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2021年7月

2021年7月10日 (土)

くちなしの木の思い出

「くちなしの花 白い花」の歌を聞くと思い出されることがある。その頃、ぼくには「くちなしの花」のようなかわいい彼女がいたわけではない。

 

駒澤大学に入学したのは、戦後、3年が過ぎた頃のことだ。その頃の駒澤大学の校舎は、広い中庭があり、それを囲むように地下1階、地上3階の校舎が建っていた。

 

広い中庭にすみれの花でも植えられていたら、心が和んだだろうが、雑草が生い茂っていた。

 

学校当局が廊下をベニヤ板で仕切って、いくつかの部屋を作り、そのうちのひとつをぼくが部長を務めている文芸部の部屋に使わしてくれていた。

 

ちょうど、今頃「くちなしの花」が咲いていた。「くちなし」の木は、するどい棘があるので、侵入者をふせぐ垣根には適しているのだろう。学園の周りは「くちなしの木」が道路を区切る垣根になっていた。それが2メートルを越す木になっていたから、かなり以前に植えられたものだろう。

 

文芸部の部屋は、2、30人は座れる机や椅子があり、当時の写真を見ると机の上に七輪が置かれている。冷房や暖房などあるわけがない。教授も学生もオーバーを着たまま授業を受けていた。地下1階の教室の寒かったこと。今でも思い出される。

 

今どきの学生は幸せだ、冷暖房は完備し、エスカレーターまでついている学校で勉強しているのだから。しっかり勉強してもらわねば。

 

ぼくは国文科に入学したものの、万葉集や古事記を読んだわけはない。ただ斎藤茂吉の弟子の森本治吉教授が、短歌の結社「白路」を主催していたので、ぼくは入会し短歌を作歌することを学ばせてもらった。

 

先生にはかわいがられて、よく自宅にお邪魔したが、奥様は男っぽい方で先生の面倒を見ない。先生の部屋はゴミ屋敷だった。

 

先生のお弟子さんの若浜汐子さん、お母さんと一緒に住んでおられた。先生は若浜さんの部屋で「白路」の会員の選歌をされていたので、ぼくもよく若浜さんの部屋を訪れて、お手伝いをした。

 

ぼくは勉強はしなかったけれど、短歌を作ることには熱中した。東大の山上会議所で、各大学の短歌を愛好する学生たちが集まり歌会を開いた折に、2年先輩の東大国文科の学生で年号「令和」の名付親の中西進さんが、なんとぼくの歌を絶賛してくれ、のちに歌集を出したとき序文を書いてくれ、結婚したときには仲人も引き受けてくれた。

 

中西進さんがぼくの歌をほめてくれたおかげで、それからのぼくの人生が積極的になり大きく変わったのだから、ありがたいことだ。今日あるのは中西進さんのおかげだ。感謝のしようがない。

 

今、その頃のぼくの短歌の作品を読んでみると、自分でほめるのはなんだがいい作品だ。それは阿部弥寿子さんという、すばらしい女性に出会えたからだ。

 

美しいだけでなく、上品な人だった。好きだと告白したこともなく、手も握ったこともないけれど、ただ話をするだけで満足だった。

 

青春時代に阿部弥寿子さんと出会えたことは、ぼくにとって幸せだった。美人薄明というけれど、若くして弥寿子さんは亡くなってしまった。が、ぼくの心の中では今でも生き続けている。



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