2017年2月 6日 (月)

死は我々全員の行き先です!

「kotoba」(集英社・クオータリー・コトバ)2012年、春号で「死を想う・現代人にとって「死」とは何か?」という特集号だ。
 
この豪華な雑誌、たしか渋谷の画廊で知り合った女性の編集者が、送ってくれたものだと思う。
 
ぼくはこの3月19日で満85歳、男性の平均死亡年齢を何年か越すことになっている。
 
末の妹の紀子が、2度目の心臓手術の甲斐なく、32歳で亡くなったのが、昭和48年12月20日のことだ。
 
東京女子医大の心臓病棟での長い闘病生活の間に多くの人々の死に直面した。
 
 
 
それからというもの、本を出版するたびに、新宿の京王プラザホテルなどで、多くの友人、知人を集めて、盛大な出版を祝う会を催すようになった。
 
下北沢にあったカフエ「イカール館」、そして新潟県の弥彦村の「ロマンの泉美術館」でも、どれだけパーティを開いたことか。
 
それはぼくが死んでしまって、人々が集まってくれたところで、どうなるものではない。
 
生きているうちに、友人、知人と出会うチャンスを作りたいと思っての催物だ。
 
 
 
古いアルバムをめくって見ると、すでにこの世にいない人が多いのには、がくぜんとしてしまう。
 
あのとき会っておいてよかったではないか。
 
もう銀座のキャバレー「白いばら」での3回もの出版を祝う会のような豪華な会はできないが、20、30人いや50人ぐらいの友人、知人を集めての会ならまだまだできそうだ。
 
 
 
そろそろあの世へ旅立つ準備をはじめていて、とにかく買い集めた、さまざまのコレクションを、手放している。
 
ぼくは物に対する執着心のようなものは、まったくない。
 
親父が残した家や、土地も失ってしまったが、がっかりもしていない。
 
多摩墓地にお墓だけはあるから、年間、2500縁を都の公園科に払えば、そこにお骨は収められる。
 
 
 
人間、どんな人でも死ななければならない。
 
ぼくは宗教心もないし、死んだら地に戻るだけだと思っているから、死をまったく恐れない。
 
「kotoba」の中に、有名人が残した「死を想う言葉」が載っている。
 
アメリカ人のスティーブ・ジョブズさんの残した言葉が、わかりやすく、そのとおりだ。
 
 
 
「誰も死にたくない。
 
天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいと思わないでしょう。
 
死は我々全員の行き先です。
 
死から逃れた人間は一人もいない。
 
それはあるべき姿なのです。
 
死はたぶん、生命の最高の発明です。
 
それは生物を進化させる担い手。
 
古いものを取り去り、新しいものを生み出す。
 
今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。
 
深刻な話で申し訳ないですが、真実です」
 
 
 
ジョブズさんが考えだした「Apple Ⅰ」なんて、ぼくは触りもしていないが、どれだけ世の中の役に立っていることか。
 
小説家の山田風太郎さんの残した言葉。
 
 
 
「性の快楽と死の苦痛は、万人平等である。
 
しからば、なぜ、それ以上の平等を求める必要があるのだろうか」
 
 
 
「性の快楽」なんてものを、まったく知らずに死んでしまう人がいることを山田風太郎さんは知らなかった。
 
さて、ぼくは死が近づいたときに、どんな言葉を残して死ぬだろうか。
 
まだ時間があるようだから、誰もがその通りだと、感心してくれる言葉を残すから、それまでぼくのブログは読み続けてほしいものだ。

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2017年1月30日 (月)

短歌は万葉集の時代に戻そう!

戦後まもない昭和23年に駒沢大学の文学部国文科に入学し、万葉集の研究者でもあり、歌人で「白路」を主催する森本治吉教授に出会ったことで、ぼくは短歌を作り始めた。
 
学生時代に作った短歌をまとめた「歌集 靴下と女」(1993年4月)の序文に、親友だった阿部正路君(当時は國學院大学生で、後に国学院大学教授)が、「伊藤文学君と初めて会ったのは、昭和25年の5月、東京大学の構内の三四郎池のほとりだった。」と、ある。
 
各大学の短歌を作歌する学生たちを集めて、阿部君と2人で運営した。
 
ぼくが催しを企画し、画期的な催し物を何度も開催した。
 
 
 
