2018年9月24日 (月)

こんなことがあっていいものか!

かつてアメリカのカソリック教会の牧師さんが、信者の少年に性的虐待をしたというので訴えられるという事件が、ひとり、ふたりでなく多くの事件が明るみに出たことがあり、ローマ法王は心が痛んだそうだ。
 
今は亡きマイケル・ジャクソンも、少年に性的虐待をしたというので、騒ぎになったことがあった。
 
「性的虐待」なんとも嫌な言葉だ。
 
しかし、牧師さんにしろ、マイケル・ジャクソンにしろ、愛する少年を虐待するわけがない。
 
だが未成年者を性の対象にすることは、どんな言いわけもできない。
 
法律で罰せられる。
 
これは当然のことだ。
 
少年愛者は未成年者に手を出したら罰せられるということは承知はしているものの、理性で抑えられないで問題を起こしてしまう。
 
 
 
少年愛は趣味ではない。
 
もって生まれたもので死ぬまで変えられない。
 
ここが問題なのだが、どうしても少年に接触できる仕事についてしまう。
 
学校の教師がいい例だ。
 
人間、欲望に弱い。
 
どうにも理性で抑えられなくなってしまう人が、出てきてしまうことがある。
 
同性愛の雑誌を出し続けてきたぼくにとって一番の悩みだ。
 
こればかりは少年愛者が自覚して、ひとり、ひとりが理性で処理するしか方法がない。
 
 
 
東京新聞2018年9月15日の朝刊が社会面トップで「聖路加国際病院・牧師強制わいせつ容疑=書類送検 心のケア 女性被害」の大見出し。
 
聖路加病院といえば、名誉院長の故・日野原重明先生のことが頭に浮かぶ。
 
ぼくが役員をしていた「雑学倶楽部」で、日野原先生に10年以上前のことだったか、雑学大賞を贈ったことがあった。
 
女房の久美子が手書きで書いた賞状を送ったことがあった。
 
ぼくが先生に賞状を手渡したので、先生の人となりはよく覚えている。
 
2時間もの間、ただの一度も椅子に座らず似顔絵描きの余興にも自ら参加されていた。
 
そんな先生が院長をしていた病院で、こんな考えられない不祥事が起きるなんて。
 
 
 
記事によると「心のケアを受けていた女性患者にわいせつな行為をしたとして、警視庁築地署は14日、強制わいせつの疑いで、ケアを担当する40代の男性牧師を書類送検した。
 
捜査関係者への取材でわかった。
 
認否は明らかにしていない。」
 
 
 
医師だけでなく、牧師さんでもある人だ。
 
これは許せない。
 
 
 
「患者の立場の弱さにつけこみ、卑劣。
 
女性患者を支援してきた毛受久弁護士は憤る。
 
毛受弁護士によると、女性は高度な医療が必要で、提供できる聖路加国際病院に一昨年から通う。
 
医師から「悪化すれば植物状態になる恐れもある」と告げられ、昨年3月、病院専任の牧師「チャプレン」の心のケアを初めて受けた。
 
対応したのが40代の男性牧師。
 
寄り添う言葉をかけてくれた。
 
しかし、どう5月8月の面談で、牧師は肩がこるそぶりをして、女性にマッサージを要求。
 
部屋にカギをかけ、女性の手をとり自分の下半身などを触らせた。
 
女性は逃げようとしたが牧師は立ちふさがり、わいせつ行為は数時間に及んだという。
 
同22日にも被害にあい、抗議すると牧師は「甘えてしまった」「病的だと思う」などと弁明。
 
後日「病気を治すのが大前提」「あなたにとっても大切な場所だ」と口止めを迫るような発言をしたという。」
 
 
 
なんともひどい話だ。
 
一体誰を信頼したらいいのか。
 
草葉の陰で、日野原重明先生、悲しんでいるに違いない。
 

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2018年9月22日 (土)

黙ってはいられない!

