2020年1月18日 (土)

ぼくにも帰りを待ってくれる人が!

ネットなんてものがなかった時代、昭和47年(1972年)の『薔薇族』3号の「薔薇通信」欄(すでに195名が載っている)を読むと、東京に住んでいる読者でも、寂しい思いが伝わってくる。
 
●東京都・中野区・S・A
 
大都会の空の下、ひとりで生きている23歳のぼくです。
 
仕事から帰ってもアパートの小部屋は真っ暗。ぼくにも帰りを待ってくれる人がいたらどんなに素晴らしいかと思います。身長172センチ、体重61キロのぼくですが、兄さん、あるいは父さんと呼べるような人を望みます。できれば少し太った人がいいのですが。
 
 
●東京都・葛飾区・K・K
 
街角を親子連れが楽しそうに語り合いながら歩いているのを見ると、とてもうらやましく感じます。
 
両親の顔すら知らない私に、ひとりぐらい息子がほしいと願うのは、私のわがままでしょうか。お互いに誠意を持って交際してくれる方。一緒に旅行などもしたいと思います。まじめに交際してくれる20代の人の連絡を待っています。
 
 
この人たちいい人とめぐりあえたのだろうか。
 
ぼくはひとりで生活したことがないから、真っ暗な部屋に帰ってくる気持ちって、寂しいだろうな。
 
どんな事情かはわからないけれど、両親の顔すら知らないという人。つらいな。幸せになってほしい。文通欄って大事な役割を果たしていたと思う。あまりにも切実な願いだから。
 
 
●福岡県・H
 
アメリカのロスの6番街のバスターミナルの前で「バカ、バカ、日本みたいなところにどうして帰るんだ。オレ、これからどうすればいいんだ。本当に死んじゃうぞ」と、わめきながら、黒い肌をかきむしり、大粒の涙を流した、私のかわいい助手、トムソン君のことを私はいまだに思い続けています。
 
21歳のすばらしい黒人青年でした。東洋人である私の黒人に対する好奇心ですら、ためらいなく受け入れてくれて、彼のベッドの半分を与えてくれた夜から、私は彼の赤ちゃんになったのです。
 
どなたか私をトムソン君がしてくれたようにこなごなにしてほしいのです。私は40歳、160cm、68kg。肌がきれいだと、トムソン君が言ってくれました。
 
 
どんな仕事をされていた方なのか。黒人青年を助手にしていたというこの人、願いどおりになったのだろうか。
 

 
●滋賀県・大津市・I
 
君の寂しそうな澄み切った瞳が、ぼくの胸を騒がせる。君の赤いくちびると、真夏の香りでいっぱいの浅黒い肌が、ぼくの心をはやらせる。清い果実のような君、ひとりでは世間を渡っていけないような君。そんな君がぼくの愛の対象なのだ。
 
初めて大津に住んで、右も左も分からないと満たされない思いがつのっていくだけ。東京に住んでいた頃は、多少しかるべき場所を知っていたので、孤独に悩むことはほとんどなかった。だが今は皇子山で運動して汗を流し、帰ってきてベッドに横になって眠るだけ。
 
むなしいというか、健全というか、性的不満が高まっていくだけなのだ。
 
夜が白むまで快楽の時を過ごしたい。あらゆるテクニックを使って何度も絶頂感をあじわいたい。君の赤いくちびるが浅黒い肌が、そしてたくましく大きい君自身が、ぼくのものと一体になって、限りない愛の世界へと昇華していく。これこそがぼくの求めている愛の姿なのだ。
 
 
地方に住んでいる人は、すぐ会える理想の男と出会うことは難しかったのでは。

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2020年1月 6日 (月)

ネットで『薔薇族』創刊号から読めるように!

昭和49年(1974年)という年は、東京都物価は、前年比20%を越す狂乱物価、1973年の地価上昇は過去最高32・4%。空前のゼネストで2日間マヒという時代だった。
 
『薔薇族』第15号(昭和49年1月刊)の「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。
 
「また新しい年を迎えます。今年は日本にとっても、『薔薇族』にとっても大変な年になりそうです。インフレと物資の不足、物価の急騰で雑誌を続けることの難しさを痛切に感じます。
 
第二書房は創立25年、戦後のなんにもない時代に、会社を創立し、一向に大きくならないけれど、誰にも迷惑をかけずに今日まで続けてきました。
 
浮き沈みの激しい出版界にあって、なんとか続けてこられたのは、社員を使わなかったからです。出版の仕事は大きくやるか、ひとりでやるかです。今のような出版物だとなおさらです。何人か社員がいたら『薔薇族』は出せなかったでしょう。
 
