2018年7月21日 (土)

「オカマじゃないか」と言われたら!

「あなたホモ?」
 
「お前オカマじゃねえか?」
 
と、言われた時、俺はどうしたか!
 
 
 
そんな質問に対して、何人もの読者が答えている。
 
これは29年も前の話。
 
今だったらなんと答えるだろうか。
 
 
 
「僕は16歳のとき、熊本のあるレストランに就職したのですが、僕の声が優しすぎて、先輩から「お前はオカマじゃねえか?」と言われ、それがもとでみんなからよく「オカマちゃん」「オカマちゃん」と呼ばれました。
 
最初、僕はオカマちゃんってなんのことだろうと思って先輩に「オカマってなんのことですか?」と聞くと、先輩は笑いだして、「女みたいなのをオカマと言うんだ」と教えてくれましたが、僕はとても恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちでした。
 
それから何年かしてホモの世界を知り、「オカマちゃん」と言ってた先輩たちを、寮や、個人の部屋でおいしく頂きました。
 
僕にも後輩ができてからは、彼らが寝ているすきに、たくましい肉棒を頂きました」
 
 
 
純情な少年だったのが、数年しての大変化。
 
人間変われば変わるものだ。
 
神奈川県・一郎・30代の人からの投稿だ。
 
 
 
「ときどき笑いながら言われるけれど、そんなときは思いっきり大オネエになっちゃうわけ。
 
へんに怒ったりするよりずっといいみたい。
 
そうするとみんな大笑いで、他の話に移っていってしまうもの。
 
だから誰も僕のことをこの世界の人だとは気づいていないみたい(愛媛県・サムタイムライト・26歳)」
 
 
 
この人、大人だな。
 
変に否定したり、怒ったりしないほうが、相手は気づかないものかもしれない。
 
 
 
「かわいがっていて17歳の少年がいた。
 
きれいなおつきあいだった。
 
15歳のときから2年間も続いた。
 
たびたび泊まりにきていたけど、何もしなかった。
 
 
 
ところが冬休みに泊まって、床の中で手をそっと握ったとき、それまでもそのくらいは許してくれていたのに、「おじさん、ホモ?」とずばり言うじゃないか。
 
「まさか」と手をひっこめて、ごまかしたけれど……。
 
彼とも、もうおしまいか。(愛媛県・星児・43歳)」
 
 
 
少年愛の人ってつらいな。
 
相手が17歳だから、床の中で手を握ったりしたら、びっくりして反発されても仕方がないのかも。
 
タイミングが難しいな。
 
 
 
「小学生のころに、あだ名を「オカマ」ってつけられたことがありまして、幼いながらもいやな思いをしました。
 
今でも「ホモ」って言われるのは、べつにいやじゃないけど「オカマ」って言わると頭にきてしまうね。
 
俺、ファッション関係の仕事をしているんだけど、自分の服に流行を取り入れるじゃない。
 
88年だったら花柄の服、特にひまわりなんか、スーツに花柄のシャツなど着て友達と飲みに行ったりすると、悪酔いした人がからんでくるわけ。
 
「男のくせに花柄のシャツなんか着やがって、気持ちわりい。あいつ、オカマかよ」とか言ってさ。
 
友達もいるし最初は無視しているんだけど、あまりにもしつこいと、もう腹が立って、そのあとはケンカ。
 
たまにこんなこともあるね。(新潟県・TIKIDS・24歳)」
 
 
 
ぼくが使っている小学館刊の「国語辞典」には「オカマ」という言葉は載っていない。
 
岩波書店刊の「広辞苑」(第4版)には「尻の異名。転じて男色。また、その相手」とある。
 
今の時代、もう「オカマ」なんて使わないほうがいい。
 
「おかまいなし」なんていう人もいるかもしれないけれど。
 
 
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2018年7月 9日 (月)

「LGBT」なんていう言葉はいらない!

2018年4月12日発行の週刊新潮に「『LGBT』ビジネスの不都合な真実・反権力が権力者に豹変する』という見出しで同性愛研究家・ジャックKさんが、4ページもの記事を書いている。
 
ジャックKさんの書かれていることは、すべて的を射ていて、このような方が現れてきたことはうれしいことだ。
 
ただ気になるのは、週刊新潮の編集部が考えた見出しだろうが、わざわざ「特別読物」とゴシック体で書かれている。
 
同性愛が特別と考えるから、書いたのだろうが気になる。
 
それと「ジャックK」などとペンネームにしないで、自らゲイだと言われているのだから、堂々と本名を使うべきだった。
 
全部を紹介することは出来ないが、要点だけを書くと、
 
「現実の世界では、レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーは、バラバラに生活していて、お互いの交流はないし、それぞれ捉える問題も異なる」
 
