2019年10月26日 (土)

同じような人が大勢いる!

『薔薇族』が創刊されたのは、1971年、そのころは隔月刊の頃の8月合、No.19(1974年・今から45年前)まだ「少年の部屋」はなかった。
 
高校生、大学生からの投稿も、少しずつ増えてきていたので、「若い発言」と題して、4人の高校生の投稿を載せている。その中の東京都・M・19歳、大学2年生「だれにも言えないこと」と題する投稿を紹介したい。
 
「僕が初めて『薔薇族』を知ったのは、高校3年生の春でした。確かNo.10(3月号)だったと思います。
 
学校の帰りいつも寄る本屋に、その日もちょうど寄ったのです。そうすると男性の顔が表紙になっている見慣れぬ本があったので、なんだろうと思い手にとってみました。はじめにパッと男性のヌード写真が目に入り、僕は正直に言って大変な驚きでした。それまでは僕もそこらへんにいる高校生と同じように、普通に女の子と付き合っていました。映画を見に行ったり、茶店に行ったり、肩を抱いて街を歩くぐらいの付き合いでした。でも何か一つ物足りなさを感じていて、『薔薇族』を初めて見たとき、僕は反射的にその本を元の場所へ戻してしまいました。
 
大変なものを見てしまった。そうゆう気持ちだったのです。それから毎日、僕は『薔薇族』のことがなぜか気になり、本屋へ寄って見る勇気がなかったので、表紙だけを眺めていました。そのうち、一冊しかなかったその本がなくなってしまったのです。
 
その時、はっきりと、ああ、僕は男が好きなんだなあと思ったのです。そして僕は普通の結婚ができない体なんだ。だから当然、子供もできない。適齢期に達した時、果たして親になんと言えばいいのだろう。なんて、色々と悩んだものです。今でもこういう幼稚な悩みが全く消えたわけではありません。
 
それから一年経って、僕は大学になんとか合格して、今は東京に来ています。去年の11月ごろまで、友達と二人で住んでいました。ダブルベッドで二人で寝ていたこともありました。もちろん友達はホモではありません。
 
一度、彼は僕らの知り合いのバーテンをしている人の友達という人がホモらしくて、寝ているときに脚や服などを触られて、「気味が悪くて朝まで寝られなかった」なんて言っていました。それくらいホモを毛嫌いしているのです。僕も彼と寝ていても、不思議に何も感じなかったんです。
 
高校に入った時からの友達で、よくお互いの家へ遊びに行って泊まっていたからかもしれません。それからお互いに東京に慣れたからと言って別々になったんです。
 
それから一人暮らしになって、初めて勇気を出して『薔薇族』を買ったんです。写真を見て、小説を読んでひどく感動し興奮しました。なんとなく男性に興味を持つということに、後ろめたさを感じていたのですが、同じような人が大勢いるということが、一つの心の支えになったことは確かです。
 
僕が興味を感じる男性は、大体学生服を着て、スポーツ刈りにしてて、どちらかというと、アイビー風の格好をしたスポーツをやっている、みたいな人なんです。学校でも、街でもよく見かけます。そんな時、やさしく抱かれてみたい、そう思うんです。
 
この世に生まれてきて、短い一生だもの、自分の好きなように生きていければ最高ですよね。でも、人間生きていく上には、やっぱり厄介な制約がたくさんあるんです。
 
これだけ心の中を描いて、すっきりしました。こんなこと誰にも言えませんからね。」
 
同じような人が大勢いる。それが心の支えになった。『薔薇族』を創刊して良かった。

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2019年10月19日 (土)

読者の教師から『薔薇族』は有害と!

『薔薇族』は読者からの雑誌への批判の投稿でも載せていた。そんな批判の投稿などボツにしてしまえばいいのだろうが、ぼくは投稿欄の「人生薔薇模様」の欄に載せ、それに答えている。名古屋市のKさんからのものだ。
 
「有害な雑誌『薔薇族』」と題して。昭和49年3月号(1974年・今から45年前)に。
 
「読者の一人として、また一人の田舎教師として、特に不快で苦々しく思っていることを述べさせていただきます。
 
どうしてこんなにまでして、学校やスポーツクラブを男色と結びつけなければならないのか。私は約18年間、公立の中・高校に奉職し、また各スポーツクラブの直接の指導者として、若人と共に生活をともにしてきた者です。
 
生徒ともに時には喜び、時には涙を流してきました。御誌の小説(大変失礼かもしれませんが、内容は極めて愚劣である)に書かれていることは一度だって起きたことはないと断言できます。
 
