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2021年6月

2021年6月26日 (土)

おさげ髪の少女に会いたかった!

ぼくの大好きな唄に「白い花の咲くころ」がある。おさげ髪の少女が唄われている。一度、おさげ髪の少女に出会ってみたいと、思い続けていたが、果たせなかった。

 

ぼくがほれこんだ看護婦さん、たしか19歳だったと思うが短髪だった。今、下北沢の街を歩いていても、おさげ髪の少女に出会うことはない。おさげ髪は過去の髪型なのだろうか。長い髪の毛の少女で、おさげ髪にしてくれる少女はいないものだろうか。

 

「令和」の名付け親、中西進さんが、ぼくの恋の歌を絶賛してくれたが、その相手の女性は阿部弥寿子さん。わが家から百米ほど離れたところに住んでいた。

 

どうして弥寿子さんの家に入り込めるようなったのかは忘れてしまっているが、平家の粗末な家だった。お父さんは都電の運転手だったと思う。

弥寿子さんは養女だった。弟さんも同じ農家から養子になったのだから、おそらく、5、6人も子供がいたのだろう。

 

小学校の3、4年のころ、近所のおせっかいなおばさんから「あんたはもらいっ子だよ」と言われてしまい、それから甘えていた母親を離れて見るようになってしまったそうだ。

 

中西進さんが絶賛してくれた、ぼくの恋の歌。

 

  光る鋪道をうつむき寝たる君を見て手に持つ鞄を小脇に抱ふ

 

  一つ顔を想ひ描きて歩みゆく鋪道に軟き部分を感ず

 

  君がため購ひきたる奎の鉢そのままになりて幾日もあり

 

  冬の日にぬくむ石堀に沿ひてゆくひとつの顔を想ひ描きて

 

  扉を開くるをためらひて君は植え込みの葉をむしれるを見たり

 

  スクリーンに目をみはりゐてたまたまに飴の一つを君が手にのす

 

  足早に帰る人らが意識にあれど去り難くして君とたたずむ

 

  影と影が引き合ふさまに似し心にて一つのベンチに寄りそひてゐる

 

  たんぽぽの白く呆けてとぶ中に君を立たしめ写真を撮りぬ

 

 あんなに美しく、上品な女性がご主人が早死にしてしまったあと、ひとりでいられたのは、彼女は男をあまり好きでない人だったからだ。

 

 ぼくにしても彼女の手を握ったことなく、ただカフエでおしゃべりするだけだったが、それで満足だった。

 

 阿部弥寿子さんと出会えて、ぼくは幸せだった。駒大には女性は4、5人しかいなかった。その頃、詩を作る学生が多かったので、近所の高校、大学の学生の詩を募集して、コンクールを開いたことがある。

 親父が「現代詩鑑賞」という本を出していたので、親父の使い走りで当時の詩人たちと面識があった。

 

 詩人を招いて選をしてもらい、それを駒沢学園の阿部弥寿子さんなどに朗読してもらった。

 弥寿子さんは舞踊部にも所属していて、なにかあると講堂で踊ってくれた。あのときの弥寿子さんの踊っている姿は忘れることはできない。


 後に舞踊家として活躍した先妻のミカと出会ったのだから不思議な話だ。

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2021年6月19日 (土)

コロナウイルスが世の中を変えてしまった!

朝日新聞夕刊の「現場へ!ゴールデン街 結束したのに 店の社交場 コロナ禍の1年」の小泉信一記者の記事は読みごたえがある。

 

ぼくはお酒を飲まないので、居酒屋に行ったことはない。新宿歌舞伎町の新宿ゴールデン街には行ったことがない。

 

ただ新宿2丁目地下の「タミー」だけは女房のお気に入りの店なので、よく二人で行ったことがある。

 

マスターは太って豚みたいな人で、店の壁に豚の絵が飾ってある。従業員は二人いて、ひとりは日劇ダンシングチームにいた人なので、歌も上手だし踊りもうまい。もうひとりの若い人はシャンソンを勉強している。この二人を新潟のロマンの泉美術館に招いてショウをひらいたことが何度もある。

 

そのサービス精神は抜群で、新潟の女性に大受けだった。

 

「4ヶ月がすぎ、再び出た緊急事態宣言。6月に入り「もう黙っていられない」と営業を再開する店も都内でで始めたが、休業中の店はまだ圧倒的に多い。

 

「酒を飲み、語り合う文化がここまで否定されたら、これから先どうなるのか。肩を寄せ合い、誰もが分け隔てなく語り合えるのがゴールデン街だったのに……」

 