現在は家族みんなが力を合わせて、手伝ってくれています。社員といえるのは藤田竜さんだけ。ぼくは企画・編集・営業から本運びまでの一切、父は経理と荷造り、母は郵便局へ行ったり、女房は文通欄を子供を見ながらやってくれ、姉もこのごろ手伝いに。
 
家族ぐるみの雑誌作りというわけ。だから読者の秘密は外部にもれることはないし、その点は安心し、信頼しきっていただけると思います。ちょっと大変だけど当分はこの態勢で頑張ろうとはりきっています。そのほうが読者のためにもなることだから……。だから日曜も夜もないけれど、朝9時前の電話と、夜中の電話だけはかんべんしてください。
 
皆さんにも喜んでもらいたいのですが、ぼくが育った木造二階建ての家がボロボロになってしまい、返本の重みで床が抜けてしまい、どうにもならなかったのですが、いよいよ一月の末には三階建ての鉄筋で小さな建物ですが完成します。
 
それが世田谷学園の同じクラスの友人、蟹江尚司君の設計、施工は秀建設の加藤五十吉君、電気工事も同じクラスのバレー部のキャプテン、鐘広電気の久保田真昭君と、友人たちが力を合わせて建ててくれています。
 
三階の大広間も読者が集まれる部屋にしたいと思います。美輪明宏さんが豪華な門灯を贈ってくれました。ゲイの世界を少しでも明るくしたいという願いをこめてのものです。門灯の明るい光が、きっと読者のひとり、ひとりの胸の中にさしこむ日が、きっと近い将来にやってくるに違いありません。
 
家族だけでなく、この雑誌を続けていくための大きな力になっている、藤田竜君の偉大な才能にも拍手をおくってください。また絵、小説などを贈ってくれている皆さんにも感謝の気持ちと、お礼をのべさせていただきます。」
 
文通欄への投稿数も、北は北海道から、南は沖縄までの読者から、295人にも増えている。それらに寄せられる手紙も、月に3千通を越しているが、それをひとりでひきうけていた女房に感謝。
 
こんなに多くの人が利用している通信欄は日本の雑誌の歴史にもなかったことだろう。
 
先日も電話で、40歳を過ぎた地方の妻も子もいる読者が、生まれて初めて文通欄を通して仲間ができてセックスしました。こんなにすごい刺激は初めてでした。と、声をはずませて聞かせてくれました。
 
写真も波賀九郎さんが登場し。小説も笹岡作治さん、楯四郎さんも力作を寄せてくれた。ページ数も122ページと増え、内容も充実してきていた。
 
針金とじの時代の『薔薇族』をネットで若い人たちに読んでもらえるようにしたいものだ。

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2019年12月30日 (月)

大波をくらってカメラも修理不能に!

1971年(昭和46年)に『薔薇族』を創刊してから2年目の昭和48年に『別冊・薔薇族No.1』を刊行している。内容は波賀九郎さんの力作、「怒涛」と題する写真がほとんどだ。
 
読み物はぼくの「東北大生・ホモ殺人事件に想う」と、月岡弦さんの「魅惑の裸像」と題する小説だけ。
 
巻頭に波賀九郎さんが「怒涛の男・撮影記」を書いている。六尺ふんどし姿のモデルは、精悍な顔つきで最高。からだもすばらしい。波賀さん、モデルにほれこんで撮影したに違いない。
 

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「夏が終わりを告げた後の海は、しばしば私の写真の絶好の撮影場所ともなる。今回はかねてからの予定地、静岡県の焼津港に出かけて行った。モデルの学生のS君とである。
 
静かな港に一隻だけ男たちが忙しく立ち働いていた。照明、遠洋漁業に出かけるためであろうか。漁具や食料などをさかんに積み込んでいるところであった。
 
港の周辺で少し撮影をした後で、砂浜に出た。そこに沖を向いて並べられた古い墓地があった。S君は私がとくに要求もしないのに自分から進んでポーズをとってくれた。よくみると無縁仏の前であった。おそらくその昔、この焼津の漁の活気をしたって集まってきた各地の漁師たちが、荒波に出ては精一杯暴れ回れて、その終焉をこの土地で果てた人々や、シケにあってついに帰れなかった人たちのものであろうか。
 
私はS君が、ここを撮影場所に選んだ意味が少しわかる思いがした。(中略)撮影がすすんで陽光が西に傾くのも知らず、熱中していた私は、次第に潮が満ちてくるのを気づかなかった。そしてひときわ大きな波のうねりがおそってきた瞬間、S君も私も、そしてカメラもろとも大波をかぶって岩にたたきつけられていた。
 