大学を卒業して、ぼくは間もなく、短歌とおさらばしてしまい、それから60数年、短歌とは縁がなくなってしまった。
 
大学歌人会の仲間たちで、今もなお作歌を続けている人は、歌壇でもかなりの地位を占めているのは嬉しいことだ。
 
いまさら短歌がどう変わろうが、ぼくには関係のないことだが、2017年1月14日の新聞に.新春恒例の宮中行事である「歌会始めの儀」が13日、皇居宮殿であり、天皇皇后両陛下や皇族方が詠まれた歌が披露された。
 
今年の題は「野」で、一般応募で2万205首から入選した10人の歌も詠み上げられた。
 
5人の選者の作品も出ていた。
 
 
 
その中の1人S 君は、大学歌人会の時の2年ほど後輩だ。
 
60年以上も作歌を続けているのだから、歌集も何冊も出しているのだろうが、目にしたことはない。
 
宮内庁の仕事をするようになってからは、ぼくとのお付き合いは途絶えている。
 
それは当然のことだ。
 
アウトローのぼくのようなものを避けるのは、S 君だけではない。
 
都立高校の校長にまでなった、クリスチャンのA 君にも敬遠されてしまった。
 
そんなことはどうでもいいことだが、選者のS君の作品の酷さを読んで.短歌を作歌している多くの人たちに苦言を呈したいと思ったのだ。
 
 
  書くためにすべての資料揃ふるが慣ひとなりしきまじめ野郎
 
 
これが選者の作品とは情けない。
 
作歌と60数年離れたとはいえ、作品の良い、悪いはわかる。
 
「きまじめ野郎」は、S 君、自分のことを言っているのだろうが「野郎」という言葉は下品な言葉で、「この野郎」と、怒って相手を罵る言葉だ。
 
ぼくがこの作品を添削すると、「きまじめな人」くらいにするだろう。
 
それにしても何の感動も呼ばないつまらない作品ではないか。
 
お題が「野」。下品な言葉の「野郎」。
 
たしかに「野」が入っているが、あまりにもこじつけ、「この野郎!」と、ののしってやりたいぐらいだ。
 
 
 
「俵なんとか」という女性の作品が話題になって、短詩というべき作品が、はんらんしているが、短歌はあくまでも、5・7・5・7・7の定型を守るべきだ。
 
もう一度、万葉時代の作品に戻るべきではないだろうか。
 
規則を守って、その中でいかによく表現するかが大切だ。
 
昔から口語短歌を作る人はいたが、いずれも成功していない。
 
5・7・5・7・7、誰が考えたのか知らないが、リズム感が良く、自然に定着したのだろう。
 
それに文語体のほうが格調がある。
 
絵画でも、その基礎になるデッサンをしっかり学ばなければならない。
 
短歌でも「写生」を勉強すべきだ。
 
これは正岡子規の言葉だったか。
 
文化勲章受章者で大学歌人会の先輩、万葉集研究の権威、中西進君はこの作品をどう評価するだろうか。

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2017年1月28日 (土)

路地のまた路地の奥にある「織部」へ

ぼくの仕事の発想のすべての元はといえば「オナニー」からだ。
 
1966年(昭和41年)に第二書房から出版した.秋山正美著『ひとりぼっちの性生活』、秋山さんは出版社に売り込みに歩いて果たせず、出版社など何社もない、世田谷の代沢にある第二書房に持ち込んできた。
 
それから51年にもなる今、パラパラとページをめくってみたが、こんな七面倒な本を読んでオナニーをしなければならなかったのか。
 
秋山さんは「まえがき」にこんなこと書いている。
 
 
 
「私は自分の意見を全く自分の意思にもとづいて書いた。
 
題も自分でつけた。
 
出版社のほうから依頼して、本書を出版していただいたのである。
 
こういう場合、出版物の内容を自社の出版企画に合わせようとして、原稿の一部を書き換えたり、削ったりする出版社がある。
 
けれども私の著書は、まさしく一字一句原文そのままに印刷され、出版されたのである。
 
したがって、私がこの本の内容のすべてにわたって全責任を取るのは、当然のことである。
 
この本が、孤独に生きるあなたの日々に、ほんの少しでも役立つことを祈りつつ。」
 
 
 
