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2021年5月22日 (土)

短歌と出会えて幸せだ!

ぼくの短歌の作品を絶賛してくれた「令和」の名付け親、万葉集研究の権威の中西進さん、駒澤大学在学中、斎藤茂吉の弟子で歌誌「白路」の主催者の森本治吉教授に短歌を作ることを教えてもらったことだけがよかったことだ。

 

短歌との出会いがなければ、今日のぼくはない。国文科に入学したものの、万葉集や、源氏物語を読むことはなかった。

 

読書をまったくしないぼくに卒業論文を書けるわけがない。森本教授はぼくのことを心配して父に手紙をよこしている。

 

「大学院に入り、そこで卒論を書けばいい」と言ってくれたが、大学院に入ったからといって卒論を書けるわけがない。

 

ぼくは卒業式までいたが、卒論を書かなかったので卒業証書をもらえないままに終わってしまった。

 

だからぼくの著書の略歴に「駒澤大学を出た」とだけ記している。それが年を経て、卒業証書をもらえたのだから、ありがたい大学だ。

 

日活で映画化され、ベストセラーにまでなったぼくの著書『ぼくどうして涙がでるの』が、君の卒論だよと言って、2、30年経ってから卒業証書をくれた総務課の恩人のお名前を思い出せない。

 

中西進さんが絶賛してくれた、ぼくの恋の歌、その恋のお相手が阿部弥寿子さんだ。

 

代沢小学校の一年後輩で、わが家から100米ぐらい離れたところに住んでいた。彼女は子供のいないおじさん父母のところに山形の貧しい農家からもらわれてきた養女だ。弟さんも養子になっているのだから、兄弟は5、6人いたのかも知れない。

 

小さい時にもらわれてきたのだから、本当の母親だと思って甘えていた。それが小学校4、5年のころ、近所に住むお節介やきのおばさんが「あんたはもらいっ子だよ」と言ってしまった。それから母親と距離をもって見るようになってしまったという。ひどい女がいたものだ。

 

彼女の家にどうして出入りできるようになったのか記憶にない。粗末な平家の家だったが父親は都電の運転手だった。

 

母親は酒好きで坂を降りてきた道路の向かい側に居酒屋があり、そこにいりびたっていた。

 

弥寿子さんは、高校は曹洞宗が経営する「駒沢学園」に入学し、駒澤大学のすぐそばに校舎があった。

 

その頃は三軒茶屋までバスなどなく、じゃり道を歩いて30分はかかった。弥寿子さんも同じ道を歩いて三軒茶屋から玉電に乗って、「駒沢」で降りる。駒大から反対側にあり、駒大から15分ぐらいで歩いていける。

 

その頃の駒大は女子学生は、4、5人、ブスばかりだ。そのうちのひとりは助教授と結婚してしまったから、残るは数人。

 

休み時間になると、その数人の女性を男たちがとりかこんでいた。その頃、近所の高校、大学で詩を作る人が多かった。

 

父が『現代詩鑑賞』明治・大正・昭和編を出版していたので、父の使い走りで、多くの詩人たちの家を訪ねていた。

 

大江満雄さんの家を訪ねたときなどは、この人、話好きで、初対面なのに何時間も話を聞かされてしまった。トイレに行く時にも接続詞を残すということだ。

 

多くの詩人と知り合ったことで、駒大の講堂で、詩のコンクールを開いたことがある。

 

近所の高校、大学から多くの作品が寄せられた。その中から優れた作品を選び出して朗読することに。朗読を駒沢学園の文芸部の女性たちにお願いした。その中に弥寿子さんもいたのだ。

弥寿子さんのことはまだまだ書ききれない、美しいだけでなく、気品がある女性だ。弥寿子さんと知り合えてぼくは幸せ者だ。


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コメント

文学先生更新ありがとうございます。
永遠にお話は尽きることはないと思います。
これからもよろしくお願いします。

投稿: keiko.f | 2021年5月23日 (日) 13時01分

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