2021年1月23日 (土)

女性の方が理解してくれたようだ!

「女性だって応援しています」の投稿。

 

女性の同性愛の雑誌がなかった時代、『薔薇族』を読んでくれていた女性も多かったのでは。

 

「私のような女性から手紙があることは、そうよくあることでもないでしょうが、2年前に購入した『薔薇族』を何度も読み返して、そのたびに新鮮な感動があるので、とうとう手紙まで書きたくなりました。

 

私はおそらく同性愛に関しては、一般の人以上に偏見がないので、私の意見が一般論だとは言えないのですが、一女性の男性間の同性愛に対する考えを書きたいと思います。

 

「ホモ」という言葉を聞くと、私は胸をつかれたようにどっきりします。

 

これが本当にホモの人ならば、もっと激しいショックと苦しみを味わっているのだろうと思います。最近のマスコミはホモというものをなんの理解も共感もなしに、ただスキャンダルとして面白半分に取り扱っています。

 

こんなに残酷なことがあるのでしょうか。これらの発言で同性愛の人たちがどれほど傷ついているかと思うと、とても心配です。同性愛への偏見がマスコミによって、かえって強められているのではないかとも思えるのです。

 

私がなぜ同性愛に関心があるかと言うと、私の心の中に多分にその要素があり、その対象があまりにも背徳的な人だったので、罪の意識と、そのためにかえって強まる情熱に苦しんだことがあるからではないでしょうか。

 

ホモの人たちが同じように苦しんでいるのか、もしかしたらまったく異質の苦しみなのか、それはわかりませんが、共感は感じられるのです。

 

「理解している」とは決して言えないのでしょうが、理解したいと望んでいるのです。私の友人にもホモ的要素のある人がいますが、彼は自分自身をあざむこうとしています。そのように彼に勇気を与えることさえ、私にはできません。もしかしたら女が深入りすることをホモの人々は本当に嫌悪するかもしれません。しかし、私は単なる好奇心ののぞき趣味や、ひやかしで言っているのではなく、決して異常でない同性愛を自分から闇へと引きずり込むことをしたくないだけなのです。

 

人間はここにこうして存在しているかぎり、その人が同性愛者であろうと、三つ目ののっぺらぼうであろうと、異常とは言えないのです。と理屈をこねても現実はままならず、私の力説を友人たちは笑って本気にしませんし、また世間の同性愛、とくにホモの人たちに対する姿勢は冷たいままです。

 

私は同じ人間がなんらかの理由で差別を受けることに我慢ができないのです。アメリカのボールドウィンは私の大好きな作家ですが、彼は黒人で同性愛者で、いろいろと精神的な苦悩を通ってきた人なのですが、彼みたいにある才能で自分を世間に認めさせ、自分のその苦悩を芸術に高められる人は幸せなほうだと思います。もっと多くの人が救われれる日(決して同性愛者でなくなるという意味でなくて)が来ることを私は望んでいます。

もしくは才能ある啓蒙家が出る必要があると思います。その意味で伊藤さんの仕事はすばらしく意義のあることだと言えると思います。

 

ともかく伊藤さんのお仕事に感動し、感心し、感謝までしたい気持ちの女性がいることを覚えていてください。(東京都・M・S)」

 

女好きの男は同性愛者を気持ち悪いと思うだけで、ぼくの仕事に協力する人はいなかったが、女性のほうがよく理解してくれていたようだ。ありがたいことだ。

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2020年12月21日 (月)

空港まで薔薇の花束を抱えて!

アメリカのロサンゼルスに渡って、25年にもなるという日本人。その相棒はイタリアからの移民の背の低い男、若い頃は航空会社で仕事をしていたという。

 

彼らとどう知り合ったのかは、まったく覚えていない。彼らと出会わなかったら、ぼくら夫婦がロスのゲイパレードに、オープンカーに乗って参加することはなかった。それも3回も。

 

サンフランシスコのゲイパレードにも。当時の黒人の知事から、ぼくの仕事に対しての表彰状をいただいたこともある。日本ではぼくのゲイの人たちへの働きなど、ほめてもらうことはなかったのに。

 

彼らがなんの税金かわからないが、払わないと刑務所に入れられるというので、女房が350万も貸したことがあった。2、3度は数万円振り込んできたが、あとはそれっきりだ。彼らと出会わなかったら、アメリカのゲイパレードに何度も参加したりできなかったと思えば仕方がないか。

