2018年11月12日 (月)

残り少ないぼくの人生に活力を!

ぼくは人との出会いでは運のいい男だ。
 
駒沢大学に頭の悪いぼくを入学させてくれた方は山田霊林さんという偉い坊さんだ。
 
世田谷学園の学長から、駒沢大学の総長、そして曹洞宗の本山、永平寺の貫首にまでなられた方で、父が戦前勤めていた第一書房で『禅学読本』という本を出されていたので、父とは知己のある方だ。
 
山田霊林さんのコネで世田谷学園、駒大とお世話になったいい時代だった。
 
 
 
駒大の国文科には素晴らしい教授がおられた。
 
『広辞林』の編集者、金沢庄三郎先生、富倉徳二郎先生、樋口一葉の研究者の塩田良平先生、渡辺三男先生、そして万葉集の研究者の森本治吉先生、森本先生は歌人の斎藤茂吉の弟子で、短歌結社の「白路」の主催者だった。
 
ぼくは短歌を作歌することを森本先生の「白路」に入会して教えられた。
 
その頃の駒大は学生数700人ほど、ぼくは文芸部で活躍していたが、劣等感のかたまりだった。
 
各大学では短歌を学ぶ学生も多かった。
 
とりわけ國學院大學の国文科は折口信夫先生がいたので一番多く、早稲田、中央、学習院、共立女子大などの学生が東大で短歌会を開くまでになった。
 
その時の歌会で東大国文科の中西進先輩がぼくの作品を絶賛してくれた。
 
中西さんのお蔭でぼくは自信をもち、それからの人生が変わったほどだった。
 
中西進さんはぼくの歌集に序文を書いてくれたり、女房久美子と結婚式をあげたときには仲人もしてくれた。
 
数年前には文化勲章も授賞した万葉集研究の第一人者だ。
 
 
 
10月の「文ちゃんと語る会」定刻11時に、会場の「織部」下北沢店で待ち受けていたのに誰も入ってこない。
 
今日は駄目かとあきらめていたら、10分ほどおくれて5人の人が参加してくれた。
 
その中に女性がひとり。
 
その若い東京医大で医者になるべく勉強している人が、ぼくのこれからの運命を変えてくれる女神のような女性だった。
 
ぼくの著書『『薔薇族』の人々』を読んで持参し、サインをということで、その本からぼくのブログにたどりつき「文ちゃんと語る会」に出席してくれたのだ。
 
若い女性が出席してくれると、ぼくの話に熱がこもりハッスルしてしゃべってしまう。
 
年をとれば誰ともしゃべる相手がいなくて、テレビを観るしかないが、こんなことができる老人って、世の中にそう多くはいないだろう。
 
 
 
この医大生、自宅は埼玉だそうだが、その日はお母さんが車で娘を乗せて送ってきて、車で待っているというではないか。
 
すぐに「お呼びしたら」と言ったら、電話して「織部」に来てくれた。
 
まだ若くて美しい方でいかにも行動的な方だった。
 
このお母さんとの出会いが、残り少ないぼくの人生に、また『薔薇族』を毎月出し続けていた頃のような活力をよみがえらせてくれた。
 
このお母さんは六本木に事務所を持ち、イベントの企画運営をする会社の社長さんだった。
 
なんという幸運な出会いではないか。
 
すぐさま「ホテルニューオータニ」に豪華な会場を予約してくれた。
 
 
 
ぼくの講演のタイトルは「『ひとりぼっち』の人たちをつないで」。
 
2018年12月16日(日)、13時〜15時・赤坂「ホテルニューオータニ」1Fの紀尾井フォーラム。会費は2000円。
 
ぜひネットで申し込んでください。
 
 
 
なんとしても満席にしたいので、友人を誘っておでかけください。
 
協力をおねがいします。

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2018年11月 5日 (月)

生きがいが幸せのカギだ!

