人たちがどれほど生きづらかったことか。最後の手紙の言葉はぼくの心を打った。

 

「人間が平等なんてだれが言ったのでしょうか。このごろ、なにもかもいやになってきます。」

 

この高校生、ぼくの本を読んでくれただろうか。きっといい人生をその後、送ってくれたに違いない。

| | コメント (0)

2020年10月10日 (土)

「ラブオイル」は不滅だ!

1991年の『薔薇族』5月号No.220に載っていたぼくが書いた記事がすごい。

 

「不思議な光を放つ<シアター・ミラ>」とタイトルがついている。

 

現在この劇場があるかはわからないが、ぼくが名付けた劇場だから、今もあるなら嬉しいけれど、時代の変化が激しい時代だったからどうなっていることか。

 

「東京一の出会いの場・新宿に誕生!と『薔薇族』4月号に記事が載ってすぐに読者がわっと押し寄せて、土日は超満員になってしまった。

 

ところがビルのオーナーから要望があって、「コメディシアター」という劇場名を改めることになった。そこで劇場側から、ぼくに急遽劇場名を考えて欲しいという依頼があった。そこもあまり、こっちの世界がストレートにわかる劇場名でなくて、ロマンティックな星の名前がいいということだった。

 

ぼくの長男が学生時代に読んだ本が、我が家に残っていたので探してみたら、社会思想社刊の草下英明著『星座の楽しみ』という文庫本が出てきた。

 

「ヘラクレス」とか「ペガサス」とか、いい名前はあるけど、みんなどこかのバアの名前になっている。

 

ダメかなと諦めた気持ちになってきたときに、ぼくの目に飛び込んできたのが、「ミラ」という星の名だった。ラテン語で「ふしぎ」の意味があり、「ふしぎな光」を放つ星だという。これだ!と思った。

 

「シアター・ミラ」は、すぐに決まった。劇場側の社長さんも喜んでOKしてくれて、すぐに看板や、チラシ類、広告まで書き換えが始まった。

 

何の関係もない劇場だけど、それこそ「ふしぎ」なご縁で、劇場の命名までしてしまったぼくとしては、この劇場が大盛況で、文字通り東京一の「出会いの場」になってくれないと困るのだ。

 

劇場側としても、ホールや、トイレなどの照明を落としたりして、出会いの場にふさわしい、ムード作りに懸命だ。

 

映画の他に実演などのイベントも次々に企画している。オールナイトの日もできるだけ増やすそうだから、2丁目で遊びすぎて終電車に乗り遅れたら、ゆったりとした椅子で朝まで過ごすのもいいだろう。

 

とにかく地方の人も状況したら、ぜひ立ち寄ってもらいたいものだ。」

 

 

『薔薇族』の宣伝効果は抜群だ。広告を載せると地方の小都市のバアでも、すぐにお客がやってきたようだ。『薔薇族』の信頼度が高かったからだろう。

 

40年ぐらい前に『薔薇族』から発売した「愛の潤滑液・ラブオイル」は、雑誌は廃刊になってしまったけれど、今でも大手のゲイホテル「24会館」「北欧館」ポルノショップなどでも売れている。ありがたいことだ。

 

ぼくのあだ名が「ラブオイル校長」なんて付けられてしまったくらいだ。どれだけ助かっているかわからない。

 

コロナの影響でどこのホテルも苦しんでいたようだが、徐々にお客が戻ってきているようだ。

 

ネットでも買えるので、ぜひ、使って欲しいものだ。

| | コメント (0)

2020年10月 1日 (木)

「文ちゃんと語る会」のお知らせ

あの暑い夏も去って涼しくなってきました。

足腰を鍛える運動の効果があったのか、なんとかカフエ「織部」まで歩けるようになってきたので、しばらくぶりに「文ちゃんと語る会」を再開します。

長生きしていると、友人・知人がみんなこの世を去って、話し相手がいなくなり、寂しい限りです。

 

ぜひ、ご参加ください。

楽しくおしゃべりしましょう。

 

日時・10月31日(土) 11時~13時
場所・下北沢南口から4分、カフエ「織部」
住所・〒155−0031 世田谷区北沢2—2—3
電話・03—5432—9068
会費・コーヒー代のみ

 

★初めての方、女性の方、大歓迎です。お気軽にお出かけください。

| | コメント (2)

« 2020年9月 | トップページ