2018年9月17日 (月)

人種、国が違っても、暖かい友情が!

「夕方、電話のベルが鳴った。タドタドしい日本語は、半月ほど前、ふとしたことから知り合ったモハマリさんだ。
 
そばにベンザーさんもいるようだ。私はすぐに迎えに行った。
 
私はひとりで住んでいても部屋は常に清潔にし、誰が来ても恥をかかないように生活している。
 
独身者の生活は汚いという人もいるが、それは住居でなく、「心」がすさんでいる証拠であろう。
 
「心」がすさんでいては、生活もだらしなくなる。
 
 
 
私は牛乳をあたため、買い置きのビスケットなどをお茶菓子にさしだした。
 
小さなこたつは3人には狭すぎる。足先だけしか入らない。
 
誰の足かわからないがサインをする。
 
私はそっとベンザーさんの太ももに手を置いた。下腹が怒張している。」
 
 
 
ここから先は、おきまりの描写だから、ご想像にまかせる。
 
 
 
「彼らの話によればイスラム教では、同性愛は絶対にタブーだそうだ。
 
現場を押さえられて撲殺された人もいるという。
 
キリスト教もホモは厳禁である。
 
ことにキリスト教のある派は「ホモ」に対してはサタンと言っているそうだ。
 
しかし、日本の佛教ではホモに対しておおらかである。
 
大きな僧堂の片隅で男性同士がホモっている。
 
私も若い時、「修行」と称して僧坊で、「なんとか阿闍梨」という偉い坊さんにさんざんコスラれた思い出もある。
 
またK山やA寺の坊さんに20歳代の時、誘われて楽しんだ思い出もある。
 
また、あの軍律の厳しかった軍隊生活で、上級将校の当番兵の時も指名を受けてずいぶん可愛がられた。
 
新兵の時代(20歳)も、なつかしい思い出もある。
 
さらに一時期であったが、黒人兵と仲良く暮らしたこともある。
 
また、昔、京都の教会の布教師(あとでわかった)の牧師さんと、嵯峨野の下宿でねんごろになった。
 
同教会で司祭の服装で何やら大勢の信者さんに語っている姿を見たことがある。
 
人間のサガ、本性を禁じてみても所詮ははかない夢物語である。
 
私は思う、神聖な聖人ぶった人に限って、どろどろとした私生活をしていることが往々にしてあるものだと。
 
私は願う、自分の好きな道で人間らしい生活をエンジョイすることによって、人間らしい偽りのない生活ができ、有意義な人生になることを!
 
 
 
時刻は午後6時となった。
 
保温器のご飯とさっき買った天麩羅で、手早く天丼を作ってあげた。
 
簡単な吸い物とたくあんも添えた。
 
彼らは日本に来て2年目、私のちょっとした心遣いに涙を流してくれた。
 
お互いを大事にする心は通じるものだ。
 
人種・国が違っても、人類共通の暖かい友情に花の開く思いが、フツフツと湧いてくる。
 
彼らとの交際は今でも続いている。(静岡県・千三男)」
 
 
 
千三男さん、おそらく大正生まれの方だろう。
 
もう、この世に居ないと思うが、もっと軍隊時代の話をくわしく聞いておきたかった。
 
この方、軍隊生活も経験されているから、きちんとした生活を送っていた方だろう。
 
部屋をきれいにしていないと、心がすさんでしまい、生活もだらしがなくなってしまう。
 
確かにこの方の言うとおりだ。
 
ぼくはあまりにもきちんと部屋の中をしていると落ち着かない。
 
雑然としている方が仕事をしやすい。
 
なにしろ6畳の部屋にベッドがあり、アンティークの大きな机、それに『薔薇族』のバックナンバーがずらり。
 
ちょっと他人様には見せられない。
 
狭いけれど、自分の部屋を持っているだけでも幸せだ。
 
感謝しなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月10日 (月)

ハッテン場で親父に会ってしまったら!

