2018年12月31日 (月)

韓国の社長さんを2丁目のゲイバアに!

今でも『週刊プレイボーイ』は生き残っていると思うけど、月刊誌は姿を消しているのかも。
 
アメリカで『プレイボーイ』が売れまくっていた時代、多くの美女をはべらせている社長の姿をテレビで見て、うらやましく思ったものだ。
 
月刊『プレイボーイ』が小学館から発売されたのが、1975年頃のことだから、今から43年も前の話だ。
 
『薔薇族』が創刊されて4年目ぐらい、創刊号50万部がなんと即日完売だったという話は覚えている。
 
その『プレイボーイ』日本版第6号にぼくが原稿を依頼されたわけが今でもわからない。
 
美女のヌードが満載の雑誌に、同性愛の雑誌編集長のぼくに原稿を依頼するとは。
 
タイトルが「もしかして、あなたもアレかもしれないぞ! やってみよう……ホモセクシャル・テスト」という見出しだ。
 
 
 
「推定人口が、なんと200万人。
 
いったいどういうことなんだ、アダムがアダムを好きになるって。
 
オレが愛せるのは女性だけだよ、なんて決め込むまえに、ちょっと待った!
 
そういうあなたこそ、このテストをやってみるべきだ。
 
結果、ひょっとすればオトコ好きの素質が、隠されてないとも限らないのだから……」
 
 
 
創刊号からの協力者で、ゲイの世界に精通している間宮浩さんと、知恵をしぼって考え出したなんと50問。
 
今から考えるとなんということをと思うが、『薔薇族』が多くのマスコミに取り上げられていたから、4頁も使って、その次代のゲイたちの悩みや苦しみを書かせてくれたのだ。
 
とっても50問を載せきれないが、まあ、よく考えたものだ。
 
 
 
③1日に何回となく鏡を見る
 
④ものごとに熱中する反面あきっぽい
 
⑨自分の年齢を若くいいたがる
 
⑩被害妄想が強い
 
㉔頭髪は短髪を好む
 
㉖感情の起伏が激しい
 
㉗メカニックなものに弱い
 
㉚みだしなみは若作りである
 
㊴相手に対して好き嫌いが激しい
 
㊿見栄っ張りである
 
採点・自己診断
 
・ハイが10コ以下――あなたは女性しか愛せない(単純男性型)です。
 
・31〜40コ以下――あなたは男好きの素質が隠されています。
 
このあとのぼくの文章は、今読んでも間違ったことは書いていない。
 
「ぼくはホモは持って生まれたものだと信じています。
 
もっとつきつめれば、人間の業のようなものだと理解しています。
 
だから当人が悪いのではない。
 
まして両親の責任でもないのです。
 
当人が好き好んでなったものでないのに、なぜ世間の人は偏見をもって見るのでしょうか。
 
それを不思議に思い、怒りを感ずるのです。
 
それと、だれも世の中の人にホモを正しく理解してもらう努力をしなかったことにも……(中略)
 
いつか『薔薇族』の存在を婦人雑誌で知ったというお隣の国、韓国の出版社の社長さんが、日本に立ち寄ったおりに電話をかけてくれたことがありました。(当時は個人情報なんてものがなかったので、婦人雑誌の編集部がぼくの電話番号を教えた)
 
その社長さんは自分が女好きだということを友人たちに知らせるために、わざわざ女と寝ているところをのぞかせてまで、自分の性癖をさとられないようにしているとのことでした。
 
夜の新宿のゲイバアを飲み歩きました。
 
どんなに彼が感激したことか。」
 
ぼくはいいことをしていたんだ。

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2018年12月15日 (土)

ゲイとレズの結婚、うまくいったのかな?

1995年(今から23年前)4月号・№267に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「今のところ、これしかない」と題して。
 
 
 
「二見書房から刊行されている隔月刊の雑誌『シャレード』という、新耽美主義をとなえる雑誌があります。
 
頼まれてエッセイを書いたことがあります。
 
おそらく『薔薇族』の読者と逆の女性が多いのではないか、そう思ったので「結婚のこと」と題して書いたのです。
 
25年前もそうでしたが、25年経った今も読者の最大の悩みは結婚のことであることは変わりません。
 
どうしても通らなければならない関所のようなものだからです。
 
確かに世の中が変わってきて、独身で通す女性も増えてきています。
 
また独身の男性も前ほど目立たなくなったというか、独身でいてもそう気にしなくてもいられる時代にはなってきています。(中略)
 
