おさげ髪の少女に会いたかった!
ぼくの大好きな唄に「白い花の咲くころ」がある。おさげ髪の少女が唄われている。一度、おさげ髪の少女に出会ってみたいと、思い続けていたが、果たせなかった。
ぼくがほれこんだ看護婦さん、たしか19歳だったと思うが短髪だった。今、下北沢の街を歩いていても、おさげ髪の少女に出会うことはない。おさげ髪は過去の髪型なのだろうか。長い髪の毛の少女で、おさげ髪にしてくれる少女はいないものだろうか。
「令和」の名付け親、中西進さんが、ぼくの恋の歌を絶賛してくれたが、その相手の女性は阿部弥寿子さん。わが家から百米ほど離れたところに住んでいた。
どうして弥寿子さんの家に入り込めるようなったのかは忘れてしまっているが、平家の粗末な家だった。お父さんは都電の運転手だったと思う。
弥寿子さんは養女だった。弟さんも同じ農家から養子になったのだから、おそらく、5、6人も子供がいたのだろう。
小学校の3、4年のころ、近所のおせっかいなおばさんから「あんたはもらいっ子だよ」と言われてしまい、それから甘えていた母親を離れて見るようになってしまったそうだ。
中西進さんが絶賛してくれた、ぼくの恋の歌。
光る鋪道をうつむき寝たる君を見て手に持つ鞄を小脇に抱ふ
一つ顔を想ひ描きて歩みゆく鋪道に軟き部分を感ず
君がため購ひきたる奎の鉢そのままになりて幾日もあり
冬の日にぬくむ石堀に沿ひてゆくひとつの顔を想ひ描きて
扉を開くるをためらひて君は植え込みの葉をむしれるを見たり
スクリーンに目をみはりゐてたまたまに飴の一つを君が手にのす
足早に帰る人らが意識にあれど去り難くして君とたたずむ
影と影が引き合ふさまに似し心にて一つのベンチに寄りそひてゐる
たんぽぽの白く呆けてとぶ中に君を立たしめ写真を撮りぬ
あんなに美しく、上品な女性がご主人が早死にしてしまったあと、ひとりでいられたのは、彼女は男をあまり好きでない人だったからだ。
ぼくにしても彼女の手を握ったことなく、ただカフエでおしゃべりするだけだったが、それで満足だった。
阿部弥寿子さんと出会えて、ぼくは幸せだった。駒大には女性は4、5人しかいなかった。その頃、詩を作る学生が多かったので、近所の高校、大学の学生の詩を募集して、コンクールを開いたことがある。
親父が「現代詩鑑賞」という本を出していたので、親父の使い走りで当時の詩人たちと面識があった。
詩人を招いて選をしてもらい、それを駒沢学園の阿部弥寿子さんなどに朗読してもらった。
弥寿子さんは舞踊部にも所属していて、なにかあると講堂で踊ってくれた。あのときの弥寿子さんの踊っている姿は忘れることはできない。
後に舞踊家として活躍した先妻のミカと出会ったのだから不思議な話だ。
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コメント
文学先生のこういうブログは安心とともに癒やしと興味です。私もみつあみの子は見ないです。娘もベリーショートです。
投稿: keiko.f | 2021年6月28日 (月) 07時50分