常連のエッセイスト吉田類さん(72)は困惑する。」

 

「自粛警察 監視し合う社会」の見出し。悲しい見出しだ。

 

ぼくは買い物に下北沢の駅前にあるスーパーに手押し車を押して、休み休み行っている。マスクはポケットに入れているが、裏通りなので人の通りも少ない。マスクをつけないで歩いていると、通りすがりのおばさんにマスクをつけなさいと注意されたことが2、3度ある。

 

日本人はお国の言うことをよく聞く。街を歩いている人で、マスクをつけていない人はいない。これでは注意されるのが当然かもしれない。

 

「親しかったスナックのママさんが3人も自殺したんです。」店の収入がへることよりも、仕事そのものができなくなることへの落胆が大きかったそうである。

 

一方、東京歌舞伎町のガールズバー。2回目の緊急事態宣言が出た今年以降も10人ほどのスタッフの生活を考え午前0時までの営業を続けたという。東京五輪に出場するソフトボール女子豪州選手団が合宿している群馬県太田市で、夜遅くまで営業しているキャバクラがある。

 

「一度閉めると、開いている店に常連が流れてしまう。店側が危機感を抱くのが当然。いずれにしても、どこも店が閉まっているような光景の方が異常だ」。盛り場に盛り場らしさが戻るのはいつの日か。」

 

「コロナウイルス」、えらいものがひろがってしまったものだ。すっかり世の中変わってしまったようだ。

 

89歳のぼくは、雨さえ降らなければ手押し車を押して、休み休みスーパーに買い物に行くだけの日々だが、若い人たちはどんな生活を送っているのだろうか。

 

一緒に住んでいる19歳の孫は、学校にも行けない。ネットを使って先生が授業をしてくれているようだが、友達もつくることができない。いつまでこんな状態が続くのだろうか。

 

いやな世の中になってしまったものだ。

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2021年6月 7日 (月)

わが家の玄関先に立っている姿が!

株式会社ファンギルトという会社から、山川純一くんの著作権料支払いの通知書が送られてきた。2020年から2021年3月までのものだ。

 

5894円だが、以前はもっと、もっと多かった。これは貴重なお金だ。

 

山川純一(これはぼくが名付けたペンネームだ)彼は原稿を届けに来て、いつも玄関先で帰ってしまう。

 

洗いざらしの白いシャツにジーパン、どんなに勧めても応接間には上がらなかった。何をして生活しているのか、本名、住所、すべて語らなかった。

 

ぼくが支払うお金だけで生活しているようだ。だからハッテン場や、ゲイホテルに行くわけはない。彼の作品はすべて想像で描かれたものだろう。

 

30年もの年月は過ぎ去っているものの、彼の作品を愛して読んでくれる読者がいるのだからすごいことだ。

 

髪の毛が長い、顔が長いことを嫌って、彼の作品を載せるなと、しつこくぼくに言う藤田竜、好みでないものを嫌うのはゲイの人の特徴で、これは仕方がないことだ。

 

作品を『薔薇族』に載せなくしても何ヶ月かは作品を持ってきたものの、さすがに気にしたのか、ぷっつりと来なくなってしまった。

 

『薔薇族』で載せなければ、他の雑誌に持ち込めばいいのに、彼はそんなことをしなかった。それから彼がどうしたのかはわからないが、ぼくはおそらく自殺したのではないかと思う。

 

こんなに多くの人に愛され読まれている作品、もっともっと描き続けてもらいたかった。

 

残された作品は45作品ぐらいだと思う。残念なことだ。

 

彼の作品を集めた単行本、確か3冊ぐらいだったろうか。女性の社長の出版社で出してくれたが倒産してしまった。

 

その残された本を全部、ぼくは買い取って倉庫に山積みにしていたが、ポルノショップに置いてもらうと飛ぶように売れて、数年で全部売れ切ったのだから、すごい人気だ。

 

山川純一くん、素晴らしい才能だった。30年も経っているのに忘れられず、多くの人が読んでくれているなんて。女性にも人気があるようだ。

 

今でも目をつむると、我が家の玄関先に立っている彼の姿が目に浮かぶ。こんな劇画作家って他にはいないのでは。

 

5894円の支払い通知書を見て、彼に出会ったことはありがたいことだ。

 

復刊ドットコムから出版された、1冊5000円もの分厚い本が、版を重ねて一万部も売れたのだから、驚くべき人気だ。

 

それにしても、もっと作品を書き残してもらいたかった。残念なことだ。

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