藤田竜さんのとんでもない暗黒アンケート、こんな企画を考える人は他誌にはいない。
 
「発展場での幸不幸」
 
1991年2月号・よくまあ読書は、アンケートに恥ずかしい話を聞かせてくれたものだ。
 
 
 
「短髪で色の白い、運動部ふうのガッシリ兄ちゃんを茂みの中に追っていって声をかけた。
 
そんなに乗り気ではなかったみたいだけど、強引に体をまさぐってキスしたら、舌を入れてきた。
 
なかなかいい体で毛のないスベスベの肌が気持ちいい。
 
ズボンの中に手を入れたらもう湿っていた。
 
でも濡れかたがちょっと異常。
 
嗅いでみたらそれがツバの匂い。
 
じゃあっていうんで、尻の方に手を入れたら、そこも何やらズルズルと濡れていた。
 
それはもちろんアレの臭いがした。
 
クソの臭いも混じっていた。
 
ガニ股で歩いていたのはそのせいだったのかと、納得すると同時に、急にその気がなくなった。
 
可愛かったけど、あんなにハデにやってる学生もいるんだね。(埼玉県・兄ちゃん・36歳)」
 
 
 
ぼくにはなんともコメントできないな。
 
 
 
「上野の映画館での出来事、後ろから羽交い絞めにされてマラをしごかれているうちに、絶頂を迎えてドクン、ドクンとミルクを出したところが、椅子に座っていた人の襟首。
 
でもその人はハンカチで自分の首を拭いてから「気持ち良かったかい」と言って、そのハンカチを手渡してくれた。
 
私は「ごめんなさい」と謝っただけで、名前も聞かなかったことを、今でも悔やんでいる。(神奈川県・マラ好き)」
 
 
 
お仲間だけの専門館だから、いろんな人がいて、普通なら怒り出すだろうが、こういうイキな人もいたのだろう。
 
 
 
「かなり混雑していた電車の中で、ふいにボッキして困りました。
 
後ろに立った人がチカンしてそうで、してなさそうだったんです。
 
その時は何もなく、目的のハッテン場のトイレまで向かいました。
 
好みの若い子の隣に立ってチンポを出したら、電車でもれていた先走りと、半包茎の皮に挟まれた何本もの陰毛で、情けない形になってしまっていたのです。
 
隣の子と一瞬目があったけれど、あとは想像に任せます。(東京・秋空・29歳)」
 
 
 
いろんな悩みがあるものだ。
 
竜さんはこんなコメントしている。
 
「ボッキしたチンコの先が陰毛でひっついているのを、1本、1本ていねいにはずしてやるのって好きだなあ。ぼく、至福の時。」
 
こんな楽しみ方もあるんだ。
 
 
 
「勇気をだして3回目のサウナにトライ。
 
そこでなんと「毛ジラミ君」をもらってしまった。
 
これが噂に聞く、毛ジラミかあ〜、と、観察したけど、カユミが並じゃない。
 
結局、全部の毛を剃ってツルツル。
 
銭湯なんて行けないから、コインシャワーで体を洗っています。
 
生え揃うまであと何ヶ月かかるか。
 
病気持ちの男、サイテー!(東京・ジュン・26歳)」
 
 
 
一時毛ジラミが大流行したことがあった。
 
日本には毛ジラミなんてなかったのに、東南アジアの方に遊びに行った人が持ち帰ったもののようだ。
 
『薔薇族』でも毛ジラミ退治の大キャンペーンを繰り広げたことがあった。
 
そう「スミスリンパウダー」という粉ぐすりを宣伝したものだ。
 
 
 
「深夜のHサウナで大学の先輩にばったり会った時は、本当にびっくりした。
 
キャンパスで会うたびに妙に意識してしまう。(東京・JB大・21歳)」
 
 
 
次回は感度的な美しい話を紹介します。お楽しみに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年9月 8日 (土)

今、俺がいちばん興奮することって!

1991年8月号No.223に面白い記事が載っている。これも藤田竜さんの企画だ。
 
「いま俺がいちばんコーフンすること」
 
このアンケートに対して、多くの読者が答えてくれている。
 
 
 
「小さいころから父さんのトランクスをかいだり、自分で作ったスカートをはいて、マリつきをして遊んでいました。
 
25歳まではキスや乳首など、どうってことなかったのです。
 
年をとるにつれて、そっと唇を近づけて触れただけでコーフン。どうにかなりそうです。
 
乳首も運動をしているせいか、コーフンします。バックも入り口だけ、ちょっとクリームつけてオナったりしています。(滋賀県・マーボー・28歳)」
 
 
 
何か寂しい話。
 
ひとりでコーフンしたしてるだけ。
 
 
 
「満員電車で週1回の割合で触られて、時々ビキニの中でイッちゃうんだけど(これはあとが気持ち悪い)、びっくりしたのはチャックを下ろして引っ張り出して、モロにいじってきたりする。
 
さすがにコーフンしてたまらず手の中へ出しちゃうんだ。
 
だけど、その人、そのあとヌルヌルの手どうするんだろう?
 