東日本大震災から、もう7年半も時が過ぎているとは。時の経つのは早いものだ。
 
2018年9月12日の東京新聞朝刊の記事はショックだった。
 
 
 
「生活苦7年半・災害援護資金 半数返せず」
 
この見出しを見ただけでもだ。
 
被害に遭い家を失い、田畑をなくし、放射能という恐ろしさもあり、元住んでいた村や、町に戻ることができず、日本中に散り散りになって暮らしている。
 
 
 
「東日本大震災の被害者の生活再建に向け、国などが市町村を通して貸し付けた災害援護資金をめぐり、岩手、宮城、福島3県の計24市町で返済期日が来た世帯の約半数に当たる3千4百60世帯が滞納していることが11日、共同通信のアンケートで分かった。
 
滞納総額は約4億円で、返済が今後本格化するに伴い、膨らんでいく可能性が高い。
 
震災による失職や高齢化が原因で、被災者が生活を立て直せていない現状が浮き彫りになった。
 
11日で震災から7年半。」
 
 
 
若人だって震災で職を失い、職を求めても安い賃金で働いているに違いない。
 
高齢者となれば年金だけで、生活するだけでやっとのことだ。
 
 
 
「住まいや財産を奪い、多くの人の生活を一変させた東日本大震災。
 
生活を立て直そうと災害援護資金を借りたが、7年半たった今でも十分な収入を得られず、返済に不安を抱える人は多い。
 
「その日の暮らしで精一杯」
 
「生きている間に返せるだろうか」
 
苦しい声が漏れる」
 
 
 
地球温暖化が影響しているのか、今年は台風が多い。
 
台風だけでなく局地的に大雨が降り、川が氾濫し、家や、田畑が水浸し。車も水に浸かって使えなくなる。
 
大雨で山が崩れ、人家が押しつぶされ、多くの人が犠牲になった。
 
消防や自衛隊、多くの人がボランティアで土砂を片付けたり、家の下敷きになった人たちを救い出している光景を何度も見せられた。
 
新しい家を建てれば、銀行から長期のローンでお金を借りて家を建てる。
 
その家が破壊してしまったら、借金はどうなるのだろうか。
 
最近では北海道での震度7の大地震、その被害も莫大だ。
 
今や、国と国との戦いではなくて、台風、大雨、地震、火山の噴火などの戦いになってきている。
 
北朝鮮がミサイルを撃ち込んでくることは絶対にありえない。
 
そんなことをしたら、アメリカはミサイルを北朝鮮に撃ち込み、国全体が破滅してしまうだろう。
 
日本は北朝鮮のミサイルを撃ち落とすための武器をアメリカから購入している。
 
日本の軍事費は莫大な金額に膨れ上がり、果てしがない。
 
そんな無駄なお金を被災者の援助に回すべきではないだろうか。
 
日本の大企業は社員の賃金をあげず、下職を泣かし、何10兆円ものお金をため込んでいるそうだ。
 
そんなお金を少しでも被害者の援助に向けるべきではなかろうか。
 
東北大震災の折に、世界中の国々から、多額の援助金が送られてきている。
 
そんなお金がなにかに使われたという話はニュースで耳にしなかった。
 
慈善事業をしている人たち、悪い人たちばかりではないだろうが、その裏で悪いことをしている人が必ずいると思う。
 
善と悪は紙一重だ。
 
日本の将来はどうなるのだろうか?
 
政治的なことは書かないほうがいいとコメントしてくれた人がいたが、黙ってはいられなくなってきている。

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2018年9月15日 (土)

『薔薇族』の表紙絵を一番長く描き続けてくれた内藤ルネさん

『薔薇族』の表紙絵を一番長く描き続けてくれた内藤ルネさん、ぼくもルネさんの影響を受けて、美意識、感性を磨くことができた。
 
ぼくとルネさんは、コレクションの好みが違ったが、その幅の広さはルネさんにはとても及ばない。
 
『薔薇族』は、単なるエロ本ではなく、気品と芸術性を重んじていた。
 
ルネさんは裏表紙を使って、ご自分のコレクションを紹介していた。
 
 
 