スポーツに熱中している生徒は高校生になってもマスターベーションのことを知らないほどに純粋です。発表された小説は、「これでもか、これでもか」というように内容、表現が決まっている。あるのは動物的変態情欲のみである。事情を知らないヤングたちが読んだら、学校のスポーツクラブは本当の男色的発生場所であると思うでしょう。
 
夏になると学校の垣根ごしにカメラを向けている若者を時に見かけることもあるが、はっきりと少年たちの裸体を追いかけています。
 
私は読者として、教師として、学園と関連したものは、たとえどんなフィクションであるにせよ、載せないでもらいたい。最新号には「高校生のつどい」などあったと発表されたが、反吐を吐く思いがする。
 
御誌ははっきりと成人向けのものであって欲しい。表紙にうたって欲しいと思います。現在の私の気持ちとしては、変態性欲を助長するきわめて有害な雑誌として、警視庁風紀係に訴えたい気持ちでいっぱいです。今後の編集を特に考えていただきたいと思います。」
 
「編集部より批判にこたえて」と題して2ページも使ってぼくは答えている。とても長くて全文は載せられないが、要点だけを書いておく。
 
「Kさんは最初に自分は読者であると言われています。読者でない女好きの先生がたまたま『薔薇族』を読まれて、これはけしからんとお考えになってのお手紙なら、一応はご意見として伺うことはできます。しかし、読者のひとりとしての先生のご意見なら黙っているわけにはいきません。(中略)
 
この頃の学生たちが一番、勢力の強い時でもあり、セックスを抜きに考えることはできないでしょう。
 
文通欄での呼びかけを読んでお分かりと思いますが、相手への希望をほとんどの人が「スポーツ刈りで筋肉質で、運動部の学生のような」と呼びかけています。大部分の読者は、そういう若者を友人にしたいと願っているのです。
 
運動部の学生がしばしば小説に登場します。それは読者の理想像なのだから、登場するのは当然のことです。
 
ぼくは男と女のセックスを描いたエロ雑誌と違って、青少年が『薔薇族』を読んで女好きの少年が男好きになってしまうことがないだけに、ある意味でぼくは安心しています。男好きの人しか読まない雑誌だからです。『薔薇族』の読者が理想とする逞しいスポーツマンに憧れる、そしてスポーツマンが登場する小説を載せるのは当然でしょう。」
 
この先生はご自分もゲイであるから『薔薇族』を読んでいるわけで、ご自分の欲望はどう処理されているのか、どんな男性が理想なのかわからないが、中・高生が理想でなく年配の男性が好みであって欲しいものだ。

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2019年10月12日 (土)

ぼくはノンケとゲイの人との「こうもり」だった!

三島由紀夫さんを「兄」と呼び、「弟」出会った堂本正樹さんが、9月23日肺炎のため死去、85歳。横浜市出身。葬儀・告別式は家族で行った。喪主は長男彩樹さん。と、2019年10月4日の東京新聞に報じられた。
 
奥さんが喪主ではないので、先に亡くなられたのか。
 
2006年2月発行の『彷書月刊』(古書愛好家のための雑誌)3月号は「特集・アドニスの杯」で、ぼくも「アドニスは薔薇族の原点だ!」の一文を寄せている。
 

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巻頭に「アドニスの杯インタビュー・三人のあいだに・堂本正樹さんに聞く」と題して本多正一さん(写真家・文筆家)が聞き手に。
 
三人というのは、三島由紀夫さん、堂本正樹さん、中井英夫さんのことだ。
 
病床の堂本さんの写真が載っている。年齢は85歳。1933年(昭和8ねん)劇作家、演出家。慶應大学中退。歌舞伎、能演劇への関心から三島由紀夫と交遊を深め、「浪漫劇場」創立にも参加。著作も多いが『回想 回転扉の三島由紀夫』(文春新書)は、三島由紀夫の知られざる素顔を描いて話題になった。
 

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ぼくは堂本さんとは何度もお会いしている。ぼくが経営していた下北沢の「イカール館」に来てくれたし、確かペンネームで、三島由紀夫さんのアソコが大きかったという話を書いてくれた。藤田竜さんは逆のことを書いて論争になった。
 
