2019年1月21日 (月)

長い人生で出会った心に残る人たち!

2019年、今年も300通に近い年賀状が送られてきた。
 
「人生は旅 その旅で会ったひと」
 
これは父の川柳だが、87年という長い年月の間に、多くの人との出会いがあった。
 
年賀状だけのお付き合いの人もあり、一度は会ったことがあったのだろうが、お顔さえ思い出せない方も多い。
 
しかし、心のこもった言葉を書き添えてくれている方もいる。
 
 
 
10数年前に四谷シモンさん(人形作家)が本を出されたときに、新宿のバアでお祝いの会があった。
 
そのときに、お会いしたのが澁澤龍彦さんの奥さま、龍子さんだ。
 
先妻の舞踊家、ミカが『オー嬢の物語』を舞踊家した折にお世話になったお礼と、貝がらの話を書いて年賀状を出した。
 
まさか覚えていないと思ったが、賀状が送られてきたではないか。
 
 
 
「お元気な御様子、何よりでございます。
 
昨年は澁澤没後30年のイベントがすべて終わり、気がぬけたのか、ちょっと体調を崩していましたが、今年は『高丘親王航海記』が、笠井叡さん(ミカと同じ頃、活躍していた舞踊家)の舞踏になったり、近藤ようこさんのマンガになったり楽しみです。」と記されていた。
 
ぼくの手許に置いてある貝がらが、より一層美しく輝いているように見えた。
 
 
 
ぼくが平成5年にオープンさせた女房の古里、弥彦村の「ロマンの泉美術館」、東京からいろんな方を招いてイベントを何度も開いたが、いつも参加してくれた新潟市に住む詩人の松井邦子さん。
 
「月光の中で」と題して「何故、こんなところにこんな建物が? 私は目を見張り、息をのんだ。足が震えるような驚きだった。」と書いてくれた。
 
「華やかなドレスの出番がなくて泣いております。」と。
 
新潟の女性たち、美術館でのイベントにみんな着飾って参加してくれた。
 
そんな場所が新潟にはない。
 
時折閉館している美術館をそっと見に行っておりますと、書き添えてあった。
 
 
 
茂呂亜弥さん、「文ちゃんと語る会」に参加してくれて知り合った女性だ。
 
亜弥さんがぼくのブログのすべてを紙焼きにして送ってくれたので、その中から選び出して一冊の本にすることができた。
 
彩流社刊『やらないか!』早稲田大学教授の丹尾安典先生が「元気を出して行動を起こせ! 下北沢のオッチャンの新刊を推す」と、オビに推薦文を寄せてくれた。
 
亜弥さん、タイに指圧の修行に行った折に知り合った男性と結婚し、赤ちゃん(真奈さん、1歳)が生まれ幸せに暮らしている。
 
「文學さんにお会いしたいです。
 
私が生きている間、ずっとお元気でいてほしいと、いつも願っています。」
 
泣かせるではないか。
 
 
 
神戸に住むアルフォンス井上さん。
 
澁澤龍彦さんが名付けたと聞いている。
 
日本一、いや世界一の銅版画家だ。
 
この人に蔵書票を描いてもらいたいと、お願いしても、何年も待たなければならないようだ。
 
「伊藤文学のひとりごと、ずっと続けてください。拝見しています。「文ちゃんと語る会」に参加できれば良いのですが。目下作品の「レゾネ」に取り組んでいます。」
 
うれしい話ではないか。
 
神戸に行った折と美術館に来てくれたときに、お会いしただけなのに……。
 
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アルフォンス井上さんの年賀状
 
 
 
東京大学院教授の木下直之先生、今年の3月で定年退職される。
 
「今年の目標は、次の本『猥褻論』に向けてスタートを切ることです。「文ちゃんと語る会」にお邪魔します」
 
とにかく変わった先生だ。
 
講義を聞きに行きたいものだ。
 
猥褻には負けないぼくだから……。

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2019年1月19日 (土)

貝がらには不思議なロマンが!

