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2021年1月

2021年1月25日 (月)

お国が最後まで面倒をみてくれます!

『薔薇族』創刊5周年記念号・№42の「人生薔薇模様」欄の中の読者の投稿「独身のまま老境を迎えて」を紹介したい。51歳で老境という時代だった。(今から45年前)

 

「私は結婚というものをとうとうしないで、51歳になってしまった。女の人を好きになれなかったので、ひとりで生きてきたのです。

 

女は好きでなかったけれど、男は好きでたまりませんでした。でも私は相手に自分の気持を伝えたことはありません。相手から軽蔑されたり、嫌悪されるのが嫌だったからです。私はいつも自分の気持ちを抑えて精神的なものに昇華していました。寂しかったですね。

 

私は普通の会社員生活を送った、まじめ人間です。酒ものまない人間ですから、バアなどにも行ったことはありません。もし酒が好きでバアなどにも気軽に行ける人間であったなら、そういうところで同好の人と知り合いになれたかもしれませんが。

 

私が今まで知り合いになった同性は、皆職場で一緒に仕事をした人たちです。そういうところでは恋愛感情などというものは、いっそう抑圧しなくてはなりません。それに職場の人間関係というものは複雑です。

 

相手の嫌な面を見る機会が多くなります。自分の嫌な面も相手に見られることがあります。ですから私は職場で好きな人ができても、自分の気持が燃えながらも冷めてしまうのです。

 

こうして私はいつも孤独でした。親、兄弟は病死して、もうこの世にいません。年老いてくるにつれ、私は寂しさがひしひしと身に迫ってきます。

 

そして、このごろ身体の衰えを感じますので、自分が病気になったらどうしよう。床に就いたら誰が自分の世話をしてくれるのだろう。死亡の時はどうなるのだろう。後始末は誰がしてくれるのだろうと、そんなことばかり考えて、一日として気持ちの晴れる日はありません。

 

一生独身で通した人は、寂しさと闘うことも大変ながら、老後の問題、病気の時、死のときのことが、大きな課題として残されていると思います。

 

皆さんはどう考えてらっしゃいますか。良い方法があったら、誌上で教えて下さい。同じ悩みを持つ人々が、互いに助け合う会を作ったらどうかなと思います。

 

寂しさもいやされるし、いざというときは助け合えるし、でも、会を作るとなると、自分がホモであることを公表しなくてはなりませんし、また同好の人の中には、いろんな人がいると思いますし(いい人、まじめな人ばかりではないのでしょうか)会を作りにくいのではないかと思われます。(東京都・悩める初老の男)」

 

ぼくは他人に使われたことのない人間なので、職場での人間関係はまったくわからない。良かったのか、悪かったのか。

 

「人生薔薇模様」のコーナーは、投稿することによって、少しは気持ちが楽になるメリットがあったのでは。

 

この人と同じような毒syがどれだけいたことか。日本の場合は、相談を勇気を持ってもちかければ、お国が最後まで面倒をみてくれるだろう。

 

ぼくの心臓病で32歳で亡くなった妹の亭主は、最後は生活保護を受け、昨年亡くなったが、お国が面倒を見てくれたようだ。

 

独身を通して最後を迎える読者がほとんどだろうが、お国の力を借りることになるのでは。

 

日本はありがたい国だ。

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2021年1月24日 (日)

生きていてよかった!

株式会社ラピュタ阿佐ヶ谷の支配人・石井柴さんから、ありがたい手紙が送られてきた。

 

昭和40年の秋の芸術祭参加作品になった日活の『ぼくどうして涙がでるの』(1965年・今から56年前に刊行されたぼくと妹・紀子との原作)を座席数48のちいさな映画館で上映してくれるという。

 

2月14日(日)〜16日(火)4時40分、一般¥1300、シニア・学生¥1100

 

杉並区阿佐ヶ谷北2-12-21(阿佐ヶ谷駅北口徒歩2分)TEL:3336-5440

 

十朱幸代さんが初主役・ぼくの役は佐藤英夫さん。ぜひ、ご参加を!

 

ぼくも参加して、芳っちゃんに捧げる詩を朗読します。

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2021年1月23日 (土)

女性の方が理解してくれたようだ!

