2018年1月20日 (土)

話が古すぎるかな?

『本の周辺』(1979年11月・季刊第14号・新生社刊)今から39年前に本好きの人たちに読んでもらうための64ページの薄っぺらな雑誌だ。
 
「聞き書き・第一書房のこと・語り手=伊藤祷一。聞き手=大久保久雄」6ページにわたる対談だ。
 
昭和4年4月1日に入社、昭和19年に第1書房が廃業するまで、ぼくの父、祷一が勤めていた出版社だ。
 
ぼくのブログを読んでくれている人で、第一書房のことを知っている人はいないと思うが、記録として残しておきたいものだ。
 
 
 
「――第一書房は大正の終わりから昭和19年(終戦の1年前)まで、約20年間にわたり、フランス文学をはじめ、海外文学、国文学、音楽、山の本にいたるまで、主に人文系の図書を発行、内容装幀ともに良心的出版社として著名だったのですが、伊藤さんはいつ頃入社され、どういうお仕事をなさっておられたのですか。
 
伊藤 私は早稲田文学を中退して、甲子社書房という出版社へ勤めました(岩手県の山奥からお手伝いさんとして働いていた、ぼくの母と結婚する)。
 
甲子社書房は宇井伯寿の『印度哲学研究』など仏教書を発行していました。
 
早稲田では下級生に「紺碧の空」を作詞した住治男がいました。私は住治男と一緒に石原健生(俳人・萬戸)のもとで俳句をやっておりまして、この石原健生さんの紹介で、昭和4年4月1日付で、第一書房へ入社しました。
 
 
 
――第一書房は大正12年高輪南町で創業し、伊藤さん大分あとに入社なさったのですが、高輪時代の第一書房についてご存知のことがありましたらお教えください。
 
伊藤 私が第一書房に入ったのは円本のさかんの頃で、麹町へ社屋を移した後のことなのであまりわかりませんが、高輪南町の第一書房は木造2階建てで、奥さんと二人ではじめられたそうです。
 
松岡譲の『法城を護る人々』を処女出版として、創立者、長谷川巳之吉氏が文学者なので、海外文学や詩集を多く出版するようになりました。
 
私は営業主任として入社したのですが、社員はたしか4、5人で、奥さんが会計をやり、三浦逸雄(三浦朱門氏のご尊父)氏と、長谷川巳之吉氏が編集をしていました。
 
少したってから東大を出た福田清人氏が入社『セルパン』の編集をやりました。」
 
 
 
福田清人さんはのちに実践女子大学の教授になり、ぼくの息子の嫁が講義を聞いたそうだ。
 
戦後、第一書房を復活させたいという動きがあったそうだが、長谷川さんの息子の出来が悪く果たせなかったようだ。
 
 
 
『本の周辺』の間に挟まれていた、紳士服の「英國屋」の領収書を見てびっくり。
 
昭和47年11月18日の発行で、7万円。昭和47年11月27日の発行で、5万円。
 
背広を英國屋であつらえていたとは。
 
今なら4、50万はするのでは。
 
ぼくに給料をくれないで、ぜいたくしていたとは許せない。
 
 
 
戦後の昭和23年に資本金25万円で、株式会社、第二書房を創立したが、本当は第一書房としたかったのだろうが、遠慮して第二書房とした。
 
九州の画家、坂本繁二郎、馬の絵を描くことで有名な方だが、『坂本繁二郎画談』という本を出したときに、父が何を思ってのことか、第一書房としてしまった。
 
長谷川巳之吉さんから書留郵便が送られてきて、「無断で第一書房の名を使うとは言語道断。壱百万円を要求する」という。
 
父は新潟の人間は嫌いとよく言っていたが(長谷川氏のことなのか)、新潟の女性をぼくは嫁にしてしまった。
 
勤続15年の記念に贈られた大理石の仏像安物なら、長谷川巳之吉という男は尊敬できない。嫌味な男だ。
 
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2018年1月15日 (月)

年をとって、己を知る!

