2019年3月23日 (土)

極端に同性愛を嫌う人こそ!

『薔薇族』を取次店に通さないで、直接ぼくが運び込む書店では、すぐにカバアをかけて一番上の一冊をむき出しにして、指をさせばさっと渡してくれる店もあった。
 
書店の店員によっては『薔薇族』の読者に対して感じの悪い態度をとることもある。
 
創刊号から購入してくれているという年配の読者からこんな手紙をもらったことがある。
 
 
 
「都内のあるお店で貴誌を購入していますが、どうもこの種の購入者に対する接客態度がよくないのです。それがはっきりしたのが、2、3日前のことでした。
 
70歳近いその男性が、「細かいのを持っているのか」と、高飛車な物言いで、何か悪いものでも買っていく、嫌な奴という物腰でした。
 
不潔なものでも与えるがごとく、早く持って行けとばかり、ありがとうのひと言もありませんでした。二度とこの店に行くものかと思いましたが、受けた恥辱は計りしれませんでした。」(『薔薇族』1992年4月号)
 
 
 
ぼくはこの手紙を誌上で紹介したときに、冷静になって考えてみてくださいと書いた。
 
この意地の悪い書店の親父さんは、じつは同性愛者かもしれない。
 
奥さんや子供がいて、自分の本当の気持ちをずっと封じ込めているならば、堂々と『薔薇族』を買う同年輩の人に対して反感を持ってもおかしくない。
 
極端に同性愛のことを忌み嫌ったり、あからさまに口に出して言う人こそ、男の好きな場合が多いのだ。
 
かつて有名な詩人と一緒にシンポジュウムに出席したときのこと、彼が盛んに同性愛者の悪口を言い、自分はそうではないと発言するのを聞いて、辟易としてしまったことがある。
 
ところがぼくが「そうやってムキになる人ほど本当は同性愛者だったりするものだ」とたしなめると、饒舌な彼はすっかり黙り込んでしまった。
 
そして後日、渋谷の書店に納品に行ったとき、彼が『薔薇族』を買うのをぼくは見てしまった。
 
こんな経験を何度もしているものだから、ぼくは差別や偏見といった言葉を軽々しくは使わない。
 
書店の親父の冷たい態度ぐらいのことならば、読者の心の中に巣食っている、男を愛することがいけないという意識をなくし、後ろめたさを追い出すだけで解決できる問題だからだ。
 
この話は今から27年も前のことだから、『薔薇族』を売るほうも、また買うほうの意識も後ろめたさがあったのだろう。
 
 
 
『現代の図書館』(Vol.56 №4 2018・12)性的マイノリティへの情報サービスの特集号だ。
 
ぼくがいつも通っているカフエ「織部」で日本経済新聞と朝日新聞を読んでいるとブログに書いたら、「公立の図書館に行けばどの新聞も置いてあります」と、コメントを書いてくれた人がいる。
 
ぼくは図書館って行ったことがない。
 
世田谷区にも図書館はあるのだろうが、どこにあるのかも知らない。
 
歩いて行ける近くにあれば散歩がてらに行ってみたいが近くにはない。
 
石田仁さんという同性愛者を研究している若い学者が書いた記事が載っていた。
 
「ゲイ雑誌、その成り立ちと、国立国会図書館の所蔵状況」がくわしく書かれている。
 
『薔薇族』は毎号、納品していたから創刊号から廃刊になるまでの381号まではあるはずだが、6号だけ無くなっているようだ。
 
欠号は1981年10月号、85年6月、9月、10月号、86年2月号、87年9月号だ。
 
誰かが持ち去ったのだろうが、これはなんとしても揃えたい。
 
持っている方がいたらゆずってほしい。
 
後世の研究者のためにどうしても残しておきたいからだ。

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2019年3月18日 (月)

文通欄で出会った時代とネットの時代と!

「ホモの敵はホモ」自分がホモだから、相手の弱みを知っている。
 
文通欄を使って相手を脅す悪い男もいた。
 
 
 
豊島区・M雄 東京で生活して3年。都内のある私立大学に通学しています。通学の途中、太った温厚な年長者を見ると、あんな人と交際したいといつも思っています。ぼくは170センチ、57キロ、ボウリングが好きです。地方から出張で東京にくるサラリーマンを歓迎します。(『薔薇族』1972年7月号)
 
 
 
この大学生は地方から出張してくる年輩者に狙いを絞り、ホテルに誘って、コトが終わったあとに、すごんで金を要求していた。
 
こんな悪い男は文通欄を利用する人の中で数少なかったが、これはどうにもならなかった。
 
しかし、投稿するのには住所を明記しなければならないという脅す側の弱みも持っていた。
 
同じように年輩者を狙い、巧みな文句でワナをかけた男もいた。
 
 
 