ぼくが51年前、この手書きの原稿を一字一句読んでいるわけがない。
 
「勘」というか、ぼく特有の「感性」で判断して、出版を決めたのだと思う。
 
学生時代にオナニーで悩んだ経験、当時はオナニーが体に害になると言われていた。
 
何かの雑誌に医学博士が書いた「害にならない」という記事を読んで、ほっとした気持ちになった事も覚えていたからだ。
 
 
 
この本がきっかけとなって、「レズビアンテクニック」「ホモテクニック」となり、何十冊かの同性愛の単行本に繋がっていった。
 
そして1971年7月に、日本初の同性愛誌『薔薇族』となった。
 
『薔薇族』は廃刊になってしまったが、30数年前に発売した「愛の潤滑液ラブオイル」は、多くの読者の信頼を得て、今も売れ続けている。ありがたいことだ。
 
 
 
オナニーのやり方を書いたが、「ひとりぼっちの性生活」を読まなくても、「ラブオイル」をぬってしごけば、気持ちよく、ひとりぼっちの性生活を楽しめる。
 
 
 
ぼくは本嫌いで本を読まないのではなく、難しい事を書いた本を理解できないから読まないだけのことだ。
 
「オナニーと日本人」ぼくはこの本を購入した記憶がないから、読者が送ってくれたものだろう。
 
オナニーにも古代ギリシャからの歴史があり、よく調べて書いたものだ。
 
オナニーの発想からいい仕事を生み出すことができたぼくとしては、この本を読んで、勉強すべきだろうが、老眼鏡をかけて、その上、大きな虫眼鏡で、小さな文字を読むのは大変なことなのだ。
 
ネットもいじったことがない、スマホなんてものも持たないぼくは、時代に取り残された人間かもしれない。
 
しかし、戦争の体験もある。
 
戦中、戦後の食物がなかった時代、日本が元気が良かった時代を知っている。
 
男性同性愛の雑誌『薔薇族』を創刊してから30数年の体験は、誰も知ることができないぼくだけのものだ。
 
「文ちゃんと語る会」の会場、カフエ「織部」、路地のまた路地の奥なのに、スマホで難なくこられてしまう。
 
便利なとことか幸せなのか。
 
探し歩いてやっと見つけたときの喜び。
 
感動のない生活って、わびしいのでは。

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2017年1月23日 (月)

弱いものいじめはなくならない!

血の繋がらない子供をいじめる継子いじめの話は昔からある。
 
今は亡き、小沢省一さんが、新潟によく来られて、田んぼを作ったり、女房の古里の隣町の地名を忘れてしまったが、古い消防署の建物を利用して、昔、使った農機具や、日用品を展示している中に、「のぞきからくり」があった。
 
 
 
かなり大きなもので、国内でも珍しく、その「のぞきからくり」を小沢さんが宣伝してくれていた。
 
箱の中に絵がかかれていて、それが紙芝居のように変わるのを女の人が独特のしゃべり方で、講談のように語る。
 
その話が悲しい継子いじめの話だった。
 
 
 
継子いじめは理解できるが、自分のおなかを痛めて産んだ子供をいじめるというのはよくわからない。
 
ぼくは親父や、おふくろからなぐられたりした記憶はない。
 
岩手県の山奥から小さな出版社の社長の家に、女中奉公として出てきた母だ。
 
小学校も冬の間は雪が降り積もり、通えなかったのだろう。
 
その出版社に勤めていた父と、結ばれることになったようだ。
 
無学の母を馬鹿にして、暴力をふるったりするのを見るのは、子供心でもいやだった。
 
 
 
1月11日の夜(この日は、ぼくの先妻の47年目の命日)「日本テレビ・スペシャルドラマ・愛を乞うひと」が放映された。
 
「文部科学省選定」とある。お役所が教育的と見て、制作費を援助したのかもしれない。
 
東京新聞の「視聴室」(番組の解説)に「幼少期に実母から虐待を受けていた女性が過去と向き合うヒューマンドラマ」とある。
 
子役の鈴木梨央の演技は、すさまじい。水を頭からかけられたり、なぐられたり、けられたり、なんで自分の子供をいじめるのか。よくわからない。
 
ぼくは理解力がないので、こみいったストーリーは苦手。
 
コマーシャルばかりが頻繁に長々と入るので、余計わからなくなる。
 
お役所が援助したということは、「児童虐待の根深い問題をあらためて考えさせられる」とあるように、今の世の中、子供を虐待する親が多いので、ドラマ化に手助けしたのだろう。
 
 
 