1994年4月号№255号、クマのぬいぐるみをかかえている少年の表紙絵もかわいいが、裏表紙には「熱海ホテルのラゲージ・ラベル」を紹介している。
 
0  
 
「熱海駅を出て左手先の海に傾斜する地にあった「熱海ホテル」のラゲージ・ラベルである。
 
かつて分厚い革のトランク(ラゲージ)に貼られた数々のホテルのラベルは、旅人の勲章のように誇り高く輝いていた。
 
すっかり使われなくなったラベルは、旧式のトランクとともに姿を消してしまったのだろうか――。
 
ところが私は、このラベルがホテルのフロントデスクにたくさん積み上げられているのを見て、一瞬タイムスリップしたように、信じられない出来事に驚かされた。
 
そのホテルが「熱海ホテル」だった。
 
道路より下にあったこのリゾートホテルの玄関は、白いクリームケーキのようにデコラティブで可愛らしくおいしそうだった。
 
このラベルに、大正時代のアールデコ・スタイルに描かれたホテルはいつの間にか、時の波間に消えていってしまった。
 
かつて私の宿泊したあの二階の部屋からの芝生と海の眺め。
 
あのこよなくいとしい優雅な時間をもう取り戻すことはできない。
 
まさに瀟洒というにふさわしい建物だったが、このラゲージ・ラベルも世界のホテルのものに較べて一級の出来といえよう。(内藤ルネ)」
 
 
 
海にはヨットが浮かび、遠くに初島が見える。
 
熱海の海が見えるマンションに部屋を持ち青山通りの「伊藤忠商事」のまん前にビルを所有するお金持ちとお付き合いしている。
 
その人の話だと、ホテルが少なくなり、マンションが立ち並んでいるそうだ。
 
新幹線を使えばわけなく行ける距離だから、定年退職したご夫婦が、熱海のマンションで暮らしている人が多くなってきているそうだ。
 
ぼくはしばらく熱海を訪れていないが昔の温泉街の情緒はなくなっているのだろう。
 
このラベルを見ていると、よき時代がほのぼのと浮かんでくるようだ。

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2018年8月20日 (月)

あの時を思う必要がまだまだある!

今日は8月9日(木)長崎に原爆が投下され、多数の死者が出た日だ。
 
今、長崎での式典をテレビで見終わったところだ。
 
東京新聞の「筆洗」欄には、こう記されている。
 
 
 
「今日は長崎原爆の日。悲しみ、苦しみ、恐怖を体験してきた人々が少なくなる中で迎える平成最後の原爆忌である。被爆者の6割以上が高齢による体力の衰えなどで被爆体験を語っていない。
 
生の声が細る一方で、世界には今なお1万5千発の核兵器があるという。
 
あの時を思う必要がまだまだあると胸に刻む日だろう。」
 
 
 
1万5千発の核兵器、これらが使われる時がきたら人類は破滅してしまう。
 
アメリカ本土では直接の戦争被害はない。
 
軍需産業は人を殺す兵器を作り続けていて、日本は高いお金を出してそれを買わされている。
 
どんな兵器もすぐに古くなる。
 
新しいものができればまたそれを買わされる。
 
果てしがないことだ。
 
原爆歌集『広島』をどうしても翻訳してアメリカ人に読ませたい。
 
 
 
西川若子 無職
 
 消火栓の水あふれ出る廻りには火傷の人の群りて死す
 
 眼の前の人燃えゆけど手をかす人なし吾も逃げゆく
 
 
 
新見隆司 会社員
 
 子を抱き臥したるままの姿勢にて黒焦げとなる婦もありき
 
 むっとする屍臭とともにたかりくるはえ払ひつつ足ばやにゆく
 
 痛がるをすかしつつ火傷に湧きしうじ虫をはしでとりやる
 
 
 
橋本桃村 教員
 
 兵隊さん鏡を見せてと言う女の眼から耳からうじのはひ出ず
 
 
 
平野美貴子 無職
 
 大根を重ねる如くトラックに若き学徒の屍を積みぬ
 
 空襲の合図と共に生まれ出し吾子板の上にそのままにあり
 
 赤くはれし乳首求めてみどりごはあわれ泣けども乳ひとしづく出ず
 
 
 
道岡久仁子 主婦
 
 裸身に大地に臥せる腰ひもは残りしもののただひとつかも
 
 わが庭の垣根に臥せし亡がらよ名はわからねども夏草手むけむ
 
 
 
宮田定 警察官
 
 よろよろとホームにたおれ水欲りし重傷者ついに動かずなりぬ
 
 内暗く死臭ただよふビルの中に入りゆきて弟の姿を探す
 
 赤さびて骨ばかりいまは残りたるらせん階段がありてひそけし
 
ふと落ちしわれの視線にケロイドのあとも生々しき少女の手あり
 
 
 
みやもとまさよし 公務員
 
 性別をわづかにわかつ肉塊の重なるそばに一夜を明かす
 
 髪ぬけて死にゆく君を看とりつつ明日知らざれば誰も黙して
 
 
 
昭和29年(1950年)8月6日に出版された原爆歌集『廣島』、安倍総理に読ませたかった。
 
安倍総理の挨拶がむなしく聞こえたからだ。

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2018年8月18日 (土)

戦争とはどんなに悲惨なものか!