新宿区・面影 初投稿。容姿は普通、独身でひとり暮らし。最初にこの道を教えてくれた人が優しい親父さんで、それ以来、年輩者に憧れ、心より話し合える全国の40〜50代の親父さんタイプの方からの便りを待つ。167×57、28歳(『薔薇族』1974年5月号)
 
 
 
この男には20通ほどの手紙が届いたのだが、50過ぎの実直そうな親父さんが被害に遭った。
 
文通2度目でこの男と会い、ホテルへ直行。
 
そのセックスが一方的だったためにショックを受けたので、示談金25万円をよこせと言われたという。
 
警察に勇気を出して被害届を出したところ、幸いなことに男はすぐに逮捕された。
 
 
 
もっと込み入った悪い男の手口もある。
 
文通欄を通じて知り合った人たちに、裏の写真を見ないかと持ちかける。
 
希望する人からは入会金のようなものをとって会費にし、その人に10日間だけ写真を貸し出す。
 
見終わると小包で送り返すのだが、その小包が雨で濡れて破れ、中身がはみ出し、それがために警察沙汰になったと言って、保釈金として25万円貸してくれとすごむというものだ。
 
創刊翌年の1972年のことで、この頃はまだホモビデオなんてものはないし、そのものずばりの写真を誰もが見たいと思っていたからまんまとひっかかってしまった。
 
ヤクザのような人は、ホモの弱みを知らないから脅すようなことはなかったが、ホモの男が脅すのだからどうにもならない。
 
脅しをひどく恐れるのは伝統的に、教員、銀行員といった社会的に信用を重んじられる職業の人たちだ。
 
写真の事件で脅された人も公務員で、職場にばらされるのではないかと心配で夜も眠れないと言っていた。
 
文通相手はどんな人間かわからないのだから、たとえ好みだとしてもすぐには信用せず、ある程度長い時間をかけて、相手を理解する努力が必要なのだが、どうしても早く会ってセックスがしたいという思いが先になってしまうので、悪い男にひっかかってしまう。
 
 
 
相談を受けると、ぼくは警察に同行したり、連絡を取りもったり、説得に当たったりしたことも何度もあった。
 
警察の人もよく協力してくれた。
 
喫茶店でお金を渡すところを張り込んでいて逮捕してくれたこともあった。
 
 
 
文通欄のデメリットを紹介してしまったが、こんな事件は少なく、いい人と出会って一緒に長いこと住んでいて、上京してくるたびに我が家に訪ねてくれる人もいた。
 
今の時代、ネットで出会う人たちはどんなことになっているのかは、ぼくには分からない。
 
文通欄は時間がかかって出会うわけだし、住所も分かっていることだから、そう悪いことはできなかった。
 
手紙は文章や、文字である程度、相手の教養の程度は分かるが、ネットはどんなことになっているのだろうか?

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2019年3月16日 (土)

『薔薇族』の電話相談室は好評だった!

『薔薇族』では編集室に相談のために来れない読者のために「電話相談室」というのを開いていた。
 
誌上で何時から何時までと時間を決めておくと、その時間からひっきりなしに電話がかかってきて、終わりの時間にはピタリとベルが止んだ。
 
その電話の内容は、さまざまだった。
 
ノンケを好きになってしまった、性病が不安、結婚の悩み、会社の上司に関係を迫られている、親に同性愛者であることを知られてしまった……。
 
ぼくだけでは答えられないこともあるので、この道のことならなんでも知っている今は亡き間宮浩さんにも編集室に来てもらって、読者の相談に答えてもらった。
 
 
 
読者・「私はこの頃あそこが勃たなくなってしまったのですが……」
 
間宮・「おいくつですか」
 
読者・「34歳で、自分で言うのも変ですが、かなり大きいほうです」
 
間宮・「いま特定の方がいますか」
 
読者・「別にいません。ハッテン場も知っていて、遊んでいるのですが、いざという時にいうことをきかないので、相手に悪くなってきて……」
 
間宮・「お話の内容では、かなり遊んでいるようですね。だんだん遊びが激しくなると、好みの範囲が狭くなってくる人がいるのです。あれでもない、これでもないと理想と現実の差が大きくなってくるわけです。つまり食事がぜいたくになってきたのです。最近はいつ頃、興奮したかおぼえがありますか」
 