 

ロスの昭和天皇も泊まったという名門のホテルに何度か泊まり、ラスベガスにも連れていってくれた。

 

美輪明宏さんも彼らの案内で、ロスに行ったこともある。イタリア人の男は文章を書くことがうまくて、アメリカのゲイの情報を『薔薇族』に何度も寄せてくれた。相棒が翻訳してれて。高い原稿料になってしまったが仕方がないか。

 

空港まで薔薇の花束を持って、出迎えてくれたので助かった。車であちこち連れて行ってもくれたし、メキシコの国境沿いの街、古いホテルもあって、落ち着いたいい街だった。

 

日本人はガンで亡くなり、イタリア人がその後、どうなったかは不明だ。

 

彼らに感謝しているのは、モーリスさんという、ゲイの指導者を紹介してくれたことだ。ウェスト・ハリウッドというゲイの人が8割ぐらい住んでいるという、人口、4万人ぐらいの街。そこの広い道路で、毎年、ゲイパレードが催される。道路に面しているお店は、ゲイの人が営業しているので、センスのいいお店ばかりが、ずらっと並んでいる。

 

そこに集まる男たちも、ボディビルで鍛えた人たちなので、そのたくましさは見事だ。カメラを向けても、どの男たちも自慢の肉体をほこらしげに撮らせてくれる。

 

彼らに紹介されて、ウェスト・ハリウッドの市庁舎を訊ねたが、市長をはじめ議員も4、5人しかいない。日本みたいに小さな村役場に議員が10何人もいるということはない。

 

『薔薇族』と同じようなゲイマガジン『フロンティア』のオーナーであり、編集長であるロバート・グレイグさんと恋人のフランス人と出会うことができた。

 

オーナーの家に招待されたことがあったが、30代のフランスの恋人は、料理が上手で、アメリカの料理は量ばかり多くて、おいしくないが、フランス料理をフルコースで、ご馳走してくれた。その味は見事だった。

 

英語などしゃべれなくても、目を見ていれば通じると言ってくれた。このお二人を女房の古里、弥彦村の「ロマンの泉美術館」に招待したことがあった。

 

芸者さんを何人も招いて、ホテルで宴会をひらき、よろこんでくれた。なんとこのお二人もエイズで亡くなってしまった。

 

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お二人ともエイズで亡くなられて!

 

お墓参りに翌年、うかがったが多摩墓地なんてものではない。公園墓地でハリウッドのスターたちの眠るお墓もあり、お花が絶えることがない。お姉さんは高校の教師を長いこと務めていた方で、上品な方だった。

 

日本人でゲイパレードにオープンカーに乗って参加した人はいない。いい思い出になっている。

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2020年11月14日 (土)

文通欄が一番読みごたえがある!

読者のひとりとして、親しくお付き合いしてきたAさん。お金持ちでロールスロイスに乗っていた方で、何度も乗せてくれ、豪邸の自宅に招いてくれて、御馳走してくれていた。

 

もう何年も前に亡くなられているが忘れられない方だ。奥さんや子供さんも何人かいたので、ゲイであることを隠しておられた。

 

ぼくは『薔薇族』を創刊したときに、まず考えた事は、仲間を見つけにくい人たちのために文通欄をもうけて、地方の人でも仲間を見つけられるようにしたいという気持ちが強かった。

 

ネットなんてものがなかった時代だから、途方もなく時間がかかったけれど、それしか方法がない。

 

幸いなことに女房は若いころ手紙の宛名書きを仕事としていたぐらいだから、手紙の宛名書きは早かった。午前中にどかっと手紙が届くと夕方までには、名簿を見て宛名を書きポストに入れていた。

 

Aさん、直木賞を受賞しているくらいの作家だが、『薔薇族』の中で一番注目しているコーナーは「薔薇通信」だという。

 

針金とじの初期の頃の『薔薇族』は、隔月刊だったから、文通欄への投稿は、長いものもあり、短いものもありで、いちいち清書して印刷所に原稿を入れていた。

 

字数を決めて書き込む頁を作ることを思いつかなかった。それが文通欄に投稿する頁を作り、回送券も5人までに送れるようにした。一冊の『薔薇族』を購入して、何十人もの手紙を送られてきたら大変なことになってしまうからだ。

 

Aさん、こんなことを書いている。

 

「『薔薇族』の中で、もっとも読みごたえのあるのは「薔薇通信」ではないかと思う。

 