2006年の7月に、河出書房新社から『『薔薇族』の人々=その素顔と舞台裏』という本を出版することができた。
 
『薔薇族』を支えてくれた14人の人たちのことをどうしても書き残しておきたかったからだ。
 
「ゲイ雑誌にゲイの文化をとり入れた」と題して、ぼくのよき相棒だった藤田竜さんのことを巻頭にもってきた。
 
「『薔薇族』黄金時代の表紙絵を描く」内藤ルネさんを最後にしている。
 
 
 
316ページもの厚い上製本で、写真も多く入っていて、自分で言うのもおこがましいが、今読んでも読みごたえのある本だ。
 
この本に当然入れるべき人だったのに、入れそこなってしまった人がいた。
 
年賀状を出したら、その人からうれしい手紙が返ってきた。
 
 
 
紹介した14人の中で、元気な人は少年愛の稲垣征次君だけで、あとの方はすでにこの世にいない。
 
手紙をくれた方は、京都に住む鞍嶽三馬さんだ。86歳のぼくと同じ年のようだ。
 
力のないヨタヨタの文字で読み取るのが大変だ。
 
 
 
「賀状の正月、それらの大袋から文学さんの過去の手紙が多数出てまいりました。
 
読むうちに涙がにじみ出て、俺も若かったし、文学さんも若かったのだと、今年86歳になった小生は涙を流して、おのれの年齢を考えさせられました。
 
息子さんの京都大学時代に、なぜ会う機会を持たなかったのか、残念至極、今となってはもう過去の出来事と憂うしかありません。
 
 
 
賀状が毎年少なくなってきました。死が横たわっているのでしょう。
 
京都に来て一番友情を保った彼(明治大学野球部のOB)も、一昨年前からこの世を去りました。
 
毎日近くの公園のグランドで、キャッチボールをしたことが、小生の人生の一番の幸福な時でした。
 
 
 
今年の正月、本願寺に参りました。家族の兄弟、そして彼の想い出を胸にたたんで、頭を深く涙をおさえてしまいました。
 
今はもう発展場など夢の夢、あんな世界に俺も生きていたのかと思うとぞっとします。
 
 
 
年齢は悲しいものです。弱いものです。年をとっておのれを知る。人生はなんとも厳しいものなのでしょうか。
 
文学さん、今年も元気で、メシをうまく感じてください。小生も今年中は、まだ大丈夫でしょう、と思います。お元気で文学さん」
 
 
 
鞍嶽さんは東京でレコード店を経営していたが、店をたたんで京都のネクタイで有名な「菱屋」でデザイナーとして働きだした。
 
東京にいた頃、「祭」で何度か出会ったと思うが、どんな方だったのか思い出せない。
 
鞍嶽さんが薔薇族に寄せてくれた原稿は、ものすごく多かった。彼の原稿が載った『薔薇族』を探したが、3冊しか見つからない。
 
1985年8月号「スクープ!! 日本人エイズ患者に単独会見!!」の151号の114ページに「京の男だより・9 この道はうちの生命どす」9ページもの長い文章だ。連載してくれていたのだろう。
 
33年も前のことだから、53歳の時のことで、お互いに若かった。
 
1980年の10月号には、稲垣足穂のことをやはり9ページも書いている。1978年の4月号には、「わが風物詩・11 阿呆物語」を12ページも書いている。
 
 
 
ああ、年は取りたくないものだ。
 
鞍嶽さん「菱屋」が造ったネクタイの美術館の館長もされていた。
 
「年齢は悲しいものです。弱いものです。」
 
ずっしりと胸にひびく。弱気にならずに元気を出そう。人生はこれからだ。
 
A
イラスト・木村べん

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2018年1月13日 (土)

ミサイルを撃ち合う戦争はしない!

グアム島に北朝鮮のミサイルが打ち込まれるのではという心配からか、観光客が何割か減ったという記事が新聞に出ていた。
 
今にもアメリカと北朝鮮が戦争になるのではという記事が新聞や週刊誌に載っている。
 
北朝鮮のミサイルが発射され、警報が鳴った時の訓練で、子供たちが腹ばいになって頭を両手で抱えている映像をテレビで見たことがある。
 
戦争を体験したことのある80歳以上の人がこの子供たちの訓練をみたら「何をやっているの」と、笑いたくもなる。
 
70年も前のアメリカのB29爆撃機による空襲のことを思い出せば、こんな訓練がバカバカしくなってくる。
 
 
 