とのとおりで、「LGBT」なんて言葉を誰が考え出したのかは知らないが、一緒くたにするのはおかしいということだ。
 
C
 
「要するにこれらの集団は、別々に語られるべきなのに、一括りにして呼ぶことで各々がそれぞれ混合され、実態が見えにくくなっている」
 
 
 
性的マイノリティの中で多数派を占めているのがゲイ。
 
日本の男性同性愛者の人口は、180万から300万となると書かれている。彼は3〜5%と書かれているが、調べるわけにはいかないが6〜7%といわれている。
 
これも調べようがないが、彼は新宿2丁目のゲイバアの数がざっと350、レズビアンのバアは、およそ35という数字からみれば、ゲイよりもずっと少ないことは確かであると書いている。
 
彼はそう書いているが、これは大きな間違いで、レズビアンの女性って、ゲイと同じぐらいの数はいると、ぼくは考える。
 
 
 
男と女の性欲の違いは、男のオチンチンは自分の意志ではどうにもならない、自然に勃起してしまう。
 
女性のからだは受身にできている。
 
キスしたり触られたりしなければ、性欲は起きてこない。
 
女性がゲイホテルのようなところに行ったり、ハッテン場に行って相手をハントするようなことはしない。
 
 
 
ほとんどのレズビアンの女性は、ひとり暮らしをしているか、好きな女性と一緒に住んでいる(長続きしているのは、男より女のほうが多いと思う)し、不本意ながら男性と結婚している女性が大多数だろう。
 
すべての生物は子孫を残すようにできているから、男が嫌いでもセックスすれば子どもは生まれてしまう。
 
 
 
「バイセクシュアルの、その大半が社会的には異性愛者として生活していると考えられることから、ここでは無視する」と、彼は書いている。
 
実際のところよく分からないのだろう。
 
ぼくにもよく分からないが、バイセクシュアルについては、ぼくは長いあいだ、『薔薇族』を出し続けてきて、それなりの考えがある。
 
が、今は書かないことにする。
 
 
 
2018年7月4日(水)の東京新聞朝刊に「トランスジェンダーの学生入学・奈良女子大も検討・性の多様性を尊重」の見出しで書かれている。
 
それは大変いいことで、いろんな大学で受け入れてくれれば、よりありがたいことだ。
 
そのためには、その人たちのトイレを作ることになってしまう。
 
 
 
ジャックKさんは、「そのようなトイレは必要ない。税金の無駄遣いだ」という。
 
ジャックKさん、LGBTブームにつけこんで、金儲けを企んでいる行動派を批判している。
 
同性婚なんて必要ないし、パレードなんてやることはない。
 
これも彼とぼくは同意見だ。
 
ジャックKさん、頑張れ!
 
 
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2018年7月 2日 (月)

人間、お金に困るとよからぬ考えを!

1999年の『薔薇族』6月号(今から15年前)を見てびっくり。
 
美輪明宏さんと、イタリア系アメリカ人、スティーブンと日本人でロスに長く住んでいるユーサクのアパートで顔を寄せ合っている写真が載っているではないか。
 
まったく忘れてしまっているけれど、「美輪明宏さんがロスに行くそうです。よろしくお願いします。」と、ぼくが彼らに電話をしたようだ。
 
Img_2341
 
ぼくと女房もロスに行った時、薔薇の花束を抱えて空港まで迎えに来てくれた。
 
きっと同じように美輪さんを迎えに空港まで行ってくれたのだろう。
 
7ページも使って「人が人を愛する素晴らしさ」と題して、スティーブンが美輪さんと過ごした数日間を書いている。
 
 
 
ロスには女房と3度、サンフランシスコには1度、甲秀樹君とぼくとでロスを訪ねたこともある。
 
このふたりとの出会いは思い出せないが、英語をまったくしゃべれないぼくが、ロスやラスベガス、サンフランシスコに行けたのはユーサクが通訳をしてくれたからだ。
 
このふたりは悪い人間ではないと信じてはいるが、『薔薇族』を利用したことは間違いない。
 
 
 
ユーサクは25年ものアメリカでの生活で何をしていたのかわからない。
 
スティーブンは大手の航空会社に勤めていたそうだが、今は何をしているのかこれもわからない。
 
ユーサクは通訳と翻訳の仕事をしているというが、古いアパートにふたりで住んでいるのだから生活は苦しいに違いない。
 
スティーブンは文章を書くのが上手なのでロスのゲイの世界を記事にしてよく送ってくれた。
 
なんの税金かわからないが払えないと刑務所に入らなければならないので、お金を貸してくれと泣きついてきたことがあった。
 
女房は同情して350万も貸してあげたが、分割で返すと言いながら、2、3度、数万円返してきただけだった。
 
しかし、彼らと出会わなかったなら、アメリカにぼくらは行けなかっただろうし、ゲイパレードにオープンカーに乗って参加することもできなかった。
 
ロスの有名なホテル「ベルエアーホテル」(昭和天皇も泊まられた)に、宿泊もできなかったと思えば、彼らを悪人とは思いたくない。
 
 
 