東京新聞の2018年(平成30年)8月3日(月)の夕刊一面に「歴史を忘れたとき重大な過ちを犯す」の大きな文字を白抜きにしたタイトルで、広島原爆の日に記事を載せている。
 
原爆の日の祭典に、広島市の小学6年生、米広優陽君(12歳)と、新開美織さん(12歳)が、平和への誓いを宣言した。
 
「人間は、美しいものを作ることができます。人々を助け、笑顔にすることができます。しかし、恐ろしいものを作ってしまうのも人間です。」
 
恐ろしいものを今なお作り続けている人間が、この世にたくさんいる。
 
この人たちに読ませたい歌集が『廣島』だ。
 
 
 
ぼくも若い頃、短歌を作っていた人間としてうれしいことは、歌集『廣島』には今時のくだらない短歌というべき口語の作品がなく、萬葉集『広島』と言っていいぐらい伝統を守った作品ばかりであることだ。
 
だからこそ、芸術作品として評価されていいだろう。
 
753首の作品の中から選び出すのは難しい。
 
それに横書きにするのにも抵抗があるがやむを得ない。
 
1人でも多くの人が読んでくれて、戦争というものがどんなに悲惨なものか知ってもらえれば幸いである。
 
 
 
内田英三 教員
 
 水ぶくれになりて裸に倒れいる処女水欲る吾が足つかみて
 
 火ぶくれし肌へすでにうじわけりかくてこの人また死にゆけり
 
 
 
大沢張夫 会社員
 
 焼けただれ盲となりし幼子が母の名呼びてさ迷ひをれり
 
 全身の火傷に母はこと切れしも抱かれし子は泣きてゐにけり
 
 町ゆけば我が顔を見てあざ笑う心なき子らに涙わきいづ
 
 
 
河内格 獣医師
 
 肌焼けて裸身となりたる女学生ただれた両手で恥部をかくせり
 
 蛆のみは放射能の中に生きて居り黒き屍体に白くうごめく
 
 この子らに何の罪あり死んでゆく眼鼻もわからず黒くただれて
 
 
 
神田三亀男 技師
 
 ズロースのひもひとすじに手をかけし形に死にし少女もありき
 
 吐きすてし血へどに唇にくろぐろと瞬時見む間にはえむらがれる
 
 
 
小堺吉光 公務員
 
 石塀の下敷きのまま骨ありて紅き着物が焼け残りたる
 
 鉄かぶと拾い来りてそこばくの骨を入れたり埋めむとして
 
 頭蓋骨転りてゐるところにて道は曲れり曲りて歩む
 
 
 
小山綾夫 医師
 
 たおれいて収容されし女学生の顔焼けただれゐて脚のみ美し
 
 夜に入りて寒さに叫ぶ火傷者に着せむものとて何ひとつなく
 
 ほうたいをかえんとガーゼ取る肉にうじおびただしき患者に幾日保つべき
 
 火の海をここまでのがれたおれたる老婆の肩に犬くいし跡
 
(つづく)

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2018年8月14日 (火)

原爆投下はやむを得なかった!

父が出版し残した本の中で、歴史に残るものとしたら、昭和29年(1954年)8月6日発行の『歌集 廣島』と、B級戦犯が獄中で作歌した『歌集 巣鴨』と、米軍基地建設に反対する『歌集 内灘』の3冊だろう。
 
いずれも朝日新聞が社会面トップで報道してくれた。
 
アメリカ人は「戦争を早く終わらせるために原爆を投下するのはやむを得なかった」と言うが、広島での死没者は、31万4千108人にも及ぶという。なんという残酷な仕打ちだ。
 
この歌集を読んだ人は、日本人でも2000人足らずだが、英文に翻訳してアメリカ人にこの悲惨な短歌を読んでもらいたいものだ。
 
 
 
序文を寄せてくれた長田新さんは、「原爆歌集『廣島』に序して――氷はひしめきはじめた――」と題して書かれている。
 
 
 
「この歌集『廣島』のもつ特色の一つは、今廣島にあるすべての歌の団体が手をつないで仲よくこの一巻を作り上げたところにある。
 
(中略)
 