昭和62年(1987年)59歳で亡くなられた澁澤龍彦さん。
 
澁澤龍彦さんは多くの著書を残されているが、ぼくには難しくて一冊も読んだことはない。
 
先妻のミカ(本名・君子)日本女子体育大を卒業し、世田谷区立の松澤中学校の保健・体育の教師として働きながら、邦千谷舞踊研究所に通い、後に独立して「伊藤ミカビザールバレエグループ」を立ち上げた。
 
澁澤龍彦さん訳のフランス地下文学の最高傑作と言われた『オー嬢の物語』をミカは熟読して、舞踊化することを決意した。
 
澁澤さんに電話して舞踊化を決意したことを話したら快諾してくれた。
 
当時の澁澤さんの影響力は偉大だったから、無名の舞踊家ミカなのに、有名なアーティストたちが舞踊化に協力してくれ、大成功を納めることができた。
 
篠山紀信さんはミカを撮影してくれて『芸術生活』に載せてくれたことがあったが、篠山さんは澁澤さんの亡きあと、書斎や、建物などを撮影して写真集を出されている。
 
その中の棚の上に、いくつもの大きな貝がらが置かれているのを見て、長い間、ぼくの脳裏から貝がらの姿が消えることはなかったが、どこで手に入れれば良いのかわからなかった。
 
 
 
澁澤さんがなぜ貝がらに興味を持たれたのかは知るよしもないが、『澁澤龍彦をもとめて』(季刊「みづゑ」編集部編・美術出版社刊)に、澁澤さんと交友関係にあった方々が追悼の文章を寄せている。
 
その中の野田弘志さんという方の「遠い日の情景」という文章が目にとまった。
 
「貝殻頌(抄)澁澤龍彦」の見出しで、こんなことが書かれている。
 
 
 
「詩人のヴァレリーは貝殻が好きだった。
 
わたしも貝殻が好きだ。
 
あの美しい幾何学的な曲線、なめらかな石灰質の光沢、あれが自然の生み出した作品だというだけで、わたしには、すでに神秘であり驚異である。
 
古代のアンモン貝の殻は、厳密に正確な対数渦巻状の曲線を描いて形成されるという。
 
わたしのは、直径20センチくらいの美しいオウム貝の親類のようなもので、まことに微妙カーブを描いている。
 
机の上において、眺めているだけでも楽しい。」
 
 
 
人との出会い、物との出会いも不思議なものだ。
 
昨年のことだ。
 
下北沢の次の駅が池の上、井の頭線の駅と駅との距離は短い。
 
池の上はわが家から歩いて10分ほどだ。
 
池の上の商店街で毎年、フリーマーケットが開かれる。
 
出店する人は若い人が多いのだが池の上は年配の出店者も多い。
 
今にも雨が降り出しそうな日だった。
 
いつもより出店者が少ない。
 
午後3時は過ぎていただろうか。
 
心配していたとおり雨がポツ、ポツ降り出してきたので、衣類を並べている人たちは商品を片付けはじめていた。
 
60歳は過ぎている男性が、なんと貝がらを台の上に並べているではないか。
 
5コぐらいある。
 
欲しそうな顔をしたら、高いこと言われると思ったので、なんとなく手にもってみた。
 
「だんな、500円でいいですよ」と。
 
「南の国の海底からとり出したものです」
 
なんという貝がらか分からないが、5コも500円で買い求めてしまった。
 
机の上に置いて眺めているが、過去に買い求めたアンティークのものよりも、500円の貝がらの方が価値がある。
 
澁澤さんに少し近づいたような気がする。
 
ミカもよろこんでくれるだろう。
 
5つの貝がらに大きなロマンを感じずにはいられないからだ。
 
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2019年1月14日 (月)

思わぬお金が入ると人は変わる!

2018年12月31日の午後、心臓病で32歳の若さで亡くなったぼくの姉弟の末っ子・紀子の長男の純ちゃん(高校の教師をしている)から電話があって「父が今日の午後2時ごろ、80歳で亡くなりました」と知らせてきた。
 
埼玉県の老人ホームに入居していて、生活保護を受けていたようだ。
 
草薙実、紀子の亭主だった人だ。
 
 
 
紀子が心臓の最初の発作を起こしたのは、昭和36年(1961年)の12月、クリスマスの楽しい夕げのひとときだった。
 
下高井戸の吉川病院で精密検査をしてもらったら、僧帽弁閉鎖不全症という聞いたこともない病名を言い渡されて、「東京女子医大の榊原先生に診てもらったほうがいいですよ」ということだった。
 
年が明けて正月の休みが終わったばかりの東京女子医大に診察を受けに行った。
 
「すぐに入院の手続きをしてください。
 
手術をしなければ、あと2、3年ももちませんよ」と。
 
それから半年もまたされてやっと入院ができ、東京女子医大の心臓病棟、401号室、8人部屋に入ることになった。
 
何度も何度も医師の都合で手術の日が決まっていたのに変更されたので、紀子はやけくそになっていた。
 
そこでぼくはたまりかねて、朝日新聞朝刊の「読者のひろば」という読者投稿頁に、「妹に激励の手紙を」と呼びかけた。
 
ネットなんていうものがない時代の朝日新聞の力は偉大だった。
 
この投稿がきっかけとなって、昭和40年の日活映画「ぼくどうして涙がでるの」にまで広がっていった。
 
多くの人たちから激励の手紙が寄せられたが、月日が経てば手紙の数は減っていく。
 
それでも続いていたのは、北海道の日高という競走馬の産地として有名な街の貧乏な家で生まれ、5人姉弟の長男だった実君で、彼は上京して大田区の朝日新聞販売店で配達人として生活していた。
 