「結婚コーナー」を「薔薇通信」の欄に設けてからもう10数年になります。
 
毎月、かなりの人がこの欄に登場しているのだから、結婚までこぎつけた人も相当数いることは間違いありません。
 
しかし、残念なことに結婚してうまくいった人も、また、失敗してしまった人も、ちゃんとした報告をしてくれた人は、ひとりもいません。
 
ぼくの著書のあとがきに藤田竜君がこんなことを書いてくれました。
 
 
 
「人を救った出版物は数知れずあろう。しかし、世に知られることもなく、救われた当人も口にはしないものとして『薔薇族』はあり、これからもそうであろう。それゆえに伊藤文学は一般的には評価されにくい。それでもいいのではないか、とぼくは思っている。
 
もともと、わかってくれる人だけに心を通じたいと始めたことなのだ。
 
百人か、千人か、あるいは何万人の人か、『薔薇族』を見る前より、少しでも、心が晴れれば、それだけでいいではないか」
 
 
 
ぼくも藤田竜君の言うとおりだと思う。
 
何も期待してもいけない。何も読者に求めない。
 
この広い日本にひとりでも心が通じて、結婚してうまくいっているカップルがひっそりと生きている。
 
それでいいのだと思って、ぼくは『薔薇族』を出し続けているのです。
 
ぼくの思ったとおり『シャレード』の編集部から、何人かの女性から手紙が回送されてきました。
 
やはり同じことを考えてくれている女性がいたのです。
 
 
 
「私は元来、ジュネ系の本の読者ではありません。
 
この雑誌も友人から借りて読んでいるのですが、(このエッセイのために借りたのです)先日、その友人と結婚について話をしていたときに、薔薇族の人がカモフラージュの結婚を望んでいるという話を聞いて、「わ〜おっ」と本当に喜んでしまったのです。
 
私は現在、30何歳、バツイチの独身女性です。
 
決して男性が嫌いというわけでなく、女性が好きというわけでもありません。
 
でも、やはりノーマルじゃない点は、人間にあまり興味がないというところでしょうか。
 
ハッキリ言っちゃうと、SEXにあまり関心がないんです。
 
性生活ができないのかな。
 
鳥肌がたつほど男が嫌いというわけではありませんが、あんなもの月1回位で十分だわ、というくらい興味がありません。(中略)
 
でもSEXは相手によるものかもしれません。
 
離婚後、この6年、3人の男性とお付き合いしましたが、主人のときのような嫌悪感は少なかったようです。(中略)
 
生活協同者、おおいに歓迎です。
 
私もいい年なので、世間体だけは保ちたいし、年老いた母にも安心してもらいたい。」」
 
 
 
なんだかよくわからない女性だけど、この時代、ゲイとレズとの結婚、これしかないとぼくは思っていたのだが……。

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2018年12月 8日 (土)

針金とじの『薔薇族』ご夫婦だけで!

「伊藤文学のひとりごと」(№370)に、「多くの協力者に支えられての38年」と題して、ぼくはこんなことを書いている。
 
 
 
「『薔薇族』を支えてくれた人は、直接的に原稿を寄稿してくれたり、イラストや劇画を書いてくれた人たち。
 
その数は何十人、何百人にもなるだろう。
 
それに『薔薇族』を愛読してくれた何万人もの読者を忘れてはいけない。
 
それと『薔薇族』を印刷し、製本してくれた人たち。
 
そして販売してくれた取次店、書店の人たち、それこそ沢山の人たちの協力があって続けてこられたのだ。
 
創刊の頃の活字を一本、一本ひろって組んでいく、あの小さな組専門の印刷所の植字工のおじさんの顔が、今でも浮かんでくる。
 
製本はご夫婦の二人だけの製本屋さん、針金とじで、一冊、一冊、ガチャン、ガチャンと綴じていく。
 
一万部を製本するのに一週間はかかったものだ。
 
 
 
今でも思い出すのは、上野の成田行の電車に通じる地下道にあった本屋さん。
 
戦後、浮浪者がごろごろとこの地下道にむしろを敷いて寝ころんでいたので、駅が考えて片側をお店にして貸したのだ。
 
カーテンだけで仕切られたゲイバアも何軒かあり、エロ本ばかりを売る老夫婦が営む本屋さんがあった。
 
ご主人はおとなしい方だったが、奥さんは元気な人で、それこそ江戸っ子という感じの人だった。
 
表通りに車を停めて、息子を乗せた乳母車に『薔薇族』を積んで何百冊も運んだ。
 
シャッターをおろすまで売れ続けたのだから、このおばさんの元気な声は、今でも脳裏に残っている。
 
 
 