やっとの思いで波の届かぬ岩にはいあがりよくみると、S君の日に焼けた、真っ黒な肌はずぶぬれで、からだ中、擦り傷だらけになっていた。
 
おかげで日頃から肌身離さず持ち歩いていたカメラは、もう塩水をかぶって修理不能なまでに破損してしまった。しかし、幸いなことにフィルムだけは生きていて、暗室のパットの中の印画紙の上に、まざまざとそのときの様子を再現してくれた。
 
こんな状況で、今回の焼津の撮影は終わった。出来上がった写真をS君に見せると、いつもは無口で言葉少なく、まして滅多に笑い顔など見せたことのない彼が、大きな目を一層大きく見開いて、「わあ、東映のやくざ路線ですね」と言って、カラカラと屈託のない笑い声を立てた。そのとき私は、足の傷や、腰の痛みも、カメラの損出も、すっかり忘れ去って、さわやかな彼の笑顔をただ、しげしげと眺めていた。」
 
まさに命がけで撮影した焼津港での写真。積み重ねられた無縁仏の墓跡の前のS君の写真、手を合わせたくなるくらいだ。
 
波しぶきの前での写真、岩の上での写真、波賀九郎の最高傑作だ。大波を浴びて姿がみえなくなっている写真、こんな写真で別冊を創刊2年目で出せたなんて夢のようだ。
 

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「編集室から」に、ぼくはこんなことを書いている。別冊も藤田竜君とふたりだけで出したのだからすごいことだ。
 
「今年は武田肇写真集『少年たち』、波賀九郎写真集『梵』、栗浜陽三写真集『褌遊』と3冊もひとりで出すことができたことは快挙というべきで、社員を何人も使っている出版社でもできないことをやってのけたことで、ひとりで満足している。
 
これはひとえに熱心な読者がぼくを支えてくれたからだ。「いい本ができました」と、激励の電話で元気が湧いてくる。」
 
ああ、いい時代だった。

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2019年12月 2日 (月)

刑務所の中での男同士の欲望は!

ぼくのブログの中で、現在一番多くの人の読まれているのは、刑務所の看守の読者が投稿してくれた「刑務所の中での男の世界」だ。
 
創刊して4年目の『薔薇族』1月号・No15藤田竜君が力をそそいでいた時代。「人生薔薇模様」の読者の投稿欄に「K刑務所での灰色の快楽」と題する(東京・いざわ・さわ男)さんの体験記が載っていて、貴重なものだ。
 
「この体験は私自身の何年か前の体験記です。人間として本能ぎりぎりの禁欲生活は当然、同性にしか求められない欲望は異様でもあり、残酷でもあります。その反面に理想の若者と所内で知り合い、肉体関係をした思い出が、今でも鮮烈に記憶の中に刻み込まれています。
 
所内でのホモ関係は信じられないほどジェラシーが強く、時代によっては三角関係、四角関係になって殺傷事件をひきおこすこともまれではない。
 
かわいいタイプの若い受刑者が新入りとして入ってくると、欲望に飢えた古い連中は、その新入りをマークする。運良く部屋が同じだったら、その喜びようは大変である。
 
もし、その相手が浮気でもしようものなら殺傷事件にまで発展しかねない。それを看守に発見されようものなら、独房に入れられて、相手の受刑者と出所するまで別れ別れにさせられてしまう。所内のホモ行為はタブーであり、きびしい掟でふたりはひきさかれてしまう。
 
刑期は人によって違うが、短い人は10ヶ月から一年半くらい。長い人は5年から10年くらいの人もかなりいる。そのほとんどが再犯者である。
 
中には少年刑務所からきた初犯者もいる。20代の受刑者が大半で、チンピラ、ヤクザ風のものも少なくない。
 
これらは血気盛んで相手とトラブルを起こしては独房行きである。やくざのおにいさんたちは、全身、上半身、下半身と色どりもあざやかな、バラ、ボタン、桜、竜、蛇、観音像といれずみを入れており、風呂に入った時は壮観で、そのからだはたくましく、湯からあがった身体にはられたいれずみは鮮明に浮かび出て、その美しさは目も眩むようである。
 