新聞を配り終えて、新聞を広げて目についたのが「読者のひろば」だった。
 
それから毎日のように長い手紙が妹の病室に送られてきた。
 
妹は発作が起きる前は、何人かの男性と付き合っていたが、心臓病だと知ると、みんな去っていった。
 
 
 
ぼくが書いた「ぼくどうして涙がでるの」が映画化され、ベストセラーになり、新聞配達人の実君と結婚するというので、フジテレビ「テレビ結婚式」がとりあげてくれた。
 
スポンサーは花王石鹸で、花王の製品1年分と電気洗濯機まで贈ってくれた。
 
その後、4畳半のアパートを借りて、ふたりの新生活が始まった。
 
実くんは明治大学に入学したが、長くは続かなかった。
 
 
 
最初の手術後、「あと10年ほどしか生きられませんよ」と医師に言われたが、そのとおりで11年目にまた手術をして帰らぬ人となってしまった。
 
 
 
実くんは子供のときから読書好きで文才があり、その後の話を学習研究社から『限りある日を愛に生きて』と『愛すれど生命哀しく』として出版した。
 
それが大映で映画化、東芝日曜劇場で石井ふく子さんがドラマ化してくれ、これが大好評で再放送までされた。
 
思わぬお金が入って、実くんの人生は変わってしまった。
 
何に使ったのかわからないが、また元の貧乏生活に。
 
彼の残した本を読み返してみたら、名文で書き上げた小説のような話になっていたではないか……。
 
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2019年1月12日 (土)

おいらん道中で浮かれる前に知ってほしい!

ぼくの女房の古里、弥彦村の近くに分水という街がある。
 
川に沿った桜並木が有名で、多くの観光客が訪れる。
 
その観光の目玉となるのが「分水桜まつり・分水おいらん道中」で、桜が咲く季節になると催される。
 
今年4月21日、公募して選ばれた何人かのおいらんが、はなやかにお供をひきつれてねり歩く。
 
ぼくはこの催し物にケチをつけるつもりはさらさらない。
 
毎年多くの観光客が訪れる催し物なのだから。
 
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ぼくの祖父・伊藤冨士雄は救世軍の大尉で廃娼運動の闘士だった。
 
祖父から聞いた話が書かれている『娼妓解放哀話』(中央公論社刊・沖野岩三郎著)に、こんな話が載っている。
 
道中に選ばれる花魁は、美しいことはもちろん、大正時代とはいえ、高等女学校も卒業していて、教養もある女性が選ばれたようだ。
 
おいらんとはいえ、親から廓の楼主がお金で買った商品で、多くのお女郎さんと変わりはない。
 
おいらんともなれば、かなりのお金を払わなければ相手にならないだろうから、おおだな(大きなお店)のご主人などに限られたのだろう。
 
 
 
大正4年の話だ。
 
吉原で一番大きな「角海老楼」の娼妓、白縫が、廃業したいと救世軍の本営にかけこんだ。
 
おいらん道中とは、大変な虐待だというのだ。
 
白縫はリューマチで、それに持病の脚気が再発しそうだという。
 
「頭痛のする私の頭へ、入髪をめちゃくちゃに沢山して、何十本という櫛や笄をさすんですもの、たまったものじゃありません。
 
その上に長い厚ぼったい着物を着せられて、大きな帯を前で結び、どてらのようなものを着せられ、長さ1尺、重さ2かん目の3枚歯の下駄をはかされ、仲之町のはしから、はしまで8文字をふんで歩かされるのです。
 
楼主はたまりかねて叫んだ。
 
「それはおいらんの道中ではないか。それが虐待とは途方もない!」
 
白縫は手をふって、楼主を制するように言った。
 
「むろん道中ですわ。
 
けれどもその道中が私には大変な虐待でした。
 
旦那はご自分の頭にあんな重いものをのせたことがありますか。
 
旦那のはいている、その桐の下駄はなんもんめありますか。
 
私は近ごろリュウマチでスリッパをはいて階段を上り下りするのさえ苦しいのに、2かん目の下駄をはかされて、すっかり神経衰弱になってしまいました。
 
それに持病の脚気が再発しそうです。
 
これでも虐待でないと、おっしゃるのですか」
 
 
 