「女性だって応援しています」の投稿。

 

女性の同性愛の雑誌がなかった時代、『薔薇族』を読んでくれていた女性も多かったのでは。

 

「私のような女性から手紙があることは、そうよくあることでもないでしょうが、2年前に購入した『薔薇族』を何度も読み返して、そのたびに新鮮な感動があるので、とうとう手紙まで書きたくなりました。

 

私はおそらく同性愛に関しては、一般の人以上に偏見がないので、私の意見が一般論だとは言えないのですが、一女性の男性間の同性愛に対する考えを書きたいと思います。

 

「ホモ」という言葉を聞くと、私は胸をつかれたようにどっきりします。

 

これが本当にホモの人ならば、もっと激しいショックと苦しみを味わっているのだろうと思います。最近のマスコミはホモというものをなんの理解も共感もなしに、ただスキャンダルとして面白半分に取り扱っています。

 

こんなに残酷なことがあるのでしょうか。これらの発言で同性愛の人たちがどれほど傷ついているかと思うと、とても心配です。同性愛への偏見がマスコミによって、かえって強められているのではないかとも思えるのです。

 

私がなぜ同性愛に関心があるかと言うと、私の心の中に多分にその要素があり、その対象があまりにも背徳的な人だったので、罪の意識と、そのためにかえって強まる情熱に苦しんだことがあるからではないでしょうか。

 

ホモの人たちが同じように苦しんでいるのか、もしかしたらまったく異質の苦しみなのか、それはわかりませんが、共感は感じられるのです。

 

「理解している」とは決して言えないのでしょうが、理解したいと望んでいるのです。私の友人にもホモ的要素のある人がいますが、彼は自分自身をあざむこうとしています。そのように彼に勇気を与えることさえ、私にはできません。もしかしたら女が深入りすることをホモの人々は本当に嫌悪するかもしれません。しかし、私は単なる好奇心ののぞき趣味や、ひやかしで言っているのではなく、決して異常でない同性愛を自分から闇へと引きずり込むことをしたくないだけなのです。

 

人間はここにこうして存在しているかぎり、その人が同性愛者であろうと、三つ目ののっぺらぼうであろうと、異常とは言えないのです。と理屈をこねても現実はままならず、私の力説を友人たちは笑って本気にしませんし、また世間の同性愛、とくにホモの人たちに対する姿勢は冷たいままです。

 

私は同じ人間がなんらかの理由で差別を受けることに我慢ができないのです。アメリカのボールドウィンは私の大好きな作家ですが、彼は黒人で同性愛者で、いろいろと精神的な苦悩を通ってきた人なのですが、彼みたいにある才能で自分を世間に認めさせ、自分のその苦悩を芸術に高められる人は幸せなほうだと思います。もっと多くの人が救われれる日(決して同性愛者でなくなるという意味でなくて)が来ることを私は望んでいます。

もしくは才能ある啓蒙家が出る必要があると思います。その意味で伊藤さんの仕事はすばらしく意義のあることだと言えると思います。

 

ともかく伊藤さんのお仕事に感動し、感心し、感謝までしたい気持ちの女性がいることを覚えていてください。(東京都・M・S)」

 

女好きの男は同性愛者を気持ち悪いと思うだけで、ぼくの仕事に協力する人はいなかったが、女性のほうがよく理解してくれていたようだ。ありがたいことだ。

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2021年1月11日 (月)

「暴れん坊将軍」の中で生き続けている!

ぼくはもう何年も時代劇にはまっている。世田谷文学館が創立されたころ、友の会を立ち上げようということになった。

 

10人近い人が役員になったが、その中のひとりにぼくも。東方の映画監督から、テレビの時代になって、「鬼平犯科帳」などの監督になった高瀬昌彦さんもそのひとりだったので親しくなった。

 

その後、会長もあの世に去り、役員会も立ち消えになってしまった。

 

「鬼平犯科帳」の原作者、池波正太郎さん、子供さんがいなかったようで、版権の所有者は、めい子さんになっている。

 

不思議なえんで、そのめい子さんのご主人と知り合い、画家だったので『薔薇族』の表紙絵を描いてもらったこともある。

 

時代劇はよくできている。『暴れん坊将軍』は、松平健さんの当たり役で、視聴率もよかったのだろう、多くの作品が残っている。原作はないようで、脚本家が才能のある人で、じつに面白い作品になっている。

 

最後は悪いやつが斬られるのだが、必ず30人ほどの斬られ役の役者が登場する。その中のひとりが福本清三さんだ。

 

「5万回斬られた男」と題して、その死を新聞が報じている。1日、肺がんのために死去した。77歳だった。

 

兵庫県生まれで、15歳で東映京都撮影所に専属演技者として入所、映画『野球一族の陰謀』やテレビ『暴れん坊将軍』『水戸黄門』など、時代劇を中心に出演し、派手に後ろ向きに倒れる、鮮やかな斬られ方で人気を集めた。