当時は誰しもだが、自分がゲイであることを極端に隠していた。しかし、女性と結婚しないわけにいかなかった。
 
病気で入院したら奥さんに面倒を見てもらわないわけにはいかない。
 
「毎日、女房が来てくれて、本当にありがたいと思いますが、夜、眠れないので、テレビをつけっぱなしにして、昔は馬鹿にしていたサスペンスドラマも、最近は結構面白く(笑)。家に帰れば、それこそ新しい三島全集が月一回、届いているはずなんですけれど。
 
え? これ孫の写真です。三つ、四つかな。ときどき来てくれるんですけどね。かわいいですよ。「おじいちゃん、ガンバレ」なんて手紙に書いてあると、嬉しいものですよ。ホント、ジジ馬鹿で(笑)。」
 
ゲイであっても女性と結婚して、何とか努力して子供を作る。そばに女性が来るだけでも嫌で鳥肌だってしまうような人もいるし、いろいろなゲイの人がいるけれど、堂本さんは病気になって、奥さんのありがたみを知ったのだろう。
 
奥さんの悪口ばかり書いてくる小学校の校長先生だった読者もいたけれど、脳梗塞で倒れてから、堂本さんと同じように奥さんに看病してもらわなければ、どうにもならなくなってしまった。女性と結婚してよかったのか、悪かったのか、それぞれ違うだろうが、独身で一人で過ごして孤独死してしまう人もいる。ぼくにはどっちがいいとも何とも言えない。ゲイ雑誌の編集長は辛い立場だ。
 
三島由紀夫さん、堂本正樹さん、中井英夫さんの3人は、『アドニス』の会員で親交を深めていたようだ。
 
この本多正一さんのインタビュー記事は、興味深いが長いので紹介できないのが残念だ。
 
中井英夫さんは途中から『アドニス』を引き継いだ方で、「短歌研究」の編集長時代には、寺山修司くんや、春日井健君を世に出した方だ。
 
ぼくはノンケ(女性好きの男)なので、ゲイ雑誌を30数年も出し続けて、ゲイの人と交流はあったが、親友と言える人はいない。
 
イソップ物語か、こうもりが動物でも鳥でもないという話。今、考えてみると、ゲイの人と親友付き合いできなかったのは、こうもりだったからかと。これは仕方がないことか。

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2019年10月 5日 (土)

同性愛は趣味ではない!

出版界の業界紙『新文化』は、『薔薇族』を発行し続けていた頃、よく記事として取り上げてくれた。

「風信」というエッセイのコーナーにもよく書かせてくれたが、1999年9月16日号「風信」に、「同性愛は趣味ではない!」というタイトルで、ぼくはこんなことを書いている。

最近はさすがに同性愛の人のことを「趣味」という人は少なくなっている。世の中の人たちに理解されてきたからだろう。

20年前は週刊誌の記者たちも、ましてや世間の人たちも「あの人は同性愛の趣味がある」と、言っていた。

「はっきり言っておきたいことだが、「趣味」で男が男を好きになったり、女が女を好きになる人間は、この世に一人もいないということだ。

岩波書店の『国語辞典』によると、「趣味」とは「専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄」とある。

本当は女が好きなのに、楽しみとして男が好きになる男などいるわけがない。「同性愛」は「趣味」ではなく、「本能」であり、「異常」でも、「変態」でもなく、男が女を好きにということとまったく同じで、持って生まれたものだ。

それなのに日本を代表する出版社である新潮社が発行する『FOCUS』(8月11・18日号)の「新宿2丁目で「トルシエ監督」に「男色」の噂」の記事と、同じく8月25日号の「ミッチーのおぞましい話で逆襲するサッチー」の記事はなんだ。

「サッカーの日本代表のトルシエ監督のことを「男色の趣味があるのでは?」という噂です。ホントかどうかわかりませんけど、よく知られた噂話ですよ(サッカー担当記者)」

と書いている。

浅香光代さんのことも同じように「本誌も独自に浅草で聞き込みをかけた。ミッチーの「趣味」について、「そういう噂を聞いた」との証言が多数」などと書いている。これらの記事は「同性愛を悪いこと」「おぞましいこと」という前提で書いている。

それならば、このお二人が本当に「同性愛者」だとしたらどうだというのだろう。

今や医学界でも「同性愛」は、「異常」でも「変態」でもないことが定説になっているのをこの記者は知らないのか。

岩波書店発行の『広辞苑』の「同性愛」のくだりを見て欲しい。「異常」という文字はすでに亡くなっている。

日本のサッカーのために努力をしているトルシエ監督に無礼な話とは思わないのか! 女剣劇の浅香光代さんが男っぽいのは当たり前ではないか。

なよなよした女だったら、女剣劇の座長が務まるはずがない。

残念ながら、このお二人が開き直って「なんで同性愛が悪いのよ」と、日本ではまだ言えないところが悔しいが、もう少し「同性愛」について勉強して欲しいものだ。

こんな記事を書く記者君こそ、「悪趣味」だと、ぼくは言いたい」

「LGBT」という言葉も、一時マスコミの間で、必ず下に(少数派)という文字がつけられて、話題になったが、最近、次から次へと不可解な殺人事件が起こるので話題にならなくなっている。