風呂は1週間に2回くらいで、1回に15人くらいは入れるほどの広さの浴場で、坊主頭の男性たちが一斉に湯船にはいるさまは異様でもある。
 
若い健康そのものの逞しい身体を、お互いに見せ合っているものもいる。中にはペニスを隠さず堂々と入っていて、目の前に大きなものをもってこられると身震いする。
 
仲間のひとりが相手の身体を触ったり、ペニスにも触ったりして、身体を洗いあっている姿を見ていると、受刑者であることを忘れてしまうほどの明るい気持ちにさせられる。
 
朝夕と舎房から工場へ、工場から舎房に行く途中に「検身場」がある。「カンカン踊り」と言われるもので、裸になって両手を上に上げて、「何号、何号」と叫びながら看守に全身を調べられる。この姿は肉親には見せられないつらい光景である。
 
所内でもっとも楽しい行事のひとつに、日曜日に行われる映画会がある。刺激のない作品がえらばれて上映される。この映画会の会場は受刑者たちの顔見せでもあり、所内唯一のデート場でもある。愛し愛されるふたりにとっては絶好なデートのチャンスであり、大胆なことはできないが、結構スリリングな愛撫がひそかにくりひろげられる。
 
出所してからもう何年か過ぎた今でも、若い受刑者の姿が、私の目に現れてくるような気持ちにさせられてしまう」
 
露骨なことは書かれていないが、貴重な体験記で、そこには残酷な愛があったのだろう。

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2019年11月30日 (土)

この世は天国と地獄がとなりあっている!

藤田竜さん、『薔薇族』の編集部から去ってしまった。それと同時に若い多摩美大卒のN君が入社してくれた。創刊のころ、訪ねてきてくれたことがある青年なので、前から知っていた青年で、毎日、楽しく仕事をしてくれていますと、「編集室から」にぼくは書いている。
 
竜さんは続いてこんなことを書いた。
 
「俺が考え出した「人生薔薇模様」にしても「男街13番地」にしても本当はこういう形でなかったのだけど、いろんなものは生まれるとひとり歩きしてゆくもので、だから、これからは俺もこの欄を利用させてもらうのに、かえって気持ちいい。
 
あんた、あの雑誌やってていい男いっぱい食ったんでしょ、なんて誤解は多いのであるけれど、実際は一人か、二人と付き合ったくらいで、まずは情けなくもなにもない。お客さまは神さまであるから手をつけてはいけないのだ。
 
もう、フリーだから、これからは薔薇通信も大いに利用させてもらう。ついでだから、ここに書いてしまう。
 
❤︎東京都・渋谷区・ドラゴン 初投稿の35歳。175×73。短髪、やや出腹、ヒゲと胸毛つき。人はやさしい目といいます。(このあと、くわしく希望を書いている)
 
これ、本気なんだからね。『薔薇族』と決別して傷ついている俺を誰かなぐさめてよ。今まで本誌でがんばってきたのだから、男のおあたいぐらいあってもよかろうと思うのだが、どんなものだろう。
 
ひとときでも幸福になりたい人は、ドラゴンさんに手紙を出そう。この文章に腹を立ててる人は、本質的に不幸になるだろう。
 
この世は常に天国と地獄がとなりあっている。そして男好きの男の世界ではその格差が激しい。不幸になる人は、己が罪とはいえ、どんどん不幸になるようになってる。それも人生。ドラゴンさんに気に入られたら、どんどん幸福になる。それも人生。ああ、愉快愉快。
 
ほんじゃ、ま、皆さん、お元気で。ほんとにさようなら。」
 
竜さんの大ファンで、すばらしい小説を書き残してくれたNHKのアナウンサーだった盾四郎さんが「花道から消えてしまった竜ちゃんに惜しみない拍手を!」と題して、うれしい一文を寄せてくれた。
 
「竜ちゃん
 
『薔薇族』から藤田竜が消えるなんて−−。
 
まるで海老蔵が突然引退しちゃったみたいなもので、僕はとっても寂しい。
 
今、僕は創刊号を手に取った時の、あの新鮮な驚きを思い出すのだ。こんな雑誌が発刊されるという予告は、それ以前に週刊誌か何かの記事で知ってはいた。そしておそらく、毒々しい表紙の、乱雑に活字がつまった、あの種の雑誌なのだろうという予想が僕にはあった。だから、今はない上野の地下道の本屋で創刊号をめくった時の清々しさは、むしろショックだと言ってよかった。この種の雑誌でもこんなに綺麗に作れるものなのかと、その発見がショックだったのだ。(中略)
 
とにもかくにも、君は大向こうをうならせて、飛び六法で花道から消えてしまった。チャリンと揚げ幕が閉まったいま、僕は客席より友情を込めて、惜しみない拍手を送るとしよう」
 
読者からも去っていた竜さんをおしむ手紙がたくさん寄せられた。
 
「竜さん、かっこ良すぎるぞ。いさぎ良すぎるぞ。僕はもっと竜さんの絵も見たいし、おフザケも、憎まれ口も聞きたかった。そして、竜さんの弱さもみたかった。(後略)(大阪市・Y)」
 
なんと数ヶ月して竜さん、戻ってきてしまった。新入社員のNさん、いられるわけがない。その後、Nさん、ラジオに番組をもったり、昨年はNHKの同性愛の戦後を描いた番組の主役にもなり活躍している。
 
天才には陰がつきものなのだ。竜さん、ありがとう。

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2019年11月25日 (月)

地獄に落ちたのは誰だったのか?