銀座のソニービルのとなりに「大雅堂書店」という木造2階建ての大きな書店があった。
 
表通りに面した本屋さんで、なぜか『薔薇族』を愛してくれたご主人は、届けるやいなや、ショウ・ウィンドウの一番めだつ場所に『薔薇族』を飾ってくれた。
 
取次店を通さないで、直接ぼくが運転する車で届けていたのだが、発行日と届ける時間が決まっていたので、届けるやいなや、お客さんが待ち受けてくれていて、すぐさま買い求めてくれた。
 
ここの書店で今東光(こん・とうこう・参議院議員)和尚と出会ったり、女流作家として有名な円地文子さんのご主人と出会ったりした。
 
 
 
ゲイ向けの単行本のあとがきに、ゲイ雑誌を出したいという思いを書いたら、それに応じてくれた人が、藤田竜さんと間宮浩さんだった。
 
昭和46年(1971年)3月1日の日付で雑誌の発行に協力したいという間宮浩さんからの手紙が届いた。
 
その直後、間宮浩さんが仕事場にしていた、新宿御苑に面した部屋に訪ね、そこで藤田竜さんとも出会った。
 
3月にふたりに出会って、7月には創刊号を出してしまったのだから驚きだが、それは他社と違って社員はいない、ぼくが自分で決断すればいいことで、会議などで決まるなんて面倒なことを必要としなかったからだ。
 
人間、運というものがある。
 
このふたりに最初に出会えたから『薔薇族』を出し続けることができたのだ。
 
『薔薇族』はトーハンや日販の大手の取次店と取引ができたので、日本中の書店に送ることができた。
 
地方に住んでいて、うっ屈していた才能ある人たちに発表の場を作ったのが『薔薇族』だった。
 
多くの人たちが作品を送ってくれた。
 
楯四郎さんもそのひとりで、名作を多く残してくれた。
 
華やかな『薔薇族』の時代を作ってくれた多くの協力者たちのことを忘れるものではない。」
 
 
A

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2018年12月 3日 (月)

オッちゃんは、ある意味での救世主だ!

『薔薇族』を創刊した頃は載せる写真に苦労した。
 
大阪のオッちゃんが撮った写真がなかったら続けられなかった。
 
そのオッちゃんが『薔薇族』のグラビアに載って、大変よろこんでおられたが、間もなく胃がんで亡くなってしまった。
 
そのオッちゃんを追悼する文章を藤田竜さん、甲斐久さんが寄せている。
 
 
 
「どの世界にも奇人、変人はいるものだが、もしホモの世界の奇人と名をあげれば、私がここに紹介する人物などは、もっとも奇人の一人であったと思う。
 
まずその数例から申し上げると、17年間に約10万枚に近い男性ヌードの写真を撮りまくった男である。
 
そのモデルの数は約2千人ともいわれる。
 
すると計算からすれば、3日に1人は彼のカメラの前にヌードとなっていることになる。
 
そのモデルの職種だが、学生・工員・自衛隊員・店員・ヤクザ・バーテン・農業・漁業・土方など数え上げればきりがないほどに種別される。
 
この種の撮影は自分の好みにどうしてもかたむくものだが、彼の場合、相手の需要に応じてタイプをさまざまに撮りわけなければならないことになるので、その日によって彼のカメラの前には、たくましい若者であったり、美少年であったりした。
 
 
 
こんなエピソードがある。
 
近所の男の子に憧れているある男が、「あの子のヌードが欲しいけれど、無理でしょうね」と、半ばあきらめ顔で頼んだことがある。
 
「おまかせください。できるだけやりましょう」
 
その男はできないという言葉がいやであった。
 
数日後に、その男の子のヌード写真が送られてきた。
 
話をしてみればそれだけのことだが、家の前に2時間も、3時間も出てくるのを待っている。
 
その男のねばり強さを聞いたときは、強く頭の下がるものがある。
 
 
 
写真の内容はポルノである。
 
いまの時代でなく17年前に一般の人にホモと言っても何のことだか通じない時代に、この男は撮り始めたのである。
 
これから先にもこれだけの枚数と人数の保持者は、おそらく世界にもでないと思っている。
 
それらの写真を見つめながら、満足した男の数もかなりいることになる。
 
ある意味の救世主であったことは間違いないと思う。(中略)
 
そして、その男は死んだ。
 
その死は思いがけない死でもあったし、無理なスケジュールからすれば、死なないにしても大痛が待っていたとしか思えないほど、自分のからだを酷使していたから、当然におこりくる結果であったかもしれない。
 