家族で山の中でバーベキューを楽しんでいたのに7歳の少女が行方不明になってしまったという事件。多くの人が山の中を探し回っても見つからない。自衛隊にまで応援を頼んでいるようだ。

ぼくの推理では、少女愛の男に車で連れ去られたのでは? 当たらなければいいが。

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2019年9月30日 (月)

話は古いけれど、いい時代だった!

「新宿駅には東口、西口、そして南口と会って東京に長く住んでいる人でもまごつくところである。そのうち南口は場外馬券に興味のあるお方のみいずれにご案内するとして、まず西口からご案内する。よくこんな話を聞く。
 
「西口でできたよ」
 
それほど西口にはチャンスが多い。駅の周辺はどこでもそうだが、小田急、京王、西武、地下鉄と国鉄の他にこれだけの私鉄を持つ新宿。
 
それらの入り口からはき出されて行き違う男たち。数には不足はないというものの、全てが良いとはお世辞にも言えない。その辺はあなたの鑑別にお任せするとして、私などはぼんやりと立って若者を見つめているだけで、1時間や、2時間は瞬く間に経ってしまう。全く色とりどりの男たちが通る。ぼんやり立っていると言っても、別に詩集を売っているわけではないから、多少は気になる男の顔と下半身は見せていただくことにする。
 
顔にも色々あるものだ。かわいい顔、すごい顔、気になる顔。面白い顔。綺麗な顔。汚い顔。もうどうにもならない顔などが動いている。いずれも急ぎ足が多い。遊び過ぎて遅れた時間を気にしながら歩いている男の子。おそらく家では教育ママが待っているのだろう。そうした家庭というものが背景にしっかりとあるような子に、心惹かれるのはなぜだろう。そうした子は、「僕これで帰ります。あまり遅くなるとママが心配するから」
と、お茶でも誘うものなら、きっとそう答えるだろう。と勝手に想像したりする。さっきから私のそばに立っている男の子のなんとルックスの良いことか。それにこちらをキラキラした目で見つめている。学生風のあなたの好きな角刈りですよ。スポーツシャツにVネックセーター。足によく馴染んだGパン。片手に2冊ばかり本を持っている。なかなかの美少年だ。チラチラとみられると、こちらも何か変な気がして、チラチラと見たくなる。何れにしても、タイミングよく、こちらから声をかけるべきだ。
 
私の方が年上だから、リードする立場にならなくてはいけない。あるご年配の方だが、「向こうから声をかけてきて、寝てくれと言ったら付き合っても良いと思うの」
 
そんなことでは、いつまで経ってもひとりぼっちだ。またチラリと見る。ちょっと腰をひねると、内股から膨らみかけてGパンがピタリと吸い付くようで、それがたまらない魅力だ。
 
「よくこの辺りに来るの?」とか、猫なで声で、「誰か待っているの?」と言ってキッカケを作れば良いのだ。口の中で何度も、繰り返し練習してもなかなか言葉になって出てこない。カラカラと喉が渇くのがわかる。どうして私は気が小さいのだろうと、ただただ気持ちが焦るばかり。
 
急に男の子の表情がほぐれると、私の方に近づいてきた。私の背後から彼女が駆け足でやってきたからである。
 
いい男の子の待ち合わせには、必ず彼女がやってくることになっている。これは鉄則といえば言えるけど、そんな時の惨めな気持ちは経験者じゃないとわからない。
 
彼女側から言わせれば。いい男は必ずホモが連れて行ってしまうと、週刊誌に発言していた女の子もいたけれど。」
 
 
 
話が何もかも古いな。54年も前の話だから仕方がないさ。馬鹿らしくて読んでいられないかもしれないけど。
 
彼女が待ち合わせ場所に待っているのに、なかなか現れない。あのジリジリした気落ち今の若者にはわかるまい。遅れてやってきた彼女の姿を見た時の気持ち、嬉しかった。
 
間宮浩さん、藤田竜さんに追い出されてしまった。親分は二人いてはダメなのだ。

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2019年9月28日 (土)

好みの若者がいたら連れ出して!