読者・「そういえば、この間、金を貸した相手が金を返してくれないので、ノンケですが体で返してもらったときは興奮しました」
 
間宮・「今、言われたことで、あなたの性癖が変わってきたことがよくわかります。相手のタイプはどのような方が望みですか」
 
読者・「30歳までの精悍な男が好きですね」
 
間宮・「たとえば映画スターでいうと」
 
読者・「藤岡弘とか、伊吹吾郎とか」
 
間宮・「あなたと付き合ったうちで、ふたりのタイプの男がいましたか?」
 
読者・「そりゃ、いませんよ」
 
間宮・「ホモの中には、あなたの望む精悍な男くさい人が少ないですね。そこにあなたの原因としての問題点があるわけです。定食コースから、活づくりの扱いになったから、なかなか食事が大変なのです。もっと、はっきり申し上げると、ホモを知っている相手では興奮しないことになります。ですから対象を別の方向に定めない限り駄目でしょうね」
 
 
 
間宮さんの言っていること、ぼくには理解できにくい。
 
ノンケには分からない間宮さんならではの答えなのでは……。
 
もうひとりの方の相談ごとは――。
 
 
 
読者・「私は24歳のときから彼と付き合って、もう15年にもなります。ふたりとも独身だったのが、家庭をもちお互いに子供までできたのですが、最近になって彼の方が冷たい態度のようになってきました。他の人と付き合ってみたいと思いますが、どうでしょうか?」
 
間宮・「15年とひと口に言いますが、24歳から15年では、現在、38歳ですね。そして相手の人は」
 
読者・「私より3歳上ですから41歳です」
 
間宮・「15年もうらやましい。ホモ仲間では1年ももてばいいとされているので、15年は大変なことです。私が言いたいのは、夫婦の間でも15年の間には、出るの別れるのが始まるのです。ましてすでに家庭ぐるみの付き合いが始まっているのでしたら、もう肉体的な関係は遠くなっても、もっと精神的なものにウェイトをおかれてゆくべきだと思います。浮気はしないほうがいいでしょう」(1974年3月号より)
 
 
 
さすが間宮さん、いいアドバイス。
 
『薔薇族』を長いこと支えてくれてありがとう。

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2019年3月 4日 (月)

カミングアウトなどする必要はない!

2019年2月19日の東京新聞朝刊の記事、世の中、ネットの時代になり『薔薇族』を出し続けていた頃とは、すべてがオープンになったと思っていたが……。
 
「アウティングなき社会へ・下」とあるから連載したものだろう。
 
タイトルは「善かれと思っても「暴露」=打ち明けられたら対話を」とあり、「亡くなった男子学生がよく着ていた服を手にする母親=愛知県内で」とある母親が手にする写真が載っている。
 
C
 
1971年に『薔薇族』が創刊され、次々と出し続けていた時代は、同性愛者だということを親に知られて自殺をしたり、会社をやめたりする人が多かった。
 
ぼくは創刊以来、同性愛者であることは、異常でも変態でもないのだから、胸を張って堂々と明るい太陽の下を歩こうと言い続けてきた。
 
『薔薇族』が廃刊になってから、すでに15年の時が流れ、いろんな意味で世の中が変わり結婚をしない男女が増え、結婚しない男性や女性も周りの人たちから変な目で見られないようになってはきている。
 
そんな時代になってきたというのに、校舎から転落死した一橋大法科大学院の男子学生(当時25歳)の事件は新聞で読んで知ってはいたがショックだった。
 
『薔薇族』の読者で自殺した若者たちの顔が思い出されてくる。
 
今の時代の若いゲイの指導者たちはカミングアウトすることをすすめている人が多いようだ。
 
 
 
人間、弱い者、皮膚の色、障害のある人、ある地域に住む人などを差別したり、偏見の目で見たりするのは、悲しい本能かも知れない。
 
だからひとつの差別や、偏見をなくすには途方もない長い時間と、それをなくそうとする人たちの努力がいる。
 
この記事にはこんな実例が書かれている。
 
 
 
「レズビアン(女性同性愛者)の大路香里さん(33歳)も数年前、告白した女性にばらされ、共通の知人間で広まってしまった。
 
「関係性を変えてしまう繊細なプライバシーだから、信頼し、心を許した相手にしか言わなかったのに、ショックでした」
 
性的少数者の相談を受けてきたNPO法人「共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク」代表理事の原ミナ汰さん(62歳)は、「この人ならと信頼して打ち明けた人にばらされるので、アウティング被害は、ショックが大きい」と語る。
 
相手が親しい関係のために被害を言い出しにくく、周囲には当事者間の問題として距離を置かれやすい面が「性暴力に構造が似ている」と話す。」
 
 
 