「ツイッター」ってどんな意味かと、一緒に住んでいる息子の嫁に聞いたら、「つぶやき」ということだ。

 

「ブログ」ってどんな意味と聞きたかったが、前にも聞いたことがあったような気がしたので、聞くのをやめてしまった。

 

ぼくが使っている小学館発行の『新選国語辞典』は、2006年の発行なので、そんな言葉は載っていない。

 

意味がわからず書いているとは情けない話だ。

 

 

 

「つぶやく」とは、ぶつぶつ小声でひとりごとを言う意味だそうだが、それを読んでくれている人がいるとはありがたいことだ。

 

「ブログ」も「伊藤文学のひとりごと」と題して書いているのだから、他人さまに読んでもらうというよりも、自分の生きがいとして書いている。

 

20181022日の日本経済新聞に「茂木健一郎さんに聞く・人生100年時代の備え・生きがいが幸せのカギ・趣味など身近なことから」という見出しで、脳科学者であり、作家の茂木健一郎さんに、話を聞いて長い記事にしている。

 

 

 

100年時代を幸せに生きるキーワードとして「IKIGAI(生きがい)」を挙げる。

 

日本人にとって幸せは本来、社会的な成功や名声だけでなく、自分の役割の中に充足を見出すことにあったはずで、この生き方が海外でも評価され始めているという。

 

長寿を支える生き甲斐とは何かを聞いた」とある。

 

 

 

確かにそのとおりだと思う。

 

ぼくは86年の人生をかえりみると充足した人生を送ってきたと思う。

 

 

 

「仕事で成功をおさめることも大事ですが、幸せに生きるにはそれだけが正しい道ではないのです。

 

生きがいを探すにはもっと身近な小さなこと、極めてプライベートなものに着目することから始めればいいのです。

 

例えば学生時代に熱中した音楽や運動、趣味などはありませんか。

 

長い人生の生きがいを探すうえでヒントになる例は少なくないでしょう」

 

 

 

成功を求めない生き方で幸せになれますかという質問に茂木さんは、こう答えている。

 

 

 

「有名か無名かは幸せとはまったく関係がありません。

 

人生は地味でもいいのです。

 

誰もが有名ブロガーになる必要はないのです。

 

自分を卑下したり、背伸びしたりすることは不要です。

 

等身大の自分を受け入れればよいのです。

 

もし他人からの承認欲求を満たしたいと思うのであれば身近な数人から始めてみればいいのではないでしょうか。

 

脳科学的に言うと、脳は他人のためになにかすることと、自分のために何かをすることとをほぼ同じようにうれしいと感じます。

 

自分が幸せになるには、他人のために何かできるか考えてみることも大事なのです。

 

他人を喜ばせようと自分が学ぶことは他人のためになることであり、世の中に貢献することで感謝され、回り回って自分が幸せになるのです。

 

利他性は結局自分の幸せを呼び起こすことになるのです。」

 

 

 

学者の言うことは、分かったような、分からないようなことだが、ぼくはストレスっていうものはえんなく過ごしてきたし、いつも『薔薇族』の良き相棒の藤田竜君が、読者から何かを求めてはいけないと言っていたが、その通りだと思う。

 

 

 

茂木さんは堅い頭の持ち主だから、エッチなことには触れていないが、年をとっても女好きの人は女のことを考え、男の好きな男の人は男のことを考え続けていなければ駄目だ。

 

欲望を感じなくなったら人間おしまいだ。

 

趣味だけでは人間生きられないのだから。

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2018年11月 3日 (土)

「孤立死」『薔薇族』の読者の顔が!

月日の過ぎゆくのは早いものだ。もうそろそろ年賀状を書く準備をしなければ。

 

今年も300枚を越す年賀状を手書きで書いたが、何通か戻ってくるものがある。亡くなられてしまっているのだろう。

 

 

 

ぼくがよく通っている「織部」下北沢店には、日本経済新聞と朝日新聞が置いてある。

 

この新聞を読む人は、お客さんの中で数名だろうが、本店の会長さんが2紙を置くようにと言ったそうで、息子の店長さんがその言いつけを守っている。

 

ぼくは経済的な理由で東京新聞しかとっていないので、2紙を読むのを楽しみにしている。

 

日本経済新聞は株など買ったことがないぼくでも、世の中の移り変わりを知ることができる。

 

2018年1022日(月)の日本経済新聞にこんな記事が載っていた。

 

「孤立死した男性の住居を片付ける遺品整理業者の作業員(都内)」とあり、ダンボールの箱を広げて、遺品を片付けている2人の男性の姿がカラー写真で載っている。

 

見るだけであわれさが漂ってくるようだ。

 