若いサラリーマンふうの人だったけど、それからオレと同じくらいの年の学生服のヤツにさわられた時は、ア然としてしまった。
 
コーフンするというよりは、なんかへんな感じ。(KAZU)」
 
 
 
これは今から27年前の話。
 
藤田竜さんのコメントは、ヌルヌルの手は、そしらぬ顔してOLの服で拭く、だって。
 
その頃は電車の何台目とか、お仲間が多く乗る車両は決まっていたようだ。
 
今はそんなことする人いないと思うけど。
 
 
 
「俺のアパートの真向かいに、すっげーかっこいい奴が住んでいる。
 
年は俺より一つ上かタメくらいで、もう最高。
 
タンクトップに短パンなんかはいちゃって、とにかくセクシー。
 
毎日、窓全開。
 
夜になると俺、電気消してのぞいていた。
 
短パンのもっこりだけは見えるんだけど、それ以上は見えなくてイライラ。
 
蒸し暑い夜、そいつトランクス1枚で、股広げてて、横からでけ〜キン玉がモロ丸見え。
 
結構そんな夜があって得した気分。
 
そいつのおいしそうなキン玉袋の匂いかぎて〜。
 
まあ、とりあえず、ノゾキはコーフンしちゃうよね。(千葉県・デカマラ・20歳)」
 
 
 
今は亡き有名なお方が、何回かノゾキで捕まったことがあったっけ。
 
 
 
「銭湯の湯船の中から出てゆく男の後ろ姿を見るのが楽しみ。
 
ふやけた袋の中に、玉が2つだらんと下がって、しずくの落ちるさまは美しい。
 
その袋から垂れ下がったマラが首を出している時は数倍も楽しい。
 
あの長いマラが鎌首をもたげ、怒張したらば、さぞかし立派な肉棒だろうなんて想像してると、私のマラは湯の中でガチガチに太く長くなってくる。
 
それが落ち着くのを待っている間、湯につかっているのでクラクラすることもある。(神奈川県・マラ好き)」
 
 
 
こんな楽しみもあった銭湯も少なくなってしまった。
 
今の時代、マラ好きの人はどんな楽しみ方をしているのかな。
 
 
 
「可愛い高校生の学ラン姿。
 
あの制服の下に半分、大人で半分子供の体があると思っただけでコーフンするもんですよ。
 
想像しただけでギンギンに勃ってしまいますからね。
 
これ書きながら勃つくらいですから。(大阪・学ラン好き)」
 
 
 
読者の中には制服マニアが多かった。
 
警察官が好きだった『薔薇族』のスタッフのひとり、先にあの世へ行ってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月27日 (月)

初年兵同士で夜の楽しみを!

戦時中は軍隊だけでなく、世田谷中学時代でも、放課後に1年生は残されて「お説教」と称し2年生にわけもなく殴られたものだ。
 
 
 
「Tは複雑な家庭事情があり、他人を信じることができず、孤独な青春をひとり満州(日本の植民地)でいろいろなことをしてきたようです。
 
Tのいつも暗い顔が、あの夜から私に向ける目が、なにかやわらかく変わったように見えたのです。
 
数日過ぎた夜にTから初めての接吻をされましたが、それは経験したことのないテクニックでした。
 
当然、手は股間にのびて勃起した互いの性器を握り合いました。
 
それからは毎晩、Tの歩んできたであろう覚えたテクニックに、戸惑うばかりでした。
 
どこへ行っても慰安所はあり、また私娼窟もありましたが、戦友が性病にかかり、そのあまりの酷さに、とても出かける気にはなりませんでした。
 
6年間の軍隊生活でいろいろな人間との交流がありましたが、Tとの付き合い方が特別なものでした。
 
討伐のときも南方へ向かう輸送船の中でも、分隊が別になっても探し出してこっそり抱き合いました。
 
Tは南方では本隊に配属になり、ある島のジャングルの中を米軍に追い詰められ、全滅に近い状態の中で戦死したそうです。
 
私の分隊は小さな島に追いやられ、終戦を迎え復員してきました。
 
 
 
元の仕事に戻り、母の希望する従姉妹と結婚し、近親結婚なので、子供は1人だけにしてやめ(娘も昨年急死)8年前、仕事も弟子たちに任せリタイアして、家も処分して多摩に越してきました。
 
話が前後しますが、伊勢丹の前、今のマルイ以前は日活の直営館の隣の本屋(池田屋書店)で、その頃、第二書房が次々と刊行していた『薔薇の告白』『薔薇ひらく日を』『夜の薔薇』などを買いましたが、書店が無くなり、浅草、上野と探し、上野の駅前の書店(文省堂書店)に置いてあることがわかりました。
 
