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2021年11月

2021年11月27日 (土)

長田暁ニさんを友人にもったことを誇りに思う!

長田暁ニさん、駒澤大学で同期生だった。彼は児童教育部の部長で、ぼくは文芸部の部長だ。その頃の駒大は学生数が 700名ぐらい。僅かの部費を15ぐらいあったクラブの部長が集まり、けんけんごうごうで、その配分を決めた。

文芸部は一万円だった。一万円というと、なんて僅かなと思うけれど、当時の一万円はかなり使い出があった。

部員、4、5人で温泉に旅行に行ったりしたが、宿泊費は一泊5百円だった。そんな旅行をしても、ガリ版刷りの雑誌を発行することもできた。それが戦後初の「駒沢文学」だった。

6年前の2015年7月15日(土)の東京新聞夕刊が半ページを使って、「戦争が遺した歌」(全音楽出版社)の紹介が載っている。

「ここは御国を何百里」で知られる「戦友」。日露戦争後に作られ、大ヒットした。歌詞に「軍律厳しい中なれど、これが見捨てて置かりようか」と、敵弾に倒れた戦友を介抱するシーンがあり、「軍の規律を乱す」と判断されたためだ。

あるいは鉄道員から歌手に転じ、「九段の母」などの軍国歌謡をヒットさせた塩まさるさん。戦地を慰問して歌うと、あまり感情のこもった声に、兵士たちが母を思い出して次々と泣き出した。

「戦闘意識を削減させる」と、レコードは発禁になり、歌手活動も自粛した。

「戦局が悪化するにつれ、ヒューマンなものがどんどん失われていった。歌に軍部の焦りがそのまま出ている」と長田さんは解説する。

戦後、長くレコード会社のディレクターを務め、数々の歌手や作詞家、作曲家と付き合った。

歌の経緯から制作者の葛藤に至るまで、詳述できたのも、その経験があったからこそ。約800ページの大作に仕上がった。

長田さん、ぼくの著書「ぼくどうしてないだがでるの」がベストセラーになり、日活で映画化されたとき、長田さんにお願いしてレコード化してもらった。

ぼくの作詞は有名な作詞家によって直されてしまったが、映画のタイトルが流れると、そのバックにぼくの作詞した曲が流される、感動的なシーンだった。

長田さん、その著書は500冊にもなるという。これは大変な数字だ。ぼくは駒大の卒業生がどのくらいいるのか知らないが、長田さんこそ、そのトップに立つ人だと思う。

まさに偉大な人物だ。ぼくより2歳ぐらい年上だと思うが、まだまだ元気なようなので、その仕事は続けられるだろう。

すばらしい友人をもって、ぼくは誇りに思っている。

ぼくは10数冊しか本を出していないが、本を出すたびにホテルで盛大な出版を祝う会を催してきたが、長田さんはそんなことをしない。

長田さんが70歳の古希のお祝いの会をされたが、そのときも友人と二人でだ。ぼくは出席したが、駒大関係者はぼくひとりだった。

こんな偉大な卒業生がいるというのに、駒大の広報の人たちは何をしているのか。在校生で偉大な人物の存在を知っている人はいないのでは。

図書館に何年か前に行ったとき、ぼくの本が置かれているのか調べたが、一冊もなかった。長田さんの500冊もの著書は置かれているのだろうか。

今、図書館を建て直しているようなので、完成した頃行って調べてみようと思う。長田暁ニさんの名前を忘れてはいけない。

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