ぼくが中学生の頃のことだ。
 
戦後間もなくの話で、わが家のとなりの家は、代沢小学校の門前にあったお米屋さんに勤めるご主人と、その奥さん、そしてご主人の母親のおばあさん。小さな男の子と、妹の女の子が住んでいた。
 
 
その中に、どんな境遇で、この家に厄介になっているのかはわからないが、親が戦死したのか、空襲で亡くなったのだろうか。信ちゃんという小学校、4、5年の男の子がいた。
 
 
 
人間お腹が空いてくると、いらいらする。
 
とにかく戦後のことだ。食べるものがなかった。自分の子供に食べさせるのにも大変なのに、信ちゃんに食べさせるだけでも腹立たしかったのだろう。
 
ヒステリックな女で、信ちゃんをいじめまくった。
 
ヒイヒイ泣きわめく信ちゃんの泣き声が聞こえてくる。
 
泣き声を聞いているだけでもやりきれなかった。
 
高校を出てから信ちゃんは、自衛隊に入隊した。
 
 
 
もうひとり記憶に残っているのは、世田谷学園で同期の榊原憲幸君。
 
お父さんは上海陸戦隊の隊長、馬に乗っている写真を見せてもらったことがあったが戦死。
 
おばあさん、お母さん、そして妹は浜松市の空襲で亡くなり、彼だけが助かった。
 
 
 
そして戦後、おじさんの家に厄介になっていた。
 
おじさんはお父さんの弟、奥さんは他人だ。
 
子供がふたりいる。
 
いじめられるのは当然だ。
 
よくわが家に遊びにきたが、母が食べさせていた。
 
 
 
弱いものはいじめられる。
 
いつの世でも変わらない。
 
人間の本能のようなものだから。

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2017年1月21日 (土)

豪華なエルメスのスカーフは!

ぼくは今年の3月19日で、85歳になる。
 
過ぎてみれば、あっという間だ。
 
 
 
下北沢南口「器とコーヒーの店・織部」の店長、奥村君がぼくのコレクションの中から見つけ出した、大正時代の絵ハガキの中のニワトリ2羽を見つめる少年と少女の緩やかに時が流れているような絵ハガキを使って、年賀状を作ってくれた。
 
 
 
300枚の絵ハガキは手書きで、住所、氏名と、それぞれ添え書きをして出した。
 
1日に年賀状は届いたのだろう。
 
慌てて書いたであろう年賀状が、次から次へと戻ってきた。
 
 
 
その中の一通にショックを受けてしまった。
 
息子さんからのもので、「昨年10月に、母 深井美奈子が、79歳にて永眠いたしましたので、年始のご挨拶を失礼させていただきました。」
 
 
 
美奈子さんは、ぼくと、後に国学院大学教授になった故・阿部正路君と、各大学の短歌の愛好者を集めて大学歌人会を結成し、2人で運営していた。
 
美奈子さんは、渋谷の実践女子大学の国文科の学生で、大学歌人会の最後の頃、入会したようで、あまり記憶に残っていない。
 
 
 
ぼくの古いアルバムの中に、大学歌人会の仲間たちと、小田急沿線の柿生の丘(今は民家が立ち並んでいる)の、雑木林を散歩している写真が残っていた。
 
草の上に座って、15人ばかりがひと休みしている写真だ。女性も半分ばかりいるが、男子学生の角帽をとりあげて、ちょこっとかぶっている、ふくよかな笑顔の女性が美奈子さんだ。
 
ぼくはこの少女が美奈子さんだと、ずっと思い続けていて、今もそう信じている。
 
 
 
美奈子さんは母親に勧められて、子供の頃から短歌を作りだし、すでに5冊もの歌集を出版し、2015年にそれらを1冊にまとめて全歌集を出版することになった。
 
美奈子さんの第4歌集『藤の飛瀑』に、著者近影とあって、写真が載っているが、学帽をかぶった、おちゃめな少女とは、どう見てもつながらない。
 
考えてみれば50数年も時を経ているのだから、誰しもが変わってしまうのは当然のことだろう。
 
一緒に写っているぼくにしても、ガリガリにやせていて、今の体重の半分ぐらいしかない。
 
それに髪の毛もふさふさしているが、今は薄くなったというより、無くなってしまっている。
 
それだけ長い時間が過ぎ去ってしまった。
 
 
 