美輪さんも彼らのアパートでパーティに参加したり、美術館を訪ね、骨董店にも案内したりしてもらって、ごきげんだったようで、いい印象を持って帰国されたのはなによりだった。
 
三島剛さん、平野剛さん、大川辰次さんなどの男絵も売ってくれるというので送ったが1銭も送ってこなかった。
 
今でも悪いことをしたなと思っているのは『薔薇族』の表紙も描いてくれた有名な画家を彼らに紹介したことだ。
 
油絵も何点も送って売ってくれると言いながら、なんだかんだとお金をまきあげられて1点も売れなかったそうだ。
 
 
 
『薔薇族』と同じような雑誌の編集長でありオーナーであるボブさんと、恋人のフランス人の若者と知り合いになれたことは、忘れられない思い出だ。
 
ボブさんとフランス人の若者と、ユーサクとスティーブンを日本に招待したことがあった。
 
美術館にも来てもらい、ホテルで芸者さんを呼んで大騒ぎしたこともあった。
 
ふたりともエイズで亡くなられてしまった。
 
夢のような出来事だったが、人間、お金に困ると良からぬ考えをおかしてしまう。
 
お金がないということはつらいことだ。
 
 
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2018年6月25日 (月)

こんな切ない恋物語が!

関西の23歳、ピーター君の「人生薔薇模様」への投稿文。
 
 
 
「僕の大好きな会社の先輩が、やはり先輩の彼女と結婚してから1ヶ月が過ぎようとしていたある日、先輩から飲みに行かないかと誘われた。
 
もちろん僕は喜んでついて行った。
 
犬のような尻尾があれば、ちぎれるほど振っていただろう。
 
しかし、その尻尾は駅の改札口を出たとたん、踏みつけられてしまった。
 
僕の目の前に、1ヶ月ぶりの先輩の奥さんが、やさしい目をして立っていたのだ。
 
顔は少しやせたようだが化粧していないからか、つやつやした肌をしていた。
 
「おひさしぶりです」
 
と挨拶をしてちょっと先輩の方を見ると、さきほどとは打って変わって、不機嫌そうな表情で遠くの方を見ていた。
 
先輩も予期しなかった<お出迎え>だったのだろう。
 
僕は作り笑いをしながら、雲から足を踏み外したような後悔の念にさいなまれ、先輩と彼女は少し離れてネオンの街を歩き出していた。
 
僕は絶海の孤島におきざりにされた気分でふたりのあとを追いかけた。
 
 
 
「話があるんだけど、ちょっといい?」
 
会社の中で、先輩が改まったようすで話しかけてきた。
 
僕はてっきり仕事の話だとばかり思っていた。
 
会議室にふたりだけで入った。入ってからシステム手帳を忘れたことに気づき取りに戻ろうとしたとき、先輩が口を開いた。
 
「突然なんだけど、今月いっぱいで会社をやめることになったんだ」
 
僕は呼吸することを忘れ愕然として先輩の顔を見つめた。
 
僕の激しいショック症状に事情を説明しようとする先輩も言葉を失ったかのようだった。
 
あまりにも悲しく、泣くこともできなかった。
 
もし僕が女の子だったら、先輩に抱きついて、胸に顔を埋めて泣きじゃくっていただろう。
 
しかし、僕は先輩の彼女ではなく、ただの同性の後輩のひとりに過ぎなかった。
 
「僕も一緒に連れて行ってください!」
 
そう言う勇気と自信が僕にはなかった。
 
あまりにもたくさん言いたいことがあって、何から話したらいいかわからなくなった。
 
のどをつまらせたまま、声にならない声で叫んでいるほかない僕であった。」
 
 
 
セックスばかりを描いた投稿文が多い中で、あまりにも純情なせつない慕情は胸を打つものがある。
 
先輩もゲイだったのか、ノンケだったのかはっきりしないが、ゲイだったら手を出していただろう。
 
こんなはかない恋物語もたまにはいいのではないでしょうか。
 
 
 
最近、ぼくのブログにコメントしてくれる人が多くなってきたのはうれしいことで、ますますいいブログを書き続けようという気持ちにさせられる。
 
「NHKの番組に出演するなんて夢のよう」というタイトルで書いた記事に、こんなコメントが。
 
 
 