本は仕事と一般の本と、仕事に関する美術本、書斎に自分の好みの本をコレクションしていましたが、引っ越すときに美術本は、図書館と造形大学へ寄付し、『薔薇族』はダンボールに入れ、その他の本は古本屋に売りました。
 
『薔薇族』の創刊号、2,3号と三島剛画集を送りますので、お手数ですが差し上げてください。(その中に入っていた手紙のようだ)
 
 
 
まだまだ見て歩きたいことや、海外旅行にも行きたいし、美術展とか映画も見たいし、家に閉じこもってじっとしていられません。
 
職人の世界も世渡りのうまい一部の人は、無形文化財、人間国宝として残るでしょうが、大半の職人はハイテク産業に仕事をとられて埋もれていく時代です。
 
手に職のある職人は食いっぱくれがないと言われた時代は昭和とともに終わりました。
 
これから残った若い職員たちは大変です。
 
私たちの年の連中は、ほとんどリタイアしてしまいましたが、みんな長生きなのが不思議なくらいです。
 
自分の死との関係がなかなか見えてこないので、神は信じませんがお迎えが来るまで、ボケないように楽しく暮らしていきます。
 
先月、偶然寄った本屋で、『薔薇族』があったので、思わず買ってしまい伊藤編集長の名前を見てびっくりして、お手紙を差し上げる次第です。
 
この世界の開拓者である尊敬する編集長、くれぐれもご自愛を。」
 
 
 
ありがたい読者だった。
 
よくぞ戦地から日本に戻ってこられた。
 
幸せな人生を送ったのでは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月25日 (土)

日本の軍隊生活は地獄か?

敗戦から73年、軍隊時代を知る人は少なくなってきている。
 
広川さんという大正9年(今から約100年前)に生まれ、軍隊生活も送ったことのある方の手紙を見つけ出した。
 
長い手紙だけど貴重なものなので残しておきたい。
 
 
 
「私は大正9年生まれの82歳の老人で、広川と申します。
 
10年前に妻を亡くし、性の処理はもっぱら自慰で済ませますが、今でも月に2,3度は我慢ができず、自慰で処理する始末です。
 
精液の量は少量ですが、たまにはその快感が若い時とは比べ物にならないほどで、両腿から足の土踏まずへ背筋から後頭部へと伝わり、その快感で、このまま死ぬのではと思うくらいです。
 
よく同年輩の方たちの話を聞くと、もう枯れたよ(ぼくも枯れた方で、年をとっても続けていないと、広川さんのようにはならない)などと耳にしますが、人間いくら年をとっても死ぬまで性衝動や煩悩は消えないのでは。
 
 
 
私は12歳で父を亡くし、16歳で細工職人の弟子になり、20歳で軍隊にとられ、中国、南方、と転戦して終戦で復員しました。
 
その当時、自慰は害になると言われていましたが、13歳のときに偶然覚え、それから毎日、熱中しました。
 
当時、遊郭はありましたが、花柳病という言葉が強烈で兵隊になるまで童貞でした。
 
軍隊というところは種々の職歴の人や、ヤクザから金持ちの子息までいて、私のような世間知らずには、驚くことばかりと、同時に大変な人生勉強と経験をする場になりました。
 
初めに行った北支(中国の)は寒さが厳しく、支給された布団2枚と毛布1枚ではとても寒く、2人ひと組になり、布団2枚、毛布1枚を下に敷き、同じ枚数を上にかけ、2人一緒に体を寄せて寝ることで、うまくいきました。
 
初年兵はすぐ疲れて寝てしまいますが、ある夜、突然の快感で目が覚めると、一緒に寝ていたNが私の性器を触っていて、快感はその射精の快感でした。
 
生まれて初めて他人に性器を握られ、考えたこともなかった素晴らしい経験でした。
 
これはNも待ち望んでいることであると、Nの勃起した性器を握りしごいてやりました。
 
Nは工員でしたが、万事うまく立ち回り、つぎにねたTは同年兵の間では馴染めず、1人わが道を行く存在で、ある夜、寝る間際にTが旧年塀に呼び出されました。
 
私たちはみな息を殺して寝たふりをしていましたが、外での怒鳴り声とその後のパシッ、パシッという鈍い音が続き、やっとおさまりやがて兵舎の入口からTは背を向けたまま、しばらくすると押し殺すような嗚咽が伝わってきたのです。
 
私は我慢ならずTの方を向き、そっと大丈夫かと呼びかけました。
 
こちらを向いたTの顔は、かすかな明かりの中でも、ひどく腫れ上唇が切れて血がにじんでいました。
 
上からのぞきこんでいた私は、あまりの痛々しさに、思わずTの唇に自分の口をかぶせて舌でその傷口をなめていました。
 
Tも突然の私の行動に体を硬くしていましたが、やがて私のなすに任せたようでした。
 
腫れた唇は熱く薄く塩味で、傷口に口をつけているうちに私も胸が熱くなり、やっと離れましたが、自分でもなぜこんなことをしてしまったのか、Tに謝ろうと思ったとき、Tはこちらを向き、耳にありがとうと囁いたのです。
 
思わず手を握り合い、そのまま寝ました。」
 
 
 
つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月11日 (土)

同性愛は趣味ではない!