ぼくは現実に恋人ができてしまったら、妄想でつくっていた短歌が馬鹿馬鹿しくなってきて、早々に作歌をやめてしまった。
 
今でも続けている大学歌人会の仲間のひとり早稲田大学国文科卒の篠弘君は、「毎日歌壇」の選者になり、宮中のお歌所の選者にまでのぼりつめている。
 
 
 
美奈子さんが第5歌集『花奮迅』を出版したとき、何か書いたことを覚えている。
 
ぼくがお節介役で、渋谷の中華料理店「白鳳」で出版記念会を開いたが、その時、お会いしたのが最後だった。
 
 
 
おじいさんも、お父さんも、ご主人も、息子さんもお医者さん。
 
めぐまれた家に育っているから、お金に苦労したことはなかったのだろう。
 
作られた歌は、優雅な王朝貴族の作品のようで、華麗な絵巻物を見ているようなものばかりだ。
 
 
 
2015年に5冊の歌集をまとめた『深井美奈子全歌集』豪華な歌集だ。
 
「ぼくの心の中で光り輝いているもの」と題して、ぼくに書かせてくれた、第1歌集『花光珠』粗末な本で、針金綴じ、そのさびた針金が、ぼくの心の中で光り輝いていると。
 
そのときのお礼にと頂いた豪華なエルメスのスカーフ。
 
女房のたんすの中に、しまわれたままだ。

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2017年1月16日 (月)

奇跡はたまねぎ1個から生まれた!

ぼくが通いつめている「器と珈琲・織部下北沢店」のすぐそばの泌尿器科には、7、8年前にオープンした時から、お世話になっていたが、ぼくの前立腺肥大は、一向によくならなかった。
 
一晩に4、5回ぐらいもトイレに行かなければならない。
 
慣れてしまっているから、それほど苦にはならないが、冬は寒いのでこたえる。
 
歌人の斎藤茂吉は、バケツを布団のすぐそばに置いてあったというが、尿瓶も進化していて、こぼれないようになっているものもある。
 
しかし、後で洗ったりするのが面倒だった。
 
医者から睡眠薬を出してもらって、寝る前に1つぶん飲んで寝るが、これもあまり効果はなかった。
 
 
 
ぼくは時代劇専門チャンネルを見ているが、コマーシャルは青汁とか、ノコギリヤシの広告ばかりだ。
 
高齢者が多くなっているから、病気の悩みは、膝、腰の痛み、便がよく出ないとさまざまで、最初だけ安い値段で、それからが高くなる。
 
ノコギリヤシも1社だけでなく、5社ぐらいと広告しているのだから、トイレに通う回数が多い人が、いかに多いかということだ。
 
医者からもらう薬が効果ないので、ノコギリヤシを注文して飲んだことがあったが、効く人もいるのだろうが、ぼくには効果がなかった。
 
 
 
最近、テレビの番組で健康を扱うものが多くなってきている。
 
年寄りが集まると、話題は健康に関する話ばかりだ。
 
どこの局だかわからないが、偶然に見た番組で「それダメ」とかいうのを見たときに、その道の権威の医師が、安眠の方法をしゃべっていた。
 
たまねぎの皮をむいて、枕のそばに置いて寝ると安眠できるというのだ。
 
たまねぎって包丁で切ると涙が出るくらい刺激が強い。
 
あの強烈な匂いが、脳に何らかの刺激を与え、脳が安らぐのだろうか。
 
 
 
テレビを見たその晩から、たまねぎの皮をむいて、匂いプンプンにして、枕元のそばに置いて寝た。
 
奇跡と言うべきだろうか。
 
信じられないような効果があったのだ。
 
 
 
睡眠薬も1粒飲んで寝たが、その効き目もあり、11時頃寝て、4時か、5時頃1回だけ起きるだけで、夢も見ずに安眠できた。
 
ありがたいことだ。
 
10数年続いた悩みを、小さなたまねぎが解消してくれた、うそのような本当の話だ。
 
 
 
正月の2日、3日と、箱根駅伝を見るためにいつもより早起きした。
 
ここ2、3年、青学が優勝して、母校の駒大はかつての力がなくなり、なんと9位になってしまった。
 
10位以下はシード権がなくなるという危ないところだった。
 
野球もかつての栄光はどこにいってしまったのか、2部に落ちて、1部に這い上がってこれない情けない状態だ。
 
数年前に変なものに、120億ものお金を投資して、それがパーになってしまったことがあった。
 
理事長以下、総長、学長も全て入れ替わってしまった。
 
曹洞宗の宗門でも、そんなに優れた人材がいるわけがないから、力の弱まるのは当然のことだ。
 
 
 
国文科の同窓会もずっと続けてきていたが、学校から卒業生に送る郵送費の援助がなくなり、続けられなくなってしまった。
 
ここでひと踏ん張りしないと、ますます落ち目になっていくばかりだ。
 
駒大がんばれ!