見出しには「都会の片隅で「孤立死」」とある。

 

 

 

「誰にも気づかれることなく死亡する「孤立死」。

 

高齢者の単身世帯の増加に伴い、孤立死を生むリスクも高まる。

 

職場を引退して親類、友人とも疎遠になり、いつの間にか都会の片隅で忘れられる――。

 

ある高齢者の死の現場は、問題が多くの人の身に降りかかる可能性があることを改めて教えてくれる。」

 

 

 

この記事を読んで『薔薇族』の読者のことが頭に浮かんだ。

 

ゲイの人は結婚しない人が多い。

 

それに親類や、兄弟などと付き合わない人も。

 

今年亡くなった方で、『薔薇族』に多大な貢献をしてくれた人がいる。

 

大阪出身の方でお妾さんの子だ。

 

紅白歌合戦が始まった頃、優勝して歌手になるために東京に出てきたが果たせず、広告代理店などに勤めていたようだ。

 

なにしろ器用な方で、小説も書き、イラストはさまざまな描き方が出来、小説の挿絵をどれだけ描いてくれたことか。

 

映画が好きで週に何本も観ていたようだ。

 

労働組合の雑誌の編集を引き受けていて、映画評論も毎号書いていた。

 

ゲイの映画がくると、ぼくに教えてくれて試写会に何度も連れて行ってもらったこともある。

 

 

 

この人、警察官が好きで、若い警察官に料理を作って食べさせるのが趣味だった。

 

ぼくより年上だったが、よく歩く人で健康だったのに病気になったと電話があった。

 

自分を生んでくれた母親は、お妾さんで、その母親のことを何年もかけて書き直し、書き直ししては仕上げた。が、今の時代、無名の人の小説を本にしてくれる出版社はない。

 

ぼくの本を出してくれた出版社に頼んだがことわられてしまった。

 

 

 

65歳以上で一人暮らしする人の割合は今後厚みを増すことが予想されている。

 

65歳以上の高齢者で一人暮らしをしている人の割合は1990年時点では男性が5.2%、女性が14.7%だった。

 

それが2015年には、それぞれ13.3%と21.1%に上昇。

 

40年は男性20.8%、女性24.5%になると推計される。

 

 

 

ゲイの人の一人暮らし率は高いだろう。

 

雑誌がない今では、一人暮らしのゲイの老人に呼びかけるすべがなく、ブログも老人は読んでくれていない。

 

あの人、この人と読者の顔を思い浮かべるがどうすることもできない。

 

どうしたらいいのだろうか。

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2018年9月24日 (月)

こんなことがあっていいものか!

かつてアメリカのカソリック教会の牧師さんが、信者の少年に性的虐待をしたというので訴えられるという事件が、ひとり、ふたりでなく多くの事件が明るみに出たことがあり、ローマ法王は心が痛んだそうだ。
 
今は亡きマイケル・ジャクソンも、少年に性的虐待をしたというので、騒ぎになったことがあった。
 
「性的虐待」なんとも嫌な言葉だ。
 
しかし、牧師さんにしろ、マイケル・ジャクソンにしろ、愛する少年を虐待するわけがない。
 
だが未成年者を性の対象にすることは、どんな言いわけもできない。
 
法律で罰せられる。
 
これは当然のことだ。
 
少年愛者は未成年者に手を出したら罰せられるということは承知はしているものの、理性で抑えられないで問題を起こしてしまう。
 
 
 
少年愛は趣味ではない。
 
もって生まれたもので死ぬまで変えられない。
 
ここが問題なのだが、どうしても少年に接触できる仕事についてしまう。
 
学校の教師がいい例だ。
 
人間、欲望に弱い。
 
どうにも理性で抑えられなくなってしまう人が、出てきてしまうことがある。
 
同性愛の雑誌を出し続けてきたぼくにとって一番の悩みだ。
 
こればかりは少年愛者が自覚して、ひとり、ひとりが理性で処理するしか方法がない。
 
 
 