わずか百三十字あまりの通信文ですが、「文は人なり」というように、わずか11行の中に、私はひとりの人間の教養の程度から欲情の起伏から、はては人生態度まで読み取ることができます。あれをうまくつなぎ合わせていくと、ダイヤモンドのきらめきを持った人間像が浮き彫りにできるのではないかと想像を逞しうしています。

 

そうおっしゃるのなら自分でも小説に書いてみたらどうですかと言われそうですが、そういう野心がないわけではありません。

 

なら自分がそのモデルになってあげますよという人と、自分こそあの渋谷の書店の青年に匹敵すると思う人は、文学さんを通じて私に申し出てください。

 

最後になりますが、『薔薇族』も百五十号目を迎える由、今後も多くの「迷える仔羊」たちのために良き道標となってください。」

 

Aさん、若者にもてるタイプの人ではなかった。理想の若者と出会えなかったのでは。

 

Aさん、自分が亡くなっても一銭も税金をとられないようにしていると、おっしゃっていたが、亡くなってから何年かして、国税局に何億円もの税金を納めさせられたと新聞に報じられていた。日本の国税局ってすごい。

 

東大を出られたぐらい頭のいい方だったのに。

 

一番多い時は千人もの人たちが文通欄に投稿し、相手を求めていた。文通欄に投稿したいと思うものの家族がいてできなかった人もいたに違いない。

 

1984年の12月号の『薔薇族』。

 

「世間を気にしながら生きてついに30代。ひとり2LDKに住んでいると、無性に童顔で清潔な感じの弟がほしくなる。

 

誠実で少し面白い、筋肉質のサラリーマンタイプの兄を求めている25歳くらいまでの弟君、手紙ください。がっかりさせないつもり」

 

板橋区に住む自然流君の投稿。どんな出会いがあったのだろうか。

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2020年11月 9日 (月)

発禁処分になってかえって売れました!

『薔薇族』創刊4周年(第30号、今かrあ45年前)記念特大号にぼくは、「創刊4周年に寄せて・ひとりひとりと握手を」と書いている。

 

「ぼくの長男(小学校5年生)が、まだ2つか3つのころでした。ヨチヨチ歩きのあぶないさかり。そのころのぼくらは共稼ぎで、女房が勤めに出ていることの方が多く、ぼくのほうが子供に怪我をさせてはいけないとお守役でした。ひまだったんだな、今考えると。

 

単行本しか出していなかったから、仕事に追われることもないし、子供のお守りができたのです。

 

家に子供を置いてお袋に任せておくよりは、車(ホンダの軽四輪でした)に乗せて、本の配達に出かけたり、印刷屋や製本所まわりをするほうが気が楽だったのです。

 

自分しか頼れるものはないと思っていたし、自分で運転する車なら、もし事故を起こしてもあきらめがつくからです。子供をけがさせないで育てることも仕事の一つと、毎日のように車に乗せて走り回っていたのです。

 

3月12日、朝の頃、まだ寝ているうちに警視庁保安第1課から、6人の担当官がこられて、『薔薇族』の2月号と4月号をわいせつ文書図画販売目的所持の容疑で調べるとのことでした。

 

東京新聞のその日の夕刊に、こんなふうに報道されています。

 

「ワイセツで手入れ 月刊誌『薔薇族』

警視庁保安第1課は12日、男性同士の性愛描写をした月刊誌『薔薇族』をワイセツ出版物と断定、発売元の東京都世田谷区代沢5−2−11株式会社第二書房をワイセツ文書図画販売の疑いで家宅捜索し、証拠品多数を押収した。

 

手入れの対象になったのは、2月号、4月号で、いずれも全員にわたり絵入りで男性同士の性愛の模様を露骨に描写している。」

 

証拠品多数を押収などというと、どこからどこまで家探ししたように受け取れますが、この日の調べは大変紳士的で、机の引き出しを勝手に開けたりすることもなく、どこの取次店に何部納入しているか、また印刷所、製本所の請求書、領収書(これは何部印刷されているかを知るため)の提示を求められただけでした。

 

それと2月号、4月号の残本を持っていかれただけ。ですから読者が心配している文通欄の名簿を持っていくということは一切ありませんでしたから、ご安心ください。

 

さて、2月号と4月号のどこをワイセツと指摘されたかというと、2月号に関してはグラビアページの「もの憂い夜」撮影・波賀九郎のページです。陰嚢と陰毛が見えるというのです。