ぼくは両親や、兄妹、友人などにも自分が同性愛者であることを告白することは、まったくする必要はないと考えている。
 
なぜなら女が好きな男が、いちいち人に「おれは女好きだ」と言う人はいない。
 
男が好きな男、女が好きな女、今や医学的にも異常でも、変態でもないと証明されているのだから、当たり前のことなので言う必要はまったくない。
 
まだまだ同性愛者を異常視し、不潔だと思っている人が多いのだから、同性愛であることを告白したら、よくない結果になることの方が多いと思う。
 
 
 
「亡くなった一橋大の男子学生の両親は、生前、息子から直接、ゲイだと聞くことはできなかった。
 
アウティングという形ではなく、もし、今、生きていてゲイだと話てもらえたら――。
 
母親はちゃんと受け止め、声をかけてあげたかった。
 
「いいパートナーができたら、連れていらっしゃいね」と。」
 
 
 
もう、二度とこんな悲劇が起こらない世の中にしたいものだ。

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2019年2月25日 (月)

『薔薇族』創刊号の表紙絵の少年に!

上野駅から京成電鉄をつなぐ地下道に、戦後、焼け出されて家を失った人たち、戦災孤児などが、こも(草で作ったむしろ。当時はダンボールはなかった)をひいて寝転んでいた。
 
駅側は困りはてて、片側をお店にして貸し出した。
 
その中にカーテンだけで囲ったゲイバアも何軒かあり、年老いたご夫婦でエロ本ばかりを売る丸富士屋書店もあった。
 
ぼくはご主人にお願いして『薔薇族』の創刊号から置かせてもらった。
 
表通りに車を停めて、息子を乗せる乳母車に載せて運び込んだものだ。
 
 
 
楯四郎さん。
 
名作を数多く残してくれたNHKラジオのアナウンサーで、子供の頃から下町に住んでおり、お父さんに連れられて、演劇や、歌舞伎、映画などを見ていたので演芸物の司会を得意としていた方だ。
 
創刊号をこの丸富士書店で買い求めたときのことを書き残している。
 
 
 
「夏の終わりが近づいてくると、いつも、物憂い。
 
遊びすぎた時間が遠のいていくからである。
 
上野の国鉄(現在のJR)から京成に通じる地下道は、その物憂さがよく似合う道だった。
 
くすんだ灰色の道である。
 
その夜……というのは10年前のある夜、灰色の中にポツンと黄色い1点が浮き、それがたちまち私の目の中いっぱいに広がった。
 
これが私と『薔薇族』の出逢いである。
 
地下道の片側には、10人も入ればいっぱいになる酒場……もちろん仲間の……ちっぽけな店が数軒ならんでいた。
 
その中のひとつ……なんの飾りもなく、愛想もないが居心地も悪くない……互いに干渉せず、それでいてやさしく、少し哀しげな目つきの、歌いもしない男たちが集まってくるちょっと湿った店に、私は時に足を運んでいた。
 
店の並びに、そこだけは扉がなく、いくらか地下道に張り出した木の台いっぱいにポルノ雑誌を……といっても、当時、そんな表現はせずエロ本と呼んでいた雑誌を……裸電球があかあかと照らしている本屋があった。
 
いつもチラリと視線を投げるだけで通り過ぎてしまう私の、その夜、ふと足をとめさせたのが、黄色い表紙の、うすっぺらな雑誌である。
 
……というよりも、その表紙に描かれている少年のオレンジ色のTシャツを着て、むき出しの足をかかえている少年の場違いな戸惑いの瞳に……描きかたが素人っぽいだけに、かえって新鮮な表紙の少年に、ほとんど一目ぼれしたのだと思う。
 
0
 
だが、すでに私は、この雑誌のやがて発行されることを……伊藤文学さんが何かに書いていた文章を以前に読んで知っていた。
 
雑誌を買うのに躊躇はなかった。
 
それというのも一番上の一冊だけはむきだしのままだが、その下に積んであるのはすべてカバアをかけている丸冨士書店の客の顔にいちいち好奇の目などは決して向けない店主の心遣いがあったためと、客同士まったく関心をかわさない都会の気安さのせいであった。
 
地下道を出て、公園わきの街灯の下で、私はページをめくった。
 
上質の紙面に街灯の青白い光が落ちていた。
 
……青白い街灯の下で『薔薇族』をめくった記憶は、その後、もう1回だけ、私にはある。」(『薔薇族』創刊10周年記念特別号)
 
 
 
「もう1回だけ『薔薇族』を街灯の下で読んだ記憶」というのは、楯さんの処女作が載った創刊7号目を読んだときのことだ。
 
唐沢俊一さんが『薔薇族』の果たした大きな役目は、発表の場を才能ある読者に与えたことだと書いてくれたが、楯さんはまさにその通りだった。
 
丸富士書店の老夫婦のことは忘れることはできない。
 

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2019年2月23日 (土)

次々とゲイ雑誌が消えて!