東京新聞2018年9月15日の朝刊が社会面トップで「聖路加国際病院・牧師強制わいせつ容疑=書類送検 心のケア 女性被害」の大見出し。
 
聖路加病院といえば、名誉院長の故・日野原重明先生のことが頭に浮かぶ。
 
ぼくが役員をしていた「雑学倶楽部」で、日野原先生に10年以上前のことだったか、雑学大賞を贈ったことがあった。
 
女房の久美子が手書きで書いた賞状を送ったことがあった。
 
ぼくが先生に賞状を手渡したので、先生の人となりはよく覚えている。
 
2時間もの間、ただの一度も椅子に座らず似顔絵描きの余興にも自ら参加されていた。
 
そんな先生が院長をしていた病院で、こんな考えられない不祥事が起きるなんて。
 
 
 
記事によると「心のケアを受けていた女性患者にわいせつな行為をしたとして、警視庁築地署は14日、強制わいせつの疑いで、ケアを担当する40代の男性牧師を書類送検した。
 
捜査関係者への取材でわかった。
 
認否は明らかにしていない。」
 
 
 
医師だけでなく、牧師さんでもある人だ。
 
これは許せない。
 
 
 
「患者の立場の弱さにつけこみ、卑劣。
 
女性患者を支援してきた毛受久弁護士は憤る。
 
毛受弁護士によると、女性は高度な医療が必要で、提供できる聖路加国際病院に一昨年から通う。
 
医師から「悪化すれば植物状態になる恐れもある」と告げられ、昨年3月、病院専任の牧師「チャプレン」の心のケアを初めて受けた。
 
対応したのが40代の男性牧師。
 
寄り添う言葉をかけてくれた。
 
しかし、どう5月8月の面談で、牧師は肩がこるそぶりをして、女性にマッサージを要求。
 
部屋にカギをかけ、女性の手をとり自分の下半身などを触らせた。
 
女性は逃げようとしたが牧師は立ちふさがり、わいせつ行為は数時間に及んだという。
 
同22日にも被害にあい、抗議すると牧師は「甘えてしまった」「病的だと思う」などと弁明。
 
後日「病気を治すのが大前提」「あなたにとっても大切な場所だ」と口止めを迫るような発言をしたという。」
 
 
 
なんともひどい話だ。
 
一体誰を信頼したらいいのか。
 
草葉の陰で、日野原重明先生、悲しんでいるに違いない。
 

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2018年9月22日 (土)

黙ってはいられない!

東日本大震災から、もう7年半も時が過ぎているとは。時の経つのは早いものだ。
 
2018年9月12日の東京新聞朝刊の記事はショックだった。
 
 
 
「生活苦7年半・災害援護資金 半数返せず」
 
この見出しを見ただけでもだ。
 
被害に遭い家を失い、田畑をなくし、放射能という恐ろしさもあり、元住んでいた村や、町に戻ることができず、日本中に散り散りになって暮らしている。
 
 
 
「東日本大震災の被害者の生活再建に向け、国などが市町村を通して貸し付けた災害援護資金をめぐり、岩手、宮城、福島3県の計24市町で返済期日が来た世帯の約半数に当たる3千4百60世帯が滞納していることが11日、共同通信のアンケートで分かった。
 
滞納総額は約4億円で、返済が今後本格化するに伴い、膨らんでいく可能性が高い。
 
震災による失職や高齢化が原因で、被災者が生活を立て直せていない現状が浮き彫りになった。
 
11日で震災から7年半。」
 
 
 
若人だって震災で職を失い、職を求めても安い賃金で働いているに違いない。
 
高齢者となれば年金だけで、生活するだけでやっとのことだ。
 
 
 
「住まいや財産を奪い、多くの人の生活を一変させた東日本大震災。
 
生活を立て直そうと災害援護資金を借りたが、7年半たった今でも十分な収入を得られず、返済に不安を抱える人は多い。
 
「その日の暮らしで精一杯」
 
「生きている間に返せるだろうか」
 
苦しい声が漏れる」
 
 
 
