文通欄が一番読みごたえがある!
読者のひとりとして、親しくお付き合いしてきたAさん。お金持ちでロールスロイスに乗っていた方で、何度も乗せてくれ、豪邸の自宅に招いてくれて、御馳走してくれていた。
もう何年も前に亡くなられているが忘れられない方だ。奥さんや子供さんも何人かいたので、ゲイであることを隠しておられた。
ぼくは『薔薇族』を創刊したときに、まず考えた事は、仲間を見つけにくい人たちのために文通欄をもうけて、地方の人でも仲間を見つけられるようにしたいという気持ちが強かった。
ネットなんてものがなかった時代だから、途方もなく時間がかかったけれど、それしか方法がない。
幸いなことに女房は若いころ手紙の宛名書きを仕事としていたぐらいだから、手紙の宛名書きは早かった。午前中にどかっと手紙が届くと夕方までには、名簿を見て宛名を書きポストに入れていた。
Aさん、直木賞を受賞しているくらいの作家だが、『薔薇族』の中で一番注目しているコーナーは「薔薇通信」だという。
針金とじの初期の頃の『薔薇族』は、隔月刊だったから、文通欄への投稿は、長いものもあり、短いものもありで、いちいち清書して印刷所に原稿を入れていた。
字数を決めて書き込む頁を作ることを思いつかなかった。それが文通欄に投稿する頁を作り、回送券も5人までに送れるようにした。一冊の『薔薇族』を購入して、何十人もの手紙を送られてきたら大変なことになってしまうからだ。
Aさん、こんなことを書いている。
「『薔薇族』の中で、もっとも読みごたえのあるのは「薔薇通信」ではないかと思う。
わずか百三十字あまりの通信文ですが、「文は人なり」というように、わずか11行の中に、私はひとりの人間の教養の程度から欲情の起伏から、はては人生態度まで読み取ることができます。あれをうまくつなぎ合わせていくと、ダイヤモンドのきらめきを持った人間像が浮き彫りにできるのではないかと想像を逞しうしています。
そうおっしゃるのなら自分でも小説に書いてみたらどうですかと言われそうですが、そういう野心がないわけではありません。
なら自分がそのモデルになってあげますよという人と、自分こそあの渋谷の書店の青年に匹敵すると思う人は、文学さんを通じて私に申し出てください。
最後になりますが、『薔薇族』も百五十号目を迎える由、今後も多くの「迷える仔羊」たちのために良き道標となってください。」
Aさん、若者にもてるタイプの人ではなかった。理想の若者と出会えなかったのでは。
Aさん、自分が亡くなっても一銭も税金をとられないようにしていると、おっしゃっていたが、亡くなってから何年かして、国税局に何億円もの税金を納めさせられたと新聞に報じられていた。日本の国税局ってすごい。
東大を出られたぐらい頭のいい方だったのに。
一番多い時は千人もの人たちが文通欄に投稿し、相手を求めていた。文通欄に投稿したいと思うものの家族がいてできなかった人もいたに違いない。
1984年の12月号の『薔薇族』。
「世間を気にしながら生きてついに30代。ひとり2LDKに住んでいると、無性に童顔で清潔な感じの弟がほしくなる。
誠実で少し面白い、筋肉質のサラリーマンタイプの兄を求めている25歳くらいまでの弟君、手紙ください。がっかりさせないつもり」
板橋区に住む自然流君の投稿。どんな出会いがあったのだろうか。
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