「LGBTに冷たい自民」と、2018年8月3日の朝刊の一面に大きな記事を東京新聞が載せている。
 
自民党の杉田水脈氏の「新潮45」に寄稿した抜粋が載っている。
 
 
 
「LGBTだからといって、実際そんなに差別されているものでしょうか。」
 
 
 
LGBTの人たちが、どれだけ世間から差別されてきたか、何も知らないのに、こんなことを言うだけでも、衆院議員としての資格はない。
 
 
 
「生きづらさを行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。例えば子育て支援や子どもができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使う大義名分があります。
 
しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。
 
彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」
 
 
 
「生産性」がないというだけで、非難するのはおかしいのでは。
 
男女が結婚していても子供がいない夫婦も世の中には多くいる。
 
同性婚を認める国が多くなってきているということは、その存在を認めざるを得なくなってきているからだ。
 
セックスしなくても子供を作ることはできる。そのような人たちの存在をぼくは何組も知っている。
 
子供を作らない男同士、女同士を男女の夫婦として認めることは、先進国では当然のことになってきていて、法的にも税金を使って守るのは当たり前のことではないか。
 
 
 
「「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことになりかねません。」
 
 
 
この考えもおかしい。
 
LGBTの人たちの存在がやかましく報道されるようになったのは最近のことだけど、人類が存在するようになった大昔の時代から、LGBTの人たちは同じ確率で存在していたのに、崩壊などしなかったではないか。
 
同性愛といってもいろんな人がいる。
 
『薔薇族』を30数年出し続けてきて、多くの同性愛の人たちと出会ったが、まだまだわからないことが多い。
 
生半可な知識で意見を述べるから批判されるのは当然だ。
 
 
 
自民党の谷川とむ衆院議員が、同性愛の人たちを「趣味みたいなもの」と語ったことが批判されている。
 
「趣味」とは、ぼくが使っている辞書には「なぐさみのために愛好するもの」とある。
 
自分の意志で愛好するもので、同性愛は趣味であるわけがない。
 
男が女を好きになることを趣味だと言う人はいない。それは当たり前のことだからだ。
 
本人の意志で男が男を好きになるわけはない。もって生まれたもので、死ぬまで変わらない。
 
ぼくは同性愛を趣味と考える人のことを口酸っぱくして批判してきたが、ぼくの書いた本がベストセラーになったことはない。
 
同性愛の人たちのことを理解し、知ろうとする人が少ないということだ。
 
この2人の議員さんが、こんな発言をするということは、世間の人たちが、この程度の知識しかないということだ。
 
我々がもっと努力して、LGBTの人たちのことを少しでも知ってもらうことが大切なことだ。
 
自民党のお偉方も、人それぞれ考え方が違うということで、お叱り程度で終わらせてしまうようだ。
 
同性愛の人たちがこんな時こそ大きな声を上げるべきではないか!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月 4日 (土)

子供をホモに引き込んだ『薔薇族』が!

1981年10月号No.105の巻頭に『薔薇族』の編集スタッフ8人が「おなじみレギュラーから暑さにうだる皆さまにお見舞い申し上げます。夏の手紙」と題して、それぞれが書いている。
 
Img_2743
 
編集長のぼくは「3つのはなし」を今一緒に住んでいる次男(現在は46歳、当時は9歳)のイラスト入りを載せている。
 
猛暑の中を8月12日から16日まで息子がレンタカーを借りて、1年ぶりに女房の古里新潟県の弥彦村にある別荘に行くという。
 
ぼくは7年ほど前に運転を止め、車も手放してしまった。
 
それまではどれだけ、ぼくが運転して弥彦村に行ったことか。
 
Img_2744
 
「8月の11日から14日まで、女房の田舎へ次男坊(9歳)を連れて、ぼくの運転で行ってきます。
 
いつも息子と仲の良い友達も連れて行ったのですが、不思議なことに帰ってくると仲が悪くなってしまうのです。
 
一緒に生活すると、お互いに嫌な面を見てしまうからでしょうか。
 
これは考えさせられる問題です。
 
それにしても、弥彦っていいところですよ。
 
 
 