この歌集に作品を寄せたのは、平成歌を専門とする先生方だけではなくて、生まれて初めて歌を詠んだであろうような多くの市民の方々である。
 
この歌集のもつ特色の一つはここにある。
 
歌を専門とすると否とにかかわらず、昭和20年(1945年・敗戦記念日は8月15日)8月6日のあの世紀の怪物、いや鬼畜原爆を身をもって体験し、そして9年後の今まで生きながらえた人々の魂の叫びであるところ、そこにこの歌集の特色があるといっていい。
 
(中略)
 
実際この歌集が私たちに与える感動は、身をもって原爆を体験することもなく、ただ遠く外から眺めて筆を走らせた作家たちの作品とは根本的に違って、つぶさに惨苦をなめ、さらに9か年の長きにわたって、死生の間を生きながらえてきた廣島市民の声といってもよかろう。
 
(中略)
 
このようにして今、世に出るこの歌集『廣島』こそは「廣島の声」として、また『原爆萬葉』として、廣島市民が後世に残す世界史的文化遺産といっていい。
 
私はまたこの歌詞を『廣島』と呼んだことにも感心した。
 
というのは「ヒロシマ」とか「ひろしま」とかいっては、人々はいささか植民地的の劣等感さえ覚えるだろう。
 
ところがそうではなくて、あえて『廣島』としたところ、そこに編者の毅然たる識見もうかがえて嬉しいと思うのは、おそらく私1人ではあるまい。
 
(中略)
 
思えば土や銅で造った記念碑はわずか1000年も経たないうちに、きっと腐って倒れてしまう。
 
ところがこの歌集『廣島』は永劫不朽の記念碑として、とこしえに人類の胸を打たずにはいないだろう。(中略)
 
実際にこの歌集『廣島』で、氷はひしめきはじめたではないか。」
 
 
 
なんという素晴らしい序文ではないか。
 
全文を載せられないのは残念だが、長田新さんの序文で、歌集『廣島』が輝きを増している。
 
この歌集を出版するという予告を出したところ、6500首もの作品が集まった。
 
15人の編集委員会が結成し、時間をかけて753首を選んだようだ。
 
結社などに困らない一般民衆によって本作品が支えられているなどの事実は現歌壇に対しても、一つの示唆と方向を促すものではあるまいか。と、編集委員たちは書いている。
 
 
 
20数年前、編集委員の生き残った人たちが会合を開いた時に、親友の国学院教授の阿部正路君と共に、ぼくは会合に出席している。
 
この歌集『廣島』を年号が変わった8月6日に復刻してくれる出版社はないものだろうか。
 
版権などないと思うから!(つづく)

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2018年7月30日 (月)

木は朽ち果てることはない!

ぼくが平成5年11月1日に女房の古里・新潟県弥彦村(人口約8000人、弥彦神社、弥彦山で栄える村)に、「ロマンの泉美術館」をオープンさせた。
 
この美術館は美輪明宏さん、内藤ルネさん、宇野亜喜良さんなど、また美意識の高い『薔薇族』の多くの読者との付き合いの中で、自然と身に付けた感性や、美意識の集大成というべきものだった。
 
新潟市に住む詩人の松井郁子さんが、オープンして折に、こんな文章を寄せてくれた。
 
 
 
「コナン・ドイルの「シャーロックホームズ」に登場するような径を抜けると、闇の中に幻のように白い建物が現れた。
 
――何故、こんな所に、こんな建物が?――
 
私は目を見張り、息を呑んだ。
 
足が震えるような驚きだった。
 
12月の風は身を切るように冷たい。
 
その風が雲を追い払うと、月が煌々と美術館を照らし出した。
 
屋根の上の風見鶏、少女のブロンズ、ステンドグラス……私の深い所から熱いものがこみ上げてきた。
 
自分の住む世界を漸く見つけたような、長い間待っていたものに巡り合えたような、そんな歓びと感動だった(後略)」
 
 
 
地元の新聞「新潟日報」「三条新聞」、TV局、NHKまで取材して報道してくれたので、たちまち人々に知られるようになり、多くの人達が訪れてくれた。
 
美術館の中には、フレンチレストラン「バイロス館」があり、イギリスからはるばる船で送られてきた、東京にもないような大きな舞台のような家具が、表面に置かれていた。
 
ピアノもあり、そこで1年に何度も芸能人を招いて、パーティーが開かれた。
 
のちに紅白にも出場したクミコさん、秋元順子さんも何度も来てくれた。
 
 
 