白縫の申立が、あまりにも意外だったので、楼主も警部(警察官も間に入って話を聞いている)も、あぜんとしているところへ、白縫はさらに言葉を足した。
 
「ね、警部さん、私は思いましたの、ただ今は昭憲皇太后陛下のご諒闇中で、まだどなたも喪章をおつけになっていらっしゃるのに、吉原だけが治外法権じゃありますまい。
 
いけませんわね、今ごろおいらん道中なんて、あんな騒ぎをするなんて」
 
 
 
この話、白縫は廃業することができた。
 
祖父の話では、「やはり教育のお陰だ。
 
高等商学校を卒業していなかったら、2かん目の下駄で神経衰弱と脚気は起こらないよ」と伊藤君は笑ったと。
 
今どきの女性はスポーツでからだをきたえているし、それに公募で選ばれた女性だ。
 
しかし苦界に苦しんだ女郎たちのことを少しでも知ってもらいたいと、こんな話を持ち出したのだ。

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2019年1月 5日 (土)

年金支給日までの2ヶ月間が長い!

わが家の近所には幼稚園、保育園もあるので、下北沢駅前のスーパーへ買い物の行き帰りに、背もたれのついた自転車に幼児を乗せて走っているお母さんを頻繁に見る。
 
なかには前とうしろに乗せているお母さんも。
 
たまに前とうしろと背中に赤ちゃんをおぶって走っている、たくましいお母さんさえ見かける。
 
だから子供が少ないとは思えないのだが。
 
 
 
2018年12月22日の東京新聞朝刊に恐るべき記事が載っていた。
 
「18年生 過去最小92万人=自然減 最大の44万人」の見出しだ。
 
 
 
「2018年に国内で生まれた赤ちゃんは、1899年の統計開始から最小だった17年より2万5千人少ない92万1千人で、3年連続で百万人を割り込む見通しとなることが21日、厚生労働省が公表した人口動態統計の年間推計でわかった。
 
亡くなった人は、戦後最多の306万9千人で、死亡数から出生数を引いた人口の自然減は過去最大の40万8千人となるとみられる。」
 
 
 
生まれる人より、死ぬ人の方が多いなんてこれは大変なことだ。
 
ぼくの先妻のミカなど、まったく収入のないぼくのところへ、スーツケースひとつだけをもってとびこんできた。
 
なんとかふたりで無一文からがんばってよりよい生活へと思うミカのような若者は、今の世の中には少ないだろう。
 
収入の多い男のところへ嫁に行きたいという女性ばかりだ。
 
住むアパートやマンションの家賃が高すぎる。
 
それに給料が安すぎて、女房を食べさせていけない。
 
そうなると共稼ぎするしかないし、とても安心して子供を生んで育てられるわけがない。
 
軍備費ばかり増やさないで、いっぱいある空き家をリホームして、若い夫婦に住まわせたり、安くてすむ保育所をたくさん作って、子供をあずけて安心して働けるようにしなければとても子供を生む気持ちになれないだろう。
 
それに今の若者は結婚しても、お互いにがまんすることがないから、気に入らないと簡単に離婚してしまう。
 
これでは子供など作れるわけがない。
 
 
 
ゲイの人たちのことを生産性がないと言った議員がいた。
 
確かにそう言いたくなる気持ちはわかる。
 
しかし、好き好んでゲイになったわけではなく、生まれついたものだから、変えられない。
 
これはもっと同性愛に対する知識をもってもらわないと、議員の資格が無いと言わざるを得ない。
 
 
 
今日もスーパーに行ったら、ウクライナの女性が働いていた。
 
日本人の子供が少なくなるばかりだから、外国の人たちを日本に連れてきて働かせようとしている。
 
これも商品として働かせ、日本人が好まない仕事をさせる。
 
これは日本人と同じ給料で働いてもらうのは当然のことだろう。
 
国会議員は目先のことばかり考えないで、10年、20年先のことを考えてもらいたい。
 
じゃないと日本はさびれていくばかりだ。
 
 
 
下北沢の街を歩いていて感じることは、古着屋ばかりが増え続けていて、今では何10軒にもなるのでは。
 
これでは新品の洋服屋はみんなつぶれてしまう。
 
そんなことを嘆いているぼくが古着ばかり着ているのだから文句は言えない。
 
100円ショップの店、ユニクロのように安い新品の衣類でないと売れない。
 
これでは景気はよくならない。
 
 
 
オレオレ詐欺で何10億もだましとられるお金持ちの老人が多い。
 
お金持ちと貧乏人の格差が増えるばかりだ。
 
年金支給日までの2ヶ月間の長いこと、こんな生活で暮らしていると、愚痴をこぼしたくなるものだ。

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2018年12月29日 (土)

人間の子供より犬のほうが多い!