死ぬ一週間ばかり前に本人から電話があって、「明日、入院しようと思っているのだが」という知らせがあった。
 
私はそのとき、もう彼には会えないと思って遠方である彼の家へ初めて訪ねた。
 
彼は駅までわざわざ出向いてくれた。
 
その姿には、もう生気はなかった。
 
涙を流さんばかりによろこんでくれた。
 
そして帰り際に玄関で彼はよろけた。
 
そして、それを見ながら別れた。
 
もう二度と会えないことを知りながら。
 
昭和46年、10月12日夜、ときに男は誰の見届けもなく、ある病院で永眠した。
 
死因は胃がんである。享年54歳。
 
まだまだこれからの人間であった。
 
 
 
そして、それらの10万枚に近い作品は、東京のある警察から、警視庁の何処かの一室に物件として保管されている。(ある人が警視庁におもむいて調べてもらったら処分されていた)
 
波風がおさまれば、世間では、ただひとりの男が死んだとしか思わないだろう。
 
わざとその男の名前を言わないことにする。
 
冥福を祈る。   甲斐久」
 
 
 
忘れられない人だ。

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2018年12月 1日 (土)

文通欄、一通の手紙が生きがいに!

『「ひとりぼっち」の人たちをつないで』と題して、12月16日(日)13時〜15時、ホテルニューオータニの豪華な講義室で講演をすることになっている。
 
なんとしても満席にしたいので、ぼくのブログを読んでくれている人たちにぜひ参加をしてもらいたい。
 
その役目を果たしていたのは文通欄だが、数が増えてくれば、それを利用して相手をおどす人も出てくる。
 
長い文章でとても載せきれないが、ぼくはこんなことを書いていた。
 
 
 
「薔薇同士で傷つけあい、いがみあうなんて本当に悲しいことだ。と僕は何度か書いてきた。
 
世の中の偏見にあって肩身のせまい思いをしているのだから、仲間同士、助け合い、はげましあわなければいけないと思う。
 
薔薇族同士でおどかして金をまきあげるなんて、最低の人間のやることだ。
 
文通欄も号を重ねるごとに登場する人も増えて、今月号などとうとう500人を越す盛況ぶりだ。
 
それに寄せられる手紙も大変な数である。
 
 
 
それにしても今までは、トラブルもまったくといっていいくらいなかった。
 
みんな真面目に友人が欲しい人ばかりだからだろう。
 
しかし、数が増えれば悪い人も入ってくるのは当然のことだが、先月、とうとう嫌なことが起きてしまった。
 
北海道の札幌でお店をやっているNさんからの電話だった。
 
文通欄に載っている東京の大学生に手紙を出し、上京した折にその学生と会ったのだろう。
 
そしてホテルに入った。
 
嫌な予感がしたので少ししかお金をもっていかなかったそうだが、よそうと思ったそうだが、せっかく北海道から出てきたことだしと思ってそのホテルに入った。
 
コトが終わってからのことだった。
 
とたんにスゴみだして、2万円よこせという。
 
お金がないと言うと、腕にはめていた買ったばかりの高級時計をかたにとられてしまった。
 
それから電話番号を調べあげ、今度は金を遅れといやがらせ。
 
それで困りはてて僕のところに電話をしてきたのだ。
 
こういう経験をお持ちの方もきっと大いに違いない。
 
決して警察沙汰にはしないということを知ってのおどしだった。
 
彼の方だって住所もわかっているのだから、もし訴えでれば、困るのはわかりきっている。
 
それでもなおそういうことをするのは、絶対に訴えないというへんな自信があるからだろう。
 
 
 
文通欄を利用できない人が大多数だと思う。
 
全読者のちょうど1割ほどの人が利用しているわけだが、この1通が不幸を招いてしまうようではいけない。
 
この1通によって君になんらかのプラスになり、生きがいになる1通であってほしいと願う。
 
今日もたくさんの手紙が押し寄せるだろう。
 
郵便屋さんも、この管内では一番、郵便の数が多いので、最初に配達してくれている。(そのうち文通欄が千人にもなった時代には、特別の配達人が麻袋に入れて届けてくれた)
 
 
 
自分専用のしゃれた郵便ポストを日曜大工で作って、手紙が送られてくるのを浮き浮きして待ち受けていたばっかりに、家人に見破られてしまった岡山県のS君。
 
文通欄に出ていたステキな彼に、誠心誠意ラブレターを書いて写真まで入れて送った。
 
ところがその手紙が廻り廻って、着いたのが自分だったという千葉県のS君。
 
文通欄に載るときは原文と多少は違っているからね。
 
罰が悪かっただろうね。
 
S君、自分で書いたラブレターを自分がもらって読んでいるS君。
 
幸せだ、君が一番。」

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2018年11月19日 (月)

『薔薇族』が廃刊になって14年とは!