 

2003年に米映画『ラストサムライ』に出演。04年には第27回日本アカデミー賞協会特別賞を受賞した。14年の映画「大秦ライムライト」で初めて出演を務め、カナダの第18回ファンタジア国際映画祭の最優秀主演男優賞に並ばれた。

 

時代劇の撮影で、斬られた。「お前死に方が上手だな」。主役の萬屋錦之介に声をかけられたという。「芝居が上手ということだよ」とも。うまい芝居をしている意識などなかった俳優・福本清三さんは、その言葉で斬られ役の誇るべき面に気づいたという。

 

斬られて倒れると薄目をあけて、他の俳優の斬られ方を学んだ。洋画からは笑いを誘うチャプリンの倒れ方などもヒントにした。無念の思いを残すように倒れる独特の斬られ方を編み出している。

 

2021年1月6日の東京新聞「筆洗」から引用させて頂いているが、ベテランの記者が書かれている短い文章で、福本清三さんの生涯が見事に描かれている。

 

死に方、斬られ方という脚光を浴びない脇役の場所に、独自の美学を築き上げた福本さんが77歳で亡くなった。

 

大部屋時代は一日十本の出演も珍しくない。名前もセリフもない役ばかり。そこから磨いたのは他人を輝かせる演技だった。「斬られずにいかず、斬りにいく。そうしないと斬る側が目立たない」

 

50歳になるころから注目されるようになった。テレビ番組で知ったという中学生からは「感想文」が来た。「どうせ補欠やと腐ってたけど、福本さんを見て、努力すれば絶対にレギュラーになれると思いました」「底辺でも一生懸命やることがいかに大事かわかりました」

 

スターよりも多くの人を励ました役者かもしれない。

 

ぼくは長いことセリフがなかったころから「暴れん坊将軍」を見続けているので、福本さんは、ぼくに生きる勇気を与えてもらった。

 

福本さんは、この世にいなくても、「暴れん坊将軍」の映像の中で生き続けている。

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2021年1月 9日 (土)

駒大・逆転優勝! 感動した!

「駒大逆転 箱根駅伝」総合優勝を決めゴールテープを切る駒大の石川拓慎(3日午後東京大手町の読売新聞社前で)。読売新聞の4日朝刊1面に。

 

「創価大と2分21秒差でスタートした駒沢大は、山下りの6区で2位に浮上。創価大は9区で3分19秒のリードを奪ったが、駒沢大のアンカー石川拓慎(3年)が猛進。残り2キロ付近で逆転を果たし、優勝を決めた。」

 

母校、駒大は数年前だったろうか、へんなものに投資して、百何十億円かのお金が詐欺にあい、パアになってしまった。

 

そのおかげで長年続いていた駒大国文科の同窓会が卒業生に出す郵送料をもらえなくなり開けなくなってしまった。

 

理事長はじめ首脳陣が責任をとって辞め、新しい首脳陣になったが、曹洞宗の宗門にそんなに人材がいるわけがない。暗いムードが学内にただよっていた。それが創価大の9分どうり優勝と思っていたのが、最後の最後での逆転勝ち。

 

感動することなどなかったのに、ガッツポーズで1位のテープを切る駒大の姿を見て、学生たちも、卒業生もみんな明るい笑顔を浮かべたに違いない。

 

正月早々の箱根駅伝での優勝は、多大の宣伝効果をもたらす。駒大は地の利を得ているので、新入生が集まらないということはないが、監督や、選手たちがテレビの報道番組にあちこちで出演。

 

青山学院大学の監督は、その後、スター気取りに。おごれるもの久しからずで、今年は優勝できなかった。

 

読売新聞2面の「顔」欄に、駒沢大監督の大八木弘明さん(62)が紹介されている。

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「「男だろ!」。そう運営管理車から選手にかける熱い叱咤は健在ながら、今年は変化があった。「今日はいいぞ」。褒め言葉を交えて背中を押し、13年ぶりに箱根を制した。(中略)

 

選手に寄り合い、サウナで語り合った。この春には年齢を理由にやめていた自転車で並走しての指導を6年ぶりに再開。選手は話しやすいと慕い、6区区間賞の花岡悠紀選手(3年)は「第2の父」と言う。

 

卒業生から「優しくなった」と茶化されるが、そんな自分も気に入っている。」

 

運動部・後藤静華さんの文章もいい。写真は早坂洋治さん。いい表情をとらえている。

 