新潟には女性たちが着飾って訪れるような場所はあまりない。
 
美味しい料理を食べてショウを見る。
 
一番人気があったのは、新宿2丁目のゲイバー「タミー」の2人組だ。
 
ひとりは日劇ダンシングチームの出身だから歌も踊りもうまい。
 
もうひとりの若者はシャンソン歌手だった。
 
サービス精神旺盛な2人のショウは、新潟の女性を喜ばせ、二度も招いたこともあった。
 
時代はあっという間に変わってしまい、今は美術館の扉は閉ざされ、廃墟になっている。
 
美術館は税金を払えないために、北沢税務署に抑えられていたが、先日、税務署を訪れたら、国税局のものになっていた。
 
いつのことか分からないが、競売になるのだろうが、どうなることか。
 
京都のお寺や神社も木で作られている。
 
それは長い年月が経っても朽ち果てることはない。
 
イギリスから、はるばる船で送られてきた巨大な家具、どんなことがあっても朽ち果てることはないだろう。
 
今となってはイギリスでも、こんな巨大な家具は作れまい。
 
ぼくがこの世にいなくなって、この大きな家具の運命はどうなるのだろうか?

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2018年7月16日 (月)

取次店はトーハンと日販、大きな書店だけが!

『サイゾー』という雑誌、みなさん読んだことありますか? 『薔薇族』をぼくが出していた頃、2度ばかり取材してくれて載った記憶があるから、かなり歴史のある雑誌だ。
 
表紙だけ見ると、エロ本のように見えるけれど、ページをめくっていくと、どうして、どうして、かなり重みのある記事ばかり、ヌード写真も、フレッシュなチラリズムの美学とあるように、えげつない写真はない。
 
 
 
7月の10日、『サイゾー』の3人の方が、カフエ「織部」に来てくれた。
 
ライターは美人の女性だ。
 
この人がぼくのしゃべったことを記事にして連載してくれるそうだ。
 
そのとき持参してくれた7月号をいま読み始めているところだ。
 
 
 
最初に目についた見出しは「若手取次・営業・書店員・『万引き家族』が万引きを誘発!? 崩壊寸前!? 出版業界の立て直し方・出版不況と言われて何年も経つが、実際のところはどうなのだろうか? そこで出版取次、版元の書店営業、そして書店員の若手に集まってもらい、改善したほうがよい出版業界の古すぎる慣習、現場の人間だからこそわかる最近の売れ筋本について語ってもらった。」
 
「座談会出席者」
 
A・元取次店員(26歳)
B・中堅出版社営業(25歳)
C・大型書店員(30歳)
D・個人書店書店員(29歳)
 
 
 
下北沢周辺には、書店が6、7軒あったけれど、みんなやめてしまい、今はスーパーの4階にある三省堂書店だけ。
 
たまに本を買うことがあるけど、Amazonに注文しないで三省堂書店で買う。
 
品物がないと取り寄せてくれるが、「1週間ほどかかります」と店員は言うが、3、4日で電話がかかってくる。
 
最近は文具に力を入れているようだけど、お客は少ない。
 
いつやめてしまうかと心配だ。
 
売れ筋の本というと、宗教関係の本だというから情けない。
 
 
 
 C・給料で言うと書店員のバイトは基本的に最低賃金だし、最低賃金が上がると経営が厳しくなると言われているくらいよくない。
 
 B・書店に限らず、業界全体がそういう状態だから、倒産する出版社も出てくる。
 
   それである出版社がつぶれそうだという噂が流れると、書店はその版元の本を取次の定めた返品期間内に必死で返すんだよね。
 
 C・いまだに万引被害が大きい。
 
   ほんの粗利率は20%ぐらいだから、1冊盗まれたら5冊売らないと補填できない。
 
 D・刑務所に入りたくて万引きする人もいる。
 
   軽犯罪を重ねて、捕まえてほしいから、わざとわかりやすいように盗むんだよね。
 
 B・出版業界特有なのは取次かな。
 
   取次の会社はいくつかあるんだけど、実態はトーハンと日販の2強で、シェアの70%以上を占める。
 
   ほぼ寡占状態なんだよね。
 
 
 