『薔薇族』が廃刊になったのが、2004年の11月号、382号、もう14年の歳月が過ぎ去っている。
 
駒沢大学の大学祭に行って学生たちに『薔薇族』を知っている? と聞いても誰も知らない。
 
学生たちが幼稚園の生徒の頃のことだから知らないのは当然だ。
 
それなのに山川純一のことはみんなが知っている。
 
印刷所に印刷代の未払いがたまっていたので、次号を印刷したら未払いが多くなってしまうため突然投げ出されてしまった。
 
読者に廃刊を知らせることができないのだから、なんとも申しわけなかった。
 
その最後の№382号をしばらくぶりに頁をめくってみた。
 
なんと裏表紙にオカモト株式会社のコンドームの広告が載っているではないか。
 
一般企業の広告を掲載することが、ぼくの夢だったが、それが最後になってしまったとは。
 
「ニューゴクアツ」コンドーム・カラー=ブラック・12個入り。1575円。
 
ゲイの読者用で肛門性交にも耐えられるように作られた丈夫なコンドームなのだろう。
 
エイズから身を守るためのものでこれからもぜひ使ってもらいたいものだ。
 
 
 
「編集室から」には、ぼくはこんなことを書いている。
 
新人立てり立てり時代は正しく飛躍し来たれり、北原白秋作詞・山田耕筰作曲というすごいコンビの我が母校駒沢大学校歌が、阪神甲子園球場に響き渡った。
 
第86回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、駒大付属の駒大苫小牧高校が、愛媛の済美高校を13対10で破って、初の全国制覇を果たした。
 
箱根駅伝では駒大が優勝して、正月早々気分がよかったが、大学の野球部はどうしたことか、最近は元気がなくてふるわない。
 
 
 
決勝戦をテレビで観て興奮してしまった。
 
点を取られれば取り返す。まさに死闘だった。
 
しばらくぶりに校歌を大きな声で一緒に歌ってしまった。」
 
 
 
こんなに母校、駒大の威勢のいい話を書いたのにこれが最後とは。
 
目玉の文通蘭も最盛期には千人を越していたのに、110人とは寂しい。
 
広告頁も激減している。頁数も半分ぐらい。
 
読者の投稿頁「人生薔薇模様」も、たったの3人とは。
 
内藤ルネさん、藤田竜さんのふたりの姿は『薔薇族』から消えている。
 
 
 
今の若い人は、この人の名前は知らないだろう。
 
50年台から70年台にかけて、全世界のゲイをしびれさせたフィンランド生まれのイラストレーター、トム。
 
若い世代にはなじみの薄い存在だが、今また、その画業が脚光を浴びている。
 
「強烈なエロティック・アートの全貌をコレクションする「トム・オブ・フィンランド財団」と親しいぼくが肉薄紹介する! その力強さに魅せられた青春の日々、その思い出を新たに「エロティック・アートショウ」がロスで開催された」のを紹介している。
 
トム亡きあとの財団の理事長ダークさんとぼくとの写真も載っている。
 
トムの館をぼくは二度ほど訪れたが、ぼくを財団の名誉理事にしてくれて、トムの作品を誌上に使ってもいいという、お墨付きまでもらっている。
 
トムの作品を展示する美術館を作ると、ダークさんは言っていたが、実現したかどうかは知らない。
 
表紙絵を描いているのは、藤原正彦さんだ。
 
写真のようなリアルな絵を描く人で、今でも年賀状はやりとりしているが、もう14年も会っていないということだ。
 
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『薔薇族』最後の382号
 
14年。そういえばブログを書き出してから13年は経っている。
 
東京医大の整形外科のひざに人工ひざを入れる手術をしてくれた正岡利紀先生が半年ごとにレントゲンを撮って診てくれているが、「もう12年になりますよ」と言ってくれた。
 
入院中でもブログを書いていた記憶が残っているから、東京オリンピックなんてもうすぐ来てしまうのでは。

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2018年11月10日 (土)

精薄児を愛している先生!

1991年8月号の『薔薇族』の「編集室から」で、読者から送られてきた貴重な手紙を紹介している。
 
 
 
「精薄児の面倒をみているという先生から、こんな手紙をもらいましたので紹介します。
 
世間の垢にまみれることのない青年たちは、心身ともにとてもきれいです。
 
特に自閉的、ダウン的傾向にある子は、おしなべて美しい瞳をしていて、まるで神さまが、この世につかわした天使かと見まがうほどの美しい表情をしています。
 
当校の大多数の生徒は、知能の発育はおそいけど、からだの性だけは普通に生育している、いわゆる精薄の子供たちです。
 
ホモへの要因はいろんな説がありますが、性の関心、発育が幼児期でストップした現象ととらえる有力な説があります。
 
私自身は先天的なものだと考えているし、途中で発育が止まったなんて不自然な説は否定したかったのですが、養護学校に勤めていやが上にもこの説を認めざるを得ない。強烈な実証に毎日触れることになりました。
 