地球温暖化が影響しているのか、今年は台風が多い。
 
台風だけでなく局地的に大雨が降り、川が氾濫し、家や、田畑が水浸し。車も水に浸かって使えなくなる。
 
大雨で山が崩れ、人家が押しつぶされ、多くの人が犠牲になった。
 
消防や自衛隊、多くの人がボランティアで土砂を片付けたり、家の下敷きになった人たちを救い出している光景を何度も見せられた。
 
新しい家を建てれば、銀行から長期のローンでお金を借りて家を建てる。
 
その家が破壊してしまったら、借金はどうなるのだろうか。
 
最近では北海道での震度7の大地震、その被害も莫大だ。
 
今や、国と国との戦いではなくて、台風、大雨、地震、火山の噴火などの戦いになってきている。
 
北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくることは絶対にありえない。
 
そんなことをしたら、アメリカはミサイルを北朝鮮に撃ち込み、国全体が破滅してしまうだろう。
 
日本は北朝鮮のミサイルを撃ち落とすための武器をアメリカから購入している。
 
日本の軍事費は莫大な金額に膨れ上がり、果てしがない。
 
そんな無駄なお金を被災者の援助に回すべきではないだろうか。
 
日本の大企業は社員の賃金をあげず、下職を泣かし、何10兆円ものお金をため込んでいるそうだ。
 
そんなお金を少しでも被害者の援助に向けるべきではなかろうか。
 
東北大震災の折に、世界中の国々から、多額の援助金が送られてきている。
 
そんなお金がなにかに使われたという話はニュースで耳にしなかった。
 
慈善事業をしている人たち、悪い人たちばかりではないだろうが、その裏で悪いことをしている人が必ずいると思う。
 
善と悪は紙一重だ。
 
日本の将来はどうなるのだろうか?
 
政治的なことは書かないほうがいいとコメントしてくれた人がいたが、黙ってはいられなくなってきている。

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2018年9月15日 (土)

『薔薇族』の表紙絵を一番長く描き続けてくれた内藤ルネさん

『薔薇族』の表紙絵を一番長く描き続けてくれた内藤ルネさん、ぼくもルネさんの影響を受けて、美意識、感性を磨くことができた。
 
ぼくとルネさんは、コレクションの好みが違ったが、その幅の広さはルネさんにはとても及ばない。
 
『薔薇族』は、単なるエロ本ではなく、気品と芸術性を重んじていた。
 
ルネさんは裏表紙を使って、ご自分のコレクションを紹介していた。
 
 
 
1994年4月号№255号、クマのぬいぐるみをかかえている少年の表紙絵もかわいいが、裏表紙には「熱海ホテルのラゲージ・ラベル」を紹介している。
 
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「熱海駅を出て左手先の海に傾斜する地にあった「熱海ホテル」のラゲージ・ラベルである。
 
かつて分厚い革のトランク(ラゲージ)に貼られた数々のホテルのラベルは、旅人の勲章のように誇り高く輝いていた。
 
すっかり使われなくなったラベルは、旧式のトランクとともに姿を消してしまったのだろうか――。
 
ところが私は、このラベルがホテルのフロントデスクにたくさん積み上げられているのを見て、一瞬タイムスリップしたように、信じられない出来事に驚かされた。
 
そのホテルが「熱海ホテル」だった。
 
道路より下にあったこのリゾートホテルの玄関は、白いクリームケーキのようにデコラティブで可愛らしくおいしそうだった。
 
このラベルに、大正時代のアールデコ・スタイルに描かれたホテルはいつの間にか、時の波間に消えていってしまった。
 
かつて私の宿泊したあの二階の部屋からの芝生と海の眺め。
 
あのこよなくいとしい優雅な時間をもう取り戻すことはできない。
 
まさに瀟洒というにふさわしい建物だったが、このラゲージ・ラベルも世界のホテルのものに較べて一級の出来といえよう。(内藤ルネ)」
 
 
 
海にはヨットが浮かび、遠くに初島が見える。
 
熱海の海が見えるマンションに部屋を持ち青山通りの「伊藤忠商事」のまん前にビルを所有するお金持ちとお付き合いしている。
 
その人の話だと、ホテルが少なくなり、マンションが立ち並んでいるそうだ。
 
新幹線を使えばわけなく行ける距離だから、定年退職したご夫婦が、熱海のマンションで暮らしている人が多くなってきているそうだ。
 
ぼくはしばらく熱海を訪れていないが昔の温泉街の情緒はなくなっているのだろう。
 
このラベルを見ていると、よき時代がほのぼのと浮かんでくるようだ。

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2018年8月20日 (月)

あの時を思う必要がまだまだある!