昭和40年(1974年)の『薔薇族』3月号に「間宮浩の新宿コレクション」と題する45年も前の新宿での出来事が書かれている。16ページも使っての長い文章で、とっても全部を紹介できないが、古い新宿を知る上での貴重な読み物だ。
 
「映画館めぐり」と題する小見出し。今、映画館も少なくなっているが、映画が多くの人の娯楽の対象だった時代の話だ。
 
「新宿コマ劇場を背にして、右側に見えるオデオン座、左のポルノ映画専門の地下の新宿座、西口のパレス座、南口の国際名画座あたりが有名だ。そのうちでも西口のパレス座が料金が安いのと、駅に近いことのためか一番多くお仲間がいる。映画を見ない観客が、いつも後方のドアのところに立っているからすぐわかる。
 
ここで申し上げておきたいのは、お仲間が好きとは限らないから、ホモのホモ嫌いという方にはお勧めできない。そうした方なら以上の映画館以外のところに行けばお仲間がいないから自由行動できる。ポルノ映画の前方の席には、自家発電をしている若者を見ることがある。そうした若者と話しかけるには、ベテランも免許皆伝の方でないと危険も多い。「おれがいい気持ちになっているのを見て、どうしようというのだ」と、すごむニイさんだっている。(中略)
 
まだ4、5年前のことだろう。ここにウリセンのバアがあった。ウリセンと言ってもわからない人のためにまた説明がいるが、カウンターの中に、ピチピチした若者がズラリと並んでいる。好きな男の子がいたらマスターに話をして連れ出せるシステムの店をウリセンというのだ。
 
確か若者はみんなピチッとネクタイを締めていた。それが何よりも凛々しく感じられた。
 
このようなウリセンという名の店はもうないと言ってもいいだろう。新宿にゲイバアが200軒はあると言われているのに、こうしたズバリの店はない。そのウリセンのマスターが死んだ。それは意外と短い期間の病気であった。気苦労やら無理に無理の重なるこの商売は病気になるとたまらない。
 
「牛乳が飲みたい」
 
病院のベッドでマスターが言った。それまで看病していた子の名前は知らないが、北海道から来た子が牛乳を飲ませたのが最後であった。
 
死期の迫るような病気の看病は、肉親でも大変だが、若い子がよくやったと感動している。そして最後まで大変であったろうと思うのである。
 
今でも私はその北海道の子に会ってみたい。こんな悲しいことを書くのはたまらないが、実は私の小説『野郎花』(第二書房刊)の舞台はここにあったと言ってもいい。主人公のマモルは、この最後まで看病しいた子かもしれないのだ。
 
男の子たちが一緒に寝泊まりしている。アパートの一室などは、寮と言っている店が多い。昼を過ぎた頃、アパートの部屋に行くと、ブリーフ一枚で花札をしたり、側でグウグウ寝ている子もいる。またこれからデートの子が何か探し物をしていたりして、店で見る子と違った雰囲気である。
 
襖を開けると中から履き捨てたブリーフが、ぞろぞろと落ちてくる。下着マニアなら大変に喜びそうな、色とりどりの柄や型のブリーフが一抱えも出てきて、そこのマスターが紙袋に入れて捨てていることもあった。」
 
新宿の街に長くマンションの一室を借りていて、新宿の街を愛していた間宮浩さん。
 
最後は痴呆症になって、誰にも看取られずに亡くなってしまった。

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2019年9月21日 (土)

妻と離婚してからが私の本当の人生だった!

1971年に『薔薇族』を創刊して2年後の5月号(今から46年前)は、隔月刊で針金とじ、122ページという薄さ。

巻頭に神山保というペンネームで書いた(当時は一部の人しか知らなかった三島由紀夫作)『愛の処刑』の全文が掲載されている。『仮名美の恋』武田肇、『結婚幻の城』志賀淳、『きみを求めて』須藤孝など小説ばかり。イラストを描く人がいなかったのか、小説の挿絵は写真を使用している。

『愛の処刑』だけは、『アドニス』の別冊『APOLLO』に載った三島剛さんの挿絵を真似て藤田竜さんが描いている。

読者の投稿ページ「人生薔薇模様」に投稿している人は、わずか5人だけ。その中に『結婚 このまぼろしの城』志賀淳のことを書いた「志賀淳を弾劾する」は、(東京・ポレミーク)さんが怒りを込めて書いている。