 
 
赴任1日目から美高校生が、かたく勃起したチンポをこすりつけて、強引に抱きついてきました。
 
次の日からは自閉症のK君が僕のからだをいじくり回しながら、オナニーを始めました。
 
今では勃起した僕のモノをしごいて大喜びしています。
 
とんでもない不謹慎と思われるでしょうが、あえて僕は自然にまかせています。
 
この子らを無理にノンケにしたところで、どんな幸せが待っているというのでしょうか。
 
生涯独身で女を買う能力もなく、童貞のまま空しい人生を送るしかないのです。
 
 
 
学校の職員の8割は女性です。残り2割の男教師の中にホモがいる確率は低いのです。
 
どの先生も男生徒が抱きついたといっても、それが性の対象としては受け止められず、投げ返したり、ぶったりします。
 
それが原因かどうかはわかりませんが、Mの子も多いのです。
 
 
 
Y君はよくお尻をつねってくるので、思いきりつねり返してやったら、「アーン」と悶え声をあげて、ビンビンになりました。
 
それだけのことで感じる子供たちですから、本気でプレイしたらどうなるか心配でもあります。
 
一度「犯ってしまうぞ」と言って、チンポの上に座っただけで発射してしまったことがあります。
 
ろくに洗ってないチンポですから、教室中に匂いが充満し、女の先生は顔を赤らめていました。
 
彼らがホモなら、ホモのままであり続ける方がまだ良いように思うのですが、いかがでしょうか。
 
 
 
食堂で朝食をしてるときでも、両どなりの高3の子がお尻を触ってきます。
 
短髪の不良っぽい、からだのがっちりした、いい男ばかりです。
 
彼ら同士でも先生の見ていない所でキスしたり、触りあったりが盛んです。
 
精薄の子らは総じてホモか、ホモを拒まないといっても過言ではない。
 
ならば仲間同士でホモだち、恋男を作ることの方がより自然、よりハッピーだと確信します。
 
 
 
現に僕は彼らをとても愛していますし、一生愛し続けたいと思っています。
 
毎朝、勃起した彼らの着替えに付き合い、この世の天国だとつぶやいている僕は罪人でしょうか。」
 
 
 
ホモでない男の子は、女性の先生に抱きついたりしているのだろうか。
 
普通の知能を持っている人は、なんとか苦しい性欲を理性で抑えているけれど、知能が低くて、理性で性欲をコントロールできない子たちは毎日、欲望をどうやって処理し続けるのか。
 
僕の孫が精薄の子を教える学校に勤めているので、一度見学に行ってみたいと思っている。
 

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2018年10月29日 (月)

あぶない、あぶない限界を越えては!

今は亡き藤田竜さんは「ゲイ雑誌は変態の要素を強くしないと面白くない」と、よく言っていた。
 
いろんなハレンチな設問を考えて、読者にアンケートを求めていた。
 
他誌では絶対に考えつかない竜さんの設問で、読者もよく応えてくれていた。
 
「俺ができる大胆なことの限界」のハッテン篇だ。
 
 
 
「おもいっきり小さなビキニをはいて、プールサイドに寝転ぶ。
 
そしてタイプの兄貴がいたら、ビキニの上からもんで大きくして見せてやる。
 
そのとき兄貴が目をそらさなければ、ゆっくりとトイレに行く!(静岡県・兄貴イ・23歳)」
 
 
 
Pって相手を挑発するサインにも使える便利な道具? だ。
 
トイレに入って待っていても相手が入ってこなかったときの気持ちってむなしい。
 
 
 
「小田急線でハッテンすることかな。
 
結構ノンケさんたちは見てるみたいで、この間なんかノンケのカップルが「この車両って男同士でやってるんだぜ」という話をしてました。
 
アンタの隣にいるアタシがやってんのよ! なんて思ったけど、あんましハデにやるのは控えようとも考えた俺でした。
 
あとは2丁目のお店で民謡を歌う。
 
これはかなり大胆だと思いますけど、どうでしょう。
 
でも、結構盛り上がったよ。(東京・若年寄・23歳)」
 
 
 
ぼくも下北沢から新宿まで、小田急線をよく利用していたけど、満員電車じゃないから触られることなかったけど。
 
触られたとしても触った人はガッカリするのでは?
 