ぼくが平成5年、11月にオープンさせた、女房の古里・新潟県弥彦村(弥彦神社で栄える人口8千人ぐらいの村)にあったロマンの泉美術館が華やかなりし頃、イベントを開くたびに大きな記事で紹介してくれた三條新聞。
 
今も無料で送ってくれている。
 
三条市は弥彦村のとなりの町で、三条市の出来事の記事が多いが、弥彦村の記事も載っているので、弥彦村がいまどんなことになっているのかを知ることができている。
 
大きな梨が収穫される頃になると、毎年送ってもくれるありがたい新聞社だ。
 
ぼくが知っている記者は社長の息子だと思うが、「無題録」というコーナーがあって、おそらく物知りのベテラン記者が書いているのだろう。
 
2018年12月2日の新聞にこんなことが書いてあった。
 
ぼくも気にしていたような話だ。
 
ぼくは毎日のように、下北沢駅の近くのスーパーに買物と運動を兼ねて、わが家から30分ほどの車が通らない裏通りを歩いている。
 
その道は犬の散歩道で、そこで出会う犬を散歩させている人の多いのは驚くほどだ。
 
今の世の中、子供よりも犬のほうが多いのでは。
 
それに独身と思われる若い男女が増えている。
 
恋人と付き合うより、犬のほうが裏切らなからいいのかも。
 
「無題録」は今どきの若者の性について憂いている。
 
 
 
「平安時代は「源氏物語」の主人公は、12歳で結婚している。
 
それに比べて現代の若者は恋愛や性に奥手なのか、さほど関心がないのか。
 
日本性教育協会が昨年行った「青少年の性行動」調査によると、男子大学生の28・2%、女子大生の30・7%がデートをした経験がなく、男子の40・9%、女子の45・7%はキスをした経験もなかった。
 
性交経験のある大学生は男子が47・0%、女子が36・7%、男女ともに60%を超えていた12年前の調査と比べると、性交経験のある大学生が大幅に減っている。
 
昭和世代にもデートやキス、性交を経験したことがない若者はいたが、いまとは理由が違っていた。
 
昭和世代は経験したくても、相手がいなかった。
 
興味や関心はあるのに、単にモテなかったり、出会いのチャンスがなかった。
 
今の大学生は男女ともに30%以上が、「付き合う相手が欲しくない」と思っているという。
 
異性と付き合うことが面倒くさいのか、恋愛よりも、もっと楽しいこと、やりたいことがあるのか。
 
日本家族計画協会が行った調査では、16歳から19歳までの女性の58・5%が性交に「関心がない」「嫌悪している」と答えた。
 
「今の若者は生身の人間と付き合うことに伴うストレスを恐れ、ゲームなどのバーチャルにハマる。
 
その結果、性交を回避する人が増えているのだろう」と、分析する医師もいる。
 
日本の出生率はますます減ってしまうのではないだろうか。」
 
 
 
確かに今の若者はやることが多い。
 
今のゲームはテレビの画面で見ながら楽しめるのだから、はまってしまったらやめられない。
 
どこの国の兵隊と撃ち合い、殺し合っているのか、わからないが、アメリカで製作されたゲームだろうがよくできている。
 
どのように撮影されているのか、画面に出てくる街が現実の街なのかもわからない。
 
メンコや、ベーゴマに夢中になっていた、ぼくらの少年時代とは違う。
 
男性の精子の数も減っているそうだから、先進国では結婚する年齢も上がっている、子供の数が減るのは当然のことだ。
 
結婚しない男女も増えている。
 
後進国の人たちから子供をもらうか、働いてもらうしかない時代になってしまった。

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2018年12月24日 (月)

人間を商品として扱うなんて!

2018年12月16日午後1時からのホテルニューオータニでのぼくの講演会、豪華な固定した椅子が付いた階段になっている会議室。
 
なんと60席が満席になってしまった。
 
お膳立てしてくれた女社長の林由香里さん親子と、ご主人まで受付を手伝ってくれた。
 
お女郎さんを千人近くも苦海から救い出した話、妹の東京女子医大心臓病等、401号室での患者たちの心のふれあい、そして『薔薇族』の話と、長い年月をかけての話だから、とても二時間や三時間で語り尽くせるものではなかった。
 
中途半端になってしまって申しわけなかったが、またの機会に語りたいと思っている。
 
「文ちゃんと語る会」も、2019年1月26日、午前11時から午後2時まで、いつものようにカフエ「織部」で続けるので、ぜひ足を運んでください。
 
歩けなくなるまで続ける覚悟でいるので。
 
 
 