取次店はトーハンと日販の2社だけになってしまうのでは。
 
大きな書店は1分でも仕入れ値が安い取次店に移ってしまう。
 
取次店は利益が少なくなるから、小出版社をいじめて正味を安くしてしまうから、小出版社がやっていけるわけがない。
 
取次店も小さな書店に送るよりも、大書店にどかっと送ったほうが楽だから、将来は取次2社と大きな支店を何軒も持つ、大書店だけが生き残るのでは。
 
 
 
ぼくも出版社の息子だったけど、本を読まない。
 
高2の孫もゲームばかりしていて本を読まない。
 
しかし、世の中には本好きな人はいる。
 
下北沢には古書店は何軒かある。
 
本がなくなることはないだろう。
 
小さな書店で特殊な趣味の本だけを売るお店もあるようだ。
 
この座談会、どうということはなかったけれど、いい時代に出版の仕事ができて、ぼくは幸せ者だった。
 
 
★コメントをよろしく

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2018年7月14日 (土)

NHKの番組が取り上げるいい時代に!

NHKの6月16日の「Eテレビ特集・Love 1948-2018 ~多様な性をめぐる戦後史~」に出演させてもらい、大きな反響があった。
 
ディレクターの笹井さんがツイッターの反応を紙焼きにしてくれた。
 
笹井さん、今どき珍しい好青年で、ボーナスをもらったからといって、ぼくら夫婦に江戸前の名店「小笹寿司」をおごってくれた。
 
毎日、この店の前を通って、下北沢駅前のスーパーに買い物に行くのだが、5時開店の前に何人ものお客さんが待っている。
 
今のぼくは高級なお寿司を食べる懐具合ではないので、うらやましげに通り過ぎるだけだった。
 
 
 
6月3日、カフェ「織部」で笹井さんと待ち合わせて、5時前に店の前に行ったら、何人かのお客さんが待っていた。
 
2年ぶりかで食べたお寿司、以前よく通っていたころの食べる順序を覚えてくれていて、次から次へと握ってくれた。
 
隣に座っていた男女、女性はおしゃれな服を着ていて、男性は堅い仕事のようだ。
 
ぼくらの話を女性は聞いているようなので、名刺を出した。
 
裏面には『薔薇族』と大きくバラのつぼみが印刷されているのだが、ぼくの名前を見ただけで、興奮状態に。
 
ぼくが何者かということを知っていたのだ。
 
男性のほうは静岡の国交省のお役人。
 
友人に小笹寿司のことを聞いて、女性を誘ってわざわざ食べに来たという。
 
それから女性と話がはずんでしまった。
 
 
 
Twitterの反応は、
 
 
 
「ETV特集・LOVE。かっこいい生き様を見せてくれた方々が多かった。
 
孫の勉強机の横に『薔薇族』が置いてあるってファンキーな一家。
 
ああいう家庭が増えれば無知からくる偏見も思い悩んで死を選ぶ人も少なくなるのかな」
 
 
 
ぼくの女房は部屋の中を見せたくなかったのに、カメラは映し出してしまった。
 
ありのままを見てくれてよかったのでは。
 
 
 
「1971年『薔薇族』創刊。
 
ゲイであることを隠してる人がほとんどだった時代。
 
待ちに待った媒体だったんだろうな。」
 
 
 
先妻の舞踊家ミカが事故死しなかったなら、仕事が増えてきたミカのマネージャーになっていて『薔薇族』は誕生しなかっただろう。
 
それと親父が女狂いして、出版の仕事をぼくに任せっきりだったから、ぼくが決断して『薔薇族』を出せたのだ。
 
もうひとつは最大手の取次店が正規のルートで、全国の書店に送ってくれたことだ。
 
『風俗奇譚』や『奇譚クラブ』のように取次店が扱ってくれなかったら、同性愛の雑誌は日の目を見ることはなかったろう。
 
 
 
「Eテレビのセクシャル・マイノリティの特集、面白かった。『薔薇族』の創始者夫婦が素敵だったな。
 
同性愛者がWHOの疾病リストに入っていたというのと同じくらい、衝撃的だったのは、イラストレーターの内藤ルネさんって男性だったっていう事実ですね。
 
女性だと思っていた。」
 
 
 
内藤ルネさんが女だって思っていた人がかかなりいたようだ。
 
あんなかわいい女性を男が描くなんて、ルネって名前から想像すると考えられないものな。
 
 
 
「『薔薇族』を書店で万引きした高校生が飛び降り自殺。
 
万引きをとがめられるより、親に同性愛を知られることを恐れた1980年代。
 
40年後の現在、マイノリティにとって少しは生きやすい時代になっただろうか」
 
 
 
あの事件のことは忘れることはできない。
 
「ゲイは異常でも変態でもないのだから、胸を張って堂々と生きよう」と、創刊以来、言い続けてきたのだから、今の時代、生きやすい時代になってきたと信じている。
 
NHKが取り上げてくれる時代になったのだから。

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2018年7月 7日 (土)

日馬富士、モンゴルに学校を!