 
 
「会社や家庭では人一倍、真面目人間と言われる自分ですが、不思議と大胆になるときがある。
 
露出狂なのかもしれないけど、ノンケに見せるのが好きで、たまにプレイしているところを見せることもある。
 
暑い季節にはトイレで全裸になっていて、ノンケで真面目そうな男がくると、戸を開けてピンコ勃ちのチンポをしごいて見せたりすると、すごく快感を覚える。
 
もっとたくさんの男たちの前でプレイを見てもらいたい。(大阪・露出好き・48歳)」
 
 
 
いい時代だったんだ。
 
今ならこんなことしたらすぐに警察官を携帯で呼ばれてしまう。
 
おおらかな時代だった。すべてが。
 
 
 
「電車で小学生と乗り合わせる。
 
いかにも電車の揺れのせいだという顔をして、肩や背中、むき出しの腕に触れる。
 
私は若い肌のバイブレーションを楽しむ。
 
ズボンを引き下ろし、○○も唇もすべてを奪ってしまい、その子も私におぼれてゆく……そこまではしない。
 
それが私の限界。
 
私がもう一度小学生になったらきっと世界一スケベな小学生になるでしょう。(埼玉・ゼロ・23歳)」
 
 
 
あぶない限界。そのへんでやめておかないと。
 
 
 
「気が小さいから触ったりとか、声をかけたりなんかできない。
 
だから毎朝の電車でかわいい子、かっこいい人を見つけたら同じ車両のなるだけ近くに寄るのがせいぜい。
 
だけど2度以上会うと、かえって恥ずかしくなるので眺めているだけ。
 
それでも最近はもう完全に幸せです。
 
茅ヶ崎から工学院大に通ってる南條豊に似た男が好きです。(神奈川・E)」
 
 
 
その男を工学院大まで付けているのかな。
 
スゴイ執念。
 
『薔薇族』って読者と一緒になって作り出していた雑誌だということがよく理解できる。
 
小説だってプロに負けない、いや、それ以上の作品を書く人もいた。
 
これはトーハン、日販を通して、くまなく全国の書店に並べることが出来たからだ。

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2018年10月27日 (土)

『薔薇族』の相棒、竜さんは変態好き!

藤田竜さんのスゴイハレンチな質問に読者がアンケートを寄せてくれている。1991年1月号「俺ができる「大胆なこと」の限界」
 
 
 
「僕は彼の出張が多いので、よくひとりフィストファックをしています。
 
自分ではそれほど奥までは入りませんが、彼にやってもらったら腕まで入りました。
 
彼もすごく驚いていました。
 
自分でもよくこんなのが入ってしまうと思います。
 
僕は細身でフィストファックは普通無理なのにと彼も言うし、僕もさけてしまわないかと不安だったりしますが、気持ちもよくて週2回くらいはやってしまいます。
 
最近では彼のペニスを入れてもなにか物足りません。
 
彼には腕を入れてもらっています。(フィストファック・22歳)」
 
 
 
アメリカのゲイの映画で、そんなシーンを見たことがあったっけ。
 
ぼくなんか痔の薬を挿入するのが精一杯。
 
読者にはいろんな人がいるもんだ。
 
 
 
「Pがとっても好きなので自分のをくわえます。
 
家で吸うこともありますが、車で山の中や、ちょっと死角の草むらへ入って、ズボンとパンツを脱いでPをくわえます。
 
半分ぐらいくわえるのが限界ですが、見られるんじゃないかと、ハラハラ、ドキドキしながらPの口当たりを楽しんでいます。
 
あとPが料理された姿を想像すると、コーフンします。
 
コンビニで買った弁当の底に穴をあけて、いかにもPがおかずになってるように穴から出して横たえます。
 
それをカメラにおさめ、なにくわぬ顔で現像に出します。
 
今までPのソーセージサンドと、Pカレーライスを撮りました。(山梨・らんま1/2)」
 
 
 
ロサンゼルスのトム・オブ・フィンランドの館を訪ねたときPをくわえている写真を見たことがあった。
 
軽業師のようなからだのやわらかい人がいるもんだ。
 
こういう人は恋人なんかいらないね。
 
 
 
「体育館の部屋の匂いって最高。すえた汗の匂いがもうたまんねえ。
 
俺、体育会にいたから部屋への出入りは当たり前のことだったけど、入室のたびに勃起させてて、人に気付かれないようにするのに苦労した。
 
ゴミ箱に捨ててある使い古しのサポーターや、Tシャツ類をバレないようにして持ち帰り、何度となくマスかかせてもらった。(東京・GENKI・23歳)」
 
 
 
ぼくはスポーツはやったことがないから、部屋の匂いって想像するしかないけど、強烈だろうな。
 
 
 
「仕事でいろいろな病院で腸造影検査をしますが、患者は下着を控室で脱ぐので、検査を受けている間に私はその下着の匂いをかぎながらオナります。
 
全国の臨床放射線技師のみなさん、職場でのオナニー方法を投稿してください。」
 
 
 