自分の雑誌の読者に対して、悪たれの限りを尽くして、やめてしまう編集者なんて雑誌の世界でいるわけがない。
 
1976年(昭和51年)『薔薇族』5月号・No40に「藤田竜・さよなら大放言・大毒舌「アホは地獄に落ちて、うんと苦しめ!!」と本当にやめてしまったのだった。
 
創刊から5年、やっと軌道に乗ってきて、「薔薇通信」欄も300名にもなり、執筆者も充実し、グラビアの写真もよくなってきているというのに……。
 
「男好きを隠して結婚したのがバレて、中ピ連(世の中の先端をゆく女性たちの集まりで、いろんなことに批判していたと思う)につつかれて500万とられた男がいる。そうかと思えば同棲している男が浮気したと泣いてくる30男がいる。−−こういうアホにつきあうのは、もうごめんだよ。
 
まったく、俺はこの5年間、何を残せたのか。何のために『薔薇族』に力を注いだのか。こういうアホがいる一方で、「藤田さんは肉の情熱ではない。真の愛の可能性を信じていないのではないかと急に不安になった」りする青二才がいる。もう、ね、俺はそういうグシャ(愚者)のために、俺の大切な頭脳を酷使するのはやめたよ。
 
俺が今までの生き方でつかんだ、いろいろの、薔薇色の、ゲイな、素晴らしい、男好きの男としてのコツやテクニックやらは要するにアホどもにとっては何ひとつ役に立たなかったようで、そうしたアホは、どうぞ地獄に落ちてちょうだい。さんざ苦しみなさい。あんたらが不幸になる一方で、俺はもうなにも、いい男の集まる場所も、ノンケのつかまえ方も生きることへの考え方も、楽しい人生の秘密はなにひとつ教えないで、自分だけでたっぷり楽しみ、何十人分もの幸福をひとりで味わうことにする。
 
アホへのおつきあいは、もう結構ざんす。男はともかく、仕事に飽きっぽい俺にしては本誌には長くつきあった。ただ本誌が四角い背中の立派なものになって、厚みを増してきたころから、実は俺のカラーは薄くなっている。
 
初期の頃の薄い針金とじの号のころのは、今見ても工夫や、美学や、熱気がある。原稿も絵も写真もあまりなくて、それでも少ない材料でひとつの世界をつくりあげている。あの頃は、伊藤文学さんは、男のことも雑誌のこともよく分からなくて、いわば俺の手作りだった。
 
そんなふうな苦労をするのが好きで、今日のように作家も画家も粒ぞろい、特別、大努力をしなくても、まあ、大かたの読者に受け入れられるものが作れる状況になるに従って俺は熱気を失っていった。
 
広くなってしまった読者に応えてゆくうち、俺の本意でないものもいつか入ってしまったし、俺が考えていた「男」の雑誌とは少し違ってきた。これが本音でね。先々月号あたりで書いたことはきれいごと。
 
今までの他の仕事でも一方メドがついて軌道に乗ると、俺はやる気をなくしたものだったけど、本誌の場合は要するに、それが長引いたわけよ。
 
伊藤さんも今や識見を持ち、力をたくわえ、親衛隊もついて、そこに若い編集員も加わったのであるから、俺がいなくても十分にいい仕事ができるだろう。ここらで本誌の匂いを変えるのはいいことだと思う。」
 
藤田竜さんと長いことにっしょに住んで仕事をしていた内藤ルネさんが、よく言っていた。「トンちゃん(竜さんのあだ名)が少しでも相手を思いやる気持ちがあれば……」と。自分の思うままに、わがままに生きてきた竜さん。ぼくはどんな読者でも、わけへだてなく同じように応対してきた。その違いかな。(つづく)
 

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2019年11月23日 (土)

男同士がテレビカメラの前でキスを!