次から次へと日本の社会は事件が起きて、あんなにマスコミの間で大騒ぎされていたのにということが忘れられている。
 
ぼくも好きだった大相撲の元横綱日馬富士公平(本名:ダワニャム・ビアンバドルジ)さん(34歳)、女房の古里の新潟県弥彦村、弥彦神社と弥彦競輪がある人口8000人ぐらいの小さな村と、モンゴルの日馬富士さんとは、以前から交流が続いている。
 
あの酒に酔っぱらっての暴行事件で角界を追われモンゴルに帰国していたのかと、気にはなっていた。
 
東京の新聞では報道されていないようだが、弥彦村にぼくが建てた「ロマンの泉美術館」の時代にお世話になった三條新聞が、いまでも無料で送られてきているので、新潟での出来事を知ることが出来ている。ありがたいことだ。
 
6月16日の新聞になんと1ページも使って、「日馬富士さん、三条市へ・子どもたちに感謝の気持ち育てるため・『新モンゴル日馬富士学校』開校へ・母校モンゴルに小中一貫校・旧大崎中の机イス再利用」の見出しが。
 
A
 
「現在は伊勢ヶ濱部屋でコーチを務めている。
 
新潟県では12年、伊勢ヶ濱部屋三條後援会が発足。27年8月、弥彦神社境内に相撲場開きとして、日馬富士さんによる横綱土俵入りが行われ、翌28年からは毎年8月に、一般社団法人どすこい越後の主催で、弥彦村を会場に、伊勢ヶ濱部屋夏合宿を行っている。
 
日馬富士さんは現役時代から私費を投じて、モンゴルに学校の建設を進めており、9月1日にウランバートルに、小中高一貫校「新モンゴル日馬富士学校」を開校する。
 
学校では子どもたちに感謝する気持ちを育てるため、日本の学校で使われた机、イスなど使うこととし、長い付き合いのある越後之国後援会、どすこい越後に協力を依頼。会員たちのつてで三条市や、新潟市、南魚沼市などに協力を依頼した。
 
三条市では、どすこい越後監事でもある岡田竜一市議会副議長が相談を受け、三条市教育委員会に照会。
 
3月に大崎中学校が閉校したばかりで、備品類が残っていることから、まとめて寄付することになった。(中略)
 
引退しても日馬富士さんは大人気で、見学が終わったあとは参加者と写真を撮ったり、握手をしたりとファンサービスをした。
 
日馬富士さんは「中国製の安いものもあるが、日本の子どもたちが使ったものをモンゴルの子どもたちが使うことで、子どもたちは感謝する。日本人に感謝する気持ちを育てることで、いずれ日本のためになにかやってくれて、両国が発展する。恩返しにつながると思って一生懸命にやっている。」
 
と意気込みを話した。
 
寄付された備品類は、旧大崎中学に集積し7月5日にトレーラーに積み込み、船で中国に送る。
 
中国からは電車で運び、8月にはモンゴルに到着する予定。
 
配送料はすべて日馬富士さんが負担するという。」
 
 
 
日馬富士さん、人柄もいいし、やさしい気持ちの持ち主。
 
酒を飲みすぎて暴行事件を起こしてしまい、その後、どうしているのかと思ったら、三條新聞が1ページも使って報道をしていて、その後も記事にしているので、新潟の人たちが、続々とリコーダーやハーモニカ、鍵盤ハーモニカ、本などを贈り、善意の輪が広がり集まってきているようだ。
 
B
 
心あたたまる、いい話ではないか。
 
それにしても日本全国、子どもたちが少なくなり、学校が閉校になっているのは寂しい話だ。
 
一緒に住んでいる高2の孫のところへも、各大学から立派な入学案内書が送られてきてる。
 
大学も学生集めに懸命とは。
 
日本の将来はどうなるのだろうか?

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