 

4月号は「女性自身」の男性ヘアーの問題があり『薔薇族』に波及するおそれがあったので「ヘアーが見えた」にぼくの見解をのべておきました。

 

告白体験記「野郎はいいぜ」のほとんど全ページが指摘、それから「男色西遊記」これは本文の全ページにわたって指摘されました。

 

写真の波賀九郎、嵐万作の諸君も呼ばれ、アルバイトの姉まで呼ばれました。調書調べも紳士的で、わざわざ試写室を使ってくれ、お茶も何度もいれてくれました。

 

今度は検事の調べで、松宮崇検事が担当で、さすがに頭のキレが良い方で、話を一応聞いて書記官に筆記させるのですが、非常に要領良く文章にしていくのには驚きました。

 

結果においては、絵、写真については罪にするに値しないという検事の見解でした。

 

交通違反と同じように略式で、ぼくが20万円、嵐万作さんが10万円(ぼくが払いました)はらって終わりでした。

 

取次店も、書店も「もう売らないよ」ということもなく、いつものように売ってくれているので安心しました。」

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2020年11月 2日 (月)

自民党議員の無能ぶり!

2020年10月16日の東京新聞夕刊「LGBTへ繰り返される問題発言・知識や理解を議員は深めて」の記事を読んで、自民党議員の無能ぶりにあきれはててしまった。

 

「足立区の白石正輝・自民党区議(79)が、9月25日の区議会で同性愛が広がれば足立区が滅びる、との発言をし批判を浴びている問題で、白石区議は今月20日にも本会議で謝罪と発言の撤回をする。LGBTなど性的少数者を巡っては、ここ数年だけでも自民党議員から同様の発言が相次ぐ。なぜ、問題発言は繰り返されるのか。」

 

ぼくは『薔薇族』の編集長時代に10数冊の著書を出版しているが、いずれも印刷部数は少なく、文芸春秋社の子会社の「文春ネスコ」から出版された『編集長秘話』は6千部、週刊文春には1頁をつかって紹介してくれ、文芸春秋社から発売されている他の雑誌にも広告を載せてくれたが、ベストセラーにはならない。

 

今の時代、同性愛に対する理解は深まってはいるものの「同性愛は趣味」と考えている人が多いし、「気持ち悪い」と思っている人もいる。

 

自民党区議、白石正輝さんの発言も本人はそれほど非難されるとは思わなかっただろう。

 

エイズの時代にお世話になった帝京大学附属病院の松田重三先生の話では、医学生に教える教科書には同性愛のことは書かれていないとのことだった。(今のことはわからない)

 

ぼくも同性愛は異常でも変態でもないと、言い続けてきたが、なかなか理解されない。大きな学者の団体、学術会議のようなところで一般の人が理解できるような発言でもしてほしいと思うが、同性愛のことを言えば、その人がゲイだと思われてしまうから、学者も発言できない。

 

平沢勝栄衆議院議員が集会で「LGBTについて、この人たちばかりになったら国はつぶれてしまう」と、19年1月に喋ったそうだが、こんな男が議員になっているなんて情けない。

 

ゲイの人たちがもっと、もっと声を大にして同性愛を理解してもらうように発言すべきだが、そんなことをする人は少ない。

 

日本に同性愛者は、300万人はいるだろうが、団結して選挙に同性愛の議員を出して世の中の人に同性愛を理解してもらうようにがんばるべきだろう。

 

アメリカではゲイの人たちが、大統領選挙に票を入れなければ当選しないそうだ。

 

マスコミもゲイのことを取り上げることはない。東京新聞だけが、ゲイのことを取り上げてくれている。

 

『薔薇族』は、新聞、週刊誌、テレビなどにもよく取り上げてくれたが、全盛時代でも3万部を越したことはない。あとから真似して出てきたゲイ雑誌も同じことだ。

 

300万人、ゲイの人が日本にいるとしたら、1%の人しか購入していないということになる。いかに買いにくい雑誌だということだ。

 

『薔薇族』は16年前に廃刊になってしまったが、朝日新聞の小泉信一記者が「『薔薇族』廃刊」の記事を買いてくれ、マスコミが押しかけてきた夜のことを忘れることはできない。

 

他の真似をして出したゲイ雑誌は廃刊になっても静かに消えていくだけだ。今は応援してくれて、ネットをさわれないぼくを助けてくれ、原稿用紙4枚にひとつの話をまとめて送ると、土曜と月曜に更新してくれる人がいる限り、ひとりでもふたりでも同性愛を理解してくれるようにと書き続けている。無能な議員さんは読んでくれないだろうが。

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2020年10月24日 (土)

人間っていつまで病気との戦いが続くのか!