今日は8月9日(木)長崎に原爆が投下され、多数の死者が出た日だ。
 
今、長崎での式典をテレビで見終わったところだ。
 
東京新聞の「筆洗」欄には、こう記されている。
 
 
 
「今日は長崎原爆の日。悲しみ、苦しみ、恐怖を体験してきた人々が少なくなる中で迎える平成最後の原爆忌である。被爆者の6割以上が高齢による体力の衰えなどで被爆体験を語っていない。
 
生の声が細る一方で、世界には今なお1万5千発の核兵器があるという。
 
あの時を思う必要がまだまだあると胸に刻む日だろう。」
 
 
 
1万5千発の核兵器、これらが使われる時がきたら人類は破滅してしまう。
 
アメリカ本土では直接の戦争被害はない。
 
軍需産業は人を殺す兵器を作り続けていて、日本は高いお金を出してそれを買わされている。
 
どんな兵器もすぐに古くなる。
 
新しいものができればまたそれを買わされる。
 
果てしがないことだ。
 
原爆歌集『広島』をどうしても翻訳してアメリカ人に読ませたい。
 
 
 
西川若子 無職
 
 消火栓の水あふれ出る廻りには火傷の人の群りて死す
 
 眼の前の人燃えゆけど手をかす人なし吾も逃げゆく
 
 
 
新見隆司 会社員
 
 子を抱き臥したるままの姿勢にて黒焦げとなる婦もありき
 
 むっとする屍臭とともにたかりくるはえ払ひつつ足ばやにゆく
 
 痛がるをすかしつつ火傷に湧きしうじ虫をはしでとりやる
 
 
 
橋本桃村 教員
 
 兵隊さん鏡を見せてと言う女の眼から耳からうじのはひ出ず
 
 
 
平野美貴子 無職
 
 大根を重ねる如くトラックに若き学徒の屍を積みぬ
 
 空襲の合図と共に生まれ出し吾子板の上にそのままにあり
 
 赤くはれし乳首求めてみどりごはあわれ泣けども乳ひとしづく出ず
 
 
 
道岡久仁子 主婦
 
 裸身に大地に臥せる腰ひもは残りしもののただひとつかも
 
 わが庭の垣根に臥せし亡がらよ名はわからねども夏草手むけむ
 
 
 
宮田定 警察官
 
 よろよろとホームにたおれ水欲りし重傷者ついに動かずなりぬ
 
 内暗く死臭ただよふビルの中に入りゆきて弟の姿を探す
 
 赤さびて骨ばかりいまは残りたるらせん階段がありてひそけし
 
ふと落ちしわれの視線にケロイドのあとも生々しき少女の手あり
 
 
 
みやもとまさよし 公務員
 
 性別をわづかにわかつ肉塊の重なるそばに一夜を明かす
 
 髪ぬけて死にゆく君を看とりつつ明日知らざれば誰も黙して
 
 
 
昭和29年(1950年)8月6日に出版された原爆歌集『廣島』、安倍総理に読ませたかった。
 
安倍総理の挨拶がむなしく聞こえたからだ。

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2018年8月18日 (土)

戦争とはどんなに悲惨なものか!

東京新聞の2018年(平成30年)8月3日(月)の夕刊一面に「歴史を忘れたとき重大な過ちを犯す」の大きな文字を白抜きにしたタイトルで、広島原爆の日に記事を載せている。
 
原爆の日の祭典に、広島市の小学6年生、米広優陽君(12歳)と、新開美織さん(12歳)が、平和への誓いを宣言した。
 
「人間は、美しいものを作ることができます。人々を助け、笑顔にすることができます。しかし、恐ろしいものを作ってしまうのも人間です。」
 
恐ろしいものを今なお作り続けている人間が、この世にたくさんいる。
 
この人たちに読ませたい歌集が『廣島』だ。
 
 
 
ぼくも若い頃、短歌を作っていた人間としてうれしいことは、歌集『廣島』には今時のくだらない短歌というべき口語の作品がなく、萬葉集『広島』と言っていいぐらい伝統を守った作品ばかりであることだ。
 
だからこそ、芸術作品として評価されていいだろう。
 
753首の作品の中から選び出すのは難しい。
 
それに横書きにするのにも抵抗があるがやむを得ない。
 
1人でも多くの人が読んでくれて、戦争というものがどんなに悲惨なものか知ってもらえれば幸いである。
 
 
 