2007年1月号の幻冬舎刊『GOETHE(ゲーテ)』に、ぼくの著書の『薔薇族編集長』の紹介記事が写真入りで載っている。
 
取材と文は唐沢俊一さんで、ぼくが言いたいことを理解して、忠実に書いてくれている。
 
見出しには「同性愛者がこぞって読み込んだ伝説の雑誌には父親のまなざしがあった」と。
 
茂呂幸正さん撮影のぼくの写真がいい。
 
この文章はどうしても残しておきたいので、引用させてもらう。
 
B
C
 
「日本にクリエイターは多いがコーディネーターは滅多にいないという嘆きをよく聞く。
 
コーディネーターとは、文化を生み出す「場」を設定する人物を言う。
 
どんな天才クリエイターであっても、作品を発表する場が無くてはどうしようもない。
 
日本人に世界に通用する才能がなかなか育たないのは、この「場」をコーディネートできる人物が少ないからだとも言われている。
 
そういう面で言えば、日本におけるゲイカルチャーは幸運だったのかも知れない。
 
1971年にすでに、ホモの男性たちの交流の場として、日本初のホモ専門誌『薔薇族』を創刊させ、文化を育てるその土壌を育成させた伊藤文学という人が存在したからである。
 
本書はいわば日本のゲイカルチャーの「創造史」でもあるのだ。
 
伊藤さんが作り上げたその「場」には、美輪明宏、寺山修司、内藤ルネといった異才たちが集い、長谷川サダオ、木村べん、田亀源五郎などの異色の才能が育っていった。
 
自らはホモでも何でもない伊藤氏が、そのような場を作り上げようとした理由は何か。
 
 
 
「自分の性的指向を打ち明けられずに苦しんでいる人が、誰にもはばからず、自分はホモであると、発言できる場所を作りたかったんですよ」
 
 
 
その状況は、はるかに性に対し開放的になったはずの、35年後の現在でもなお社会に根強く残る。
 
「この人ならわかってくれるのでは」という最後の願いをこめて伊藤氏に手紙や電話をよこす人が「今でも月に何人かはいます」という。
 
しかし、表では一般人として過ごし、裏ではホモである自分に悩む彼らに、伊藤さんが与えるサジスチョンは、最近流行のカミングアウトを勧めるものではない。
 
 
 
「秘められた性は秘められたまま墓場まで持っていく方が幸せなこともあるんです」
 
 
 
というのがスタンスだ。
 
最近のゲイリブ関係からは、その姿勢に対する批判もある。
 
しかし、35年間、日本社会におけるホモの人々の苦悩と向き合ってきた伊藤さんの主張には重みがある。
 
悩めるゲイたちに時には優しく、時には厳しく言葉をかける伊藤さんの姿は、きわめて日本的な父親像に重なる。
 
日本のゲイカルチャーが欧米とは一味ちがう、独自のものとなっているのは、伊藤文学という人間がそこに存在し、しっかりと「場」作りのしごとをしていた、というその理由によるのだろう。」
 
 
 
ゲイ雑誌がネットやスマホが普及するにつれて、次々と姿を消していった。
 
確かに『薔薇族』は、才能のある人たちの小説、劇画、写真などの発表の場だった。
 
NHKのアナウンサーで活躍された楯四郎さん、初めて書いた短編小説が載ったので、それから次々と力作を寄せられ、アメリカで翻訳されるまでになった。
 
笹岡作治さん(ぼくが命名したペンネーム)もSM小説の力作を残され、単行本にもなった方だ。
 
他にも素晴らしい小説を誌上に発表された方は数知れずだ。
 
劇画では山川純一君、『薔薇族』だけにしか作品を残さなかった。
 
これからの時代、発表する場が無くなって、才能ある人々はどうなるのか心配でならない。

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2019年2月18日 (月)

本当のホモの愛情は心と心の問題だ!