この話は当時、話題になったが、志賀淳さんが、三島由紀夫さんとの交流を書いて週刊誌に売り込んだのだろうが、その時の週刊誌を保存していたが、今はないので詳しいことは書けない。

「激しく怒りを込めて志賀淳を弾劾する。君は一人の偉大な仲間を売った。しかも、もっともいやしい汚いやり方で。

真実を書くならまだいい。全てがでっちあげの嘘で固めたやり方だ。故人と寝た男など、いくらでもいるが、きみ以外にマスコミに対して、あんな卑しい売り込みをした男は誰もいなかった。それが死者に対するいたわりであり、思いやりというものだ。きみのようなホモ男が軽蔑するゲイボーイだって、彼の死に対しては、悼みの言葉を表白していた。

何という心ないやり方で、きみは佛を汚したことだろう。きみはホモ社会の仁義に背いた男なのだ。何という心ないことをしたことか。

『週刊ポスト』によって、きみの嘘と経歴は全て暴露され、美輪明宏さんとの対決においても、何一つまともに答えられなかったではないか。

美輪さんの真摯な態度に比べて、きみの無残だったこと。性的病人であると同時に、心の病人でもあるきみ。

盲の垣のぞきなどと、傲慢なことを言っているが、決してそうではない。知ってはいても、死者への思いやりといたわりから誰も言わなかっただけなんだぜ。それが仁義というものなんだ。それを風俗雑誌以下の手垢に薄汚れた文章で、きみは嘘八百の売文をでっち上げたのだ。そしてその嘘は全て破産した。

またぞろ、いけしゃあしゃあと『薔薇族』などに手前勝手なことを書いているようだが、素朴な読者をこれ以上、馬鹿にするのはやめ給え。こんなものを特撰ノンフィクションなどと持ち上げている『薔薇族』編集部の安手な態度も告発されてしかるべきものではないか。もっときちんとした価値判断を持つべきだ。全ホモのためにも。」

志賀淳さんが何を書いたのかを載せないと、この人の怒りを理解できない。三島由紀夫さんの好みは、志賀淳さんのような方だとは思えない。三島さんと志賀さんがベッドを共にすることなどなかっただろう。

5月号に載っている志賀淳さんの『結婚 このまぼろしの城』を読んでみると、結婚に対して、しっかりとした考えの持ち主で、軽薄な方ではないことは確かだ。

「妻と離婚して晴れて元の一人に戻った時の水に放たれた魚のようなピチピチした躍動する解放感のありがたさは生涯忘れられないものだろう。あれ以来の13年が私の本当の人生だったような気がする。」と。

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2019年9月16日 (月)

54年も前の新宿の街は!

『薔薇族』3月号(No.16・昭和49年刊)は、間宮浩の」特集号になっている。グラビアの写真も間宮浩が撮影した男たち。ルポ・新宿コレクション・間宮浩の電話相談室・間宮浩さんという人・間宮浩さんの小説・夢の時間
 
こんなに間宮浩さんに活躍されては、藤田竜さんにとっては面白くない。親分はひとりでいい。間もなく間宮浩さんを竜さんは追い出してしまった。しかし、当時の新宿の話は、今となっては貴重だ。長い文章だが一部を紹介したい。当時の新宿の街の匂いが漂ってくるようだ。
 
 
 
「もう新宿に住み着いて10年になろうか、窓を開ければ、東京タワーとホテルプラザが見えて、ときどき空気の澄んでいるときには富士山が見える。そして見下ろせばゲイ・バアの看板も見える。富士山にはゲイ・バアの看板がよく似合うだろうか。
 
新宿とはどんなところか、まだ新宿を知らない方々のためのガイドを承る次第である。
 
新宿とはの質問には東京の第二の副都心で、人口何万と答えるより、眠らない盛り場、と答えればいい。盛り場とは金を持っている人間が、金を落としに来るところと思いがちだが、新宿は若者の街だから金のない人間の方が多く集まるようだ。
 
新宿駅の改札口で、切符と一緒に財布の中身を見せてもらえたら面白いのだけど。初めからお金の絡む話で申し訳ないが、どうか財布は毛糸の胴巻きにでも入れて新宿に来てほしい。
 
とりわけサウナに入りたい人は、必ず受付に財布は預けることだ。どこのサウナでも大きく張り紙がしてあって、貴重品は必ず受付へと書いてある。紛失は責任を持たないことになっている。もっと詳しく説明すれば、ロッカーの中は危ういですよということになる。
 