2018年12月16日の東京新聞の見出し「外国人30年間「商品」扱い・労働者受け入れ拡大・落下パイプで大けが、休業補償渋る」の記事を読んで怒りがこみあげてきた。
 
救世軍の大尉だった祖父、伊藤富士雄が大正時代、吉原の自廃志願者、千二百人の娼妓の相談を受けて、九百八十七人を完全に自廃成功させた話。
 
その話は昭和39年11月6日―40年4月29日まで「ときのこえ(救世軍が発行している機関誌)」と題して、吉屋信子さんが連載した。
 
その中にお女郎さんの悲惨な話が書かれていて、浄閑寺(女郎たちの駆け込み寺)の話は以前ブログに書いたが、ぼくのブログの中でも一番多く読まれた話だった。
 
吉屋信子さんが浄閑寺の住職から話を聞き出したころは、ご住職は元気な頃で、その話は貴重だった。
 
空襲で浄閑寺は焼け残ったのか、過去帳は公娼哀史の貴重な文献だった。
 
 
 
「むかしから安女郎は米俵に包んで投げこんだといいますが、わたしの子供の頃は、粗末なたるのような棺に入れられて、夜になるとそっと運ばれてきたものです。
 
 
 
貧しい農家の娘は郭に売られると、人間扱いされずに商品として扱われたのだ。
 
病気になって商品として使えなくなると、まだ息のあるうちに浄閑寺に投げこまれたという。
 
2万5千人の娼妓の霊がまつられているそうだ。
 
 
 
「出稼ぎで働くオーバーステイ(不法滞在)の外国人が目立つようになってきた。
 
「下町は人手不足に悩む零細の製造業が多く、たくさんの外国人を雇っていた。彼らは日本人が働こうとしない3K(きつい、汚い、危険)職場を底辺で支えていた」と振り返る」と、下町ユニオンの加瀬さんから聞いた話を東京新聞の中沢佳子記者が聞き出している。
 
これは若い人は知らないだろうが、戦前はトイレの汲み取り、紙くずを拾って歩くバタ屋、くず屋、炭鉱で石炭を掘り出す危険な仕事をみんな韓国の人にさせていた。
 
「93年には不法在留は30万人に迫った。
 
バブル崩壊で不況に陥った94年ごろから相談は増え、やがて年百件を越えた。
 
解雇をめぐる内容が多かった」
 
「人間を「商品」とみなすことを許しちゃいけない」と訴えている加瀬さん。
 
これでは苦界に身を沈めたお女郎さんと変わりがないではないか。
 
日本は人口が減るばかりで、海外から働くひとを受け入れなければどうにも仕事を続けられなくなっている。
 
大企業は儲かっているけど、小さい町工場は安い賃金で外国人を使わなければやっていけない。
 
いい雇い主に出会った外国人は幸せだが、ひどい雇い主に使われる外国人はみじめだ。

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2018年12月22日 (土)

美しい東京の街を見せたい!

2000年の『薔薇族』7月号に「昨今の世相に思うこと」と題して、ぼくはこんなことを書いていた。
 
年配の人だってこんなこと覚えていないだろうが、若い人にも知っててほしい話だ。
 
 
 
「アメリカのB29爆撃機の連日、連夜の空爆で終戦間際の東京は焼野原と化していた。
 
そして終戦、わが家の近くを走っている井の頭線を、焼け残った車輌は数台で、椅子もまったくない、みじめな車輌が走っていたのを覚えている。
 
山手線から見渡す東京の景色は荒涼たるもの、石塀と鉄筋ビルの残骸だけがところどころに残っているだけ。
 
数年して復興の兆しがみえてきた頃、車窓から見える焼け残りの石塀という石塀に、ペンキで「角万とは何ぞや」と書きまくった人がいた。
 
確か「角万」って、大塚駅近くの料理屋だったと記憶しているが、なにしろ50年も前の話だから間違っているかもしれない。
 
看板なんか建てられない時代に、焼け残った塀に、店の名前をペンキで、あちこちに書きまくった商魂と、アイデアにぼくは今でも敬服している。
 
誰もそんなこと考えつかなかっただろうから、これはすごいことだった。
 
こんなこと今の若者は知るよしもないし、年配の人だって忘れているだろう。
 
しかし、これは誰の迷惑にもならないし、その当時としては合法的だったのかも。
 
 
 