昨日、高校1年の母親から電話で、ぼくを殺してやりたいと言うのです。
 
中年のオヤジさんから送られてきた、モノスゴイ手紙を母親が読んでしまったのです。
 
子供をホモに引き込んだ『薔薇族』がにくいというのです。
 
未成年者に手紙を出すときは、必ず親に読まれるということを考えて出して欲しいのです。
 
一人っ子で女の子のように育ててしまった自分が悪いのに、責任を他人に、転嫁するのはどんなものでしょうか。
 
警察に訴えたというから、この中年のオヤジさん呼びつけられるでしょうが、未成年者との交際はよくよく考えてからにしてください。
 
ぼくが殺されてしまうから……。」
 
 
 
池袋に住む38歳の人からの手紙。
 
 
 
「以前から『薔薇族』が欲しかったのですが、度胸がなくて書店の目が気になり、本屋にも行けない情けない男です。
 
ところで先日、池袋の東口の洗面所に、きれいな袋に入って『薔薇族』『さぶ』『アドン』と3冊、きちんと置いてあるではありませんか。
 
びっくりするやら、嬉しいやら、私の欲しい雑誌が置いてあったのです。
 
それで早速、通信欄を見て手紙を出すことにしました。
 
自筆でということで、僕はイラストが書けないから、息子との合作です。
 
2代目を継いでくれるといいのだけど。」
 
 
 
文字は37年前と今とでは、ブログを書き続けているお陰か、今の方が多少はうまく書けるようになっている。
 
9歳の息子が今は46歳、女房と息子の嫁と高1の孫と、5人で息子の運転で弥彦村に行くことになるとは。
 
年はとりたくないものだ。
 
9歳の頃の息子は可愛かったけど、『薔薇族』は廃刊になってしまったし、2代目も継ぐどころではない。
 
これも時代の流れで仕方がないか。
 
今では息子とは一緒に住んでいるのに、必要なことしかしゃべらない。
 
孫とは友達のようによくしゃべっているし、嫁ともよくしゃべっているから、それでいいのかもしれない。
 
それにしても別荘なんか建てるものじゃない。
 
今となっては1年に数回しか行けないのでは、ホテルに泊まったほうがよっぽどいい。
 
誰か住んでくれる人いないかな。
 
それとぼくがおしゃべりする場を作ってくれる人も。
 
昭和の時代のゲイの人たちの悩み、苦しみはぼくが一番よく理解しているから!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年7月28日 (土)

「バイセクシャル」という言葉は?

「女性を好きになって」と題して、『薔薇族』1989年12月号No.203の「人生薔薇模様」の投稿欄に、東京都・さようなら君の投稿が載っていた。
 
 
 
「僕は『薔薇族』9月号で、買うのが4冊目になります。
 
200号を機に言うのではないけれど、10月号からは買うのをやめようかと思っています。
 
別に『薔薇族』に文句があるとか、嫌になったというわけではなく、卒業しようと思うのです。
 
僕は21歳で大学生ですが、人並みに好きな人がいます。
 
とはいえその人は女性なんです。
 
まだ付き合っているとかではないんですけど、頭の中ではその人のことでいっぱいなんです。
 
もちろん、その女性は僕が『薔薇族』を買っていることは全く知りません。
 
ごく普通の男として見ているだろうし、僕にも好意を寄せてくれているようです。
 
多分、近いうちに僕はその女性に好きだということを告白するでしょう。
 
そのためにも僕は、この『薔薇族』を買うのをやめようと思うのです。
 
 
 
確かに隠れて読み続けることは可能だし、男の人とセックスしようと思えばできるでしょう。
 
でも、それは大きな裏切りです。
 
人を騙しながら普通に付き合っているなんて、僕にはとても出来ないのです。
 
「そんなことはできっこない。どうせすぐまた、この雑誌を買い始めるだろう」と、お考えになるかもしれません。
 
しかし、精一杯努力をします。
 
 
 
もともと僕自身は、バイセクシャルということは分かっていたし、女性とのセックスも経験したことがあるし、女性を好きになったこともあります。
 
反面、男性にも興味を持ち『薔薇族』を読み始めました。
 
しかし、僕自身、将来は結婚もしたいし、子供だっていつかは欲しいと思っています。
 
これをきっかけに、ホモの世界とは決別しようと思います。
 
幸い? にも、あまりホモの世界に深入りしないできました。
 
通信欄を利用したこともなかったし、2丁目や、ハッテン場にもいかず、男同士のビデオを見たこともありません。
 
このままずっと『薔薇族』を読んでいると、そういう行動にでるでしょう。
 
それがいけないとは毛頭思いませんが、将来のことを考えると読み続けることはできないのです。
 
それが僕の出した結論です。
 
そして、一つのけじめとして、この手紙を書いたのです。
 
 
 