奥様が話されていたお話が新鮮でした。
1日に1000通ほどの読者の手紙を奥様が回送していたとは!!
ご苦労様でした。
 
 
 
この話はオーバーなことではなく本当の話だ。
 
先妻の舞踊家、ミカが1月11日に事故死して、11月には久美子と結婚し、翌年の7月には『薔薇族』の創刊号を出してしまった。
 
久美子は若いときに宛名書きの仕事をプロとしてやっていたのだから、それが役に立ったのだ。
 
まさか読者同士の橋渡しをするなんて、不思議な因縁だ。
 
 
★週刊文春、テレビの感想コメントをどうぞよろしく
 
 
B
姉とぼく
(ブログと関係ないけど残しておきたいと)

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2018年6月18日 (月)

もう誌面からにじみでる気迫がない!

『薔薇族』一番最後の号、200411月号No.382。もう廃刊になって14年の歳月が流れているとは。
 
しばらくぶりに最後の号を読んでみた。
 
印刷所に印刷代を払えなくなっていたので、もう次の号は印刷できませんと、引導を渡されてしまった。
 

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この号には内藤ルネさん、藤田竜さんの匂いがないからもう手を引いていたのだろう。
 
文通欄も100名足らず、あんなに多くの読者からの投稿があった「人生薔薇模様」のページもわずかに1ページで3名というさびしさ。
 
広告も少なく、厚かった時代の半分ぐらい、誌面からにじみ出る気迫もない。落ち目の雑誌というところか。
 
編集後記にぼくはこんなことを書いていた。
 
 
 
「新人立てり立てり時代は正しく飛躍し来たれり、北原白秋作詞・山田耕筰作曲というすごいコンビの我が母校駒沢大学校歌が、阪神甲子園球場に響き渡った。
 
86回全国高校野球選手権大会の決勝戦で、駒大付属の駒大苫小牧高校が、愛媛の済美高校を1310で破って、初の全国制覇を果たした。
 
箱根駅伝では駒大が優勝して、正月早々気分がよかったが、大学の野球部はどうしたことか、最近は元気がなくてふるわない。
 
 
 
決勝戦をテレビで観て興奮してしまった。
 
点を取られれば取り返す。まさに死闘だった。
 
しばらくぶりに校歌を大きな声で一緒に歌ってしまった。」
 
 
 
最後にぼくはこんなことを書いている。
 
 
 
「雑誌づくりも同じこと。気迫が誌面からにじみ出ていなければ、読者は読んでくれない。
 
ねばりにねばらなければと、自戒している。」
 
 
 
そうは言うものの、坂をころがり落ちていくものをとめることはできない。
 
今の若い人は知らないだろうが、50年代から70年代にかけて、全世界のゲイをしびれさせた、フィンランドからアメリカに渡ってイラストレーターとして活躍したトム。
 
その画業がアメリカで再び脚光を浴びている。
 
トムは亡くなっているが、恋人だったダークさんが「トム・オブ・フィンランド財団」を設立して、ロサンゼルスにあるトムの自宅を美術館のようにして作品を展示している。
 
ぼくは2度ほど、ここを訪問し、日本の男絵をプレゼントした。
 
日本で最初にゲイ雑誌を創刊したパイオニアとして、ぼくを財団の名誉理事にしてくれて、トムの作品を誌上で使っても良いという、お墨付きまでもらった。
 
ロサンゼルスを訪問した時のことを8ページに渡って写真入りで紹介していて、こんなことを書いている。
 
 
 
「トムが好んで描いた若者は、粗野で荒々しいマッチョのカウボーイ、兵隊、水兵、労働者だ。
 
入れ墨と、革ジャンでオートバイを乗り回す若者たち。
 
彼ら、Gパンがよく似合うが、インテリジェンスには関係のない若者たちだ。
 
 
 
ぼくは2度、ロスのトムの館を訪れた。
 
扉をあけると、トムがやあっと、手を上げて現れてくるのではとおもうくらい、トムが生活していた当時のままで残されている。
 
確かに室内は、黒のジャンバー、ブーツ、ベッドも革でトムのイラストそのものだ。
 
しかし、ヨーロッパから移住した人だけに、各部屋の照明器具は、ヨーロッパのアール・ヌーヴォー、アール・デコの時代のセンスのいいものばかりが使われている。
 
ゲイ特有の繊細な感覚がうかがわれる趣味のよさには驚かされてしまった」
 

Img_2236 
 
トムの美術館を建てる計画があって、その模型が展示されていたが、実現したかどうかは知るよしもない。
 
10
数年も前の話だから。
 
 
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2018年6月16日 (土)

異性と結婚した男たちは?