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2017年1月 9日 (月)

佐伯彰一さんとの出会い!

Img_9419 東京新聞夕刊の文化欄に「大波小波」という、週に一回載る小さなコーナーがある。
 
おそらくベテランの記者が書いているのだろう。2016年の12月28日「大波小波」に、「点鬼」という筆名で「今年逝った人々」の見出しで書かれている。
 
 
 
太宰治の書いたものなど読んだことはない。その娘さんが津島佑子さんという方で、父と同じ作家になっていて、68歳で亡くなられたが、太宰治より30年も長く生きたことをもって霊を慰むべきか。とある。
 
世田谷学園の大先輩の伊藤桂一さんも、99歳で大往生だと。
 
「今年亡くなった文筆家の名を記し、冥福を祈ろう。
 
長寿化は世の東西を問わず、古希(70歳)はもはや死語となりつつあるかのようだ。藤原てい98歳、佐伯彰一93歳」
 
 
 
佐伯彰一さん。携帯電話を持たない僕にはこの方がどんな方かを確かめられない。
 
その日、カフエ「織部」で、待ち合わせて20代の女性と出会ったので、携帯で調べてもらった。
 
やはりぼくが一度だけ出会ったことのある文芸評論家で、世田谷文学館の初代の館長さんだった。
 
 
 
世田谷文学館がオープンした頃、友の会を作ろうということで、ぼくもその世話役の1人になっていた。
 
その頃、出会ったのが、東宝の映画監督の高瀬昌弘さんで、テレビの時代になって「鬼平犯科帳」などの作品の監督をされている。
 
 
 
2001年の12月に、ぼくは文芸春秋社の子会社の「文春ネスコ」から『編集長「秘話」』を出すことができた。
 
「文春ネスコ」の社長さんは、文藝春秋社の創立者、菊池寛さんのお孫さんで、菊池夏樹さんという方だった。
 
「文春ネスコ」は子会社とはいえ、週刊文春の書評欄にぼくの写真入りで、1ページを使って紹介してくれた。
 
文藝春秋社から刊行されているすべての雑誌に広告を入れてくれたのだから、ありがたかった。
 
世田谷文学館の館長、佐伯彰一さんの目にも触れたのだろう。
 
「本を読みたい」という電話がかかってきた。
 
 
 
佐伯さん78歳ぐらいの時だった。本にサインをして約束の時間に館長室を訪れた。
 
館長室は広い。ソファに座っておられた。
 
館長ってどんな仕事をされているのだろう。文学館の格付けみたいなもので、世間的に名の知れた館長がその役目を果たしている。
 
毎日、文学館に出勤されるわけでなく、週に1、2度、顔を出すだけのお飾りみたいなものだろう。
 
こんな広い部屋に、ぽつんと1人座ってはいられないだろう。
 
 
 
16年も前のことだから、お顔も思い出せないが、温厚な方だった。
 
佐伯さん、著書もたくさん出されているが、同性愛のことに触れるときは、必ずといっていいほど「私は女好きだけど」とことわり、それから同性愛の問題を書かれている。
 
三島由紀夫さんと、親交があったようだが、すべての文芸評論家は、三島さんがゲイだったということは、タブーだったようだ。
 
佐伯さん、耳が少し聞こえないようなので、くっつくようにそばに座って話を始めた。
 
16年も前のことだから、何をしゃべったのか全く忘れているが、佐伯さん、ぼくとしゃべっていることで、本音が出てきて、だんだんに目が輝き、以前からの友人だったようになっていた。
 
時間のことなど忘れて、しゃべり続けた。
 
たった一度しか、お会いしたことはなかったが、文春から本を出すことができたので、この出会いに結びついたのだろう。
 
佐伯彰一さんのご冥福を祈りたい。
 

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2017年1月 1日 (日)

今年もブログを書き続けるぞ!