実をあかせば昨日、ロッカーの中に財布を入れておいて、私が盗まれたから、その体験談をお知らせしているわけである。金のない人間から金を奪う非情な街。新宿をまずお知らせしておきたいのである。
 
非情といえば、トルコ嬢(今のソープランド)が表に引きずり出されて、怖いお兄さんに髪を掴まれて、泣き叫ぶのを踏んだり、蹴ったりされている。
 
そばでトルコ嬢の父親が放心したように立ちすくんでいるところを見たが、誰も見て見ぬふりである。
 
また別の話。黒メガネのお兄さんが交番に助けを求めて、逃げ込んでくる。それを追いかけて、もっと怖いお兄さんが、ドスを持って交番に入ってきても、丁度、電話中のおまわりさんの周りを逃げ回って、二人とも雑踏の中へ走っていった。当のおまわりさんはといえば、長電話の続きである。いったいどうなっているのやら。
 
さあ、毛糸の胴巻きをして、しっかり財布を身につけた人だけをご案内しましょう。つまり何ですよ、角刈、筋肉質、スポーツマンタイプの男たちのいるところを。そしてホモをやっているホモでない男のいるところですよ。青い鳥のチルチル。私はミチルということで……」
 
 
 
この話は今から54年も前の話。新宿も様変わりして今では誰もが安心して歩ける街、明るい街になっている。怖いお兄さんもいない平和な街だから、安心して地方の方もお出かけを。
 
新宿二丁目も15年ぶりにいってみたけど、建物もビルが増えて、今ではゲイの人たちの街とは思えない。女性もひとりで来ても安心な街に変わっていた。
 
あの薄汚いハッテン場だった小さな公園もすっかり整備されて美しい公園になっていた。

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2019年9月14日 (土)

LGBTが持つ旺盛な消費力に目を向けたのは!

毎月、「文ちゃんと語る会」の会場に使わせてもらっている「織部下北沢店」には、日経新聞と朝日新聞が、オープン以来ずっと置いてある。

日経新聞の半5段広告に『国際商業』10月号、今まで全く知らない雑誌だが、「特集・LGBT(性的マイノリティ)が持つ旺盛な消費力」の文字にぼくの目は釘付けになった。
 

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早速、渋谷の東横百貨店7階のジュンク堂書店で購入した。派手な表紙で艶やかな花に囲まれて、9月16日に発売されるという、アルビオンが発売する「フローラドリップ」(160ml=1万3千円、80ml=7千円)のぼくには縁のない化粧液が載っている。

どうもこの雑誌、化粧品の業界誌のようだ。掲載されている広告も化粧品のものばかりだから間違いない。ぼくはひげを剃った後に「資生堂ブラバス スキンコンディショナー・乳液男性用」を塗り、頭を洗った後には「柳家ヘアクリーム」を使っているだけだ。

中国の女性たちも日本の化粧品を使ってるそうだし、化粧品の業界誌『国際商業』が、出版不況の時代に長く続いているのは、スポンサーが付いているからだろう。

見出しには、こんなことが書かれている。



「LGBTは、とても身近な存在だ。日本のLGBT層の割合は、人口の8・9%。11人に1人の計算で、左利きの人の割合とほぼ同じである。

カミングアウトの有罪は別にして、家族や友人、同僚の中にLGBTは存在する。我々は、そういう時代を生きている。

日本企業はLGBT対応に取り組んでいるが、その範囲は国内にとどまらない。

欧米が先行していたLGBTの社会的地位向上の動きは、台湾が同性婚を認めるなど、いよいよアジアに波及し始めたからである。」(電通ダイバアシティ・ラボ調べ)



マスコミでLGBTが持つ旺盛な消費力に目を向けたのは『国際商業』が初めてのことで、敬意を表したい。ただ化粧品の業界からの視点での記事なので、LGBT全体の業界の「旺盛な消費力」ではないのは仕方がない。

何年か前に女性の著者が、イギリスの経済はゲイの人によって支えられているという新書本を読んだ記憶があるが、日本でも世間の人には全く知られていないが、その消費力は莫大だと言っていいだろう。

ゲイ雑誌は『サムソン』だけを残して滅亡してしまったが、全国のゲイホテル、ゲイバア、ポルノショップなど、『薔薇族』に広告を出してくれていたスポンサーで潰れたところはなく、今でも繁盛している。

「LGBTに関する主な出来事」が年代順に書かれていて参考になるが、1971年に東郷健さんがゲイであることを公表して、参議院選挙に立候補したことは書かれているが、日本初の同性愛誌『薔薇族』創刊が抜けているのは、寂しいが仕方ないか。