ゲイ雑誌が次々と姿を消してしまった。
 
これらの雑誌は小説や劇画を描く人の発表の場でもあったのだから、これらが無くなってしまえば発表の場が無くなってしまう。
 
唐沢俊一さん、ぼくの良き理解者で、22年前に光文社文庫『トンデモ美少年の世界』にぼくが出版した『ホモテクニック』のことを紹介してくれている。
 
A
 
「「第二書房」といえばかの『薔薇族』を出している出版社だ。
 
発行人の伊藤文学氏は、自身はヘテロ人間でありながら、ホモであることを悩む若い人々の苦悩を救うために『薔薇族』を創刊したという人で、この『ホモテクニック』は、そういう伊藤氏の理念のもとに、同性愛の存在と歴史を考察し、かつ、フィジカルな面においてもハッキリと「男性が男性を愛するにはどうしたらいいか」について考察した画期的な本なのである。
 
地下出版としてならともかく、一般書籍としてこういう本を出したということの革新性と勇気は、いくら称賛しても称賛しきれるものではない。
 
読者の欲求にも充分応えたとみえ、昭和43年7月末(1968年・今から51年前)に第1刷が出てから、11月半ばにはもう3刷までいっている」
 
 
 
確かに唐沢俊一さんの言うように、51年前の日本では、ホモの世界は隠花植物とまで呼ばれ、誰もが自分の性癖を隠して、ひっそりと暮らしていた時代だ。
 
マスコミの世界でも同性愛の世界はタブーで、同性愛の本など出す出版社はなかった。
 
社員が何人もいる出版社では、同性愛の本を出そうと言う人がいても、とんでもないと握りつぶされてしまっただろう。
 
わが第二書房は社員はぼくひとりだけ。
 
父は女性に狂っていて、ぼくに仕事をまかせっきりだったから、ぼくが決断すればよかったからできたことだ。
 
そうはいうもののぼくだって『ホモテクニック』なんて、ずばりの本を出すということは、かなりの勇気が必要だった。
 
『レズビアンテクニック』を先に出したぐらいだから……。
 
 
 
「この『ホモテクニック』の前書きで、著者の秋山正美は意外にも、一般にホモセクシュアルと呼ばれているものは本当の同性愛ではないと言っている。
 
同性を思ってするマスターベーションなどは単なるエゴイズムとナルシシズムであって、本当の愛情などではない、遊戯的、機械的刺激の方法にすぎないと断言するのである。
 
お互いに快楽のみを目的にして行うホモセックスも性器の相互刺激にすぎないという。
 
本当の愛情とは心と心の問題であり、それがありさえすれば、その相手がたまたま同性であることに、そうまで苦しんだり、恥じ入ったりする必要はない。
 
それ故に、この本は同性愛そのものを書いたのではなく、こんにち同性愛と呼ばれているものの正体を、あかるみに出してやりたいという思いから書いたのである、というのである。
 
なにやら複雑ではあるが、僕が古書店でこの本を買ったとき、中をパラパラと見てみると、この本の最初の持ち主が、その部分にしっかりと傍線をひいていた。
 
ホモの読者にとっては、心にグサリと突き刺さる言葉であったのだろう。
 
そしてこの本は、第一部で世界史の中における男色史を述べ、続く第二部で文学に描かれた男性同士の恋愛を紹介し、第三部で具体的な男性同士の性行為のテクニックを述べている。
 
この本一冊で、ほぼホモという概念の全貌がつかめるという点では、基本図書的なものといえる。」
 
 
 
唐沢さんの書いていることが面白いので、書きたいと思ったことと違ってしまった。

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2019年1月28日 (月)

性のことなど無関心な小学生の頃が!

2019年、平成31年、新しい年を迎えて今年は本になる、ならないは考えないで、自分の人生をかえりみて、一代記を書き残そうかという気持ちが湧いてきた。
 
今年の3月でぼくは87歳になる。
 
昨年はいつも世田谷学園の同期会に参加してくれていた友人が二人とも亡くなってしまった。
 
今までスタスタ歩けていたのが、脚の筋肉が衰えてきたのか、早く歩けなくなってきた。
 
後ろから歩いてきた人が、みんなぼくを追い越していく。
 
しかし、早く歩けなくても、ぼくは元気で生きている。
 
 
 
先日、「金スマ」というテレビ番組を見ていたら、若い歌手が引退して裏方の仕事を、ある人の後継者となってするようだ。
 
その青年を少年の頃から目をかけていた偉大な人物の姿が、この番組を見ていて、はっきりとぼくの目に見えてきた。
 
中・高生の頃、だれもが性にめざめる。
 
男性が女性を愛する人は多いが、男性が男性に愛を感じるようになる人もいる。
 
ネットなんてものがない昭和の時代のなか、中・高生の悩みをぼくは考えて、『薔薇族』の誌上に、「少年の部屋」のコーナーを作った。
 
自分と同じように悩んだり、苦しんだりしている少年がたくさんいることを知ったら、気持ちが楽になるのではと思ったからだ。
 
いつの頃からこのコーナーを作ったのか忘れているが、少年たちが知り合えるようにもしたので、爆発的に「少年の部屋」の頁は増え続けていった。
 
ネットなんてものがなかった時代の中・高生の文章力はすばらしい。
 
長い文の投稿が多かった。
 
 
 