1月3日の東京新聞一面の「正恩氏「平昌成功願う=米には核ボタン机上に」の見出しで「北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は、1日、2018年の施政方針を盛り込んだ「新年の辞」を発表し、「米本土全域が核攻撃の射程圏内にあり、核のボタンが私の事務室の机の上に常にある」として、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実戦配備を事実上宣言した。」
 
 
 
これはトランプ米政権に対する威嚇であって、お互いにミサイルを撃ち合ったらどういうことになるのか、人類の滅亡になってしまう。アメリカも北朝鮮も戦争はしないだろう。
 
 
 
戦前の軍隊生活を描いた絵はがきを見つけ出した。
 
新年早々、戦争のことなど考えずにのんびりした軍隊生活を見てもらいたい。
 
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C
D
E

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2018年1月 2日 (火)

新年早々から臭う話とは!

新年あけましておめでとう。
 
ぼくのブログを読んでくれている皆さんには感謝の言葉もありません。
 
 
 
「伊藤文学のひとりごと」を書き始めて、12、3年になる。ネットをさわったこともないぼくのために、4人の協力者がいて、原稿用紙4枚に書いた原稿を郵送すると、土曜と月曜に更新してくれている。
 
今はS君という協力者が、ぼくのためにボランティアで更新してくれていて、本当にありがたいことで、ぼくの生きがいになっている。
 
 
 
80歳を過ぎると、個人差はあるだろうが、耳が遠くなり、歯も悪くなり、目も白内障と、あちこちが衰えてくるのは、どうしようもないことだ。
 
2017年の8月頃から坐骨神経痛で、左足が痛み出し「下北沢整形外科リウマチ科クリニック」の植田先生が、お尻に10回ほど痛みどめの注射を打ってくれてやっと痛みがなくなった。ところが、今度は痔が痛み出し、肛門専門の医師に診察してもらったら、三宿病院の外科に紹介状を書いてくれた。
 
12月の11日に入院、12日に手術ということで慌ただしく入院することに。痔の痛みって経験したことのない人にはわからないだろうが座っていても、歩いていても痛みどおしだ。
 
年賀状を300枚も印刷してしまったので痛みをこらえながら、入院するまでに半分は書き終えた。
 
Image1
 
手術をする前にレントゲンを撮り、あらゆる検査をして、異常がないということを確認して、医師が手術をすることに。
 
手術は下半身だけに麻酔をしての手術。医師がお尻をいじっていることは、わかるけれど、どんなことをしているのか、全くわからない。
 
1時間ほどで手術は終わり、元のベットに戻ってきた。オムツをしていて、中に便をするけど、トイレの便器に座ると出ない。
 
若い看護婦さんが浣腸をしてくれるのだから大変な仕事だ。三宿病院は自衛隊の病院のとなりにあって、半分ぐらいの医師は自衛官だそうだ。
 
1週間ほどで退院することができたが、オムツはつけたままだ。家に帰ってから、どのくらい過ぎたころか、便器に座って自分の力で便を出すことができたときは嬉しかった。
 
家に帰ってからも、便を床に落としてしまったことが何度もあったが、女房はぶつぶつ言いながらも始末してくれた。女房のありがたさを知ることができた。
 
一緒に住んでいる息子の嫁にも感謝だ。今の病院は手落ちがないようにいろんな書類を書かされる。息子の嫁がそれをやってくれた。冷たくされても仕方がないのに、すべてを片付けてくれた。ありがたい嫁だ。
 
 
 
カフエ「織部」に置いてある、朝日新聞と日本経済新聞のどっちにあった記事か忘れてしまったが、ひきこもりの人って若い人だけかと思ったら、40代、50代の人でひきこもりをしている人がいるようだ。
 
その面倒を見ている親は、70代、80代だから、ひきこもりが長く続くと、共倒れになってしまうと。
 
今度入院してみて、ぼくの嫁、息子の嫁が面倒を見てくれたのだからありがたいことだ。
 
姑と嫁と仲良く暮らしている家族って珍しいのでは。
 
今年もブログを書き続けるので、読んでください。
 

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2017年12月30日 (土)