内田英三 教員
 
 水ぶくれになりて裸に倒れいる処女水欲る吾が足つかみて
 
 火ぶくれし肌へすでにうじわけりかくてこの人また死にゆけり
 
 
 
大沢張夫 会社員
 
 焼けただれ盲となりし幼子が母の名呼びてさ迷ひをれり
 
 全身の火傷に母はこと切れしも抱かれし子は泣きてゐにけり
 
 町ゆけば我が顔を見てあざ笑う心なき子らに涙わきいづ
 
 
 
河内格 獣医師
 
 肌焼けて裸身となりたる女学生ただれた両手で恥部をかくせり
 
 蛆のみは放射能の中に生きて居り黒き屍体に白くうごめく
 
 この子らに何の罪あり死んでゆく眼鼻もわからず黒くただれて
 
 
 
神田三亀男 技師
 
 ズロースのひもひとすじに手をかけし形に死にし少女もありき
 
 吐きすてし血へどに唇にくろぐろと瞬時見む間にはえむらがれる
 
 
 
小堺吉光 公務員
 
 石塀の下敷きのまま骨ありて紅き着物が焼け残りたる
 
 鉄かぶと拾い来りてそこばくの骨を入れたり埋めむとして
 
 頭蓋骨転りてゐるところにて道は曲れり曲りて歩む
 
 
 
小山綾夫 医師
 
 たおれいて収容されし女学生の顔焼けただれゐて脚のみ美し
 
 夜に入りて寒さに叫ぶ火傷者に着せむものとて何ひとつなく
 
 ほうたいをかえんとガーゼ取る肉にうじおびただしき患者に幾日保つべき
 
 火の海をここまでのがれたおれたる老婆の肩に犬くいし跡
 
(つづく)

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2018年8月14日 (火)

原爆投下はやむを得なかった!

父が出版し残した本の中で、歴史に残るものとしたら、昭和29年(1954年)8月6日発行の『歌集 廣島』と、B級戦犯が獄中で作歌した『歌集 巣鴨』と、米軍基地建設に反対する『歌集 内灘』の3冊だろう。
 
いずれも朝日新聞が社会面トップで報道してくれた。
 
アメリカ人は「戦争を早く終わらせるために原爆を投下するのはやむを得なかった」と言うが、広島での死没者は、31万4千108人にも及ぶという。なんという残酷な仕打ちだ。
 
この歌集を読んだ人は、日本人でも2000人足らずだが、英文に翻訳してアメリカ人にこの悲惨な短歌を読んでもらいたいものだ。
 
 
 
序文を寄せてくれた長田新さんは、「原爆歌集『廣島』に序して――氷はひしめきはじめた――」と題して書かれている。
 
 
 
「この歌集『廣島』のもつ特色の一つは、今廣島にあるすべての歌の団体が手をつないで仲よくこの一巻を作り上げたところにある。
 
(中略)
 
この歌集に作品を寄せたのは、平成歌を専門とする先生方だけではなくて、生まれて初めて歌を詠んだであろうような多くの市民の方々である。
 
この歌集のもつ特色の一つはここにある。
 
歌を専門とすると否とにかかわらず、昭和20年(1945年・敗戦記念日は8月15日)8月6日のあの世紀の怪物、いや鬼畜原爆を身をもって体験し、そして9年後の今まで生きながらえた人々の魂の叫びであるところ、そこにこの歌集の特色があるといっていい。
 
(中略)
 
実際この歌集が私たちに与える感動は、身をもって原爆を体験することもなく、ただ遠く外から眺めて筆を走らせた作家たちの作品とは根本的に違って、つぶさに惨苦をなめ、さらに9か年の長きにわたって、死生の間を生きながらえてきた廣島市民の声といってもよかろう。
 
(中略)
 
このようにして今、世に出るこの歌集『廣島』こそは「廣島の声」として、また『原爆萬葉』として、廣島市民が後世に残す世界史的文化遺産といっていい。
 
私はまたこの歌詞を『廣島』と呼んだことにも感心した。
 
というのは「ヒロシマ」とか「ひろしま」とかいっては、人々はいささか植民地的の劣等感さえ覚えるだろう。
 
ところがそうではなくて、あえて『廣島』としたところ、そこに編者の毅然たる識見もうかがえて嬉しいと思うのは、おそらく私1人ではあるまい。
 
(中略)
 
