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2020年11月21日 (土)

親友だったらもっと長生きしてほしかった!

ぼくの親友と呼べる男は、国学院大学教授の阿部正路だろう。彼の死は早すぎた。彼だけではない、多くの友人、知人があの世に旅立って、今のぼくには話す相手が誰ひとりいない。『薔薇族』の創刊4周年記念特大号に『薔薇族考』を阿部正路君が寄稿してくれている。

 

文章が長いからその一部分を書き記しておこう。

 

「伊藤文学君との思い出は尽きない。

 

最初に伊藤君と会った頃は、伊藤君は駒澤大学の学生で、ぼくは國學院大学の学生であった。駒澤大学はもと馬引沢と呼ばれていた土地に建っているのだが、ぼくはすぐ近くの深沢に住んでいた。僕らは奇妙なほど気があった。親友同士として自他ともに許し合う仲であった。

 

伊藤君は佛教を学ぶ大学に通い、僕は神道を建学の精神とする大学で学んでいたのだから、いわば神仏混淆の友人だったといってよい。伊藤君はむろん頭の毛を剃り落としていたわけではなく、有髪の青年だったから、ちょっとした毛坊主といったおもむきがあった。毛坊主は高い宗教観と俗世観との間に立って、さまざまに人を救い続けた人たちの総称であった。

 

だから伊藤君になんとなく毛坊主のイメージを抱いたとしてもさほど的外れではなかったわけである。しかも大変都会的に洗練されているのだから、いわば生粋の江戸っ子の家筋に生まれたといえようが、実際には僕は秋田市に生まれて育ち、遠い祖先は東北人なので、根は土俗的な人間である。その僕に伊藤君は次々と新しい世界を見せてくれたのである。

 

街の毛坊主は、僕を赤坂のナイトクラブや新宿のキャバレーにも案内してくれた。二人はいつもそこで静かに語り合って別れるだけなのだが、時間がありさえすれば、遠い地方の山間や海辺を旅行し、あとは自宅の書斎と大学の間を往復するのがほとんどの僕にとって、そこは目も眩むほどのきらびやかな世界なのだ。そうした世界の中でもっとも強烈に残っている印象は、あるすぐれた若い創作舞踊家の踊りの姿である。

 

街の毛坊主は時として、その創作舞踊家の裸体の照明係ともなった。時として街の毛坊主自身も舞台で踊った。

 

街の毛坊主は、その創作舞踊家のための舞台装置や衣装についても考えぬき、助言もしていたはずである。その創作舞踊家を育てたのは、ほかならぬ伊藤文学君であった。

 

多摩川を超えて、柿生の丘陵に遊びました。光っているすすきをわけて歩きました。萩の花もきれいでした。「あざみの花が一番好き」彼女はそんなことも言いました。どんぐりの実もとりました。人っ子一人いない丘の道は二人の道でした。

 

これは今も僕の手元にある伊藤君の若い日、手記のように長い手紙の一節である。これももう20年も前の思い出のひとこまである。

 

それは夏。伊藤君は東北行きの満員の汽車に乗り、そこで美しい少女と出逢い、その後2ヶ月ばかり経てから再会し、初めてデートしたときの印象の一端なのである。

 

ここには若い日の伊藤君の内面の優しさが溢れている。その後、小さな暗い養父との事件があって、伊藤君はその少女を守り抜こうと決心し、ついには立派な創作舞踊家までに育て上げていったのである。

 

そうしたやさしく強い意志が伊藤君の内部に今も消えることなく存在し続けていることを僕は知っている。

 

人が訪ねてくるとき、まずもってこまごましたプランを示し、そのことが『薔薇族』の友人たちのために守られ続けていることを僕は知っている。」

 

ミカとの出会いから、33歳で事故死するまでの15年間を『裸の女房』にあますところなく描いている。

 

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