Img_8669
 
2017年、新年おめでとう。
ぼくのブログを読んでくれている人たちには、年賀状が出せないので、コレクションしていた、大正時代の絵葉書の中に、男の子と、女の子がにわとりに餌をやっている年賀状が1枚だけあったので、使わせてもらいブログから新年のご挨拶を。
 
歳を取ると交際範囲が狭くなり、現役で働いている時とは違い、年賀状を出す相手の友人、知人が少なくなってくる。その数が減ってくるそうだが、ぼくは幸せなことに、かえってその数が増え、300通も手書きで出すことができた。
 
「文ちゃんと語る会」の会場になっている下北沢南口のカフエ「織部」の店長、奥村君が、デザインをしてくれ、安い印刷所を探し出し、発注してくれたので、早々に年賀状をポストに入れることができた。
 


Img_8670

子供の頃のお正月には、3日の日、8畳の座敷に入りきれないくらい、子供たちが集まって、トランプや、カルタ取り、ジェスチャーと、大騒ぎだった。
 
母親が煮物を作り、五目ずしを作ってくれてそれを食べ、楽しい1日を過ごした。我が家の前は、原っぱだったので、タコ揚げをしたり、羽根つきをして遊んだものだ。
 
Img_8671_4
 
Img_8672_2 年賀状を見ていると、テレビもなく、ゲームもない時代だけど、ゆったりと時が過ぎているのを感じさせる。
 
 
 
 
 
 
 
ブログは書き続けますから、読んでくれれば幸いです。
 

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2016年12月24日 (土)

三島由紀夫原作「愛の処刑」の映画を!

2016年12月18日(日)下北沢南口のブックカフェ「B &B 」で、15時から「「愛の処刑」上映&禁断のトークイベント」が、開催された。
 
1960年に神山保のペンネームで、地下出版の「アドニス」の別冊「APOLLO」(新書判ぐらいの大きさで、3人の作家の短編小説が掲載されている。僕の手元にあったが、現在は早稲田大学の図書館の特別な部屋に保存されている。)に、三島由紀夫の作ではないかと、噂された作品だ。
 
1973年(昭和48年)の『薔薇族』5月号に「愛の処刑」を載せている。43年も前のことだ。
 
『薔薇族』の良き相棒だった藤田竜君が、作品の解説をしている。
 
「執筆の動機になったと思われる切腹への執着は、時を同じくして発表された「憂国」に共通しており、新かなづかい(最後の「をはり」は気が緩んだせいか)や、いつもの華麗な文章のないことなどが、かえって三島氏ではないかと思わしめる。
 
実際にこれが三島氏の筆になるものだとしても、真実を知るのは、生の原稿を受け取った人だけであり、その人が真実を言うわけがないから、「愛の処刑」は「幻の作品」ということになる。」
 
生の原稿を受け取ったのは「アドニス」の編集長だった、作家の中井英夫さんで、この方のちに「短歌研究」の編集をされていたことがあり、寺山修司君を世に送り出した方だ。
中井英夫さんは、1983年(昭和58年)に亡くなられている。
 
監督の野上正義さんと、ぼくとの出会いは全く記憶にない。「野上組スケジュール表」が「愛の処刑」の台本の間に挟み込まれている。それによると、9月9日AM7時、新宿駅前、安田生命前に集合とあるが、年号が書かれていないが、おそらく1983年(昭和58年)だろう。
 
撮影場所は千葉県勝浦の漁師町に残っていた、かなり古い網元の家。そこを借りられたことがこの映画の重みを生み出したのだ。9月10日の夜に帰京とあるから、4日間で1時間ものの映画を作り出したことになる。
 
脚本は吉本昌弘、撮影・伊藤英男、照明・石部肇。カメラマンの伊藤さんと、照明の石部さんは、映画の全盛時代に活躍された有名な方だそうだ。
 
高校の体育教師を演じられた方は、筋肉隆々で、適役だった。高校生の役の少年は、どうかなと思っていたが、意外と良かった。
 
「B&B」満席の50名の集まってくれた方々も、感動して見てくれた。映画が終わってからの鈴木邦男さんと、ぼくとのトークは、どうだったのか。熱心に聞いてくれたのだから、良かったのだろう。
 