なぜ、こんな古い話を持ち出したかというと、昨今の若者がスプレーで、他人さまの塀や建物のかべ、店のシャッターなどに、横文字で落書きするのが流行している。
 
この現象はアメリカが最初なのかもしれないが、世界中の街でも同じことかもしれない。
 
ぼくの住んでいる下北沢の街は、若者の街と化しているから、このスプレーでの落書きはすさまじいものがある。
 
この落書きをにがにがしく思っている人は、ぼくだけではないだろう。
 
だが新聞の投書欄にも載ったことがないから、もう、すでに諦めてしまって街の風景と、とらえているのだろうか。
 
消したって、また書かれるから、誰しもが諦めの境地でいるのか。
 
不思議なことに、落書きが全部横文字で、日本語で書かれたものがないのは、横文字のほうがカッコいいとでも思っているのか。
 
たまに暴走族の下手くそな日本語の落書きを見ると、なぜかほっとさせられる。
 
人さまの店のシャッターや、壁、塀などに落書きすることが、いいことなのか、悪いことなのか、書いている人の感覚はマヒしていてわからなくなっているのだろう。
 
警察が犯人を捕まえたという話は聞かないから、警察も諦めているのか、現行犯で捕まえなくてはならないから、他の犯罪で忙しいし、張り込んでもいられない。
 
しかし、ぼくはこのなんとも思わなくなってしまった人々の諦めの心が問題だと思っている。
 
最近の警察は不祥事続き、病院もミスばかり、子供たちも大人がびっくりするような犯罪を犯すけれど、大人たちだって同じ。
 
日本の社会全体がおかしくなってしまっている。
 
人さまの塀や、建物にスプレーで書きなぐったからといって、目くじら立てることもないと言うかもしれないが、こういう小さな悪を許してしまうから、世の中全体のタガがゆるんで、どうにもならない世の中になってしまったのではないだろうか。
 
犬を散歩させると、必ずあちこちにオシッコをして自分の匂いを残しておくけど、落書きをあちこに書いている連中の真理は犬と同じではあるまいか。」
 
 
 
2年先には東京でオリンピックが開催される。
 
落書きをすべて消して、世界中からやってくる人たちに、美しい東京を見せたいものだ。

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2018年12月17日 (月)

小学校の運動会には父兄だけしか!

毎日曜日にぼくを誘って、三軒茶屋にある「銀座アスター」で、おそばをごちそうしてくれるカフエで知り合ったお金持ちがいる。
 
駒大の後輩で青山通りに大きなビルを持っているので、家賃収入だけでも大変な額になる。
 
これは親父さんが建てたビルで、彼はそれを管理しているだけのことだ。
 
彼は趣味をもたないし、友だちもいない。
 
話す話題は病気のこと。ひとり娘の亭主の話、孫の話。
 
同じ話をもう3年も聞かされている。
 
ぼくは『薔薇族』の読者と、どれだけ出会い話を聞かされて続けてきたことか、だから聞き上手だ。
 
「銀座アスター」で食事をしてから立ち寄るのは、ひとり娘の友人夫婦が経営しているハワイ大好きのカフエ。
 
彼は障害者手帳を持っているから、車をどこに停めても違反になることはない。
 
それからスーパーの「信濃屋」で買い物だ。
 
「信濃屋」は良いものをおいているので以前はよく買い物に行ったが、ぼくが買い物をしている下北沢駅前のスーパー「オオゼキ」に比べたら野菜ものは高い。
 
彼は「信濃屋」では顔だ。肉の定員から買っているのは、犬に食べさせる鶏肉のようだ。こまかく切って食べやすくしてくれている。
 
なんとレジの女性ふたりが、ぼくのブログを読んでくれているそうだ。
 
彼に紹介されて出会ったが、かわいい女性だった。
 
ブログってどんな人が読んでくれているのかわからない。
 
レジの女性が読んでくれているのかとうれしくなって、力を入れて書かないとと思わされた。
 
 
 
買い物をすませてから、ぼくが建てた斎藤茂吉の歌碑のあるところを曲がって、桜並木を走ると、一軒の家の前へ。ここは彼の亡くなった奥さんのお姉さんの娘の家だという。
 
ぼくもこの家には思い出すことがあった。
 
ぼくの長男の子供、男の子と女の子の孫が代沢小学校に通っていた頃、運動会のときにぼくは子供たちの写真を撮りまくって、近所の信用金庫のロビーを借り、「ピチピチランラン運動会写真展」(校歌からとっている)を毎年展示していた。
 
そのときにそこの家の娘さんが、かわいい子で表情もよくとらえていた写真だったので、写真展の宣伝のためのポスターに娘さんの写真を使わせてほしいと頼みに行ったことのある家だった。
 