思えば土や銅で造った記念碑はわずか1000年も経たないうちに、きっと腐って倒れてしまう。
 
ところがこの歌集『廣島』は永劫不朽の記念碑として、とこしえに人類の胸を打たずにはいないだろう。(中略)
 
実際にこの歌集『廣島』で、氷はひしめきはじめたではないか。」
 
 
 
なんという素晴らしい序文ではないか。
 
全文を載せられないのは残念だが、長田新さんの序文で、歌集『廣島』が輝きを増している。
 
この歌集を出版するという予告を出したところ、6500首もの作品が集まった。
 
15人の編集委員会が結成し、時間をかけて753首を選んだようだ。
 
結社などに困らない一般民衆によって本作品が支えられているなどの事実は現歌壇に対しても、一つの示唆と方向を促すものではあるまいか。と、編集委員たちは書いている。
 
 
 
20数年前、編集委員の生き残った人たちが会合を開いた時に、親友の国学院教授の阿部正路君と共に、ぼくは会合に出席している。
 
この歌集『廣島』を年号が変わった8月6日に復刻してくれる出版社はないものだろうか。
 
版権などないと思うから!(つづく)

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2018年7月30日 (月)

木は朽ち果てることはない!

ぼくが平成5年11月1日に女房の古里・新潟県弥彦村(人口約8000人、弥彦神社、弥彦山で栄える村)に、「ロマンの泉美術館」をオープンさせた。
 
この美術館は美輪明宏さん、内藤ルネさん、宇野亜喜良さんなど、また美意識の高い『薔薇族』の多くの読者との付き合いの中で、自然と身に付けた感性や、美意識の集大成というべきものだった。
 
新潟市に住む詩人の松井郁子さんが、オープンして折に、こんな文章を寄せてくれた。
 
 
 
「コナン・ドイルの「シャーロックホームズ」に登場するような径を抜けると、闇の中に幻のように白い建物が現れた。
 
――何故、こんな所に、こんな建物が?――
 
私は目を見張り、息を呑んだ。
 
足が震えるような驚きだった。
 
12月の風は身を切るように冷たい。
 
その風が雲を追い払うと、月が煌々と美術館を照らし出した。
 
屋根の上の風見鶏、少女のブロンズ、ステンドグラス……私の深い所から熱いものがこみ上げてきた。
 
自分の住む世界を漸く見つけたような、長い間待っていたものに巡り合えたような、そんな歓びと感動だった(後略)」
 
 
 
地元の新聞「新潟日報」「三条新聞」、TV局、NHKまで取材して報道してくれたので、たちまち人々に知られるようになり、多くの人達が訪れてくれた。
 
美術館の中には、フレンチレストラン「バイロス館」があり、イギリスからはるばる船で送られてきた、東京にもないような大きな舞台のような家具が、表面に置かれていた。
 
ピアノもあり、そこで1年に何度も芸能人を招いて、パーティーが開かれた。
 
のちに紅白にも出場したクミコさん、秋元順子さんも何度も来てくれた。
 
 
 
新潟には女性たちが着飾って訪れるような場所はあまりない。
 
美味しい料理を食べてショウを見る。
 
一番人気があったのは、新宿2丁目のゲイバー「タミー」の2人組だ。
 
ひとりは日劇ダンシングチームの出身だから歌も踊りもうまい。
 
もうひとりの若者はシャンソン歌手だった。
 
サービス精神旺盛な2人のショウは、新潟の女性を喜ばせ、二度も招いたこともあった。
 
時代はあっという間に変わってしまい、今は美術館の扉は閉ざされ、廃墟になっている。
 
美術館は税金を払えないために、北沢税務署に抑えられていたが、先日、税務署を訪れたら、国税局のものになっていた。
 
いつのことか分からないが、競売になるのだろうが、どうなることか。
 
京都のお寺や神社も木で作られている。
 
それは長い年月が経っても朽ち果てることはない。
 
イギリスから、はるばる船で送られてきた巨大な家具、どんなことがあっても朽ち果てることはないだろう。
 
今となってはイギリスでも、こんな巨大な家具は作れまい。
 
ぼくがこの世にいなくなって、この大きな家具の運命はどうなるのだろうか?

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