喪中欠礼のハガキが今年は16人も

おじいさん、おばあさんが亡くなられたかたが多く、どなたも90歳を超えている。
 
ぼくは3月19日で86歳になる。過ぎてみればあっという間だ。
 
この写真、新宿の京王プラザホテルでぼくの著書の出版を祝う会のときのものだ。
 
B
 
ぼくの親友、お寺の住職で劇団「人間座」の演出家の江田和雄君、父と握手しているのが國學院大学教授の阿部正路君、ふたりとも70代でこの世にいない。
 
両親はぼくが一番活躍していたときに亡くなっていて、みじめな時代を知らないのは、最高の親孝行だった。
 
こんな両親の笑顔を見られたのだから、良かったというしかない。
 
 
 
平成30年、どんな年になるのだろうか。
 
痔の痛みに負けてはいられない。
 
新しい年にもブログを書き続けますから、ぜひ、応援してください。
 
良い年をみなさんお迎えください。

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2017年12月28日 (木)

春までお休みだ!

「文ちゃんと語る会」いつから始めたのか記憶にないが、3、4年は続けている。
 
最初の会場はカフエ邪宗門、森鴎外の長女の森茉莉さんが、仕事場として使っていた店だ。
 
和物の骨董品、ランプ、とっくり、火縄銃などが飾られている。
 
会場としては申し分ないのだが、下北沢の駅から歩いて20分もかかる。
 
 
 
駅に近いところをと、2番目のカフエは、北口の商店街の2階にある占茶。
 
ご夫婦で営業していて、ママは奥の部屋を使っての占いで有名な方だ。
 
ご主人がカウンターに入っていて、コーヒーを淹れてくれる。
 
文ちゃんと語る会には理想的な店だったが、なんでまた会場を移したのか忘れている。
 
 
 
3件目のカフエはつゆ艸だ。ここもご夫婦で営業している。
 
カウンターの席は3脚だけ。ここに座るのは老人ばかり。ママの由美さんの笑顔に魅せられて通ってくる。
 
よしもとばななさんがお気に入りの店だ。ご主人は以前、和物の骨董店をやっていた人なので、ばななさんが感心するぐらい、置かれている骨董品が考えて展示されている。
 
ここも長くは続かなかった。ちょっと店が狭すぎるのと、外から店の中が見通せるので、語る会には不向きだった。
 
 
 
4軒目が南口の露地の奥の陶器とコーヒーの店「織部」だ。椅子がゆったりしていて、落ち着ける。
 
ここに移ってからもう1年以上になる。
 
 
 
ぼくは、文ちゃんと語る会を休んだことはない。
 
それが12月の16日の会に出られなかった。11日に入院、そして12日に手術、一週間も入院していた。
 
ぼくは内臓は丈夫なのか、86年の中で入院したのは、胆のうに石が溜まって、それを取り除くための手術で入院、その次は左ひざに人工ひざを入れる手術で、東京医大病院の外科病棟に入院したのが、13年ほど前だった。
 
今回の入院は痔の手術。1週間で退院したが、一向に痛みが止まらない。なんとオムツを履いての生活だ。
 
便器に座ると便が出ない。それがオムツの中だと出る。なんとも変な肛門だ。
 
 
 
椅子に座っての仕事は痛くてつらい。痛みが2週間ほど続いてるのだから堪ったものではない。
 
年賀状を織部の店長がデザインしてくれて、早々に300万も作ってしまったので痛さを我慢して書いている。
 
 
 
文ちゃんと語る会は、1月、2月はお休みにしたい。
 
3月から再開して、続けたいと思っている。
 
それまでには元気を取り戻したいものだ。
 
A
ヨーロッパの古い絵はがき

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2017年12月16日 (土)

こんなすごい本って見たことない!

