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2020年11月29日 (日)

美輪さんの写真を表紙に使うべきだった!

2004年11月号No.382号で、突然太平印刷社から投げ出されてしまった。その前にも2千万ぐらいの印刷の未払金があったが、ぼくがコレクションしていた、フランスの画家、ルイ・イカールの作品を売り払って太平印刷社に支払ったが、また未払金がたまってしまった。

 

太平印刷社としても、これ以上出し続けていれば、莫大な未払金が残ることを心配して投げ出してしまったのだ。

 

皮肉なことに裏表紙にオカモト株式会社の『ニューゴクアツコンドーム』の広告が載っているではないか。

 

ゲイ関係の広告でなく、一般企業からの広告を入れたいというぼくの夢がやっとかなえられたというのに。

 

なにしろ読者に「廃刊にします」と、予告なしだったのだから、発行部数が3千部ぐらいに落ち込んでいたが、『薔薇族』を長い間、支援してくれていた読者には、申し訳がなかった。

 

「帰るべき家がなくなってしまったようだ」

 

と手紙を送ってくれた読者もいたというのに。

 

それから1年後、上野に事務所がある、株式会社メディアソフトが復刊第1号を出してくれた。ありがたいことだった。

 

表向きにはぼくを編集長ということに。社長の田島広道さんが、居酒屋にスタッフを招いて門出を祝ってくれたが、その数十五人ほどでびっくりしてしまった。

 

ぼくがやっていた頃は、社員らしいのは4、5人ほどだったから。

 

ぼくは創刊号の目玉になるものがほしいと考えて、その頃、ベストセラーを出してその著書が売れていた美輪明宏さんにお願いしてインタビューをすることができた。

 

渋谷のパルコ劇場での「黒蜥蜴」の公演前のたった1日だけの休日をぼくと対談することを承諾してくれたのだ。本当に感謝してもしきれない気持ちだった。

 

目黒の雅叙園の豪華な部屋を借り切っての対談だった。この人にしか撮らせない御堂義乗カメラマンが写真を撮ってくれた。

 

ぼくとふたりだけだと思ったら、メディアソフトの社員、5、6人が美輪さん見たさに押しかけていた。

 

人間落ち目になると見すぼらしくなる。それではいけないと、ふんぱつしてスーツを新調して対談にのぞんだ。

 

復刊第1号と2号にわけて掲載したが、表紙はこわい顔の魅力のない若者の写真だ。「復刊記念特別企画・聞き手伊藤文学・美輪明宏ロングインタビュー」とある。

 

今考えても残念だ。美輪さんの写真を表紙に大きく入れたら、売れ行きが違っていたにちがいない。書店もいい場所に置いてくれただろう。そうなれば女性の美輪さんファンも買ってくれたのに。

 

社長がぼくに思った以上の給料を出してくれたので、ぼくは大ハッスル。美輪さんとのインタビュー、「伊藤文学が上野男街の歴史を探る。お年寄りを大切にする店、上野Bar「上野はやし」のマスター・林さん」

 

新宿2丁目の「ゲイバア「タミー」のママに聞く」と、「伊藤文学のひとりごと」と「編集室から」と書きまくった。

 

だが広告が少ないのに、その頃、勢いのあった「バディ」に対抗するために、お金をつぎこんだのに、太刀打ちできなかった。

 

7、8号出して廃刊に。何千万円か損をしたのでは。編集長は表向きだけで、ぼくには発言権はなかった。

 

復刊2号の「伊藤文学のひとりごと・335」「森茉莉さんが座っていた椅子」「カフエ邪宗門」の記事はなつかしい。

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