1993年の10月号(№249)内藤ルネさんの表紙絵だ。
 
マンションに引っ越ししてきたときに、書棚に創刊号から順番に並べればよかったのに、ただ書棚に並べてしまった。
 
たまたま手にとって開いた「少年の部屋」の頁。
 
老眼鏡をかけても見えにくい、小さな文字がびっしりつまっている。
 
注意書きがしてあって、こんなことが書かれている。
 
「未成年者との性は、法律で禁じられています。
 
体験や悩みや、意見を話し合うためのコーナーです。
 
友だち・恋人募集だけの手紙は載せません」と。
 
巻頭の文章は長いので、ちょっとだけ紹介する。
 
 
 
「僕は高2の夏にこの雑誌をみつけて以来、すごく悩みました。
 
それまで時期がくると、自然に女が好きでたまらなくなると思ってたんですが、女を一生心から愛してあげることのできない人間になるかも知れないことが充分ありうることを知って、すごく怖くなりました。
 
男の人を好きになることが悪くないことは分かっていても、やっぱそんな自分がいやです。
 
うわべだけでなく、心から女の人を愛せる人間になりたいのです。
 
でも僕はかっこいい男の人といろいろ友だちになって、いろんな話をしたいのです。
 
こんなこと考えていると、本当にパニック状態です。
 
性のことに無関心で、無邪気だった小学生のころはよかったな。」
 
 
 
横浜市の高校生の投稿で、心が揺れ動いているのがよく分かる。
 
少年は、こんなことも書いている。
 
 
 
「僕は昔から人のことを好きになれませんでした。
 
でも、本当はある人のことが頭から離れないことがあります。
 
きっとそれが、その人のことを好きになることだと思うけど、その人がなぜか男でした。」
 
 
 
「少年の部屋」ネットなんてものがなかった時代の少年たちの心の叫びをどうしても本にして残しておきたい。
 
そうぼくが心に決めたのは、「金スマ」をみたからのような気もしている。

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2018年12月31日 (月)

韓国の社長さんを2丁目のゲイバアに!

今でも『週刊プレイボーイ』は生き残っていると思うけど、月刊誌は姿を消しているのかも。
 
アメリカで『プレイボーイ』が売れまくっていた時代、多くの美女をはべらせている社長の姿をテレビで見て、うらやましく思ったものだ。
 
月刊『プレイボーイ』が小学館から発売されたのが、1975年頃のことだから、今から43年も前の話だ。
 
『薔薇族』が創刊されて4年目ぐらい、創刊号50万部がなんと即日完売だったという話は覚えている。
 
その『プレイボーイ』日本版第6号にぼくが原稿を依頼されたわけが今でもわからない。
 
美女のヌードが満載の雑誌に、同性愛の雑誌編集長のぼくに原稿を依頼するとは。
 
タイトルが「もしかして、あなたもアレかもしれないぞ! やってみよう……ホモセクシャル・テスト」という見出しだ。
 
 
 
「推定人口が、なんと200万人。
 
いったいどういうことなんだ、アダムがアダムを好きになるって。
 
オレが愛せるのは女性だけだよ、なんて決め込むまえに、ちょっと待った!
 
そういうあなたこそ、このテストをやってみるべきだ。
 
結果、ひょっとすればオトコ好きの素質が、隠されてないとも限らないのだから……」
 
 
 
創刊号からの協力者で、ゲイの世界に精通している間宮浩さんと、知恵をしぼって考え出したなんと50問。
 
今から考えるとなんということをと思うが、『薔薇族』が多くのマスコミに取り上げられていたから、4頁も使って、その次代のゲイたちの悩みや苦しみを書かせてくれたのだ。
 
とっても50問を載せきれないが、まあ、よく考えたものだ。
 
 
 
③1日に何回となく鏡を見る
 
④ものごとに熱中する反面あきっぽい
 
⑨自分の年齢を若くいいたがる
 
⑩被害妄想が強い
 
㉔頭髪は短髪を好む
 
㉖感情の起伏が激しい
 
㉗メカニックなものに弱い
 
㉚みだしなみは若作りである
 
㊴相手に対して好き嫌いが激しい
 
㊿見栄っ張りである
 
採点・自己診断
 
・ハイが10コ以下――あなたは女性しか愛せない(単純男性型)です。
 
・31〜40コ以下――あなたは男好きの素質が隠されています。
 
このあとのぼくの文章は、今読んでも間違ったことは書いていない。
 
「ぼくはホモは持って生まれたものだと信じています。
 
もっとつきつめれば、人間の業のようなものだと理解しています。
 
だから当人が悪いのではない。
 
まして両親の責任でもないのです。
 
当人が好き好んでなったものでないのに、なぜ世間の人は偏見をもって見るのでしょうか。
 
それを不思議に思い、怒りを感ずるのです。
 
それと、だれも世の中の人にホモを正しく理解してもらう努力をしなかったことにも……(中略)
 