こんなことをする技師さんって、この人だけでは。
 
どこの病院にもいるとしたら、病院に行かれなくなってしまう。
 
 
 
「高校時代、東京にひとりで遊びに来て、その帰りの土産に悪友たちに遊び半分で、コンドームを買ってバラマキましたところ、当時一番憧れていた、まだ仲良くなっていない筋肉ムキムキの同級生から、自分も一個ほしいのでくれないか、と声をかけられたのです。
 
そいつ、かなりオクテの運動バカで、エロ本くらいで鼻血を出したらしく、彼にとってコンドームというのは、未知の憧れだったらしいので、すごくよろこんでくれたのです。
 
それから俺の大胆なこと、そいつをそそのかして、付け方、使い方を知っているかと問いつめ知らないというので……。(東京・イコン26歳)」
 
 
 
それから先は書かなくても……。

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2018年10月15日 (月)

不遇は不幸じゃないんだ!

今から24年前、ネットが普及していなかった時代の「少年の部屋」に投稿してくる高校生の文章力は抜群だった。
 
 
 
「僕は後妻の子でした。腹違いの兄もいます。
 
しかし父は、その異母兄を預からなかったと母に当たっていました。
 
同母兄はそんな父と一緒になって母を馬鹿にし、異母兄と交流を持つようになったのです。
 
父は浮気を重ね、同母兄は非行に走り、家庭内暴力を毎日のようにして、不良グループと学校に放火しました。
 
それが新聞に出てしまい、責任を感じた校長が自殺してしまったのです。
 
しかし、兄は反省するどころか、その校長に勝ったような振る舞いをしていました。
 
結局兄は高校を中退し、父と異母兄の会社に就職しました。
 
 
 
そんなころ、父は人妻と不倫をして異母妹をつくり、蒸発してしまいました。
 
母はいつもの浮気と思っていたのですが、事の重大さを知ったときは、もうおそかったのです。
 
父が家を売ってしまったのです。
 
何も知らない母は、いきなり来た買人と弁護士に裸同然で追い出されました。
 
僕が8歳になる3日前でした。忘れもしません。
 
そのときに思ったのです。母は決して泣かないと。
 
 
 
浮気に忙しく1円もお金を家に入れなかった父に、「そんなにお金がほしいなら、自分で働け」と言われてから、母はそれまで黙って父の仕事を手伝っていたのをやめ、たったひとりで僕を育ててくれました。
 
家庭に一抹の不安を感じつつも、母がいてくれるだけで僕は幸せでした。
 
何も不満なく成長してきました。(中略)
 
母が急に強くなったのは、僕の将来のためと必死に守ってきた「正妻」の権力を行使したのです。
 
家を新築させ、生活費を法的に請求し、養育費を全面的に要求しました。(中略)
 
そして去年、すべてを母に告げました。
 
ゲイであること以外は。
 
それを言ったら理科の先生のことも言わなければならないし、いろんなことが出てきてしまいます。
 
そうしたら母は「上も下もしょうがないわね」って、少し顔をしかめて、すぐに笑ってこう続けました。
 
「ひとりでしっかり生きてゆけるように自分を大事にしなさい」
 
 
 
僕の母に対する最後の感謝の表現は、最後の秘密を一生、母に対して背負うことと、ひとりで生きてゆくことです。
 
それはいつか「親のすねをかじるだけかじってやる」と言っている兄に自立してもらって、こんどは母を遠くから守ってあげることだと思っています。
 
そして母に僕を育てたことを生まれてきた証だと思ってもらいたいと思っています。(中略)
 
自分がグレたのは家庭環境のせいではありません。
 
世の中で複雑な家庭のせいで不良に走ったなんてのがよくありますが、あれはうそです。
 
本人の性格です。
 
僕は自分の意志で戻ってきました。
 
親のせいにするのは甘えであり、逃げているとしか思えません。
 
自分を見るのが、自分の非を認めるのが怖くて、責任転嫁していると思います。
 
それに普通じゃ体験できないような、この家庭環境で、ずいぶん良い勉強をさせてもらったと思っています。
 
人を許すこと。
 
自分を大切にすること。
 
そして不遇は不幸じゃないこと。
 
逆境は力です。
 
この文章を読んでくれている多くの同輩に、後輩に、そしていっぱいの人に、そのことが言いたいのです。
 
死ぬときに「生まれてきてよかった」と言いたいですね。」
 
 
 
こんなしっかりした考えをもっている高校生って今の時代にいるかな。
 
それにしても「少年の部屋」のページは画期的なページだった。

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