今から25年も前に初めて同性愛の世界をテレビを通じて家庭に持ち込んだ作品だ。脚本を書かれた井沢満さん、孫にネットで調べてもらったが、74歳ということだけはわかったが、その後、どんな仕事をされたのかは不明だ。

50歳を越えた人たちしか見てはいないだろう。ぼくも毎週見ていたと思うが、もう内容を忘れてしまっている。

日本テレビのディレクターの細野英延さんがよくぞ舞台裏を書き残してくれたものだ。

男同士がテレビカメラの前でキスをするなんてことは、当時はなかった。

「これこそ全員が初体験である。もちろんカメラアングルでそれらしく見せることはできるが−−。スタッフの間でも賛否両論。「本当にやるべきだ」「いや、そこまでやらなくても」云々。しかし、このドラマ『同窓会』では本当に堂々とやるべきだとの思いが強かったので、A君とB君の意見を聞いてみた。ふたりの意見は「本当にキスをしないでごまかしたら、よけいに嫌らしく映るんじゃないですか。やりましょう!」であった。

撮影開始−−映像は実に美しいものとなり、厳粛な雰囲気のシーンになった。テレビ界で初めてのシーンであるばかりか、男と男の愛を表現できたと確信した。A君とB君に心から拍手を送った。いや、今も送っている。

社会現象となった「同窓会」−−それは作家、井沢満氏の描く文学の世界へ。出演者、スタッフが一丸となって入り込んでゆき、苦しみながらも全力投球した結果、成功したのだと思っている。

放送当日の電話は数多くあった。もちろん賛否両論である。そして『同窓会』への当初は百通を越えている。ある若い女性はレポート用紙にビッシリと30枚も書いてくれている。そして意外なのは若い女性が多いという点である。その中の一人で、小樽のM子さんはこんなことを書いてくれている。

「私も既成概念を超えた表現へ共感を持ったひとりです。男同士の愛がこんなにも綺麗に、そして切なく、いとおしく描かれたのを見たのは初めてです。人を好きになるということ、愛するということ、これを男女間だけのものと決めつけてしまいたくない。(略)これからも真実の愛を考えさせられるドラマを作ってください。」

また、かなりの年配であるK氏はこんな手紙をくださった。

学生時代、運動部で一緒だった後輩のN君とは気があって、山へ登ったり映画を観たりと、いつも一緒に遊んでいた。後年、社会人となりK氏は結婚することになった。結婚式当日、N君は来なかった。後日、わかったことだが、N君はK氏の結婚式の日に自殺してしまった。原因はわからず遺書もなかった。

今回『同窓会』を見ていて、N君の想いがわかった。

K氏はN君の墓参りにゆき、30年ぶりにN君に逢ってきたという。

ドラマの中の「アタリと風馬」の友情と愛の関係は、形こそちがえ、多くの人々が経験していることだと思う。ただ、それに気づかないうちに、時間の流れの中で忘れ去ってしまっているのではないだろうか。

『同窓会』は、その内容と表現の激しさから賛否両論の社会現象となってしまったが、私の脳裏には、作家・井沢満氏の言葉が印象に残っている。

「今は騒がれているけど、10年後には『同窓会』も普通のドラマになっているでしょう」」

日本テレビ制作局ディレクター・細野英延さん、『薔薇族』のためにいい文章を残してくれた。最初にやる仕事の大変さがにじみ出ている。全話が4巻のビデオになって発売中とあるから、もう一度、見てみたいものだ。

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2019年11月18日 (月)

テレビドラマで初の男の全裸シーンが!

日本で初の同性愛をテーマにしたドラマが日本テレビで連続で放映された。脚本、井沢満さんの「同窓会」は、大きな話題になり、このドラマが放映されている時間には、新宿2丁目の通りには、人影がいなくなったという(25年前のこと)。

日本テレビ制作局のディレクター、細野英延さんが、1994年4月号に「同窓会、マル秘話公開!」のタイトルで、「全裸シーン、男同士のキス、いま明かす話題ドラマの舞台裏」をあかしてくれた。

いつ放映され、何週続けられ、視聴率がどのくらいだったのか、残念ながら調べられない。それに白内障が悪化してきて、老眼鏡をかけても小さい文字がよく見えない。11月の末に手術を片目ずつして、果たしてよく見えるようになるのか。心配だが途切れないように描き続けたい。目が疲れてくるので、休み休み書いている。古い友人で週刊女性の記者をしていて、初めてぼくに記事を書かせてくれた竹内君、目が悪いので喫茶店で話をすると、水の入ったコップで眼を冷やしていたっけ。若くして亡くなってしまったが、いま思い出してコップに水と氷を入れ、眼を冷やしながら書いているとは。