1992年(今から28年前)そのころのぼくは『薔薇族』誌上で、帝京大学附属病院の松田重三先生にお願いして、特別にエイズ検査の窓口を作ってもらうなどしていたが、『アドン』の編集長、南定四郎さんは、行動を起こして街頭に出るなど大活躍をされていた。

 

身辺の片付けなどしていたら、そのころの読者からの手紙の束が出てきた。

 

「先日、僕は新宿2丁目の「マリンボーイ」(ウリ専の店)という店に行ってきました。僕の相手をしてくれたのは、22歳の男の子でした。僕は23歳なので、ひとつしか違いません。その子が明るければ明るいほど、僕は悲しくなりました。

 

やるだけのことをやっておいて、なぜ、こんな気分になったのか、自分でもわかりません。罪悪感で、2、3日ぐらい食欲がなくなってしまいました。

 

こんな気分になるんなら最初から行かなきゃよかったと後悔しています。でも僕もその男の子と時間いっぱい遊んでいるのです。

 

店にいる時はなんとも思わなかったのに、帰りの電車の中で急に罪悪感を持ち始めました。

 

僕は『薔薇族』を小学校5年の時から読んでいます。でも、広告に載っていた「マリンボーイ」に行ったのは初めてでした。

 

昨年は「スカイジム」に行って、喉の病気をもらってしまい、1ヶ月も点滴を受ける生活を送ってしまいました。『薔薇族』を読む時は「伊藤文学のひとりごと」と「編集室から」に最初に目に通します。

 

その中で伊藤さんがあれだけエイズについて書いていたのに、自分の好奇心に勝てなくて、派手に遊んでしまいました。

 

Hをするときは相手の人にスキンをつけてとお願いしますが、中には嫌がる人もいます。

 

もし僕がエイズに感染したら、誰とも遊ばないと断言できるかは自信がありません。むしろ仲間を増やしてやると思うかもしれないし、とんでもないやつですよね。ごめんなさい。

 

昨年、喉の病気をもらった時は、病院で血液を4本ぐらい取られて検査をされましたが、何も言われませんでした。エイズの検査ではなかったのですが…。

 

エイズの検査って何度か受けた方がいいのですか? 初体験は文通欄で知り合った24歳の人でした。僕が17歳の時でした。

 

それから何十人という男と寝たかわかりません。伝言ダイヤルを使って知り合った人たちとか。

 

僕と同じ歳でエイズになってしまった大学生の気持ち、僕にもよく理解できます。(前の号でエイズに感染してしまった大学生の投稿を載せ、大きな反響があった)

 

この大学生のように強く生きていけるかどうか、自分ではわかりません。SEXを我慢できるか、自信がありません。

 

ホモは悪いことでもなんでもないですよね。人が人を好きになるのは当然ですからね。それが体だけの付き合いでも。ちょっと違うかな?

 

僕は遊ぶ時は、伊藤さんの「伊藤文学のひとりごと」と、「編集室から」の記事を心の片隅に置いているつもりです。

 

でも自分の気持ちと、好奇心に負けてしまうのです。また、いつ病院のお世話になるかもしれないのに、ついつい遊んでしまうのです。

 

自分の気持ちにブレーキをかけることが、時々できなくなるのです。やっぱり検査を受けた方がいいのでしょうか」

 

 

どこの誰かわからない人の手紙だが、行動している読者は、みんな彼と同じような気持ちだろう。

 

エイズがおさまったら、今度はコロナウイルス。人間っていつまでも病気との戦いが続くのか!

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2020年10月19日 (月)

『薔薇族』創刊50年、女房との結婚も50年!