昭和の時代の『薔薇族』の読者たちは、ある年齢に達すればいろんな事情で異性と結婚しないわけにはいかなかった。
 
1992
年の『薔薇族』7月号に「妻帯者は男遊びにこう苦労している」という特集をしている。
 
 
 
「学生時代から続けているジム通いを理由に、週1回の外泊を既成事実にしてある。
 
トレーニング仲間と飲みに行くと言ってはハッテン場、ホテル、時には恋人のところへ。
 
せっかく気の合う男を見つけても、やはり結婚している男は窮屈なのか、長続きしないのは寂しいが、これは仕方がないことだろう。
 
 
 
苦労といえば、家から持ち出したタオルにいつものシャンプーの匂いをつけることとか、ウエアに汗をつけること。
 
ジムに行った日はいいが、ハッテン場直行の日には困る。
 
他の日は必ず家に帰り、サービスしている。
 
 
 
努力は必要なのだろう。いちばん困るのは、トレーニングの回数が減って、体が崩れてきたことだ。(埼玉県・マッスル・33歳)」
 
 
 
苦労しているんだ。早く子供を作るしかないのでは。
 
 
 
「家庭を持ってもう8年。妻は細かなことを気にしないので遊びはわりと楽だ。
 
家に男のものを置かないようにしているので、ひょっとするとウスウス感づいているのでは? と思うことはあるが、まず大丈夫だろう。
 
妻とのセックスも月に2回ほどなので、オナニーする場所に苦心する。
 
我慢できないと駅のトイレですませることにしている。(東京・夜の迷い人・31歳)」
 
 
 
こんなにまでして結婚しなければならなかった時代、今の時代の若者、理解できますか
 
 
 
「妻は芸事に忙しく、亭主なんかいっこうにかまうこともなく、今日はX町のKさんとおさらいだとか、明日は親睦をかねて1泊旅行だとかいって、忙しいを連発してどこかへ行くので、私はそれをいいことに、公園に行くことにしています。
 
公園ではたいてい若い子がトレーニングしたり、走っていたり、散歩sたりしているんですが、勉強に疲れて散歩している子が口説きやすいです。
 
それとなくトイレに誘って、ついてきた子を口説くのです。
 
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中、7から8でおとせます。(大阪・マンタ・70歳)」
 
 
  
高齢なので若い子が安心してついてくるのかな。
 
今なら犯罪だけど、その頃の子供は親に言いつけたりはしなかった。
 
 
 
「オレ30歳。妻ひとり。子供、ただいま女房のお腹で発育中。
 
男遊びっていうけど、本当に大好きで信じられる男とは遊びなんかにならないよ。
 
オレは大好きなヤツとは、いっしょに人生歩みたいヤツとは、同じ仕事をしようと思っているんです。
 
好きだ愛してる、だけじゃ男だものやっていけやしない。
 
だから人生共有するんだ。
 
オレの会社の監査は、10年前に『薔薇族』の文通欄で出会ったヤツだし、部下もそれなりに、遊びじゃなくて仕事なんだ。
 
だから女房もわかってくれる?(東京・人生共同体・30歳)」
 
 
 
しっかりとした考え方を持った人で、奥さんも子供が生まれたら理解してくれるのでは。
 
 
  
「家に帰ると1通の便りが届いている。
 
女房との会話。
 
「最近あたしが耳にしたこともない人から便りが来るけど、いったいどういう人なの。
 
秋田、仙台、京都、宮崎。まるで日本中に友達がいるみたいね」
 
「ああ、会社の支社へ移転して行った新人や出入りの商社の人たちだ」
 
「そうなの。どれもみな「親展」って書いてあったから、悪いことしてるのかと心配したのよ」
 
 
 
嘘をつくのも大変だ。
 
みんな幸せに人生を終えただろうか。
 

 
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A

レトロな上野の路地

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2018年6月 2日 (土)

中高年をターゲットにしなければ!

上野に事務所があった(株)メディアソフトが『薔薇族』を復刊させてくれた。
 
編集人は伊藤文学となっていたが、それは名目だけのことだった。
 
「編集室から」はむろんのこと、対談は美輪明宏さん、内藤ルネさん、唐沢俊一さんと2号に分けてしゃべりまくった。
 
横浜、野毛のゲイバア「鉄平」のマスターを取材しての記事、それに復刊後も続けている「伊藤文学のひとりごと」と、復刊をなんとか成功させようと頑張っていた。
 
 
 
実質的な若い編集長は、ライバル誌『バディ』と同じ路線を狙っていたが、横綱に立ち向かう平幕の力士のようなもので、太刀打ちできるわけがなかった。
 
復刊3号目の5月号「伊藤文学のひとりごと」に、「どうしたらゲイ雑誌の『サライ』になれるだろうか?」と題して書いている。
 
読者のターゲットを高齢者にすべきだということを……。
 
 
 