『薔薇族』には、大変感謝をしています。
 
「自分だけが変なのか?」と悩んでいた僕を救ってくれました。
 
そして自信を持たせてくれました。
 
これからも悩んでいる人たちを励まし続けてください。
 
少なくとも僕は、ホモを異常とは思いません。
 
でも、僕はこれでさようならです。」
 
 
 
「バイセクシャル」というなんとも不思議な言葉は、このさようなら君のような人のための都合のいい言葉なのでは。
 
さようなら君の投稿を読んでみると、「女々しいな」としか言いようがない。
 
好きな女性と付き合っているわけでもなく、頭の中でいっぱいという片想いの関係でしかない。
 
告白してその結果を知ってから『薔薇族』を買うのをやめてもよかったのに……。
 
 
 
自分だけが変だなと思い始めて、『薔薇族』を買い始めたとありますが、このさようなら君、間違いなく同性愛者だと確信する。
 
さて、このあとさようなら君がどんな人生を送ったのかは知るよしもないが、この好きな女性と結婚して、子供も出来て幸せな人生を送ってほしい。
 
そうぼくは願ってはいるが、もって生まれたものは変えられない。
 
それにしても「バイセクシャル」という言葉は誰か考えたのかは知らないが、やはりなくてはならない言葉なのかも?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月23日 (月)

こんな話って本当にあるのかな?

1989年1月号に「脳みそズルズル・びっくらインフォメーション」と題するとんでもない読者の投稿が載っている。
 
これは藤田竜君の企画に違いない。
 
ぼくの出版の仕事の発送は、学生時代のオナニーの経験からだが、こんな投稿が。
 
 
 
「中2の時からオナニーを始めて、1日5回精液を出したことがあります。
 
一升瓶1本出したら、一生が終わると誰からか聞いたのですが、どんなものでしょうか? 教えてくださいね。この本を毎月楽しみに待っております。」
 
 
 
兵庫県・ビデオ君の投稿だけど、この人もうこの世にいないのでは。
 
ぼくはコップ一杯にもたまらないぐらいでやめているから86歳まで生きている。何事もほどほどにしなければ……。
 
 
 
こんな話って本当にあるのかな? そう思われるかもしれないが、大学の教授は何人もお会いしているから、作り話ではありません。
 
「どなる教授!」と題する横浜市・楽衆陰・20歳からの投稿。
 
 
 
「おれの大学のトイレで、大のところから小便をしているところが見えるでかい穴があいている。
 
先日、おれは小便をしていたら、となりにすげえ偉い教授が並んだ。
 
そしたら教授が急にしゃがみ込んで、穴をのぞいて「こら、何を見とる!」と、穴にむかってどなった。
 
おれも何度かのぞいたことがあるので、ヤバイと思って、急いでトイレから出てきた。
 
そしたらまたでかい声で「出てくるまで待っとるぞ!」と叫んでいた。
 
ああ、恐ろしい」
 
 
 
竜君のコメントがあって「その男と教授は、今はとても幸福なカップルだそうです。」と。
 
本当かいな?
 
 
 
「立小便が少なくなって寂しいね。」と題する兵庫県・行列男さんの投稿。
 
 
 
「夏のこと、花火大会に出かけた。
 
Mパークは子供連れや、若いアベックでいっぱいだった。
 
とにかく用だけは済ましておこうと、トイレの前に来てびっくり。
 
女性も並んでいたが、男性が長蛇の列を作っていた。
 
何か恥ずかしい気もしたが、暗いのでおれも並んだ。
 
さすがに、男性は用足しも早い。それでも10分経ってやっと、4つある便器の前に来た。
 
ビールなど飲んでいる奴は時間も長く、あとの男はイライラしているみたい。
 
あとがつかえているのに、小便のあとチンポをぐいぐい何回もしごいたり、振ったり平気でしている奴もいる。
 
 
 
近頃は男の特権のような立ち小便が少なくなって、通りすがりにチンポを見られなくなってしまったのが寂しいね。」
 
 
 
そういえば、電柱に立ち小便(?)するのは犬だけになってしまった。
 
ぼくの若い頃は、あちこちで立ち小便している姿を見かけたが、今は街がきれいになりすぎて、立ち小便する場所なくなってしまった。
 
いいのか、悪いのか。
 
 
 