本ってあまりにも安すぎる。
 
これだけの画家、写真家の作品をコレクションし、海外のアーティストの作品もあり、今まで見たこともないエロティックアートを1冊の本に収めているのに…。
 
 
 
『画集 偏愛蒐集』(玄光社刊・税込価格3240円)が出版された。
 
30人もの内外の画家、写真家の作品を1冊の本で見れるなんて、ありがたいことだ
 
ヴァニラ画廊で、本の中の作品を出版記念展示される。
 
ヴァニラ画廊でなければできない展示会だ。入場料500円も安すぎる。千円にすべきだった。
 
A
https://www.vanilla-gallery.com/archives/2017/20171206ab.html
 
ぼくは新潟に「弥彦の丘美術館」と「ロマンの泉美術館」をオープンさせ、ぼくのコレクションを展示してきたが、そこで日本で最初の「バイロス展」を開いた。
 
バイロスの知名度は低いが、あれほど美しく優雅で、艶冶で華麗な蔵書票や挿絵を残しながら、バイロスの名は一般の美術史から黙殺されている。
 
バイロスの絵には、秘かに愛蔵して独りで楽しむ官能と悦楽の誘惑がある。
 
 
 
ぼくのコレクションの中からバイロスの作品が展示されるようだが、ぜひ、よく見てほしいものだ。
 
ぼくがバイロスの作品を購入した時は、高価だったが、おそらく今は安く売られるに違いない。
 
バイロスの作品を見て、拒否反応を起こす人もいるだろうが、バイロスの作品に引き込まれていく人もいる。
 
 
 
最近、古い時代劇ばかり見ているが、拷問のシーンがよく出てくる。犯人に自白させるためだ。
 
神田の明治大学の中に、江戸時代の拷問に使われた道具などを展示する博物館があるそうなので、見に行きたいとずっと思い続けているが、まだ果たせずにいる。
 
ヴァニラ画廊にも、見に行きたいと思っているが、12月11日から1週間、目黒にある三宿病院に入院することになっている。
 
12日に手術を受けるまで辛い拷問のような状態が続いている。ちょっと文章に書けないような状態だが、我慢するしかない。
 
あとは医師にまかせるしか。つらい! つらい!

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2017年12月 9日 (土)

三宿病院に入院することに!

伊藤さんは元気だ、元気だと人に言われる。
 
母校世田谷学園の同期会の世話役を20数年も続けてきた。
 
会場を選びチラシを作り、名簿を見て発送する作業を続けてこられたのは人を集めることが好きだからだ。
 
最初の頃は5、60人は集まり、先生も何人も出席してくれてにぎやかだった。
 
それが年を重ねるごとに出席者が減り続け、今年の同期会は、ぼくを含めて7人になってしまった。
 
来年の3月でぼくは86歳になるが、親友はすでにこの世にいない。
 
 
 
ぼくは内臓が丈夫なのか、胆石の手術で日航機が、山中に墜落した年に入院したぐらいだ。
 
12年ほど前には左膝に人工膝を入れる手術で1ヶ月ほど入院したこともあった。
 
86歳にもなると、あっちこっちが老朽化してくる。
 
 
 
一番困るのは耳が遠くなってきたことだ。
 
「文ちゃんと語る会」でも小さな声でしゃべられると、全く聞こえない。
 
会を始める前に、大きな声でしゃべってくださいと断ってから話を始めている。
 
 
 
息子の嫁がネットで、耳がどのくらい悪くなっているかを調べてくれるところが、三軒茶屋にあるというので連れて行ってもらった。
 
目の検査と同じように、言葉を大きくしたり、小さくしたりして聞かせ、それに答えるという調べ方だ。
 
その結果はイヤホンをつけなければダメだということだ。
 
その値段は最低で15万円だ。
 
そんな高いものとても買えない。
 
 
 
新聞広告で「1分間で耳が聞こえるようになる」という本を買ってみたが、今探してみたがすぐに見つからない。
 
少し読んでみたがマッサージの仕方など、いろいろ書いてあるがとても続けられそうにない。
 
テレビは時代劇ばかり見ているが、字幕がついてるので助かる。
 
 
 
さて、いよいよ聞こえなくなったらどうしようか。
 
そのへんであの世へおさらばしてくれればいいが、こればかりはどうにもならない。
 
 
 
目は街の目医者に白内障だと言われ、東京医大の眼科を紹介してくれた。
 
東京医大の医者は手術しても今以上に見えるようにはなりませんよと言って、目薬を出してくれた。
 
その目薬を今も内科の医者が出してくれているので、1日3回使っているが、おかげさまで目の方は悪くならない。
 
 
 