「『本の雑誌』5月号に永江朗さんがこんなことを書いている。「『薔薇族』復活と雑誌の可能性」というタイトルで。
 
「旧『薔薇族』が廃刊を招いたのは、読者の高齢化だった。ところが『薔薇族』がなくなると、中高年のゲイが孤立してしまう。新生『薔薇族』は、ネット時代の情報弱者、コミュニケーション弱者たる中高年が主要読者層となるだろう。
 
これはそのまま日本の雑誌全体にあてはまる。「書籍、雑誌は老人メディアである。」というのは松田哲夫氏の名言だが、若者が離れてしまったから老人メディアというのではなく、ネット弱者、コミュニケーション弱者にとって、重要なメディアであると捉えると、可能性はもっと広がる。」
 
 
 
しかし、読者のターゲットを若者から、中高年に方向転換させることは難しい。
 
雑誌の仕事をしている人が、みんな考えていることは、どうしたらネットに勝てるかということだろう。
 
小学館の中高年誌『サライ』は、今でも出し続け、がっちりと中高年の心をとらえて成功したが、マネをして出した雑誌は、みんな駄目になってしまった。
 
『サライ』の編集長も経験された、岩本敏さんが『サライ』よりも高年齢をターゲットにした『駱駝』という雑誌を創刊して編集長を務めている。
 
5月28日の東京新聞夕刊「メディア・ウォッチ」で、「シニア系月刊誌、定年後の富裕層へ、楽しみ探し指南」の見出しで紹介されている。
 
「人類史上、おそらく最も幸せなシニア層が存在しているのが、今の日本ですよ。」
 
ゲイの世界はどうだろうか。
 
50歳以上の人たちは女性と結婚しないわけにはいかなかったから、ほとんどの人は結婚している。
 
しかし、結婚はしたが離婚してひとりで生活している人は、女好きの人より多いのでは。
 
もちろん結婚しないでひとりで暮らしている人は、女好きの人よりは多いだろう。
 
 
 
復刊号を出してから、上野、新橋とゲイバアを取材して回ったが、老人パワーには圧倒されるばかりだった。
 
この人たちは、若いときは『薔薇族』を読んでいたろうが、現在は楽しむことを覚えてしまっているから、雑誌とは縁遠くなっている。
 
これらのシニア層をどうしたら雑誌にとりこむことができるかが、これからの勝負と言えるだろう。
 
雑誌を作る人たちがみんな模索し、悩んでいるところだ。」
 
 
 
復刊3号目にこんなことを書いて予言していたのに、8号目でまたもや廃刊になってしまった。
 
高齢者をターゲットにしている『サムソン』は、風太くんが頑張って続いている。
 
 
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2018年4月23日 (月)

「暗黒大陸への熱い視線」は過去のこと!

そろそろ先が見えてきているので、身辺の整理をし始めている。
 
書棚の中の本も、まともに読み終わった本はないが、いらないなと思ったら古本屋に運んでいる。
 
新書版で薄い本なので目にとまらなかったのか、自分で購入した覚えが全くない『邱永漢の「予見力」』という、2009年11月7日刊行の集英社新書で、玉村豊男さんという方の著書が目に留まった。
 
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邱さんが亡くなられた年は、2012年だ。
 
この本には、2009年、邱さん85歳の年譜までが載っている。
 
邱さんに出会ったのは、新宿の厚生年金会館(今はない)の手前にQフラットビル(7階建)の2階に美輪明宏さんが、クラブ「巴里」を開業し、そのあと、ぼくが「伊藤文学の談話室「祭」」をオープンさせたときのことだ。
 
1971年に『薔薇族』を創刊してから4、5年経った頃だと思うが、その時代はオイルショックの後の、日本が不景気な時代で、ビルの2階は通路の両側ともお店に貸すべく用意されていたが、借り手が全くなかった。
 
渋谷に邱さんがオーナーのシャンソン喫茶があって、そこでぼくの女房と一緒にお会いし、家賃などの交渉をしたのが最初だった。
 
玉村さんの本の帯に、にこやかな邱さんの写真と、「「株の神様」邱永漢が予見する中国ビジネスの近未来像・過去にこだわるより日本人も太っ腹になって新しいアジアの扉を開け」とあるが、その予見が当たり、中国や、アジアに日本の企業は進出している。
 
カフエ「織部」で読んだ日経新聞にはユニクロが国内の売り上げより、海外での売上が多くなっていると。
 
 
 