その家の前を通って曲がろうとしたら、偶然にもお母さんと、成長した娘さんが帰宅してくるところに出会ってしまった。
 
あのかわいい小学生が成長した娘さんに。
 
車の窓を開けて声をかけたら、その時のことをよく覚えてくれていた。
 
お母さんも50歳は過ぎているだろうが美しい人だった。
 
スーパー「信濃屋」のレジの女性、そして運動会の小学生のときのかわいい少女が成長しての出会いと、こんなにうれしいことは、しばらくぶりだった。
 
運動会の写真展のチラシを校長先生が全校生徒にくばってくれたので、たくさんのお母さんが見にきてくれた。
 
「子供の顔がイキイキしているのを見て、とてもうれしくなりました。
 
ビデオよりも子供たちの表情がイキイキとしており、親が写すのとは、また違ってとても感動しました。」(小2の母)
 
「子供たちの自然な表情がとれていて、とてもすてきな写真でした。」(小1の母)などと、置かれたノートに母親たちが書いてくれていた。
 
それが教育委員会から校長に電話がかかってきて、写真に写っている子が、狙われ誘拐されるかもしれないと注意されてしまった。
 
運動会は今では父兄しか参加できなくなり、ガードマンが警備している世の中に。
 
情けない話ではないか。

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2018年12月10日 (月)

戦後生まれの議員たちが考えること!

政治にかかわることは、「ブログに書かない方がいいよ」と、コメントしてくれた人がいたが、戦争を経験してきたぼくにしてみれば書かずにはいられない。
 
衆議院議員にしても、参議院にしてもみんな戦後生まれの人たちで、あのいまわしい戦争体験などしたことのない人たちばかりだ。
 
サイパン島が米軍に占領されて、広大な基地ができ、B29爆撃機が大量に配置され、東京に200機、300機ものB29爆撃機が、1万米もの上空を整然と編隊を組んで、爆弾や、焼夷弾を落とすようになってきた。
 
高射砲で撃ち落とすべく撃っていたが、1万米上空まで砲弾がとどかなかったのか、命中しなかった。
 
たまに砲弾が命中したのか、煙をふいて飛んでいるB29を目撃したことがあった。
 
これも最初のころは、日本の戦闘機が飛びかかっていくのを見たことがあったが、あまりにも小さく、巨人におそいかかる小人のような感じで、B29の機体の上にのっかってしまったという話すら聞いたこともあった。
 
敗戦間際のころになったら、それこそやられぱなしになっていた。
 
B29はレーダーを備えているので、夜でも雪の日でもおかまいなくやってきた。
 
わが家では仕事師に頼んで頑丈な防空壕を作ってもらったが、土地が低いせいか、雨が降り続いたりすると、水びたしになってしまった。
 
連日、連夜、空襲警報が鳴るので、洋服も着たままだ。
 
それに石鹸がないので洗濯もできないので、しらみがわいてどうしようもなかった。
 
母は大きななべに下着を入れて煮沸していた。
 
 
 
こんな戦争のやり方は、太平洋戦争で終わりだ。
 
今朝の東京新聞(12月6日)を読むと北朝鮮は新しいミサイルの基地を作っているようだ。
 
政府はミサイルを迎撃するためのミサイル防空能力を強化する方針のようだ。
 
それにF35戦闘機を百機もアメリカから買うことを決めたとか。
 
北朝鮮や、中国がB29のような爆撃機で爆弾を日本全土に飛来して落とすような戦争をするだろうか。
 
そうなればそれらを迎えうつ戦闘機が必要だろうが、そんな戦争の仕方は過去のものだ。
 
東京新聞は総力をあげて、「税を追う」という安倍政権がアメリカの言うままに武器を多額のお金で買い求めているありさまを批判し続けている。
 
読者もこれらの記事を読んで、「毎回、驚きと怒りをもって読んでいます。登場する数字が大きすぎて実感を持てません。」「一般人は「兆」だとピンと来ないので、庶民目線で比較できるものを載せたらどうか。」と、半ばあきらめ顔だ。
 
記事の見出しだけでも「兵器ローン残高5兆円突破」「米製兵器維持費2兆700億円」「地上イージス6000億円超も」と、とてつもない数字が並んでいる。
 
2ヶ月おきにもらえる僅かな年金を首を長くして待っているぼくのような人たち。
 
生活保護を受けているような人にとっては考えられない話だ。
 
 
 
米国製の戦闘機F35は、一機百億円以上する。
 
都市部で定員90人の認可保育所を建てる場合、厚生労働省は建物費用を約2億円と想定しており、土地があれば一機分で少なくとも50ヶ所、4千5百人分を建てることができる。
 
中国やロシアの飛行機が、日本の領空内に侵入してきたときに、すぐさま飛び立って威嚇する戦闘機は必要かもしれないが、トランプ大統領をよろこばすために、百機も1兆円を出して買うこともあるまい。
 
怒るというよりも、情けなくなってくる。

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