僕の親父は痔が悪かった。
 
トイレが血だらけだったのを覚えている。
 
年をとってからは良くなったようだ。
 
 
 
痔は遺伝だと聞いたことがある。
 
悪いところだけ似てしまったのか、ぼくも痔が悪い。
 
便秘で便が出なくなると、人には言えないぐらいつらい思いがする。
 
医者から便がやわらかくなる薬をもらって長いこと飲み続けている。
 
飲んでいても便が出なくなることが、時たまあったが、何とかきりぬけてきた。
 
 
 
それがついに最悪の状態になってしまった。
 
便が出ないものだから、気張りすぎて、お尻からコブみたいなものが、飛び出してしまった。
 
痛いのなんのって。
 
 
 
3日も便が出ないからお腹が張ってくるし、肛門科の医者に診てもらうしかないと、息子の嫁がネットで肛門科の医院を探してくれた。
 
太子堂のゴリラビルのまん前にあった。
 
診察してもらったら、入院して手術するしかないと言われてしまった。ショック!
 
 
 
確か自衛隊の病院だと思うが、三宿病院を紹介してくれた。12月6日(水)に入院することに。どんな手術をするのだろうか。
 
こんなことブログに書いたって、若い人には理解できまい。
 
86歳になってみなければわかるわけがない。
 
さて、どうなることか。
 
A
世田谷学園の同期会

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2017年12月 3日 (日)

『江戸男色考』の芝山さん逝く

芝山はじめさんのお名前を忘れることはできない。

『薔薇族』に小話と「江戸男色考」を長いこと連載してくれた方だ。

小話は昭和39年8月に『365日しびれる本=新作風流小話』として、ナイトブックス15に本になっている。

「江戸男色考」もよく調べたものだ。これは批評社から3冊になって刊行されている。

夏の終わりごろだったろうか。芝山さんから電話がかかってきて、原稿を書き上げたので本にしたいということだ。

どんな内容の本か聞き損なってしまったが、今の世の中、自費出版でないと、本にすることは難しい。

「10月に夫、肇が91歳にて帰天致しました。」と、奥さまからはがきが届いた。亡くなる寸前まで原稿を書き続けていたのだろう。

芝山はじめさんは、大正14年11月生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、株式会社東急文化会館に入社、「渋谷東急」の支配人をされていた。

新作落語の脚本も多数書かれていたので、東急文化会館で出版記念会を開いたおりには米丸さんも出席されていた。

あとがきにこんなことを書かれている。

「仕事は夜、自宅にかぎられたから、原稿用紙にむかう数時間は、それこそ物凄い、血の出るような緊張であった。創ったコントの数はこの本に選ばれた550話の、ゆうに数倍を超えている。」

『薔薇族』に連載された小話は、読者が面白がって読んでくれる作品ばかりだった。


 あの晩

 妻が夫の胸にかわいい頭をもたせながら言った。

 「この子ができたのはいつだったかしら? あなたがパーティでお酒に酔って帰ったときかしら。音楽を聴きながらコーヒーを飲みすぎて眠れなかった晩かしら。

 それともあなたがポーカーで夜明かしして、一晩中、帰ってこなかった晩だったかしら……」


 ある推理

 妻が外出から帰ってきて、主人の部屋のソファーに腰をかけた。

 「まあ、このソファーはあたたかいわね。だれか今までここにすわっていたのね」

 「うん、家政婦のM子が世間話をしていたんだよ。さっきまで……」

 「あら、そう」

 彼女は、つぎに夫の膝の上に腰を移して言った。

 「まあ、ここも熱っぽいわね。M子、きっとここにも腰かけていたのね」

  

 
 親切すぎる
  
 Q氏がひどく不幸そうな顔をしているので、友人のY氏がわけを尋ねた。


  「ぼくの恋人のP子知ってるだろう。彼女は今時珍しい生娘なんだがね。ぼくがどんなに口説いてもOKって言わないんだ」
 
 「なるほど、ぼくはできることなら力になるぜ」
 
  「君から言ってくれないか、彼女に」 
 
 さて、2,3日後、Y氏がQ氏に言った。 
  
  「おい、喜べ! 彼女、君の申込みに双手をあげてOKだって言ってるぞ。こんなすばらしいことならって……」   
 

 
「江戸男色考」もよくぞ調べたものだ。「ラブオイル」のようなものは、江戸時代にもあったようだ。
 
「通和散」とよばれていた。芝山はじめさん『薔薇族』の読者のために、いろんなことを教えてくれた。ありがとう芝山はじめさん。
 
最後まで書かれていた原稿、なにを書かれていたのだろうか。

 

安らかにおねむり下さい。

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2017年11月26日 (日)

いつまでも愛されている内藤ルネさん!