「ホモ・セクシャルを単なる風俗としてとらえないようにお願いします。という作家・井沢満氏からのメッセージがあってから第1回目の脚本が完成した。そして読み終わったスタッフ全員んが、作家の凄まじいエネルギーとパワーに圧倒されてしまった。(中略)

「シャワーを浴びているA君、水しぶき、全裸である」というト書き。男の全裸シーンというのは初めてであり、役者のA君も初めてである。

さっそく前張り(局部のみを覆う)が必要で、スタッフのT君が「前張り担当」になった。T君は研究の末、一枚のタオルで二個の前張りを作ることに成功した。タオル地は俳優さんの大切なトコロを守ためにいいとのことである。T君はタオルを三角形に折り、さらに野球のホームベース状にしてガムテープで形をととのえるんだと説明してくれた。

T君の力作の前張りでA君は全裸のシャワーシーンを撮影し、実にきれいな映像で大成功だったが、事件はその直後に起こった。前張りをはがそうとしたA君は「ギャーッ!」という悲鳴をあげて涙さえ浮かべている。

犯人はガムテープだった。シャワーを浴びても取れないように貼った強力な粘着力のガムテープは、A君の陰毛にバッチリとはりついていたのだ。前張りと共にかなりの陰毛が抜けてしまった。

「痛いなんてもんじゃないっスよ。コレは」

と涙ながらに訴えるA君。「軟膏もってきます」と走る製作者のT君。以後、T君のポケットには「スリ傷、切傷に効く軟膏」が常に入っていた。

C君の場合は寒さの厳しい深夜のロケーションである。風邪をひいたら大変だからC君に、カメラアングルで隠すから大丈夫だと言ったのだが、「いや、ぼくは前張りでやります」と張り切っている。そんなC
君のことを井沢氏に電話したところ、「風邪をひかないように、ホカロンの前張りでやってほしいとC
君に伝えてください。アッハハハハ」。

これはいいアイデアだと前張り担当のT君に伝えたところ、「だめです。ホカロンで大切なところをやけどしたらどうするんですか」と叱られてしまった。幻の前張りホカロンで終わってしまった。

あるときA君が「あの痛さには耐えられないから剃っちゃいました」と。」

それにしても井沢満さん、お会いしたことあるけど、お元気なのだろうか。とにかく画期的なドラマだった。(つづく)

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2019年11月16日 (土)

16歳の少年と18歳の少年が愛しあって!

今日は令和元年11月2日、今月の20日過ぎまでに原稿を書きためておいて、白内障の手術を受ける予定にしているけれど、簡単な手術だそうだが、目の手術というと、なんとなく嫌なものだ。

『薔薇族』って、なんでこんな小さな文字を使っていたのか、一番度の強いハズキルーペをかけてみても、よく見えなくなってきている。80歳を過ぎれば誰もが白内障になってしまうそうだから仕方がないか。

1981年(38年前)10月号(国会図書館で欠号になっている6冊の中の1冊だ)に「ポストの前で待っている君、ゴメンネ」と題して書いている。

「関西に住んでいる18歳の少年が文通欄に載せたのです。それに答えて16歳の高1の少年が手紙を出して、それから二人の交際が始まったのです。両方ともひとりっこでした。

そのうちに、熱烈に愛し合うようになった二人は、とうとう16歳の少年が自由を求めて家出してしまうという結末になってしまったのです。

どう考えたって16歳の少年の方の両親は、たった2歳年上といっても年上の子がたぶらかしたとしか思いません。

それから親同士の争いにまで発展してしまったのです。16歳の少年の親は、自分の子供がホモだなんて信じないから、年上の子が仕込んでしまったとしか思わないでしょう。泥仕合いが今でも続いているのです。

なにも僕は二人の両親を怖がっているわけではないのです。お互いに未成年者同士では、どんなに本人同士が愛し合っているからといっても、両親に理解してもらうことはまず無理です。そして君たちだけで問題を解決することは、まず不可能なことなのです。

両親にしてみれば、『薔薇族』というようなエロ本があるから、子供たちが悪くなる、そうとしか思わないのです。

かつて発売禁止処分になった時も、親の風紀係への投書がきっかけだったようです。責任を避けるように見えるけれど、未成年者同士を紹介してあげるということは難しい問題なのです。すごく僕の立場は弱いとしかいいようがありません。

男が男を愛するということが悪いことだと、世間の人のほとんどの人が思っているのだから……。男が男を愛することが、非道徳的ではないということを世の中の人に理解してもらわなければ、どうにもなりません。