書きたいことはこれからだ。親しくなった邱さんには『薔薇族』を毎号送っていた。
 
創刊150号の記念号には、お金儲けの神様でもあり、直木賞作家でもある邱さんがお祝いの言葉を寄せている。
 
それは『薔薇族』とぼくへの予見で、見事に当たっていた。
 
「暗黒大陸への熱い視線」と題して。
 
 
 
「まだ社会的偏見に包まれているのは、同性愛と近親相関くらいなものですから、小説のテーマとして残された暗黒大陸といってよいかもしれません。私の仲間の小説家の中にもホモセックスを取り上げたいと、常々言っている人がいますが、いまだに実現していません。
 
ジャン・ジュネの『泥棒日記』から、デュヴェールの『薔薇日記』に至るまで、私もひととおりは目を通していますが、やたら衒学的だったり、やたら即物的だったりして、まだこれこそ傑作中の傑作だという作品には出会っていません。というのもホモセックスを、ごく普通の人間の恋愛感情として扱う人が少なく、ひどく誇張してみたり、あるいは自分は局外者だという立場を強調した作品に終始しているからです。
 
もう少し時間が経ったら、人間は男と女という性別だけで人間を見分けることをやめて、人間の心理の中にひそむMとWだけでなくて、M、Mとか、W、Wといった因子の複合体としての人間心理を分析するようになるだろうと、私は予想しています。
 
その時がきたら、ホモセックスも今よりもう少しは正当な位置づけが行われるようになるでしょう。そこに至るまでは、まだまだ多くの人々の心の中で、さまざまの葛藤が繰り返されるはずであり、伊藤文学さんに活躍してもらわなければならない修羅場もまだたくさん残っていると思います。」
 
 
 
邱さん、本当のことを言えずに書いた苦しい文章だ。
 
邱さん、もう少し生きていてほしかった。
 
日本のゲイたちも、ゲイの人たちを見る目も少しずつ変わってきましたよ。
ぼくも長生きして頑張ります。NHKが取り上げるようになってきたのだから。
 
 
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2018年4月14日 (土)

藤田竜君のしんみり話から、ルネさんの偉大さが!

『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜君が、こんなしんみりとした話を書いているとは知らなかった。
 
今から31年前、1987年(昭和62年8月号・№175号)一番後ろのほうのページに、藤田竜君が書いている。
 
 
 
「僕の母が5月の末、87歳で死にました。今回は私事を交えて書かせてもらいます。
 
うちは男ばかりの3人兄弟で、父は戦後早く死に、母は力仕事や住み込みの下働きをして、子供を育てました。
 
子供たちが社会人となり、少しは生活が楽になった頃、外のアパートにいた長兄が嫁と家に帰ってき、次兄はよそへ家庭を持ちました。
 
僕は男(ルネさんのこと)と暮らしていたのですが、母は長兄夫婦のいるわが家を出て、僕のところへ来て、特別養護老人ホームに入るまでの約20年をずっと一緒に暮らしました。
 
いくつになっても結婚しない末っ子に、やはり最も自分の子供という感情があったのでしょうし、嫁たちと居ればいろいろ無理をしなくてはいけず、僕のところが一番気楽だったのだと思います。
 
扶養家族はいないのだから金回りだって、末っ子がいちばんよく、経済的な気兼ねも不要です。
 
 
 
僕がごく若いうちは結婚の話もわずかにしましたが、それだけであとは何も言いませんでした。
 
男とひとつ家にいて、時には女言葉を使う僕を、いくら無学の田舎者でも、どういう人間かわかって当然です。
 
ホモはノンケより母親に優しいし、気も合います。結婚しないで一緒に暮らすことは、あるいは母親への最大の親孝行ではないかと、僕は昔から考えています。(中略)
 
 
 
30前後の寮母さんたちに、おきらくなホモの僕は人気があったし、そんな明るい息子がしょっちゅう見舞いに来るので、母は在園の老人たちに羨ましがられていました。
 
入院して死ぬ直前までの1ヶ月間が、全身痛んでかわいそうでしたが、その他はまあ悪くない一生だったと思います。
 
僕と暮らしている男(ルネさん)が、実の息子より何かと良くしてくれたことが最大の要因です。
 
彼と母はよく何かにつけて大笑いしていました。3人で旅行もずいぶんしました。
 
 
 
20余年、そういう不思議なかたちでの一家の暮らしがあって、それは父が生きていた若い頃と同じくらいに充実していたでしょう。
 
僕の一緒に暮らしている相手が女だったら、どんなに出来た人だったとしても、あそこまでのびのび生活できたかどうかわかりません。
 
親孝行のために女性と結婚する人はよくいます。
 
でもこんなふうに結婚しないことが親孝行になることもあるのです。
 
どちらも勇気のいることです。
 
 
 