ぼくが最初に本にした昭和53年(1978年)『心が破けてしまいそう・親兄弟にも言えない この苦しみはなんだ』(光風社書店刊)

 

この時代は男好きであっても、女性と結婚しないわけにはいかなかった。結婚問題が多く載っている。その中の京都市のYさんの投稿を紹介しよう。

 

「私はホモです。でも妻や子供を愛しています。どんなに好きな人がいても家庭を捨ててまで好きな人に走るなどということは、とてもできません。そうかといって男の恋人とただ享楽的に、その場さえよければというのでは決してないのです。恋人のために少しでも家庭を犠牲にすることが私にはできないのです。

 

ホモも昔に比べてだいぶ世間に認められるようになってきたとはいえ、今現在、「私はホモです」と、世間に向かって言える人がいるでしょうか。解放運動とかなんとか言っても今の日本では、とても大変なことです。

 

私は幸か不幸か、男も女も知らないうちに(心の中では男性に興味はありましたが)、学校を卒業してすぐに結婚しました。長男がもう高校3年生で、一緒に酒を飲むのが今の私の大きな楽しみの一つです。

 

バアや、クラブにも連れて行きます。(ゲイバアではありません)Y談もします。

 

妻は田舎出の温厚な女性で、精神的にも物質的にも私に満足しているようです。妻はセックスに淡白なので、このごろでは月に数えるほどしか交渉はありませんが、そんなものかと思っているようです。そういう意味では私はとても恵まれているのです。

 

このごろ、貴誌でも結婚問題の不安について取り上げています。ごもっともとは思いますが、結婚しようという気持ちがあれば、躊躇わずするべきと思います。

 

普通の夫婦でも結婚生活はお互いに努力をしていかなければなりません。ましてホモの人が結婚するとすれば、その努力は人の2倍も3倍も必要です。結婚しようという気持ちがあれば努力すべきですし、しなければいけません。

 

結婚生活にとって「性」の問題は大切なことですが、でもセックス だけが全てではないと思います。

 

結婚は「惚れた、はれた」ではなく、時がたてば夫婦の愛情というものが生まれてくるはずです。普通の人間であれば、人を愛することができる人間であれば、夫婦の愛、親子の愛が必ずできてくると思います。たまたま私がうまくいったから、こんなえらそうなことを言えるのかもしれませんが、でも私は私なりに努力してきたつもりです。

 

中には女性なんか見るのも気持ちが悪いという方もいるかもしれません。そのような方はやはり結婚は諦めなければ、しかたがないかもしれません。男性の都合や世間体だけのために女性を犠牲にすることは罪悪です。

 

なんだか偉そうなことを書きました。貴誌の益々のご発展をお祈りします。」

 

投稿してくるような読者は、真面目でしっかりした考え方を持っている人ばかりだ。なんだかぼくが叱られているようなものかもしれない。

 

ぼくの親父は女性に関しては、とんでもない男でどれだけ母親を泣かしたことか。

 

ぼくも『裸の女房』(彩流社刊)に、先妻の女房との出会いから、33歳で事故死するまでの15年間を書いたが、出会ってからの2、3年と亡くなる前の2、3年は、いい亭主だったが、とんでもない男だった。

 

今の女房と結婚して早くも50年。先妻が残した息子を立派に育て上げ、両親の面倒を見てくれたのだから感謝するしかない。

 

素晴らしい読者をもって、ぼくは幸せだった。

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2020年8月22日 (土)

男しか愛せない男は結婚してはいけない!

「『薔薇族』は結婚したらいけないとは、一口には言えないと思う。『薔薇族』には二つの道があるのです。

 

一つは男も女も愛することのできる人だ。男に対してもボッキするし、セックスもできるし、ホモとしてのひととおりのことができる人である。もちろん女に対してもセックスできる人であるし、それと子供も作りたい人のことである。

 

このような両刀使いの男なら、結婚しても必ずうまくゆくし、男と遊んでも別に世間の人から変な目で見られることもない。

 

両刀使いの男には、結婚しろって言ってやるべきでしょう。

 

もう一つの道とは、男に生まれて男しか愛せない男のことである。この男に対しては、結婚してはいけないと言ってもよいのだ。

 

どうしてって?!

 

男の裸体にしかボッキしないのに、どうして女の裸体にボッキするわけがあろう。

 

街を歩いていても目に入るのは男だし、男のふくらみしか目に入らないのである。いい男性が向こうから歩いてきたら、立ち止まって見て、振り向くのである。女なんてもちろん目に入らないし、男、男ですよ。

 

女といる時よりも、男友だちといる方が楽しいし、幸福でもある。だから結婚してもうまくゆくわけがない。だから男しか愛せない男は、結婚してはいけないと言える。

 

以上は自分のことを書いたつもりです。この男しか愛することのできない俺が、どういうことでしょう。結婚したのです。

 