高校生諸君、なんとか良い方法をみつけ、君ら若いもの同士で、友だちになれるようにしてあげたい。

この間も僕が経営している新宿の「伊藤文学の談話室・祭」に立ち寄ってみたら、夏休みなものだから、相変わらず若い子でムンムンしている。

高校生も何人もいて、その中の高2の子が僕に話してくれたのです。「祭」が入っているビル(Q
フラットビル・11階建)のエレベーターを上がったり、降りたりして、やっと度胸をつけて、2階の廊下の一番奥にある「祭」の扉を開けたのだそうです。

もう、今では4回目で、すごくハンサムなお兄さんと友達になって幸せそうでした。それでも「祭」に入るまでの廊下が長すぎるって言っていたけれど。

東京に住んでいる若い子は、その点、度胸をつけさえすれば、友達を作れるけれど、地方に住む若い子はつらいな。

若い子同士なら問題はないけど、年配者と少年となると、親に知られたら悪者になるのは年配者になってしまう。」

ネットの時代、簡単に未成年者が年配者と出会い、問題になってしまう。便利な時代になって、よかったのか、悪かったのか?

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2019年10月26日 (土)

同じような人が大勢いる!

『薔薇族』が創刊されたのは、1971年、そのころは隔月刊の頃の8月合、No.19(1974年・今から45年前)まだ「少年の部屋」はなかった。
 
高校生、大学生からの投稿も、少しずつ増えてきていたので、「若い発言」と題して、4人の高校生の投稿を載せている。その中の東京都・M・19歳、大学2年生「だれにも言えないこと」と題する投稿を紹介したい。
 
「僕が初めて『薔薇族』を知ったのは、高校3年生の春でした。確かNo.10(3月号)だったと思います。
 
学校の帰りいつも寄る本屋に、その日もちょうど寄ったのです。そうすると男性の顔が表紙になっている見慣れぬ本があったので、なんだろうと思い手にとってみました。はじめにパッと男性のヌード写真が目に入り、僕は正直に言って大変な驚きでした。それまでは僕もそこらへんにいる高校生と同じように、普通に女の子と付き合っていました。映画を見に行ったり、茶店に行ったり、肩を抱いて街を歩くぐらいの付き合いでした。でも何か一つ物足りなさを感じていて、『薔薇族』を初めて見たとき、僕は反射的にその本を元の場所へ戻してしまいました。
 
大変なものを見てしまった。そうゆう気持ちだったのです。それから毎日、僕は『薔薇族』のことがなぜか気になり、本屋へ寄って見る勇気がなかったので、表紙だけを眺めていました。そのうち、一冊しかなかったその本がなくなってしまったのです。
 
その時、はっきりと、ああ、僕は男が好きなんだなあと思ったのです。そして僕は普通の結婚ができない体なんだ。だから当然、子供もできない。適齢期に達した時、果たして親になんと言えばいいのだろう。なんて、色々と悩んだものです。今でもこういう幼稚な悩みが全く消えたわけではありません。
 
それから一年経って、僕は大学になんとか合格して、今は東京に来ています。去年の11月ごろまで、友達と二人で住んでいました。ダブルベッドで二人で寝ていたこともありました。もちろん友達はホモではありません。
 
一度、彼は僕らの知り合いのバーテンをしている人の友達という人がホモらしくて、寝ているときに脚や服などを触られて、「気味が悪くて朝まで寝られなかった」なんて言っていました。それくらいホモを毛嫌いしているのです。僕も彼と寝ていても、不思議に何も感じなかったんです。
 
高校に入った時からの友達で、よくお互いの家へ遊びに行って泊まっていたからかもしれません。それからお互いに東京に慣れたからと言って別々になったんです。
 
それから一人暮らしになって、初めて勇気を出して『薔薇族』を買ったんです。写真を見て、小説を読んでひどく感動し興奮しました。なんとなく男性に興味を持つということに、後ろめたさを感じていたのですが、同じような人が大勢いるということが、一つの心の支えになったことは確かです。
 
僕が興味を感じる男性は、大体学生服を着て、スポーツ刈りにしてて、どちらかというと、アイビー風の格好をしたスポーツをやっている、みたいな人なんです。学校でも、街でもよく見かけます。そんな時、やさしく抱かれてみたい、そう思うんです。
 
この世に生まれてきて、短い一生だもの、自分の好きなように生きていければ最高ですよね。でも、人間生きていく上には、やっぱり厄介な制約がたくさんあるんです。
 
これだけ心の中を描いて、すっきりしました。こんなこと誰にも言えませんからね。」
 
同じような人が大勢いる。それが心の支えになった。『薔薇族』を創刊して良かった。

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