最近は男も女も結婚しない人が増えてきていますから、少し前みたいに、まわりからワイワイ言われることは少しは減ってくるかもしれません。
 
結婚しないでもいい職業なら、なんとか独身でいられるよう努力をしてください。
 
そして、どうぞ母親にやさしくしてあげてください。(中略)
 
母が病院で生きている間は、不憫でたまりませんでしたが、死んだらもう痛い思いをしなくても済むものだと、僕は救われた思いです。」
 
 
 
おかあさんと一緒で、亡くなるまで看病したという人を何人も知っています。
 
藤田君の場合は、ルネさんという人がいて、そこにお母さんを連れてきたわけだから、ルネさんという人は、どんなにか我慢強い人だったのでは。
 
お母さんの部屋が取れる部屋数の多いマンションだからできたことでは。
 
それにしても31年前とは。
 
時の過ぎ行くことの早いこと。
 
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イラスト・藤田竜

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2018年4月 9日 (月)

書棚に眠っていた竜超君の本!

彩流社から出版したぼくの著書『裸の女房』と『やらないか!』手元に1冊もなくなっていた。ついつい出会った人にあげてしまうからだ。
 
彩流社の河野和憲さんに、5冊ずつ送ってもらおうと、電話番号を探したが、人名簿に載っていない。
 
書棚の中を見たら、竜超君の著書『消える新宿二丁目』が目に入った。
 
 
 
9年前に出版されたものだ。
 
カバーの装画は山川純一君の画集から使っている。
 
勝手に使ってけしからんと思うものの9年前のことだから仕方がないか。
 
276ページもの上製本で、定価2500円+税、本嫌いのぼくは目を通した記憶はない。
 
9年間も書棚で眠っていて、彩流社の電話番号を知るために、眠りから覚めたというわけだ。
 
 
 
パラパラとページをめくってみると、よくまあ調べて書いている。
 
2008年(今から10年も前)11月25日、下北沢にてとあり、「ゲイマガジン創始者が振り返る、その隆盛と凋落」と題して、竜超との対談が18ページを使って載っている。
 
そんなことがあったのかと思うだけで、すっかり忘れてしまっている。
 
昨日、誰と会い、何を食べたのか忘れているぐらいだから、10年前のことなど記憶にない。
 
しかし、その対談をしたときの本というものは残ってしまうものだから、嘘、偽りのない本当のことをしゃべっている。
 
単行本の中に残してくれたのはありがたいことだ。
 
 
 
略歴が書かれている上に、ぼくの写真が載っているが、10年前ってまだまだ若い。
 
『薔薇族』が200号になったときに、新宿のヒルトンホテルで盛大な出版記念パーティーを開いた。その頃がピークだったのかも。
 
ピーコさんも来てくれたし、京王ホテルで飛び降り自殺をした沖雅也さん。今のぼくは時代劇を多く見ているが、若い時の沖雅也さんは魅力的な俳優さんだった。
 
日本テレビの連続ドラマ『同窓会』は、初めて男同士のゲイの世界をお茶の間に飛び込ませた画期的なドラマで、「ラブオイル」を画面にアップさせてくれたので、「ラブオイル」の売り上げもアップした。
 
『薔薇族』のノンケの編集者M君が、力をつけてきて、その反面、藤田竜くんが体を悪くして、力が入らなくなってしまい、全体を統一するカラーというものが、だんだん薄れてきてしまった。
 
ビデオの会社とタイアップして、モデルを撮影している間に写真も撮り、それを『薔薇族』に提供してもらう。
 
これはいいアイデアだったけど、ちゃんとしたカメラマンが撮った写真とは、迫力がないのは仕方がないことだった。
 
木村健二君なんて、プロレスの写真を撮っていたカメラマンだけど、自衛隊時代に写真を学び、結婚式場での写真を撮っていた人なので、今見てもいい写真だった。
 
亡くなられてしまったけれど、波賀九郎さんの存在は忘れることはできない。
 
サヂスティックな写真を撮る人なので、いきなりオチンチンをぐっと握ったり、口に含んだ水を顔にかけて、モデルがびっくりしてる写真は迫力があった。
 
アメリカ人のボブさんと知り合ったおかげで日本では手に入らなかった、アメリカでのゲイ雑誌や、ビデオをトランクいっぱいに詰め込んで持ってきてくれた。
 
ジェフ・ストライカーのオチンチンは巨大で、コカコーラの瓶をぶら下げているようなモデルだった。その写真を袋とじにして売ったのだから反響はすごかった。
 
 
 
忘れるところだった。竜超君ってすごい才人だ。ゆっくり読んでみようと思う。
 
 
★コメント書いてくれてありがとう。コメントよろしく。
 
 
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右側・藤田竜君、左側・おすぎさん

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