いつか『薔薇族』の存在を婦人雑誌で知ったというお隣の国、韓国の出版社の社長さんが、日本に立ち寄ったおりに電話をかけてくれたことがありました。(当時は個人情報なんてものがなかったので、婦人雑誌の編集部がぼくの電話番号を教えた)
 
その社長さんは自分が女好きだということを友人たちに知らせるために、わざわざ女と寝ているところをのぞかせてまで、自分の性癖をさとられないようにしているとのことでした。
 
夜の新宿のゲイバアを飲み歩きました。
 
どんなに彼が感激したことか。」
 
ぼくはいいことをしていたんだ。

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2018年12月15日 (土)

ゲイとレズの結婚、うまくいったのかな?

1995年(今から23年前)4月号・№267に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「今のところ、これしかない」と題して。
 
 
 
「二見書房から刊行されている隔月刊の雑誌『シャレード』という、新耽美主義をとなえる雑誌があります。
 
頼まれてエッセイを書いたことがあります。
 
おそらく『薔薇族』の読者と逆の女性が多いのではないか、そう思ったので「結婚のこと」と題して書いたのです。
 
25年前もそうでしたが、25年経った今も読者の最大の悩みは結婚のことであることは変わりません。
 
どうしても通らなければならない関所のようなものだからです。
 
確かに世の中が変わってきて、独身で通す女性も増えてきています。
 
また独身の男性も前ほど目立たなくなったというか、独身でいてもそう気にしなくてもいられる時代にはなってきています。(中略)
 
「結婚コーナー」を「薔薇通信」の欄に設けてからもう10数年になります。
 
毎月、かなりの人がこの欄に登場しているのだから、結婚までこぎつけた人も相当数いることは間違いありません。
 
しかし、残念なことに結婚してうまくいった人も、また、失敗してしまった人も、ちゃんとした報告をしてくれた人は、ひとりもいません。
 
ぼくの著書のあとがきに藤田竜君がこんなことを書いてくれました。
 
 
 
「人を救った出版物は数知れずあろう。しかし、世に知られることもなく、救われた当人も口にはしないものとして『薔薇族』はあり、これからもそうであろう。それゆえに伊藤文学は一般的には評価されにくい。それでもいいのではないか、とぼくは思っている。
 
もともと、わかってくれる人だけに心を通じたいと始めたことなのだ。
 
百人か、千人か、あるいは何万人の人か、『薔薇族』を見る前より、少しでも、心が晴れれば、それだけでいいではないか」
 
 
 
ぼくも藤田竜君の言うとおりだと思う。
 
何も期待してもいけない。何も読者に求めない。
 
この広い日本にひとりでも心が通じて、結婚してうまくいっているカップルがひっそりと生きている。
 
それでいいのだと思って、ぼくは『薔薇族』を出し続けているのです。
 
ぼくの思ったとおり『シャレード』の編集部から、何人かの女性から手紙が回送されてきました。
 
やはり同じことを考えてくれている女性がいたのです。
 
 
 
「私は元来、ジュネ系の本の読者ではありません。
 
この雑誌も友人から借りて読んでいるのですが、(このエッセイのために借りたのです)先日、その友人と結婚について話をしていたときに、薔薇族の人がカモフラージュの結婚を望んでいるという話を聞いて、「わ〜おっ」と本当に喜んでしまったのです。
 
私は現在、30何歳、バツイチの独身女性です。
 
決して男性が嫌いというわけでなく、女性が好きというわけでもありません。
 
でも、やはりノーマルじゃない点は、人間にあまり興味がないというところでしょうか。
 
ハッキリ言っちゃうと、SEXにあまり関心がないんです。
 
性生活ができないのかな。
 
鳥肌がたつほど男が嫌いというわけではありませんが、あんなもの月1回位で十分だわ、というくらい興味がありません。(中略)
 
でもSEXは相手によるものかもしれません。
 
離婚後、この6年、3人の男性とお付き合いしましたが、主人のときのような嫌悪感は少なかったようです。(中略)
 
生活協同者、おおいに歓迎です。
 
私もいい年なので、世間体だけは保ちたいし、年老いた母にも安心してもらいたい。」」
 
 
 
なんだかよくわからない女性だけど、この時代、ゲイとレズとの結婚、これしかないとぼくは思っていたのだが……。

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