1998年の10月号、№309から『薔薇族』の表紙絵が、内藤ルネさんから若い野原クロさんに変わった。

連載の「伊藤文学のひとりごと」のページに「『薔薇族』は、変わるぞ!」と題して書いている。

ネットで調べれば、ルネさんの命日はすぐに分かるのだろうが、恩人のルネさんと、藤田竜さんの命日は忘れてしまっている。(内藤ルネ=2007年10月24日、藤田竜=2011年1月10日逝去――編者註)


「内藤ルネさん、本当に永いことお疲れさまでした。1984年の2月号(133号)から、木村べんさんと代わって『薔薇族』の顔というべき表紙絵を描き続けてくれました。

14年という永い年月が流れていました。若い読者のほとんどが、ルネさんの表紙絵を見てくれていたということになるでしょう。

今、バックナンバーを一冊、一冊と見ていくと、実に工夫をして、読者をあきさせないように、マンネリにならないようにと、描き続けてきたということがよくわかります。感謝の気持ちでいっぱいです。

昨年の6月、アメリカのロスアンゼルスでのゲイパレードに、ルネさんの描いた『薔薇族』の表紙絵を拡大して、オープンカーの横っ腹に貼って行進したのを想い出します。


内藤ルネさん、藤田竜さんのふたりに出会ったのは、昭和46年の春頃だったと思う。彼らに出会わなければ、今日の『薔薇族』はなかったし、いろんなゲイの人たちへの商売も、今のような隆盛を迎えることはできなかったでしょう。

ルネさんと、竜さんのセンスの良さは抜群で、どちらがどちらということが分からない二人三脚で、仕事をこなしてきました。

『薔薇族』のいいところをあげるとすれば、あたたかさがあるということでしょう。読者を思いやる心のあたたかさがあるのではと自負しています。それは表紙絵にもあって、ルネさんの描く表紙絵は、ロマンティックでほのぼのとした心のあたたかさと、抒情性を感じさせます。


ルネさんもぼくも、昭和7年生まれの同じ年。もっともっと続けてほしかった。しかし、世の中、がらりと変わってしまいました。このへんで思いきって気分を変えようと決断したのです。それはそれは悩みに悩みましたが、決断を下しました。

野原くろ君は、「薔薇通信」で知り合った彼と仲良く暮らしています。そのことを感謝してくれて、『薔薇族』だけにしか仕事をしないと言ってくれている、今どきの若い人には珍しい人たちです。

くろちゃんの絵をぼくは大好きです。くろちゃんはルネさんに代わって、立派に表紙絵を描き続けてくれるでしょう。

彼の劇画は多くのフアンをもっています。きっとくろちゃんフアンもよろこんでくれるに違いありません。


もうひとつ革命的なゲイ雑誌にとって新しい夜明けというか、前々から考えていても実現できなかった夢がついにかなえられたのです。

キリンシーグラムさんが、裏表紙に広告を出してくれたのです。こんなにうれしいことはりません。

読者諸君、お酒は絶対にキリンです。」


ルネさん、もっと『薔薇族』の表紙絵を描き続けたかったのでは……。

ルネさんが残した多くのコレクションを買い取った会社があって、地方の美術館で展示すると、若い人たちが見に来てくれて、大盛況だそうだ。

あるテレビ局が「かわいい」という言葉を世界中にひろめたルネさんのことを取材して番組を制作し、1月の終わりごろ放映するそうだ。ぼくもしばらくぶりに出演することになっている。どんな番組になるのか楽しみだ。

A

ゲイホテル「千雅」の社長と、◯◯さん(名前忘れてしまった)と、藤田竜さん

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