記事には奥さんのことは書かれていないが今度の優勝のかげの力は、監督の奥さんの力があったことを忘れてはいけない。

 

合宿している選手たちの食事は奥さんが調理しているようだ。

 

多くの選手達の健康に注意して、スタミナがつくような食事を一日、三度も調理することは大変なご苦労だ。

 

手伝う人は何人かいるのだろうが、あきないように調理することは大変なことだ。

 

監督は選手たちを「子供たち」と呼ぶ。夫婦が選手たちを自分の子供のように思って接しているということだ。

 

監督と奥さんの人柄がいい。選手たちの親も安心して子どもたちをあずけているに違いない。

 

今度の優勝は、選手の両親、親族たちがどんなにかよろこび、誇りに思ったことか。

 

また、卒業生がぼくをふくめて、どれだけ感動し、生きる力を与えてくれたことか。

 

他の運動部の学生たち、野球部は最近元気がないが、負けてはならずと頑張るに違いない。

 

88歳のぼくだって、いつゴールするかわからないが、最後の最後までの勇気をもらうことができた。

 

優勝おめでとう! こんなにうれしく感動したことは、最近なかったことだ。

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2021年1月 2日 (土)

なんとしてもコロナに打ち勝たねば!

多くの人に支えられ、「米寿の祝い」も、三軒茶屋の銀座アスターで、50人もの友人知人が参加してくれて、盛大に祝うことができた。

 

世田谷区も老人をいたわってくれて、椅子にもなる手押し車をくれたので、それを押して毎日、下北沢のスーパーに買い物に行ったり、カフエにもいくことができている。

 

風呂場にはつかまることができる、丈夫なものをとりつけてくれたので、風呂桶から立ち上がることができている。ありがたいことだ。

 

日曜のたんびに車で迎えに来てくれて、どこにも行けずにいるぼくを連れ出して、自宅でぼくには見れない、アメリカや中国、韓国などのニュースを見せてくれる田中英資さんには感謝のしようがない。

 

ありがたいことだが、一日に何時間も諸外国の様子をネットで見ているので、それをしゃべりまくるので、他所の国のことなど興味をもたないぼくは、眠くなってしまう。

 

昨夜はピアニストで、ご主人を亡くしてひとりで麻布十番のマンションに住んでいる、ケイ子さんの自宅に連れて行ってくれた。

 

百歳近い老人で、今でもヴァイオリンを弾く方もきていて、おどろいたことに顔にシミひとつない若々しい方で、おひとりで生活していて、杖もつかずに電車に乗っているそうだ。

 

もうひとりのお客さんは、ベトナムに住みベトナム人の奥様がいて、事業をしている方のようで、ベトナムの奥さんから電話が入り、映像も見れるので立派な家に住んでいるようだ。

 

ケイ子さんも、ぼくの女房が着ていた洋服を着てくれていて、体型が似ているのでよく似合いありがたいことだ。

 

よくベトナムに行き来している西山さん、やはりベトナム人の奥さんがいて、今、帰れなくなっているようだが、この人もぼくが着ていた派手なセーターを着てくれている。

 

田中さんもぼくの着ていたシャツと、カーディガン、ケイ子さんも女房の着ていたもの、西山さんもぼくのセーター、妙な気持ちにさせられてしまって……。

 

スウェーデンから持ち帰ったシャンデリアが3つも天井からぶさがり、豪華な鏡が三面、扉の外にちょこんと三毛猫が。いつもえさを与えているのだろう。

 

今日はお客さんのえさ?で大変なので、猫ちゃん、あきらめてどこかへ行ってしまったが。

 

千葉のホテル三日月が、ベトナムに豪華なホテルを作り、そこにピアノを持っていって、ケイ子さんがお客さんにピアノを聞かせるそうだ。

 

コロナ騒ぎがおさまらないと実現しないが、長いアメリカとの戦争に勝ち、復興したベトナム。一度訪ねてみたいものだ。すこぶる親日の国民だそうだ。

 

国民の半数が農業に従事していて、素朴な国民のようだ。とにかく戦争はすべてを破壊してしまう。平和ということがどんなに大切なことか。

 

東京の下町は、アメリカのB29の爆撃で焼け野原に。そこから立ち上がった日本。もう二度と戦争はごめんだ。

 

それがなんとコロナとの戦い。今年の正月は出歩かないで、なんとしてもコロナをふさぎこまないと。

 

令和3年、血圧も薬を飲んでいるので平常値に下がり、まだまだ元気。

 

今年もブログを書き続けますので、ぜひ、読んでください。

今年もよろしく。

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