でも今はひとりで生きています。つまり早い話が去年離婚しました。別れたと言ったら聞こえはいいけど、本当のことを言うなら逃げられました。

 

理由はもちろんセックスのことです。両親、兄弟などの強い勧めで見合いをした俺は、その時、28歳でした。もちろん女に対してなんの感情もなく、ひとすじ男、男で過ごしてきた日々出会った。

 

その俺がどうして見合いなどしたかって不思議でしょう。世間体もあるって親兄弟に説得されたのです。

 

それと俺自身もなんとかなるだろうと安請け合いをしたのです。見合いをした時、女つまり大人の女性と話をするのは初めてでした。でもどうしたことか、話がとんとんと進んで、相手がOKの返事をよこしたのです。もう、びっくりしました。

 

また、なんとかなるだろうの気持ちが動き半年後、結婚へ。その間、何度かのデートもあった。でも何も楽しくないし、その帰りにホモだちのところへ寄り、セックスした日もあった。

 

さて新婚旅行です。車で回りましたが、車内ではろくに話もせず、ホテルに入っても同じで新婚初夜は東京です。二人とも疲れているので、そのまま寝ました。

 

さて、アパートに帰ってから二日間は何もなく、三日目の夜に一度ぐらい頑張ろうとしました。できたのです。結合したのです。

 

女の性器の中に入ったのです。何か温かい変な気持ちでした。

 

会社から帰っても面白くないから、遊んで帰る日が続いた。

 

夏になり、秋になり、そして冬が去った。決定的になったのです。野口五郎の歌ではないが「春に別れる約束だった」とね。

 

結婚して一年と少しで終わった。これで良かったのだと思う」

 

 

『薔薇族』の編集長のぼくだから、男性側の味方をすべきだが、これでは女性が気の毒すぎる。

 

41年も前の話だから、この時代、ゲイでも結婚しないわけにはいかなかった。今はこんな話、昔話と言っていいのだろうか?

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2020年8月 8日 (土)

文通欄は大きな心の支え!

『薔薇族』の文通欄が地方に住む読者にとって、唯一の仲間を見つける大事な手段だった。

 

山形県の一番屋さんの投稿を読むと、文通欄を通して知り合った仲間との出会いが大切だったということを思い知らされる。

 

「われわれ地方に住む者にとって、『薔薇族』は大きな心の支えになってくれます。都会と違って集まる場所もなければ、心を開いて酒を酌み交わす場もないわけだから、僕は3年ほど前からときどき買って読んでおります。

 

その間、通信を利用して知り得た友も何人かおりましたけど、いつも長続きせずがっかりさせられました。どうして長続きする交際ができないのだろうか? それは心を開いて素直な気持ちで付き合ってくれる人がいなかったから。また自分もそうしなかったからだと思っています。だけどこんな自分の前にも、ようやく真実の愛が現れました。

 

彼とはじめて逢ったのは、昨年の10月9月、体育の日の前日だったことをよく覚えています。

 

僕が駅まで出迎えに出ると、改札口で彼はペコンとお辞儀をしました。逢うまでは彼という人間を自分勝手に想像していましたが、実に爽やかな感じを受けました。

 

その晩はいろんな話をして、翌日の昼過ぎに帰って行きました。今度また、今までみたいに1日の巡り逢いで終わるのかなと思ってみたりして。

 

ところが案に相違してそれからというのの、10日に1度の割合で逢い、愛し合い、また語り合いました。

 

汽車で3時間の距離もなんのその、それだけ好きだということなのかも。歌の文句じゃないけれど、逢っている時はなんともないが、別れた後の気持ちがとても辛いものでした。

 

2人でどこかへ旅行しようということになり僕の発案で八丈島へ正月休みを利用して行ってきました。

 

雪国育ちの僕にとって、八丈島はまるで外国のようなものでした。2泊3日と短い旅でしたけど、とても思い出深い、忘れることのできない旅行となりました。

 

ホテルの人たちに「兄弟ですか」と言われた時は、言葉に言い表せない嬉しさを感じました。

 

楽しい時の時間の早いこと、まるで走馬灯のようなもので、時よ、このまま止まってくれと叫びたい心境でした。今も写真を見ては思い出しています。

 

彼と知り合って早4ヶ月、何もしてあげられない僕だけど、優しさと誠実な心でいつまでも付き合おうと心に決めています。

 

最後に伊藤文学様、いつまでも僕たち地方に住む者に対して、希望と勇気を与えくださることをお願いします。」

 