「不思議な出会いの夜」と題する和歌山県・朝顔・38歳の投稿。
 
 
 
「通信欄で知り合った人と、大阪梅田駅で待ち合わせしたけど、どうしたことか会うことができず、帰りの電車もなくなったので、初めて「東梅田ローズ」(映画館)に行き、そこで知り合った人とホテルに行きました。
 
その人も待ち合わせしたけれど、会うことができなかったという同じような話。
 
この人が私の相手だったのです。
 
素晴らしい夜でした」
 
 
 
ねえ、ねえ、この話、本当なのかよ?
 
 
★コメントよろしく、と書いても、コメントできない話

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月21日 (土)

「オカマじゃないか」と言われたら!

「あなたホモ?」
 
「お前オカマじゃねえか?」
 
と、言われた時、俺はどうしたか!
 
 
 
そんな質問に対して、何人もの読者が答えている。
 
これは29年も前の話。
 
今だったらなんと答えるだろうか。
 
 
 
「僕は16歳のとき、熊本のあるレストランに就職したのですが、僕の声が優しすぎて、先輩から「お前はオカマじゃねえか?」と言われ、それがもとでみんなからよく「オカマちゃん」「オカマちゃん」と呼ばれました。
 
最初、僕はオカマちゃんってなんのことだろうと思って先輩に「オカマってなんのことですか?」と聞くと、先輩は笑いだして、「女みたいなのをオカマと言うんだ」と教えてくれましたが、僕はとても恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちでした。
 
それから何年かしてホモの世界を知り、「オカマちゃん」と言ってた先輩たちを、寮や、個人の部屋でおいしく頂きました。
 
僕にも後輩ができてからは、彼らが寝ているすきに、たくましい肉棒を頂きました」
 
 
 
純情な少年だったのが、数年しての大変化。
 
人間変われば変わるものだ。
 
神奈川県・一郎・30代の人からの投稿だ。
 
 
 
「ときどき笑いながら言われるけれど、そんなときは思いっきり大オネエになっちゃうわけ。
 
へんに怒ったりするよりずっといいみたい。
 
そうするとみんな大笑いで、他の話に移っていってしまうもの。
 
だから誰も僕のことをこの世界の人だとは気づいていないみたい(愛媛県・サムタイムライト・26歳)」
 
 
 
この人、大人だな。
 
変に否定したり、怒ったりしないほうが、相手は気づかないものかもしれない。
 
 
 
「かわいがっていて17歳の少年がいた。
 
きれいなおつきあいだった。
 
15歳のときから2年間も続いた。
 
たびたび泊まりにきていたけど、何もしなかった。
 
 
 
ところが冬休みに泊まって、床の中で手をそっと握ったとき、それまでもそのくらいは許してくれていたのに、「おじさん、ホモ?」とずばり言うじゃないか。
 
「まさか」と手をひっこめて、ごまかしたけれど……。
 
彼とも、もうおしまいか。(愛媛県・星児・43歳)」
 
 
 
少年愛の人ってつらいな。
 
相手が17歳だから、床の中で手を握ったりしたら、びっくりして反発されても仕方がないのかも。
 
タイミングが難しいな。
 
 
 
「小学生のころに、あだ名を「オカマ」ってつけられたことがありまして、幼いながらもいやな思いをしました。
 
今でも「ホモ」って言われるのは、べつにいやじゃないけど「オカマ」って言わると頭にきてしまうね。
 
俺、ファッション関係の仕事をしているんだけど、自分の服に流行を取り入れるじゃない。
 
88年だったら花柄の服、特にひまわりなんか、スーツに花柄のシャツなど着て友達と飲みに行ったりすると、悪酔いした人がからんでくるわけ。
 
「男のくせに花柄のシャツなんか着やがって、気持ちわりい。あいつ、オカマかよ」とか言ってさ。
 
友達もいるし最初は無視しているんだけど、あまりにもしつこいと、もう腹が立って、そのあとはケンカ。
 
たまにこんなこともあるね。(新潟県・TIKIDS・24歳)」
 
 
 
ぼくが使っている小学館刊の「国語辞典」には「オカマ」という言葉は載っていない。
 
岩波書店刊の「広辞苑」(第4版)には「尻の異名。転じて男色。また、その相手」とある。
 
今の時代、もう「オカマ」なんて使わないほうがいい。
 
「おかまいなし」なんていう人もいるかもしれないけれど。
 
 
★コメントをよろしく

| | コメント (1) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