日本で最初のゲイ映画を作り出したことをぼくは誇りに思っている。三島さんがこの映画を観ても、喜んでくれたに違いない。
 
この後に作られた「憂国」、ツール映画祭で受賞され、映画評論家たちに絶賛されたが、SM雑誌「風俗奇譚」に、『薔薇族』でしばりのイラストや小説を寄稿された大川辰次さんが酷評してしまった。
 
大川さんが三島さんと出会った時のことを『薔薇族』に寄せてくれた。
 
「プロの劇評家は金次第で何とでも書きますが、私がほしいのは貴君のような方の批評です。もっと聞かせて欲しいと思い編集長に頼んだのです」と。
 
三島さんは大川さんを料亭に招いて話を聞いてくれた。「今度制作する時は、ぜひスタッフに加わって欲しい。そして今後はあなたを親爺と呼ばせてくれ」と。いい話ではないか。
 
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「愛の処刑」の撮影現場

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2016年12月19日 (月)

「紅白歌合戦」は今年から見ないぞ!

救世軍の軍人として、祖父の伊藤冨士雄が、お女郎さんを救い出した数は、987人にも及ぶ。祖父から生前、沖野岩三郎さんは話を聞き出している。そのひとりひとりの話が長いのが困りものだ。
 
昭和5年6月に「中央公論社」から『娼妓解放哀話』として出版されている。ぼくが古本屋からやっと買い求めた本には、長野県上田市の「ほその書店」の紙が貼ってあり、「一番庵蔵書」との蔵書印が押してある。
 
古書としての値段も高かったから、貴重本といえるだろう。
 
ぼくにとっては、祖父が今でも生きていて話を聞かせてくれているような気がする。
 
ぼくは馬鹿みたいに、3、40年前に制作された時代劇にはまっている。どの作品もじつによくできている。「鬼平犯科帳」など何度も同じ作品を見ているが、昨日のことも忘れてしまっているから、何度同じ作品を見ても新鮮に見れるのだからありがたい。
 
『時代劇専門チャンネルのすべてがわかる情報誌―時代劇専門チャンネルガイド』を1年間の購読料1800円送ると、月末になると送られてくる。
 
朝起きると毎朝かかさず見るのは、杉良太郎主演の「遠山の金さん」。9時からで、そのあとは10時から「新・木枯らし紋次郎」中村敦夫主演で、これが見ごたえがある。
 
映画も見れるが、映画は時間が長すぎる。
時代劇はCMを抜いてあるので、50分ぐらいだ。
 
「原作・池波正太郎「鬼平外伝」シリーズ、最新作にして集大成」(鬼平外伝・四度目の女房)
おこうの役で山本陽子さんが天涯孤独な老女として出演している。
 
長い時間が過ぎ去って、ぼくの原作の「ぼくどうして涙がでるの」昭和40年の秋の日活の芸術祭参加作品となったが、山本陽子さん、セリフもない多数の看護婦さんの役で出演しているではないか。
 
古い時代劇に出演している役者たちもみんなそれなりに年をとっている。すでにこの世にいない役者さんも多い。
 
日本も高齢化社会に突入している。テレビで若い芸人たちが出演している番組、なにがおかしいのか、つまらない話なのにゲラゲラ笑う。不思議としか言いようがない。
 
吉本の芸人さんと知り合うことになって、新宿の南口にあるビルの上の演芸場に招かれて行ったことがあった。
 
あの観客の笑いは、ロックの歌手がわけも分からない歌を歌っているのを立ち上がって一緒に楽しんでいる。芸が面白いわけでもない。
 
野球の応援もそうだ。応援することを楽しんでいるだけのことだ。年寄りが必ず見ているのは、日本テレビの「笑点」だ。
 
すぐに回答がでてくるわけがない。あらかじめ台本を見て回答をしているだけのことで、構成を担当している人が、少しでも笑いをとろうと毎度苦労しているということだ。
 
原作もいいのだろうが、脚本が練りに練られている。
 
京都に松竹の映画村があって、江戸時代の街が再現されている。時代劇って多くの人の力を結集しないとできない。
 
最近、時代劇専門チャンネルが、松竹と手を組んで、時代劇を作り出している。高齢者になってくると、若い人向けの番組は見る気にならない。
 
「紅白歌合戦」も、もう見る気がしない。「時代劇専門チャンネル」は、高齢者が楽しみに見ることによって、商売にもなってきているのではなかろうか。
 
きせるで、きざみ煙草をくゆらすシーンは、遠慮しないで、もっと入れるべきだ。江戸時代の話なんだから。

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