『LGBTを知る』(日本経済新聞出版社)によれば、世界のLGBT人口規模は4億5千万人で、その消費規模は約4千兆円にのぼると推定されている。

日本に限っても、消費規模の推計は約22兆円。これは「店頭でレインボーフラッグを掲げセクシャルマイノリティを安心させる」という現状からさらに深化し、より深い理解で、LGBTをターゲットに捉えた時の市場規模を示している。」

LGBT総合研究所の存在はこの雑誌で初めて知ったが、若い社長さんは森永貴彦さん。「少数派の感性をマーケティングに落とし込む」のページは貴社の質問に森永さんが答えているがご本人もゲイの方で的確に答えていて参考になる。54ページも使っての特集、ぜひ購入して読んでいただきたい。

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2019年8月19日 (月)

昔の子供は親に告げ口しなかった!

今から31年も前の高校の部活では、こんなことが行われていたのかと思うと、世の中変わったものだ。
 
「A県B市のC高校といえば、剣道の強いことで有名である。県内は無論のこと、全国にもよく知れ渡っている。
 
新入生で入部するものは、毎年12、3名はいるが稽古の厳しさなどで、夏休みに入る頃には5、6名に減っている。この剣道部の伝統的な新入生いじめの一つの例を紹介しよう。
 
新入生は4月中に希望する部に入部する。剣道部に入部したものは、5、6月の2ヶ月間に、激しい練習と上級生からのしつけの厳しさに恐怖を感じ始める頃、このいたずらが行われるのである。上級生にとってはある意味では、親しみを込めた遊びなのだが、1年生にとっては死ぬほど恥ずかしい思いであり、そのために退部していく者もかなりいる。
 
(中略)
 
1年生の今日の着替えは、端から順に一人ずつ行う。わかったか。よし、それではその一番端の者、中へ入れ。
 
(中略)
 
彼は着替えのための衣類を棚から出して、マットの上に乗った。「そこで着替えろ」と3年生は命じた。彼が言われるままにマットの上に仰向けに寝ると、2年生たちが1人は左腕と左肩を押さえつけた。他の2人はそれぞれ右足と左足を押さえつけた。彼は緊張したまま逆らわずにいた。暴れたくても動けそうもなかった。
 
やがて3年生の1人が、剣道部の選手たるものは刀が大事である。十分に気合いがこもって、先端からほとばしるものがなくてはならない。今からお前の刀を検査する。そしてその3年生はブリーフに両手をかけて、静かにブリーフを下げた。
 
陰部丸出しである。彼は、目をつぶって、じっと羞恥に耐えた。3年生はまず陰毛をなぜて、次に睾丸を手のひらに乗せてよく眺め、それから刀を握って、皮を根元までむきあげた。すなわち刀の鞘を払ったのである。そして皮を上下に動かして刀を磨いた。刀は次第に太ってかたくなり、若いために瞬く間に屹立した。
 
「いい反りだなあ」
 
「大きいな」
 
「袋は普通だな」
 
「1年生のわりには、くさむらが濃いなあ」
 
と、3年生の声が聞こえる。
 
やがて磨かれているうちに次第に気持ちよくなってくる。あ〜っと思った瞬間、頭の奥底にじ〜んと快感が迫って、刀の先端からピューッ、ピューッと、ほとばしり出るものを感じた。
 
普段自分でセンズリをかいても、かなり気持ちが良いが、人前で羞恥のうちに発射することの快感を、この時、初めて知った。かくしてこの夕べ、1年生は全員、刀の検査、すなわち「まな板の鯉のぼり」をお披露目したのである。(中略)
 
1年生はほとんど15歳であるが、隠毛の長さは普通3センチぐらいで、中には産毛がちょっと黒ずんだという程度の者もある。
 
陰茎は勃起状態で、一番大きい者は16センチくらい、一番小さい者は10センチくらいである。太いのは4.5センチくらいで、細いのは3センチくらいである。皮の剥け具合は、大部分の者が、2割むけて8割くらい皮を被っているが、全むけの者もいれば、朝顔の蕾のように、すっかり皮を被って、先に皮が余っている者もある。」(後略)
 
 
 
この時代の子供は、親や、先生にしゃべらなかった。ぼくも中学1年生の時、全員が2年生にお説教と称して、放課後、板の間に長いこと正座させられたり、対抗ビンタなんて野蛮なことをさせられたものだ。ひどい話だ。

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