今、このブログの原稿を書いているのは、2020年7月20日の午前4時、11時ごろ床に入ったのだけど何度も目が覚めて、眠れないので起き出して机に向かってペンを走らせている。

 

睡眠薬を飲むのはやめようと思って、飲まずにいたのだが、あまりにも寝付きが悪く、夜中に何度も目が覚めるので、医師にお願いして睡眠薬を処方してもらった。

 

その前にテレビのCMや、新聞広告で見て「ぐっすりずむ」という薬を買い求めても飲み始めたのだが、この薬は飲み続けないと効き目があらわれない。

 

医師に処方してもらった睡眠薬、効き目抜群でびっくり。ところが3日目には効かなくなって元に戻ってしまった。家にばかりいて歩かなかったのがいけなかったのか、体を疲れさせないと眠れない。

 

今日から外に出て歩き出した。

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2020年7月27日 (月)

少年が好きだから教師の道を!

「知らぬままに先生と手をついないでいた」と題する松山市中学3年生の投稿。

 

先生は読者の中でも一番多い。少年が好きだから教師の道を選ぶのだろう。

 

「僕は中学3年の男の子。割と真面目で部活に励んでいます。

 

住んでいるのは伊予国の松山市。『坊ちゃん』で有名。実は僕『薔薇族』を2ヶ月前に知ったんです。とても驚いたけど嬉しかった。それで顔を赤くしながら大急ぎで買って走って帰った。自分の部屋で開いてみてもう胸がドキドキ。いつの間にか勃ち上がってしまって、すごい本だなあほんとに。

 

今は僕、学校の先生が好きになって困っているんです。それもうんと年上の40歳を越している中学の先生。とても優しいのです。学校の中でも偉い先生みたいで、若い先生がいろいろ教えてもらっている。とても落ち着いていて、穏やかないい顔しているんだ。歳の割には足も長いし。その先生がバレー部の顧問をしている。僕、バレーボール部員。練習の時は厳しく仕込んでくれます。普段はとても優しいお父さんみたい。つい甘えて抱いてもらいたくなるような。

 

その先生が好きになったのは春休み。松山の町の真ん中、松山の繁華街です。そこでばったり会ったんです。

 

「いっしょに歩こう」なんて誘ってくれるものだから大判焼きを3個買って僕にくれたのです。僕嬉しくて。

 

それからなおもいっしょに歩いて、とうとう堀之内公園へ来てしまった。全然疲れなかった。堀内の桜並木から土手へ上がって、人影の少ない木立の中を2人で歩いたんです。まるで恋人みたいだなあと思いました。とっても幸せな気分でした。

 

どこからも見えないような大きな松の木の下でしばらく立ち止まって話をしました。いつの間にか手を繋いでいるんだ。不思議。

 

「もう帰ろうか」

 

「ハイ」そう言って先生は僕の肩に手を回して、グッと抱き寄せてくれたんです。胸に頭をくっつけるように、しばらくじっとしていました。

 

先生の匂いがしました。いい匂い。あれ何の匂いだろう。香水の匂いかな。いや、洋服の何か、ナフタリンというのか、いい匂い。懐かしい匂い。

 

それからその先生、大好き。今、その先生がいるからバレーボールも一生懸命やる。

 

学校へ行くのも楽しくてしょうがない。友達も結構いるけど、その先生さえいてくれればいいんだ。何となく先生、僕に特別な目をかけてくれるようなんだ。嬉しい。

 

また2人で歩きたい。抱きしめてもらいたい。2人だけになりたい。それだけでいいんだ。M先生、大好き。」

 

ほのぼのとしたいい話ではないか。これから2人がどうなったのかはわからないが。

 

先生と生徒の話は、『薔薇族』誌上では珍しいことではなかった。この先生、独身なのだろうか。40歳を越しているという先生、この時代、40歳を過ぎて結婚していないわけがない。独身でいたら親たちにも学内でもおかしいと思われてしまうから。

 

四国の愛媛に住む先生。書くことが好きな先生で投稿をしばしば寄せてくれた。ジャニーズの公演を聞きにくるために上京してきたときにお会いしたことがある。

 

奥さんや子供がいるのに、山の分校に単身赴任した時が一番楽しかったという。流石に校長になってからは、欲望を抑えていたようだが。

 

脳梗塞で倒れてからは奥さんの看護なしでは生きられなくなってしまった。何とも皮肉な話ではある。

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